元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい 作:ななひゃく2802
森の奥。
雨上がりの空気は、まだ冷たかった。
木々の隙間から、薄い朝日が差し込んでいる。
「……っ」
エリシアが、小さく息を漏らす。
黒い紋様は、もう首筋まで広がっていた。
呼吸も浅い。
カイトは足を止めた。
「座れ」
「……でも」
「いいから」
短い声。
エリシアは小さく俯き、近くの倒木へ腰を下ろした。
直後。
「っ……!」
身体が大きく揺れる。
崩れ落ちそうになった身体を、カイトが支えた。
「……ごめんなさい」
「謝るな」
低い声。
だが。
その声も少し掠れていた。
エリシアは顔を上げる。
黒いコートには、焼け焦げた跡。
血も滲んでいる。
礼拝堂から、ずっと戦い続けているのだ。
「……カイ先生」
「なんだ」
「怪我……」
「大したことない」
即答だった。
でも。
誤魔化しているのは分かる。
胸が痛んだ。
また。
この人を傷つけている。
『壊せ』
頭の奥で、黒い声が響く。
エリシアの肩が震えた。
「っ……」
黒い魔力が漏れ出す。
空気が軋む。
その瞬間。
カイトの手が、そっと肩へ触れた。
「こっち見ろ」
灰色の瞳。
静かな声。
「呼吸を乱すな」
「……っ」
「吸え」
ゆっくり。
「吐け」
少しずつ。
暴れかけた魔力が、静かに収まっていく。
吸い込まれるように。
エリシアは唇を噛んだ。
この人は。
こんな状況でも。
自分より先に、私を落ち着かせようとする。
「……なんで」
掠れた声。
「まだ、助けようとするんですか」
数秒。
カイトは黙った。
そして。
「決めたからだ」
「……っ!」
「今さらだ」
それだけだった。
でも。
その声は、不思議なくらい真っ直ぐだった。
エリシアは、何も言えなくなる。
不意に。
カイトの視線が森の奥へ向く。
「……来るぞ」
空気が変わった。
エリシアの身体が強張る。
「教会……?」
カイトは答えない。
森の空気を探るように、
静かに目を細める。
そして。
「包囲を狭めてる」
「……っ」
「もう近い」
エリシアの顔が青ざめた。
逃げ場が、少しずつ塞がれていく。
追いつめられている。
「……私なら」
掠れた声。
「置いていけば――」
「断る」
即答だった。
エリシアが目を見開く。
カイトは森の奥を見たまま、
静かに言う。
「お前はまだ諦めてない」
「……っ」
「なら、俺も諦めない」
胸が苦しかった。
嬉しくて。
怖くて。
泣きそうになる。
◇
「……あり得ない」
薄暗い資料室。
古びた紙の匂いが漂っている。
レオンは、机へ叩き付けられた資料を睨んでいた。
「なんなんだよ、この“敵性認定”って」
声が荒い。
隣では、ルーメリアが静かに資料を読んでいた。
エメラルドグリーンの瞳が細められる。
「……教会は、本気です」
「そんなの分かってる!」
レオンが机を叩く。
「でもおかしいだろ!!納得できねぇよ!!」
静寂。
誰も答えない。
その時。
「勇者様」
教会騎士が、資料室へ入ってくる。
「グランベル様がお呼びです」
ルーメリアが顔を上げた。
「……今ですか」
「はい」
短い返答。
レオンが舌打ちする。
「またかよ……」
ルーメリアは数秒黙り。
そして。
「……勇者記録閲覧権限を申請します」
騎士の動きが止まった。
「それは……」
「必要です」
静かな声。
だが。
騎士は困ったように目を伏せる。
「許可できません」
空気が変わった。
「なぜです」
「封印指定です」
レオンが眉をひそめる。
「……は?」
「勇者記録は、枢機卿権限管理となっています」
沈黙。
ルーメリアの指先が、小さく震えた。
◇
礼拝堂。
誰もいなくなったその場所で。
グランベルは、一人静かに立っていた。
崩れた壁。
黒い侵食痕。
残された剣圧の跡。
静かな視線が、森の奥へ向く。
その瞳は冷えていた。
「グランベル様」
背後で騎士が頭を下げる。
「勇者記録への閲覧申請が」
グランベルは振り返らない。
「ルーメリア様です」
数秒の沈黙。
そして。
「……そうですか」
静かな返答。
まるで、予想していたみたいだった。
「却下してください」
「理由は」
「まだ早い」
騎士が息を呑む。
グランベルは、崩れた礼拝堂を見つめたまま、
小さく目を閉じた。
脳裏へ浮かぶ。
灰色の瞳。
黒いコート。
――変わらない姿。
「……後悔、ですかね」
静かな独白。
誰へ向けた言葉なのか。
もう、誰にも分からなかった。
◇
自室。
ルーメリアは、一人で窓際へ立っていた。
夜風が、白いカーテンを揺らしている。
「……」
机の上には、
閲覧拒否された申請書。
勇者記録。
封印指定。
不自然な空白。
胸の奥が、妙にざわついていた。
「……五代目勇者」
小さな呟き。
だが。
答える者は居ない。
静かな夜だった。
やがて。
疲労に引きずられるように、
ルーメリアは浅い眠りへ落ちていく。
◇
夕暮れだった。
壊れかけた街。
崩れた石畳。
遠くで、黒い煙が空へ昇っている。
なのに。
青い髪の少女は笑っていた。
『大丈夫』
明るい声。
『きっと、なんとかなるよ』
金色の光が、夕焼けへ滲む。
どうしてか。
その声を聞いた瞬間。
ルーメリアの胸が、酷く苦しくなった。
でも。
少女は笑っている。
少しだけ、泣きそうな顔で。
次の瞬間。
世界が、黒く染まった。
◇
「――っ」
ルーメリアが目を開ける。
浅い呼吸。
胸の奥が、嫌に痛かった。
「……今のは……」
知らない景色。
知らない少女。
なのに。
どうしてか、涙だけが残っていた。
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