元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい 作:ななひゃく2802
「助けたい」
と思ってもらえる物語を目指して書いています。
第1話 今度はちゃんと殺してくださいね
「……逃げてください」
爆炎の中。
その声だけが、やけに鮮明だった。
――また、間に合わないのか。
そんな考えが、
脳裏をよぎった。
――――――
夜の学園が、崩れていく。
石畳が砕け、窓ガラスが弾け飛ぶ。
悲鳴が空気を裂き、魔物たちの咆哮が響き渡っていた。
防衛線は崩壊。
生徒たちは混乱のまま逃げ惑う。
「東棟へ退避! 怪我人を先に!」
金髪の少女――ルーメリア・セレスが叫ぶ。
その声は冷静で、的確だった。
だからこそ、生徒たちは動けた。
だが、一人だけ動かない。
「まだ中に人がいる! 助けなきゃ!」
赤髪の少年が、崩れた校舎へ駆け出す。
「レオン!」
ルーメリアの制止は届かない。
レオン・フレイムガードは止まらなかった。
瓦礫の奥から、小さな声が聞こえる。
「……たすけ……」
女子生徒だった。
足を挟まれ、動けずに泣いている。
「くそっ……!」
レオンが瓦礫へ手を伸ばした――その瞬間。
天井が落ちた。
黒い影。
裂けた口。
異形の魔獣。
――死ぬ。
本能が、そう叫んだ刹那。
銀の閃光が走った。
視界が、一瞬だけ白く染まる。
次の瞬間。
魔獣の腕が、宙を舞っていた。
「……え?」
さらに一拍遅れて、巨体が崩れ落ちる。
一瞬だった。
ただの一瞬で、すべてが終わっていた。
瓦礫の上に、一人の男が立っている。
黒いコート。
短い黒髪。
冷え切った灰色の瞳。
剣を軽く振ると、刃先から血が落ちた。
「……カイト教官」
レオンが呟く。
学園最強と呼ばれる男。
その姿を見た瞬間、周囲の空気がわずかに緩んだ。
――助かった。
誰もが、そう思った。
「レオン。下がれ」
「で、でも、まだ――」
「死にたいのか」
静かな声だった。
怒鳴りもしない。
感情もない。
ただ事実だけを告げる声。
それだけで、レオンの足は止まった。
次の瞬間。
魔物の群れが、一斉に飛びかかる。
だが。
カイトは、そこにいなかった。
一瞬、消えたように見えた。
直後。
三体の魔物が、同時に崩れ落ちる。
血が、遅れて舞った。
「……見えねぇ……」
レオンが呆然と呟く。
ルーメリアもまた、息を呑んでいた。
合理的な思考では説明できない速度。
これは戦闘ではない。
――“処理”だ。
そして。
空気が、変わった。
ぞわり、と。
誰かの意思ではない。
世界そのものが震えたような感覚。
夜空が黒く濁る。
重圧。
呼吸すら苦しくなるほどの魔力。
「……来る」
誰かが、そう呟いた。
中庭の中心で、黒い霧が渦を巻く。
それはゆっくりと、人の形を作っていった。
白銀の髪。
深紅の瞳。
尖った耳。
少女だった。
美しい――と、すら思う。
だが、その存在は人間という枠から完全に外れていた。
空気が歪む。
音が沈む。
「……魔王だ」
誰かが言った。
少女は、ゆっくりと顔を上げる。
そして。
カイトを見た。
その瞬間。
ほんの一瞬だけ、彼女の瞳が揺れた。
心臓が、嫌な音を立てた。
――記憶が蘇る。
『カイ先生!』
泥だらけで笑っていた少女。
『私、できました!』
嬉しそうに駆け寄ってきた声。
『上出来だ』
『えへへっ』
それらは、もう遠い。
もう戻らない。
それでも。
カイトは知っている。
「……エリシア」
その名を口にした瞬間。
少女の肩が、わずかに震えた。
エリシアが、目を見開く。
「……カイ、先生……?」
震える声。
信じられないものを見るみたいに。
「……なんで」
掠れた声。
「なんで、居るんですか……」
カイトは、
静かに目を細める。
「……久しぶりだな」
黒い魔力が暴走する。
地面が割れる。
校舎が崩れる。
空間そのものが軋みを上げた。
逃げ遅れた生徒たちへ、闇が迫る。
「きゃああああっ!」
その瞬間。
エリシアは動いた。
魔王としてではない。
人間として。
「……っ、だめ……!」
彼女は闇の前へ立つ。
自らの魔力を押し殺すように。
生徒たちを守るように。
黒い魔力が、彼女自身を焼いていく。
白い肌に亀裂が走る。
それでも。
彼女は退かなかった。
「なんで……」
レオンが呆然と呟く。
魔王が、人を守っている。
理解できるはずがなかった。
エリシアは震える瞳で、カイトを見る。
そして、言った。
「……逃げて、ください」
かすれた声。
「私……もう……」
黒い紋様が、首筋を侵食していく。
意識が崩れていく。
それでも彼女は、立っていた。
カイトは剣を構える。
一歩、前へ出る。
終わらせるなら、今しかない。
誰もがそう思った。
だが。
カイトは動かなかった。
剣が、わずかに震えている。
「……教官?」
レオンが息を呑む。
あの男が。
迷っている。
――視界に浮かぶのは、過去の光景だった。
泥だらけの少女。
何度も立ち上がる姿。
『守られるだけは、嫌なんです』
エリシアは笑った。
壊れかけた顔で。
それでも、昔と同じ声で。
その笑い方を。
カイトは、昔にも一度だけ見たことがあった。
「今度はちゃんと殺してくださいね」
少しだけ、間を置いて。
「――カイ先生」
黒い魔力が、すべてを呑み込んだ後。
そこには誰も残っていなかった。
崩れた石畳。
焼け焦げた大地。
揺らぐ黒煙。
ただ静寂だけが、夜の学園を支配している。
――そして。
最後に残ったのは、たった一つの声だけだった。
『――カイ先生』
かすれた呟きが、耳の奥で何度も反響する。
消えない。
まるで呪いみたいに。
カイトは、ただ無言で立ち尽くしていた。
剣を握る感覚だけが、やけに遠かった。
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