元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい   作:ななひゃく2802

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第4話 まだ、壊れきれない

 夜の医務棟。

 そこだけ、まだ戦場の続きを引きずっていた。

 

 薬品の臭い。

 治癒魔法の淡い光。

 苦しげな呻き声。

 

「駄目です……! 傷口が塞がりません!」

 

 若い治癒師が叫ぶ。

 

 ベッドに横たわる男子生徒。

 胸元には、魔獣の鋭い爪痕が刻まれていた。

 黒い瘴気が傷口へ絡みつき、治癒魔法を弾き続けている。

 

「侵食が深すぎる……!」

 

「グランベル様はまだか!?」

 

「教会本部と連絡が――」

 

 焦燥が、部屋を満たしていく。

 

 その時だった。

 

「全員、外へ出ろ」

 

 低い声が響く。

 

 全員が振り向いた。

 扉の前に立っていたのは。

 黒いコートの男。

 

「レイヴン教官……?」

 

「ですが、この生徒は危険な状態で――」

 

「聞こえなかったか」

 

 静かな声だった。

 怒鳴っているわけじゃない。

 それなのに、逆らえない。

 

 治癒師たちは顔を見合わせ。

 不安げな表情のまま、部屋を後にした。

 扉が静かに閉まる。

 

 残されたのは。

 カイトと、生死の境を彷徨う生徒だけだった。

 

 男子生徒は荒く息をしている。

 まだ若い顔だった。

 

 未来があるはずの。

 誰かに選ばれて、

 誰かを救うはずだった年齢。

 カイトはゆっくりと、その胸元へ手をかざした。

 

 次の瞬間。

 掌から、淡い銀色の光が溢れ出す。

 何度も繰り返してきた動作だった。

 

 空気が微かに震えた。

 黒い瘴気が――まるで悲鳴を上げるように――霧散していく。

 塞がらなかった傷口が、ゆっくりと閉じ始めた。

 荒い呼吸が、少しずつ落ち着いていく。

 

 カイトは黙ったまま、その様子を見下ろしていた。

 

 やがて。

 生徒の顔から、苦痛の色が消える。

 

「……今夜は安静にしろ」

 

 眠ったままの生徒へ、小さく呟く。

 聞こえるはずのない声だった。

 

 医務室を出る。

 廊下に、人影はない。

 

 カイトは壁へ背を預け、ゆっくりと目を閉じた。

 

 額に、じわりと汗が滲む。

 胸の奥が、鈍く痛んだ。

 昔ならこの程度、どうということもなかった。

 だが、今は違う。

 胸の奥を焼くような痛みが、はっきりと残る。

 

 それでも。

 

「助けられるなら、助ける」

 

 掠れた声が、静かな廊下へ落ちた。

 

 同じ悲劇を見たくない。

 

 それだけだった。

 それだけが。

 カイト・レイヴンという男の答えだった。

 

――――――

 

 翌朝。

 

 訓練場は騒がしかった。

 勇者選定へ向け、生徒たちが走り回っている。

 

 熱気。

 興奮。

 期待。

 

 そんな喧騒の中で。

 ルーメリアだけは、静かに周囲を見ていた。

 

「……?」

 

 ふと、視線が止まる。

 

 危篤だったはずの生徒が。

 担架へ腰掛け、水を飲んでいた。

 周囲の治癒師たちも、どこか戸惑った顔をしている。

 

「奇跡的に持ち直したらしい」

 

「あの傷で?助からないって言ってたのに」

 

「グランベル様が来たのか?」

 

「いや……来てないはずだ」

 

 小さなざわめきが広がる。

 ルーメリアは、僅かに目を細めた。

 

 ――おかしい。

 

 あの傷の深さは、通常の治癒術では対処できない。

 まして、あの短時間で。

 

 その時。

 一人の男が歩いてくる。

 

 黒いコート。

 カイト・レイヴン。

 

 いつも通りの無表情。

 いつも通りの、静かな足取り。

 何も変わらない顔のまま、人混みを抜けていく。

 

「……」

 

 ルーメリアは何も言わなかった。

 

 ただ。

 その背中が見えなくなるまで。

 静かに目で追っていた。

 何故か、目を離せなかった。

 

 まるで、

 見落としてはいけないものを見るみたいに。

 

――――――

 

 暗い部屋。

 窓もない。

 光もない。

 

 エリシアは膝を抱えていた。

 黒い紋様が、腕の先まで広がっている。

 

 じわじわと。

 

 確実に。

 

『殺せ』

 

『壊せ』

 

 頭の奥で、声が響く。

 

「……っ」

 

 苦しい。

 

 自分が、自分じゃなくなっていく感覚。

 それが、一番怖かった。

 

「やだ……やだよ……」

 

 涙が零れる。

 その時。

 

 ふっ、と。

 

 胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなった。

 理由は分からない。

 

 けれど。

 救われるような何かが、確かにあった。

 

(……カイ先生?)

 

 その名前だけが、浮かぶ。

 黒い侵食が、一瞬だけ止まった。

 

 だが。

 次の瞬間には、また闇が広がり始める。

 エリシアは震える手で、自分の身体を強く抱き締めた。

 

 怖い。

 壊れていく自分が。

 誰かを傷つけてしまうかもしれない自分が。

 

 でも。

 胸に残った小さな温もりだけは。

 まだ消えていなかった。

 

 エリシアはゆっくりと涙を拭う。

 

「……まだ」

 

 掠れた声。

 

「まだ、私……」

 

 俯いたまま。

 

「壊れきれない……」

 

 その言葉だけが、

 暗闇の中へ小さく落ちた。




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