元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい   作:ななひゃく2802

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第44話 お前も救う

 黒い悪意が、封印区画を満たしていく。

 空気が軋む。

 石壁へ、黒い亀裂が走った。

 足元の術式が、脈打つ。

 封印区画そのものが軋んだ。

 

「っ……!」

 

 レオンが剣を構えた。

 重い。

 息を吸うだけで、胸の奥がざわつく。

 

 怒り。

 悲しみ。

 憎しみ。

 名も無い感情が、黒い泥の様に溢れてくる。

 

「これが……」

 

 ルーメリアが、小さく呟く。

 

「悪意……」

 

 アルディウスは、黒い術式の中心に立っていた。

 長い外套が、黒い風に揺れる。

 その表情は、酷く静かだった。

 

「消えないよ」

 

 穏やかな声。

 

「悪意は、世界から消えない」

 

 レオンが息を呑む。

 

「人が生きる限り」

 

「誰かを羨む」

 

「誰かを憎む」

 

「失って、壊れて」

 

「それでも、また何かを望む」

 

 黒い悪意が、ゆっくり渦を巻く。

 

「アステリアは、それを全部抱えようとした」

 

 ルーメリアの胸が痛む。

 白と青の外套。

 太陽みたいな笑顔。

 黒い侵食に蝕まれながら、それでも走っていた少女。

 

『でも、みんな無事だよね?』

 

 あの声が、まだ胸に残っている。

 

「それを僕は、止められなかった」

 

 アルディウスが、静かに続ける。

 

「彼女を、守れなかった」

 

 術式が光る。

 無数の線が、封印区画の床から壁へ、壁から天井へ広がっていく。

 

 その全てが。

 アルディウスへ繋がっていた。

 エリシアが目を見開く。

 

「……あなたが、支えているんですか」

 

 アルディウスは、小さく笑う。

 

「……というより」

 

 少しだけ間を置く。

 

「手を離せなかった」

 

 静かな声。

 その一言で。

 空気が変わった。

 カイトの灰色の瞳が、僅かに細くなる。

 アルディウスは、自嘲するように息を吐いた。

 

「終わらせたら」

 

「彼女が、本当に消えてしまう気がした」

 

 ルーメリアが、胸元を押さえる。

 痛い。

 でも。

 その痛みは、自分だけのものじゃない気がした。

 

「……アステリアは」

 

 ルーメリアが口を開く。

 声は震えていた。

 それでも。

 真っ直ぐだった。

 

「そんな事を、望んでいません」

 

 アルディウスは、静かにルーメリアを見る。

 

「君に、何が分かる」

 

 穏やかな声だった。

 だが。

 そこには初めて、微かな痛みが滲んでいた。

 

「君は、アステリアじゃない」

 

 その言葉に。

 ルーメリアの瞳が揺れる。

 だが。

 すぐに顔を上げた。

 

「はい」

 

 短く。

 はっきりと答える。

 

「私は、アステリアではありません」

 

 エメラルドグリーンの瞳が、黒い術式の光を映す。

 

「誰かの代わりにも、なれません」

 

 レオンが息を呑む。

 エリシアも、静かにルーメリアを見る。

 

 ルーメリアは、胸元へ手を当てた。

 そこに。

 まだ、あの声が残っている。

 記憶。

 痛み。

 願い。

 全部が、自分の中で震えていた。

 

「でも」

 

 静かな声。

 

「受け継ぐことは出来ます」

 

 その瞬間。

 ルーメリアの背後に、淡い白青の光が揺れた。

 

 誰かの気配。

 少女の笑い声。

 アステリア。

 

『アル』

 

 優しい声が響く。アルディウスの表情が、

 初めて崩れた。

 

「……やめてくれ」

 

 掠れた声。

 

「その声で、呼ばないでくれ」

 

 ルーメリアは、目を伏せる。

 自分の口から出た声じゃない。

 でも。

 確かに胸の奥で、誰かが泣いていた。

 

『もう、一人で持たなくていいよ』

 

 封印区画の空気が、震えた。

 アルディウスの指先が、僅かに震える。

 

「……違う」

 

 低い声。

 

「僕が手を離したら、悪意はまた溢れる」

 

「侵食獣は消えない」

 

「人はまた傷付く」

 

「誰かが泣く」

 

 黒い術式が、激しく脈打つ。

 

「だから、僕が守る」

 

 カイトが、静かに前へ出た。

 

「違う」

 

 短い声。

 アルディウスの視線が向く。

 カイトは、灰色の瞳で真っ直ぐ見返した。

 

「それは、守ってるんじゃない」

 

 数秒の沈黙。

 

「縛ってるだけだ」

 

 アルディウスの目が、僅かに見開かれる。

 その言葉は。

 誰より、カイト自身へ刺さっていた。

 

 『ごめんね』

 

 『背負わせて』

 

 ずっと。

 離せなかった。

 自分も同じだった。

 失った人の声へ縛られて。

 救えなかった過去へ縛られて。

 自分を数えないまま、誰かを救おうとしていた。

 

 だから。

 分かる。

 

「忘れなくていい」

 

 カイトは低く言う。

 

「でも」

 

「縛り続ける理由にはならない」

 

 アルディウスは、何も言わない。

 ただ。

 黒い悪意だけが、強く脈打っていた。

 

「……君に」

 

 掠れた声。

 

「君にそれを言われるとはね」

 

 アルディウスが、かすかに笑った。

 泣いているような笑みだった。

 

「カイト・レイヴン」

 

「君も、ずっと縛られていたね」

 

「ああ」

 

 カイトは否定しなかった。

 

「だから、終わらせる」

 

 静かな声。

 

「お前も」

 

「俺も」

 

「こんなものに、もう縛られなくていい」

 

 その言葉に。

 エリシアの胸が、小さく痛んだ。

 けれど。

 それは怖さだけじゃなかった。

 カイトの声に。

 ほんの少しだけ。

 生きる方へ戻ろうとする響きが、混じっていたから。

 

「……でも」

 

 レオンが、黒い悪意を睨む。

 

「循環を終わらせたら、あれはどうなるんだよ」

 

 アルディウスは答える。

 

「残るさ」

 

 短い声。

 レオンが目を見開く。

 

「悪意は消えない」

 

「侵食獣も、災厄も」

 

「形を変えて、これからも現れる」

 

 重い言葉だった。

 世界は、綺麗にはならない。

 

 それでも。

 ルーメリアが、静かに前へ出る。

 

「なら、その度に立ち向かいます」

 

 迷いの無い声。

 

「一人ではなく」

 

「誰かを器にして、壊し続けるのではなく」

 

「生きている人達で」

 

「これからの世界を、守ります」

 

 レオンが、小さく息を吐いた。

 そして剣を握り直す。

 

「……そうだな」

 

 一歩踏み出し、黒い悪意を睨む。

 

「勇者じゃなくても」

 

「誰かを守れる」

 

 エリシアも、ゆっくり顔を上げた。

 黒い紋様は、まだ消えていない。

 苦しい。

 怖い。

 

 それでも。

 隣に、カイトがいる。

 レオンがいる。

 ルーメリアがいる。

 もう。

 一人じゃない。

 

「……私も」

 

 掠れた声。

 

「逃げません」

 

 カイトが、少しだけエリシアを見る。

 エリシアは、震えながらも頷いた。

 

「私も、守りたいです」

 

 その言葉に。

 カイトは、僅かに目を伏せた。

 そして。

 

「ああ」

 

 短く答えた。

 アルディウスは、その光景を見ていた。

 

 四人が並んで立つ姿を。

 かつて、自分達が辿り着けなかったものを。

 誰か一人が前に立つのではなく。

 誰か一人へ背負わせるのでもなく。

 共に立つ姿を。

 

「……眩しいな」

 

 小さな声。

 アルディウスは、ゆっくり目を閉じた。

 

「本当に」

 

「君達は、残酷だ」

 

 黒い術式が、さらに広がる。

 封印区画の壁が砕け、奥から巨大な黒い門が姿を現した。

 

 門の向こう。

 黒い悪意が、海のように蠢いている。

 無数の声。

 泣き声。

 怒号。

 祈り。

 それらが一つに溶け合い、世界の奥で脈打っていた。

 

「イシュタルの核は、僕の魂に繋がっている」

 

 アルディウスが言う。

 

「僕を越えなければ、循環は終わらない」

 

 ルーメリアが剣を抜く。

 白銀の光が、暗い封印区画を照らした。

 

 静かな声。

 

「あなたを、解放します」

 

 アルディウスは、一瞬だけ目を見開いた。

 そして。

 かすかに笑った。

 

「……救うつもりかい」

 

 カイトが剣を抜く。

 灰色の瞳が、真っ直ぐアルディウスを見る。

 

「そうだ」

 

 短い答え。

 迷いは無かった。

 

「お前も、救う」

 

 アルディウスは、静かに息を吐いた。

 

「なら」

 

 黒い悪意が、その身体へ絡みついていく。

 疲れ切った瞳に、黒い光が宿る。

 

「来るといい」

 

 穏やかな声。

 けれど。

 世界が震えた。

 

「君達の言う救いが、本当に僕を止められるのか」

 

 黒い術式が炸裂する。

 封印区画が、

 闇に沈む。

 カイトが一歩前へ出る。

 その隣へ、ルーメリアが立つ。

 レオンが、同じ線へ並んだ。

 エリシアも、 震える足で前へ出る。

 誰かの後ろではなく。

 同じ場所へ。

 そして。

 四人は、黒い悪意へ向かって踏み出した。

 

 




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