伊集院レイは、自室の机に向かっていた。
机の上には、いつものように確認記録が置かれている。
資料室で行った確認内容を整理するためのものだ。
二学期行動予定の追加確認。
模試。
補習。
大学見学。
帰宅時間。
資料室来訪可能日。
高瀬悠人から得た情報を、項目ごとにまとめていく。
文字は乱れていない。
内容も明確だった。
結果:確認体制の再構築に必要な情報を取得。
ここまでは問題なかった。
レイはペン先を備考欄へ移した。
そして、手が止まった。
――お茶会みたいだな。
高瀬の声が、妙にはっきりと蘇る。
「違う」
即座に否定した。
だが、自室にはレイ以外誰もいない。
その否定を聞く者もいなかった。
レイは一人、机の前でわずかに眉を寄せた。
お茶会ではない。
あれは確認だ。
二学期以降の行動予定を把握し、秘密保持体制を維持するための必要な手続きである。
紅茶があったからといって、お茶会になるわけではない。
菓子があったからといって、お茶会になるわけではない。
高瀬が妙な誤認をしただけだ。
レイは、改めて紙の端に整理するように小さく書き出した。
目的:秘密保持および行動予定確認。
飲料:長時間確認に伴う水分補給。
茶菓:集中力維持のための糖分補給。
日程調整:確認体制維持のための必要措置。
雑談:確認に付随する情報取得。
そこまで書いて、レイは手を止めた。
静かに文字を見下ろす。
秘密保持。
行動予定確認。
水分補給。
糖分補給。
日程調整。
雑談。
並べれば並べるほど、どうにも言い訳じみて見えた。
「……違う」
もう一度、呟く。
違う。
お茶会ではない。
そもそも、お茶会であれば目的が違う。
社交。
歓談。
交流。
嗜好品の提供。
資料室で行われているのは、あくまで確認である。
高瀬の模試日程。
補習の有無。
大学見学の予定。
帰宅時間の変動。
資料室への来訪可能日。
どれも確認事項だ。
必要な情報だ。
ただし、最後の項目だけは少し具体的すぎたかもしれない。
資料室への来訪可能日。
レイはその文字を見て、少しだけ目を逸らした。
必要事項だ。
高瀬の予定がわからなければ、確認日程を調整できない。
確認日程を調整できなければ、秘密保持体制に穴が生じる。
だから必要なのだ。
高瀬の予定を知りたかったからではない。
高瀬が来られる日を把握したかったからではない。
次にいつ会えるかを、確認という形で先に知っておきたかったからではない。
「……必要事項だ」
レイは自分に言い聞かせるように呟いた。
次に思い出したのは、紅茶と菓子のことだった。
――覚えてたのか。
――それ、もう普通に気を遣ってるだろ。
高瀬はそう言った。
違う。
気を遣ったわけではない。
高瀬は以前、午後に甘すぎるものは勉強に向かないと言っていた。
だから、甘さの強い菓子は避けた。
確認中に眠気が出れば、回答精度が落ちる。
集中力が低下すれば、必要な情報を正確に得られない。
確認対象の状態管理は、確認そのものの精度に関わる。
だから、甘すぎない菓子を選んだ。
紅茶も同じだ。
水分補給。
気分転換。
長時間の確認における集中維持。
それ以上の意味はない。
ないはずだった。
それなのに、高瀬は少し嬉しそうに見えた。
覚えてたのか。
そう言った時の顔を、レイは思い出してしまう。
別に、喜ばせようとしたわけではない。
ただ、以前の発言を覚えていただけだ。
確認対象の発言を記録しておくのは当然だ。
だが、なぜそんな些細な発言まで覚えていたのかと問われると、少し困る。
甘すぎるものは午後の勉強に向かない。
そんな言葉まで覚えている必要が、本当にあったのか。
「……確認対象の集中力に関わる」
レイはまた呟く。
言葉にすれば、何とか形になる。
だが、自分でも少し苦しいことはわかっていた。
レイは確認記録から視線を外し、窓の方を見た。
資料室での高瀬の言葉が、もう一つ浮かぶ。
――最初の頃って、もっと怖かったよな。
最初の頃。
レイは、そこで少しだけ表情を固くした。
確かに、最初は違った。
高瀬悠人は、秘密を知ってしまった外部者だった。
脅す必要があった。
圧をかける必要があった。
守らなければならないものがあった。
退学。
その言葉を使った。
秘密を漏らせばどうなるか、理解させるために。
あれは必要な警告だった。
伊集院家の事情。
学校での立場。
外部への印象。
自分が伊集院くんとして振る舞う理由。
それらを守るためには、甘い対応などできなかった。
だから、あの態度は間違っていない。
間違っていないはずだ。
けれど、高瀬はその頃のことを、今では少し笑って話す。
怖かったよな、と。
退学とか言ってたし、と。
それは、あの頃の空気を笑える程度には、今が変わったということだ。
机を挟んで尋問のように向き合っていた時間が、今では紅茶と菓子のある確認に変わっている。
高瀬が椅子に座ることに慣れた。
自分の言い訳に慣れた。
資料室という場所に慣れた。
それだけだ。
確認対象が環境に適応しただけだ。
レイはそう結論づけようとした。
しかし、少しだけ安堵している自分もいた。
高瀬が、最初の頃を恐怖としてだけ覚えていないこと。
それを今の会話の中で、軽く触れられるものにしていること。
そのことに、少しだけ救われた気がした。
もちろん、それも確認対象の心理的安定として評価できる。
そういうことにしておく。
レイは確認記録を閉じようとした。
だが、閉じる前に、ふと次回のことを考えてしまった。
次回は、模試の後になるかもしれない。
模試後なら、高瀬は疲れている可能性が高い。
長時間の確認は避けるべきか。
あるいは、確認項目を絞るべきか。
飲み物は紅茶でよいだろうか。
季節的には、温かい茶でもよい。
甘すぎる菓子は避ける。
午後の勉強に向かないと本人が言っていた。
なら、軽い焼き菓子か、ビスケットが妥当だ。
ただし、前回と同じでは工夫がない。
確認対象の集中力維持を考えるなら、食べやすく、手が汚れず、資料を扱う邪魔にならないものが望ましい。
個包装で、音が出にくく、匂いが強すぎないもの。
そこまで考えて、レイは止まった。
これは、ほとんどお茶会の準備ではないか。
「違う」
三度目の否定だった。
今回は、少しだけ声が強かった。
違う。
これは確認効率の維持だ。
高瀬のために選んでいるのではない。
高瀬と過ごす時間を整えようとしているのではない。
次の資料室確認を少しでも心地よくしようとしているわけではない。
ただ、確認が円滑に進むように環境を整備しているだけだ。
レイは再びペンを取った。
確認記録の備考欄に、思わずこう書きかける。
お茶会ではない。
そこまで書きかけて、止めた。
そんなことを書く必要はない。
書けば、かえって意識しているように見える。
そもそも確認記録に記す内容ではない。
レイはその文字を書かずに、少しだけ考え、代わりに小さく記した。
備考:次回、長時間確認が想定される場合は、水分補給および糖分補給を準備すること。
書き終えて、レイはその一文を見た。
整った文字だった。
合理的な内容だった。
確認記録としても問題はない。
ただ、どう見ても、お茶会の準備に近かった。
レイは眉を寄せる。
「……違う」
誰に聞かせるでもなく、伊集院レイはそう呟いた。
部屋は静かだった。
当然、反論する者はいない。
それでも彼女は、確認記録を閉じる前に、もう一度だけ心の中で主張した。
お茶会ではない。
断じて違う。
これは、確認だ。