元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい 作:ななひゃく2802
朝。
昨夜の騒ぎが嘘みたいに、空は晴れている。
けれど、学園に残った傷は、まだ消えていなかった。
砕けた石畳。
焼けて崩れた壁。
生徒たちは、不安げな顔のまま校舎を行き交っている。
誰もが、昨日の怪物を忘れられていなかった。
◇
訓練場。
乾いた音が、何度も響いていた。
「はぁっ!!」
レオンが木剣を振る。
踏み込み。
斬る。
叩き込む。
止まらない。
汗が地面へ落ちる。
腕が軋む。
それでも、止めなかった。
「……壊れますよ」
静かな声。
振り向かなくても分かる。
ルーメリアだった。
「うるせぇ」
レオンは剣を止めない。
「昨日、怪我したばかりでしょう」
「分かってる」
「なら――」
「分かってるけど!」
鈍い音。
木剣が、強く木人へ叩きつけられる。
レオンは荒い呼吸のまま、俯いた。
「……何もできなかった」
掠れた声。
「また、助けられた」
脳裏に焼き付いている。
怪物。
恐怖。
死。
ルーメリアは黙った。
エメラルドグリーンの瞳が、静かに揺れる。
「強いかったですね」
「そんな話じゃねぇ」
レオンは歯を食いしばる。
「なんで、あんな苦しそうなんだよ」
その言葉に。
ルーメリアの呼吸が、ほんの少し止まった。
昨夜。
怪物を見ていた時の、カイトの目。
怒りじゃない。
憎しみでもない。
もっと深い。
――後悔。
そんな色だった。
「……」
ルーメリアは視線を落とす。
そして、小さく呟いた。
「……ずっと、誰かを見送ってきた人みたいです」
「……え?」
「だから、あの人は――」
そこで言葉が止まる。
ルーメリア自身も、まだ分かっていなかった。
でも、ずっと感じている。
カイト・レイヴンという男は。
誰かを救うたびに。
少しずつ、自分を削っている。
そんな危うさを。
その時だった。
訓練場入口から、黒いコートが見えた。
カイトだった。
いつも通りの無表情。
静かな足取り。
だが目の下には、僅かに疲労の色が残っている。
「教官!」
レオンが反射的に声を上げる。
カイトは足を止めた。
「怪我は」
「平気です」
「そうか」
短いやり取り。
それだけで終わるはずだった。
でも。
レオンは、奥歯を噛んだ。
「……教官」
「なんだ」
「知ってるんですよね」
空気が、少しだけ止まる。
「昨日の怪物も」
「魔王のことも」
「全部」
沈黙。
風だけが吹いた。
カイトは、何も言わない。
レオンは拳を握る。
「なんで、一人で抱えてるんですか」
灰色の瞳が、静かにこちらを見る。
「……別に抱えてない」
「嘘だ」
即答だった。
ルーメリアが、僅かに目を見開く。
だがレオンは止まらない。
「教官、いつも苦しそうじゃないですか」
「昨日だって」
「俺たちを助けた時、全然嬉しそうじゃなかった」
カイトは黙っていた。
否定しない。
レオンは続ける。
「俺、悔しかったです」
「何もできなかった」
「また助けられた」
拳が震える。
「でも」
顔を上げる。
真っ直ぐ。
逃げずに。
「それでも、助けたいんです」
空気が静まる。
「怖かった」
「死ぬかと思った」
「でも」
レオンは、歯を食いしばった。
「逃げたら、一生後悔する気がした」
カイトの瞳が、ほんの僅かに揺れる。
レオンは気づかない。
だがルーメリアだけは見ていた。
「だから」
レオンは言う。
「俺にも背負わせてください」
沈黙。
長い沈黙だった。
やがて。
カイトは、小さく目を伏せる。
「……背負う必要はない」
「あります」
「ない」
「あります」
子供みたいな言い合いだった。
レオンは、一歩も引かなかった。
カイトは小さく息を吐く。
そして。
「……残るんだよ」
ぽつり、と。
呟く。
「救えなかった奴の顔は」
レオンの呼吸が止まる。
カイトは、遠くを見るような目をしていた。
「忘れようとしても」
――『ごめんね』
「いつまでも」
低い声。
静かな声。
なのに、痛いほど苦しかった。
「だから」
カイトは続ける。
「お前たちまで、そうなる必要はない」
レオンは、何も言えなかった。
その時ルーメリアが、小さく口を開く。
「……でも」
二人の視線が向く。
ルーメリアは少しだけ迷ってから。
「一人で全部を背負う方が、非合理的です」
真面目な顔で言った。
沈黙。
レオンが吹き出す。
「なんだよそれ」
「事実です」
ルーメリアは淡々と返す。
けれど。
ほんの少しだけ。
口元が緩んでいた。
カイトは、そんな二人を静かに見ていた。
そして。
本当に僅かにだけ。
表情が和らいだ。
◇
暗い部屋。
エリシアは、一人で座り込んでいた。
鏡を見る。
首筋。
腕。
黒い紋様は、まだ残っている。
消えていない。
むしろ少しずつ、広がっている。
「……っ」
怖い。
自分が、自分じゃなくなる。
それが怖かった。
震える手で、自分の身体を抱く。
昨日カイトが来てくれた時だけ。
少しだけ。
怖くなかった。
頭の奥で響いていた声も。
今は静かだった。
「……どうして」
分からない。
でも。
あの人は。
自分を殺さなかった。
涙が滲む。
本当は。
会いたかった。
怖い時。
一番最初に思い浮かんだのは。
あの人だった。
「……カイ先生」
小さく名前を呼ぶ。
それだけだった。
それだけなのに。
少しだけ。
呼吸が楽になった気がした。
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