伊集院レイは、自室の机に向かっていた。
机の上には、十二月下旬の予定表が置かれている。
伊集院家の年中行事。
来賓。
親族。
関係者。
会場準備。
挨拶の順序。
立ち位置。
出席者名簿。
そして、その横には別の資料があった。
卒業後移行準備資料
外部関係整理に関する確認事項
レイは、その資料を見ないようにして、予定表へ視線を落とした。
クリスマスパーティ。
去年、高瀬悠人を招待した。
伊集院家の華やかな会場。
完璧な伊集院くんとして振る舞う自分。
その中で、少しだけ居心地悪そうにしていた高瀬。
そして、パーティの後。
庭で二人になった。
自分はペンを渡した。
高瀬は栞を渡した。
記念品だ。
そう言った。
高瀬も、それに合わせた。
あの時の栞は、今も文庫に挟んでいる。
使えるものだから使っているだけだ。
そう説明することはできる。
だが、それが高瀬から贈られたものだから捨てられなかったことを、レイはもう完全には否定できなかった。
今年も。
そこまで考えて、レイはすぐに思考を止めた。
今年も呼びたい、という話ではない。
クリスマスパーティは伊集院家の年中行事だ。
去年、高瀬はその場に参加した。
ならば、今年も同様の環境下で反応を確認する意味はある。
外部者の反応確認。
昨年参加者の継続観察。
伊集院家環境における秘密保持状況の再確認。
理由はいくらでもある。
レイはペンを取り、予定表の余白にその三つを書き出した。
外部者の反応確認。
昨年参加者の継続観察。
伊集院家環境における秘密保持状況の再確認。
整った文字だった。
確認事項として、不自然ではない。
むしろ必要だと言える。
高瀬は去年、伊集院家のクリスマスパーティに参加した。
その後も秘密を漏らしていない。
今年も同様の場において、秘密保持の継続状況を確認することには意味がある。
理屈は通る。
だが、机の端に置かれた資料が、その理屈を少しだけ重くした。
レイは視線を避けようとして、結局避けきれなかった。
秘密保持対象者候補:高瀬悠人
卒業後接触継続の可否:要検討
必要措置:未定
その文字は、もう見てしまっている。
高瀬悠人の名前が、伊集院家の資料の中にある。
まだ決定ではない。
正式な処理対象でもない。
ただの候補であり、検討段階であり、未定事項だ。
そう整理することはできる。
だが、それでも名前はそこにあった。
その状態で、今年も高瀬を伊集院家の行事へ招く。
それは、伊集院家側から見れば接触履歴を増やすことになる。
高瀬悠人。
伊集院家行事への再招待。
接触継続。
関係性の維持。
秘密保持対象者としての観察継続。
まったく、嫌な言葉ばかりだった。
去年は、もっと単純だった。
いや、単純だったわけではない。
それでも今よりは、確認という言葉で押し切れた。
高瀬を呼ぶ理由があった。
伊集院家の環境を見せる必要があった。
秘密を知る者として、反応を確認する必要があった。
今年も同じ理屈は使える。
だが、今年はその先に卒業後がある。
連絡くらいは取れるんじゃないのか。
高瀬はそう言った。
自分は答えられなかった。
そして倉橋は告げた。
高瀬様のお名前が、正式な検討対象に入る可能性がございます。
その後で、クリスマスパーティに呼ぶ。
それは何を意味するのか。
レイは予定表を見つめた。
招待者欄。
そこに高瀬の名前を書くかどうか。
ただそれだけのことが、こんなにも重い。
今年も呼びたい。
その一文だけは書けない。
書けないから、別の言葉を並べる。
外部者の反応確認。
昨年参加者の継続観察。
伊集院家環境における秘密保持状況の再確認。
どれも嘘ではない。
ただ、本当の理由を隠しているだけだ。
レイはペンを握ったまま、小さく息を吐く。
資料室での高瀬の言葉を思い出す。
予定は空けておく。
まだ正式に招待すると言っていないのに。
必要があれば招待する、と言っただけなのに。
高瀬は、予定を空けておくと言った。
確認体制に支障が出ると困るから。
そういう言い方だった。
伊集院の言葉を悪用するようになった、とレイは返した。
いつものやり取りだった。
それでも、その言葉を聞いた時、少しだけ安心してしまった。
高瀬は来るつもりがある。
招待すれば。
必要があれば。
レイは、招待者欄にペン先を置いた。
ほんの少しだけ、手が止まる。
そして、名前を書いた。
高瀬悠人
書いた瞬間、胸の奥が小さく鳴った気がした。
ただの名前だ。
招待者名簿に、名前を一つ追加しただけ。
それだけのはずだった。
だが、その名前は今、二つの資料の間に存在している。
クリスマスパーティの招待者。
卒業後移行準備資料の秘密保持対象者候補。
同じ名前。
まったく違う意味。
レイは、卒業後移行準備資料を机の端へ押しやった。
今はそちらを見る必要はない。
クリスマスパーティにおける確認を行う。
それだけだ。
正式な招待は後日伝える。
固定電話か。
資料室で直接伝えるか。
あるいは、伊集院家の行事として正式な招待状を用意するか。
そこまで考えて、レイは眉を寄せた。
招待状。
それでは、ほとんど普通の招待ではないか。
「……違う」
レイは小さく否定した。
確認対象を伊集院家の行事に参加させる以上、形式を整える必要がある。
それだけだ。
高瀬に今年も来てほしいからではない。
去年のように、パーティ後に二人で話す時間が欲しいからではない。
高瀬が今年も何かを用意しているのではないかと、少しだけ考えてしまったからでもない。
「馬鹿な」
そんなことを期待する理由はない。
そもそも、今年も何かを渡すかどうかなど決まっていない。
去年のペンは記念品だった。
高瀬の栞も、たまたま交換の形になっただけだ。
今年も同じようになる保証などない。
それなのに、レイは考えてしまう。
もし高瀬が来たら。
もし、今年も庭かバルコニーで二人になれたら。
もし、去年のように何かを渡す時間があったら。
そこまで考えて、レイは予定表を閉じた。
それ以上考える必要はない。
必要なのは、招待理由の整理だけだ。
外部者の反応確認。
昨年参加者の継続観察。
伊集院家環境における秘密保持状況の再確認。
十分だ。
レイは、もう一度予定表を開き、高瀬の名前が書かれていることを確認した。
高瀬悠人。
今年のクリスマスパーティの予定表に、その名前が入った。
それだけで、少しだけ胸の奥が軽くなる。
同時に、どこかが重くなる。
来年。
同じように名前を書くことはできないかもしれない。
卒業後も連絡を取れるかどうかさえ、まだ答えられない。
だからこそ、今年の招待には理由が必要だった。
いや。
理由はある。
確認だ。
レイはペンを置き、静かに呟いた。
「確認事項として、高瀬悠人を招待する」
言葉にすれば、形になる。
形になれば、扱える。
扱えるものは、怖くない。
そう思おうとした。
けれど、本当の理由だけは、どの欄にも書けなかった。
高瀬に、今年も来てほしい。
その一文だけは、確認記録にも、招待者名簿にも、伊集院家の資料にも書けない。
レイは予定表を閉じた。
「確認だ」
もう一度、呟く。
今年も高瀬悠人を招待する。
それは確認事項だ。
伊集院レイは、そう結論づけた。
だが、その結論が少しだけ嬉しいものだったことまでは、どうしても認められなかった。