元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい 作:ななひゃく2802
翌朝。
学園は、まだ夜の傷を引きずっていた。
砕けた石畳。
黒く焼けた壁。
崩れた校舎の一角。
修復魔法の淡い光がそこかしこで揺れている。
だが。
そこに刻まれた“恐怖”だけは、消えていなかった。
「本当に魔王だったらしいぞ……」
「しかも、人を庇ったって話だ」
「それで勇者選定が前倒しだろ?」
ざわめきは止まらない。
昨日の出来事は、もはや“事件”ではなく。
“事実”として語られていた。
――――――
その喧騒から少し離れた場所。
訓練所で、レオンは剣を振っていた。
木人形へ向かって。
ただ、ひたすらに。
「はぁっ!!」
鈍い音が響く。
踏み込み。
斬る。
叩く。
汗が飛ぶ。
腕が重い。
それでも止めない。
――止めたら、思い出すからだ。
昨日の光景を。
泣きそうな顔で、
笑っていた魔王を。
何もできなかった自分。
魔獣にすら押し負けかけた自分。
そして。
助けるどころか、ただ見ていることしかできなかった自分を。
「くそっ……!」
木剣を叩きつける。
もう一度。
さらに、もう一度。
「まだやってるんですか」
声。
レオンは振り返る。
ルーメリアが立っていた。
いつも通りの、冷静な表情で。
「……お前か」
「焦りすぎです」
「焦るだろ、普通」
レオンは木剣を握り直す。
「俺は、何もできなかったんだ」
その言葉に。
ルーメリアは一瞬だけ黙った。
そして静かに言う。
「だから強くなる?」
「ああ」
即答だった。
「次は守れるように」
ルーメリアは少しだけ視線を落とす。
「単純ですね」
「うるせぇよ」
だが、その時。
ほんの僅かに。
彼女の口元が緩んだ。
「嫌いな考え方ではありません」
「……は?」
「なんでもありません」
直後。
鐘の音が、学園全体へ響き渡った。
重く。
低く。
空気を切り裂くように。
『全校生徒は中央訓練場へ集合せよ』
拡声魔法の声が続く。
『勇者選定の儀について、教会より通達がある』
レオンの動きが止まった。
心臓が跳ねる。
勇者。
その言葉だけで、体温が上がる。
子供のころに何度も、擦り切れるぐらいに読んだ英雄譚。
誰かを救うために、命を懸けた英雄たちの物語。
「……ついに来たか」
呟きは、自分でも驚くほど震えていなかった。
――――――
暗い部屋。
窓は閉ざされ、光は届かない。
エリシアは床に膝をついていた。
「……っ、ぁ……」
呼吸が荒い。
肩が震える。
首筋から、黒い紋様が広がっていく。
焼かれるような痛み。
内側から壊される感覚。
『殺せ』
声がする。
『壊せ』
『人間を憎め』
「やめて……」
指が床を掴む。
爪が割れる。
血が滲む。
視界が黒く染まっていく。
頭の奥で、何かが笑っていた。
――楽しい。
「っ!!」
エリシアは息を呑む。
違う。
違う違う違う。
そんなはずない。
「わたしは……」
震える声。
その瞬間。
ふと、別の声が脳裏をよぎった。
『上出来だ』
ぶっきらぼうで。
だけど、優しい声。
灰色の瞳。
『無理するな』
二度と会えないはずだった……。
「……カイ、先生……」
その名前を口にした瞬間。
黒い侵食が、一瞬だけ止まった。
だが。
すぐに、また動き出す。
まるで“思い出”すら飲み込むように。
エリシアは、自分の肩を抱いた。
怖い。
自分が、自分じゃなくなるのが。
次に会った時。
カイ先生を傷付けるのが。
もし次に会った時。
自分はまだ、“自分”でいられるのか。
それとも。
もう、戻れないのか。
――――――
中央訓練場。
生徒たちは、すでに集まっていた。
緊張。
期待。
不安。
それぞれの感情が混ざり合い、空気を重くしている。
その最前列に、カイトは立っていた。
黒いコート。
腕を組み、ただ静かに。
「レイヴン教官」
隣に、ルーメリアが立つ。
「なんだ」
「勇者選定について、どう思いますか」
カイトは少しだけ目を細めた。
「急すぎる」
「それだけですか?」
沈黙。
訓練場の喧騒だけが遠くに流れる。
やがてカイトは、視線を外したまま低く言った。
「……いいものだとは思えない」
ルーメリアの瞳が、わずかに揺れる。
「理由は?」
「人を選別するには、綺麗すぎる言葉だからだ」
それだけ言って。
灰色の瞳がどこか遠くを見る。
――血で染まった雪。
――肉を裂く感触。
ルーメリアの目には
カイトがまるで泣いているように見えた。
しかし、カイトは、それ以上語らなかった。
その瞬間。
訓練場の扉が開く。
白い法衣。
胸元に刻まれた教会の紋章。
一人の男が歩いてきた。
「教会枢機卿、グランベル様だ」
ざわめきが走る。
グランベルは淡々と周囲を見渡した。
微笑んでいるのに、目だけが妙に冷たかった。
ただ“事実”だけを並べるような目。
「昨夜、魔王が現れました」
空気が張り詰める。
「故に教会は宣言します」
一拍。
「明日より、第八代勇者選定の儀を開始する」
空気が揺れた。
希望のように。
恐怖のように。
レオンは拳を握る。
ついに始まる。
勇者への道が。
その時だった。
「道を開けろ!」
叫び声。
治癒師たちが駆け込んでくる。
担架。
その上で、一人の生徒が苦しんでいた。
右半身が、黒く焼け爛れている。
「侵食が止まらない!」
「聖域級治癒が必要です!」
生徒たちがざわつく。
レオンの顔が強張った。
その中で。
グランベルは、一瞥しただけだった。
「運びだして下さい」
「し、しかし!」
「勇者選定が最優先です」
静かな声。
だからこそ、一番冷たい。
「一人を救うために、未来を捨てろと?」
誰も答えられない。
レオンの中で、何かが軋んだ。
その横で。
カイトは静かに、その光景を見ていた。
そして。
誰にも届かないほど小さな声で呟く。
「……勇者なんて、ろくなもんじゃない」
その言葉だけが。
やけに冷たく、耳に残った。
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