元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい   作:ななひゃく2802

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第2話 あいつは嘘をつく時、俺の目を見ない

 闇が消えた後も。

 中庭には、誰一人として動けずにいた。

 

 砕けた石畳。

 焼け焦げた校舎。

 漂う血と煙の臭い。

 

「……魔王が、人を庇った……?」

 

 誰も、すぐには理解出来なかった。

 呟きが、静まり返った空気へ落ちる。

 

 その一言で。

 止まっていた時間が、再び動き出した。

 

「負傷者を運べ!」

 

「治癒班を呼べ!」

 

「西棟の火を止めろ!」

 

 教官たちの怒号が飛び交い、生徒たちが慌ただしく動き始める。

 

 だが、レオンだけはその場から動けなかった。

 

「……なんなんだよ、あれ」

 

 震える声が、自然と漏れる。

 

 魔王は人類の敵だ。

 物心ついた頃から、そう教えられてきた。

 

 なのに。

 脳裏に焼き付いて離れない。

 生徒たちを庇うように飛び出した、あの少女の姿が。

 

「レオン」

 

 顔を上げると、カイトが立っていた。

 剣はすでに納められている。

 いつも通りの、無表情。

 

「……カイト教官」

 

 気づけば、レオンは口を開いていた。

 

「知ってるんですか。あいつのこと」

 

 ほんの僅かに。

 カイトの視線が揺れる。

 だが、それもすぐに消えた。

 

「……昔の教え子だ」

 

 短い答えだった。

 

「……は?」

 

 レオンが目を見開く。

 

 教え子。

 今、そう言ったのか。

 

「……魔王ですよ?」

 

 数秒の沈黙。

 

「そうだな」

 

「じゃあ、なんで――」

 

 そこまで言って。

 レオンは言葉を止めた。

 思い出したからだ。

 

 剣を構えながら。

 カイトは、動かなかった。

 迷う姿なんて、一度も見たことがなかったのに。

 

「……斬れなかったんですか」

 

 沈黙。

 それが、答えだった。

 

 レオンは思わず奥歯を噛む。

 理解できない。

 

 ――いや。

 

 理解したくない。

 もしあれが、

 勇者が倒すべき敵だと言うのなら。

 あまりにも、人間過ぎた。

 

 なのに。

 あの光景が頭から離れない。

 泣きそうな顔で笑っていた、あの魔王の姿が。

 

『ちゃんと、殺してくださいね』

 

 あんな顔をする化け物が、いるのか。

 

「……っ」

 

「レオン」

 

 凛とした声が割って入った。

 

 ルーメリアだった。

 周囲を見渡しながら、静かに言う。

 

「怪我人の搬送を手伝ってください」

 

「……あ、ああ」

 

 反射的に返事をする。

 

 だが。

 ルーメリアの視線は、カイトから離れなかった。

 

「カイト教官」

 

「なんだ」

 

「なぜ魔王は、生徒を庇ったんですか」

 

 単刀直入。

 遠慮のない問い。

 

 いかにも、ルーメリアらしかった。

 カイトは数秒だけ沈黙し。

 

「さあな」

 

 とだけ答える。

 

 ――嘘だ。

 

 あの目は、昔を見ていた。

 

 ルーメリアは、そう思った。

 けれど、それ以上は追及しない。

 

「……そうですか」

 

 淡々と返す。

 しかし、その銀色の瞳は鋭かった。

 まるで何かを測るように。

 静かに、カイトを見つめている。

 

 その時だった。

 

「レイヴン教官!!」

 

 慌てた様子の教官が駆け寄ってくる。

 

「教会から連絡です! 勇者選定の儀を、前倒しすると!」

 

 中庭の空気が変わった。

 

 勇者選定。

 魔導学者アルディウスによって作られた儀式。

 魔王に対抗する“勇者”を選び出す、人類最大の秘儀。

 その名を知らない者は、この世界にいない。

 

 ――ほんの僅かに。

 カイトの眉が寄った。

 まるで、思い出したくもないものを聞いたように。

 

 レオンも、思わず息を呑む。

 

 勇者。

 その言葉だけで、胸が熱くなる。

 ずっと夢見てきた。

 誰かを守れる、“勇者”という存在に。

 

「……随分早いな」

 

 カイトが低く呟く。

 

「魔王が現れた以上、教会も待てないのでしょう」

 

 ルーメリアが冷静に返した。

 レオンの胸が高鳴る。

 

 勇者。

 その言葉は、誰よりも彼の心を燃やした。

 幼い頃から、ずっと夢見てきた。

 誰かを守れる存在。

 誰かを救える力。

 そのために、ずっと剣を振ってきた。

 

「……絶対、俺がなる」

 

 思わず漏れた声。

 ルーメリアが、ちらりと視線を向ける。

 

「自信があるんですね」

 

「ある」

 

 即答だった。

 

「負けるつもりなんてねぇよ」

 

 ルーメリアは数秒だけ黙り、

 

「……羨ましいですね」

 

 静かに呟いた。

 感情の見えない声。

 なぜかレオンは、少しだけ苛立った。

 

「……カイト教官」

 

 レオンは再びカイトを見る。

 

「魔王って、本当に絶対殺さなきゃ駄目なんですか」

 

 空気が止まった。

 周囲の教官たちが、ぎょっとした顔でこちらを見る。

 

 当然だった。

 あり得ない質問だ。

 魔王は倒すもの。

 それは、常識以前の話だった。

 

 しかし。

 

 カイトは怒らなかった。

 ただ静かに。

 

「……魔王は、人を殺す」

 

 そう答えた。

 

「だから止める」

 

「でも、あいつは――」

 

「レオン」

 

 低い声が遮る。

 

 カイトは真っ直ぐレオンを見た。

 その灰色の瞳は、どこまでも静かだった。

 

「目に見えるものだけで判断するな」

 

 それだけ言って。

 カイトは踵を返す。

 

「どこ行くんですか!」

 

 レオンが叫ぶ。

 

「……少し、頭を冷やす」

 

 それだけ残して。

 カイトは闇の中へ消えていった。

 

 残されたレオンは、拳を握り締める。

 

 分からない。

 何もかも。

 魔王。

 勇者。

 教官。

 

『逃げて、ください』

 

 脳裏に蘇る、震える声。

 

「あれが……敵なのかよ」

 

 その呟きを聞いた者はいない。

 ただ一人。

 ルーメリアだけが、静かに目を細めていた。

 

「レオン」

 

「……なんだよ」

 

「あなたは、勇者になりたいんですね」

 

 一瞬、言葉が詰まる。

 

「当たり前だろ」

 

 ルーメリアは少しだけ沈黙してから、

 

「そうですか」

 

 とだけ返した。

 その声には、何もなかった。

 

 だが。

 その視線だけが。

 どこか遠くを見ていた。

 まるで――

 さっきの魔王を、もう一度見ているように。

 

――――――

 

 カイトは一人、廊下を歩いていた。

 窓の外では、まだ火の手が上がっている。

 

 騒がしいはずなのに。

 不思議なくらい、耳に残るのは、あの声だけだった。

 

『ちゃんと、殺してくださいね』

 

 思い出す。

 

 泣き虫だった少女。

 強がって、無茶ばかりして。

 それでも、いつも笑っていた教え子。

 

 そして最後に見た、あの顔。

 

 カイトは、ゆっくりと目を閉じる。

 

 あいつは確かにエリシアだ。

 

 泣き虫で。

 

 強がりで。

 

 肝心なことを言う時だけ、いつも下手で不器用だった。

 

 夜中に一人で泣いていた時も。

 

 誰にも隠れて剣を振り続け、手を血だらけにしていた時も。

 

 俺が淹れた苦いコーヒーを、無理して「美味しいです」と笑った時も。

 

 

 そして――

 

 

「今度はちゃんと殺してくださいね、カイ先生」

 

 

 カイトは、静かに目を開く。

 

 ――あいつは。

 

 

 嘘をつく時だけ、俺の目を見ない。

 

 

 最後のあいつは。

 

 

 一度も、こちらを見なかった。

 




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