元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい   作:ななひゃく2802

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第20話 助けて

 冷たい雨が、森を叩いている。

 崩れかけた礼拝堂の中。

 エリシアは、壁にもたれたまま崩れ落ちていた。

 

「ぁ……っ……」

 

 呼吸が苦しい。

 熱い、寒い。

 

 頭の中が、ぐちゃぐちゃだった。

 黒い紋様は、もう頬の近くまで広がっている。

 視界も霞む。

 

『殺せ』

 

 声。

 

『勇者を』

 

『カイトを』

 

「やだ……っ」

 

 震える声。

 涙が零れる。

 

 嫌だった。

 そんなこと、本当にしたくなかった。

 

 でも、黒い魔力は、もう止まらない。

 礼拝堂の床が軋む。

 壁へ黒い亀裂が広がる。

 

 エリシアは、自分の身体を抱き締めた。

 

「……いや……っ」

 

 怖い。

 壊れていく。

 自分が、自分じゃなくなる。

 

 頭の奥で。

 何かが笑っていた。

 

『もう遅い』

 

『お前は魔王だ』

 

『全部壊せ』

 

「ちが……っ」

 

 否定する声すら、もう弱い。

 

 直後。

 礼拝堂の外から、怒号が響いた。

 

「居たぞ!!」

 

 教会騎士。

 複数。

 剣と魔法の気配が、一気に近づいてくる。

 

 エリシアの身体が強張った。

 

「……っ」

 

 駄目だ。

 ここで暴走したら。

 

 本当に。

 誰かを殺す。

 

 しかし次の瞬間。

 礼拝堂の扉が吹き飛んだ。

 

「魔王を確認!!」

 

「包囲しろ!!」

 

 光魔法が展開される。

 剣が向けられる。

 怯えた目。

 敵を見る目。

 

 当然だった。

 自分は魔王だ。

 化け物だ。

 

『殺せ』

 

 黒い魔力が、爆発的に膨れ上がる。

 騎士たちが息を呑む。

 

「まずい!!」

 

「下がれ!!」

 

 床が砕ける。

 空気が軋む。

 エリシア自身ですら、もう止められなかった。

 

「ぁ……っ……!」

 

 涙が落ちる。

 

 嫌だ。

 怖い。

 止められない。

 

 頭の奥で、黒い声が笑っている。

 

『壊せ』

 

『殺せ』

 

『もう遅い』

 

「やだ……っ!!」

 

 黒い魔力が、騎士たちへ向かって広がる。

 止められない。

 

 本当に。

 誰かを殺す。

 

 その瞬間。

 エリシアの頭へ、昔の声が蘇った。

 

『無理するな』

 

『一人で抱え込むな』

 

 ぶっきらぼうで。

 でも。

 少しだけ優しかった声。

 

「っ……」

 

 震える唇から、

 掠れた声が零れる。

 

「……か……」

 

 その時だった。

 

「……エリシア」

 

 声。

 

 たった一言。

 

 それだけで。

 頭の中の声が、止まった。

 

「……ぇ……」

 

 震える視界の先。

 黒いコート。

 灰色の瞳。

 雨の中を歩いてくる男。

 

 カイトだった。

 騎士たちが振り向く。

 

「レイヴン教官! 危険です!!」

 

「離れてください!」

 

 カイトは止まらない。

 静かに、真っ直ぐ。

 エリシアだけを見ていた。

 

「……来ないで」

 

 掠れた声。

 エリシアの肩が震える。

 

「私……もう……っ」

 

 黒い魔力が、腕へ絡みつく。

 止まらない。

 

「カイ先生を……傷つける……っ」

 

 カイトは何も言わなかった。

 ただ。

 一歩ずつ近づいてくる。

 エリシアは俯きながら必死に言う。

 

「来ないで……!」

 

 涙声だった。

 

「怖いの……っ」

 

「止められない……!」

 

「また誰か傷つける……!」

 

 黒い魔力が暴れる。

 床が砕ける。

 騎士たちが後退る。

 

 でも。

 カイトだけは、一歩も引かなかった。

 灰色の瞳が、静かにエリシアを見る。

 

「……もう充分だ」

 

 低い声。

 静かな声。

 

「お前はずっと、一人で耐えてたんだろ」

 

 エリシアの呼吸が止まる。

 

「でも……っ」

 

「私、魔王で……!」

 

「化け物で……!」

 

 カイトは、ようやくエリシアの目の前まで来た。

 

 逃げない。

 怯えない。

 昔と同じ目だった。

 

「……エリシア」

 

 低い声。

 

「一人で抱えるな」

 

 その瞬間。

 エリシアの中で。

 何かが、崩れた。

 

 ずっと。

 ずっと耐えていた。

 

 怖かった。

 苦しかった。

 

 でも。

 誰にも言えなかった。

 言ってはいけないと思ってた。

 巻き込みたくなかった。

 傷つけたくなかった。

 

 それでも。

 もう。

 本当に限界だった。

 震える唇が開く。

 

「……っ」

 

 声にならない。

 涙だけが溢れる。

 黒い魔力が暴れている。

 頭の中の声も消えていない。

 

 それでも。

 灰色の瞳だけは。

 怖くなかった。

 

「……たす、け……」

 

 掠れた声。

 小さすぎる声。

 

 それでも。

 

 確かに、届いた。

 

「……たすけて」

 

 震える声で、彼女は初めて、まっすぐカイトを見た。

 次の瞬間。

 

 エリシアの身体が崩れ落ちた。

 カイトが受け止める。

 

 黒い魔力が荒れ狂う。

 礼拝堂が震える。

 

 騎士たちが叫ぶ。

 

「危険です!!」

 

「離れてください!!」

 

 だが。

 カイトは離さなかった。

 暴れる黒い魔力の中で。

 

 ただ静かに。

 エリシアを抱き締めていた。

 

「……大丈夫だ」

 

 低い声。

 ぶっきらぼうな声。

 

 でも。

 昔と同じ声だった。

 

 エリシアの瞳から、涙が溢れる。

 怖かった。

 苦しかった。

 一人だった。

 

 でも。

 今だけは。

 ほんの少しだけ。

 安心できた。

 

 黒い魔力は、まだ止まらない。

 侵食も消えていない。

 

 それでも。

 エリシアは、カイトの服を掴んだまま離さなかった。

 

 それだけが。

 自分を繋ぎ止めるもののように。




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