ここまで『伊集院レイは、伝説の木の下で少女になる』を読んでくださり、本当にありがとうございました。
物語は、書かれただけでは完結しません。
読んでくださる方がいて、登場人物の言葉や選択を受け取ってくださることで、初めて物語として届くものになるのだと思います。
高瀬悠人と伊集院レイの長い「確認」の日々に、最後まで付き合ってくださったことに、心から感謝いたします。
この作品は、最初から最終話のタイトルが決まっていました。
『伊集院レイは、伝説の木の下で少女になる』
この一文が、物語全体のゴールでした。
伊集院レイが「伊集院くん」としてではなく、伊集院家の者としてでもなく、ひとりの少女として伝説の木の下に立つ。
そのために、どれだけの時間を積み重ねれば説得力が生まれるのか。
その問いから、この物語は始まったように思います。
制作において、私は作者として、物語の方向性、キャラクターの核、各話の展開、最終的に到達させたい感情を決めてきました。
一方で、AIには、編集者、壁打ち相手、構成補助、本文執筆補助として関わってもらいました。
展開案を確認し、キャラクターの感情の流れを整理し、必要な幕間を提案し、時には「ここはまだ早い」「ここは通常話にすべき」「この台詞は最終話に残した方がよい」といった編集的な視点を加えてもらいました。
つまり、この作品はAIに丸投げして生まれたものではありません。
作者である私が監督・原案として物語の芯を持ち、AIを共同編集者/執筆補助として使いながら、少しずつ形にしていった作品です。
前作『藤崎詩織は、伝説の木の外に立つ』と今作は、同じ「伝説の木」を扱いながら、まったく違う物語になりました。
前作の藤崎詩織は、伝説の木の外に立つ物語でした。
伝説の中心にいるはずの彼女が、あえてその外側に立つ。
「伝説」という舞台装置そのものを相対化し、そこに縛られない彼女自身の選択を描く物語だったと思います。
一方、今作の伊集院レイは、伝説の木の下へ向かう物語でした。
ただし、それは原作通りに伝説へ回帰するという意味ではありません。
伊集院くんとして偽りの高校生活を送ってきたレイが、最後に自分の意思で少女としてそこに立つ。
つまり今作における伝説の木は、「恋愛イベントの場所」であると同時に、レイが自分自身を取り戻す場所でもありました。
前作が「伝説の外に出る物語」だとすれば、今作は「伝説の場所を、自分の言葉で取り戻す物語」だったのだと思います。
今作を書いていて強く感じたのは、伊集院レイというキャラクターの不器用さと、そこにある切実さです。
彼女は素直ではありません。
感情を確認と言い張り、心配を管理と言い、贈り物を糖分補給と言い、会いたい気持ちを外部行動確認と言い換えます。
けれど、その一つひとつは、彼女が高瀬悠人へ向かって自分で選んだ行動でした。
高瀬もまた、最初は巻き込まれただけの普通の少年でした。
けれど、いつしか資料室へ行くことも、伊集院の言い訳を受け止めることも、記憶を残すことも、自分の意思になっていきます。
この物語の中心にあったのは、派手な事件ではなく、積み重ねでした。
資料室。
夏祭り。
クリスマス。
バレンタイン。
ホワイトデー。
水族館。
花火。
受験。
記憶処理の選択。
そして、伝説の木。
そのすべてが、最後の「私は、高瀬悠人が好きだ」に届くための時間だったのだと思います。
個人的に、この作品で最も大切だったのは、高瀬が記憶処理を拒否する場面です。
彼は、伊集院のためだけに忘れないのではありません。
自分の高校生活として、伊集院との記憶を選びます。
そこに、この物語の答えがあったと思います。
伊集院レイとの日々は、彼女だけのものではない。
高瀬悠人自身の記憶でもある。
だから、忘れない。
その選択があったからこそ、伝説の木の下でレイは少女として立つことができたのだと思います。
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
高瀬悠人と伊集院レイの「確認」は終わりました。
けれど、二人の時間は終わっていません。
必要がなくても連絡する。
確認ではなく、会いに行く。
そんな二人の未来を、少しでも感じていただけたなら幸いです。