元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい   作:ななひゃく2802

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第12話 怖かったですよ

 静かだった。

 昨日まで、ずっと頭の奥で響いていた声が。

 今は、聞こえない。

 

「……あれ」

 

 エリシアは、ゆっくりと目を開けた。

 

 暗い部屋。

 砕けた床。

 崩れた壁。

 

 昨夜の痕跡が、そのまま残っている。

 

 それでも。

 身体を蝕んでいた痛みが、ほんの少しだけ薄れていた。

 

 震える手で、自分の腕へ触れる。

 黒い紋様は消えていない。

 

 だが。

 昨日より、侵食が止まっていた。

 

「どうして……」

 

 掠れた声。

 

 その時だった。

 胸の奥へ、微かな温もりが残っていることに気づく。

 

 まるで。

 誰かに抱き締められた後みたいな。

 

 安心する熱だった。

 理由は分からない。

 

 でも。

 怖かったはずなのに。

 今は少しだけ、息ができる。

 

「……カイ先生?」

 

 小さな呟きが、暗い部屋へ溶けていった。

 

 ◇

 

 医務棟。

 

 治療を終えたレオンは、ベッドへ腰掛けていた。

 腕には包帯。

 肩にも浅い裂傷がある。

 

 だが。

 痛みより、昨夜の光景の方が頭から離れなかった。

 

 黒い怪物。

 圧倒的な恐怖。

 

 そして。

 一歩も引かず立っていた男。

 

「……なんなんだよ、あの人」

 

 小さく呟く。

 結局、昨日も助けられた。

 自分は、また守られる側だった。

 悔しさが残る。

 

 でも同時に。

 怪物へ向かっていった瞬間。

 

 カイトは、自分を止めなかった。

 

 あの一瞬だけ。

 灰色の瞳が、こちらを見ていた。

 

 ――行くのか。

 

 まるで、そう問われた気がした。

 

「……くそ」

 

 拳を握る。

 

 怖かった。

 本当に。

 それでも。

 逃げたくなかった。

 逃げたら、たぶん一生後悔すると思った。

 

 その時。

 医務室の扉が開く。

 

 ルーメリアだった。

 

「怪我は」

 

「軽傷」

 

 レオンは短く答える。

 ルーメリアは、小さく息を吐いた。

 

「そうですか」

 

 それだけ言って。

 窓の外を見る。

 

 東区画。

 まだ黒煙が上がっていた。

 

「……なぁ」

 

 レオンが口を開く。

 

「お前、怖くなかったのかよ」

 

 沈黙。

 数秒。

 ルーメリアは静かに答えた。

 

「怖かったですよ」

 

「……見えなかったけどな」

 

「見せる必要がありませんから」

 

 淡々とした声。

 

 でも。

 その横顔は、少しだけ疲れて見えた。

 

「でも」

 

 ルーメリアは、小さく続ける。

 

「あなたは、怖いのに前へ出た」

 

 レオンが顔を上げる。

 銀色の瞳が、真っ直ぐこちらを見ていた。

 

「普通は、止まります」

 

「……馬鹿なだけだろ」

 

 レオンが視線を逸らす。

 ルーメリアは、少しだけ黙ったあと。

 

「似たような人が」

 

 小さく呟く。

 

「昔、居た気がします」

 

 その声は。

 誰へ向けたものでもなかった。

 

 ◇

 

 学園の廊下。

 

 カイトは、一人で歩いていた。

 昨夜の戦闘跡が、まだ至るところに残っている。

 

 砕けた壁。

 黒く焼けた床。

 漂う瘴気。

 

 その景色が。

 嫌でも、昔を思い出させた。

 

 燃える街。

 崩れていく防壁。

 黒い魔力。

 泣き叫ぶ声。

 

『助けて!!』

 

 伸ばされた手。

 届かなかった声。

 助けられなかった人間の顔。

 

「……っ」

 

 カイトは足を止める。

 無意識に、拳を握っていた。

 

 昨夜の怪物。

 あれは、昔見たものに似ていた。

 終わったと思っていた。

 

 全部、終わらせたはずだった。

 なのに。

 

「……またか」

 

 掠れた声が落ちる。

 

「レイヴン教官」

 

 声。

 振り向く。

 グランベルが立っていた。

 白い法衣。

 穏やかな笑み。

 

 だが。

 その目だけが、妙に静かだった。

 

「昨夜は、ご苦労様でした」

 

「……別に」

 

 短く返す。

 グランベルは気にした様子もなく続けた。

 

「浸食獣を討伐したそうですね」

 

 その瞬間。

 カイトの目が、僅かに細まる。

 

「……浸食獣?」

 

「教会側の呼称です」

 

 穏やかな声。

 

「魔力汚染によって発生した異常個体ですよ」

 

「……そうか」

 

 短い返事。

 

 だが。

 カイトは、グランベルから視線を外さなかった。

 

「何か、気になることでも?」

 

「いや」

 

 沈黙。

 数秒。

 

 先に口を開いたのは、グランベルだった。

 

「核を破壊したそうですね」

 

 その声だけ。

 ほんの少し低かった。

 

「……偶然だ」

 

「それにしては、随分早い」

 

 穏やかな笑み。

 

 なのに。

 空気だけが、冷たかった。

 

 数秒。

 沈黙。

 やがてカイトは、小さく踵を返す。

 

「……失礼する」

 

「ええ。お疲れでしょうし」

 

 グランベルは柔らかく微笑んだ。

 カイトの姿が、廊下の奥へ消えていく。

 

 その笑みが。

 ふっと薄れた。

 

 ◇

 

 静かな礼拝堂。

 誰もいないはずの暗闇へ向け。

 グランベルは、静かに頭を下げる。

 

「……想定より、早く破壊されました」

 

 沈黙。

 やがて。

 

『誤差の範囲だ』

 

 低い声が落ちた。

 感情の薄い声。

 

「ですが、レイヴン教官は――」

 

『問題ない』

 

 短い声。

 暗闇の奥。

 気配だけが、静かに笑った気がした。

 グランベルは、何も答えない。

 ただ静かに、頭を垂れていた。

 




ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。

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