元勇者の俺は、魔王になった教え子を救いたい 作:ななひゃく2802
静寂。
あれほど荒れ狂っていた悪意は、もう消えている。
黒い海も。
無数の鎖も。
世界を覆っていた重苦しい圧迫感も。
今はもう無かった。
崩れた封印区画へ、淡い朝日が差し込んでいる。
長い夜が、ようやく終わる。
「……終わった、のか」
レオンが、小さく呟く。
その場へ座り込んだまま、天井の崩れた向こうを見る。
身体中が痛い。
腕も重い。
胸の奥だけが、妙に静かだった。
「完全には終わっていません」
ルーメリアが答える。
聖剣を鞘へ納めながら。
「悪意は、これからも残ります」
「侵食獣も、現れるでしょう」
静かな声。
でも。
そこに絶望は無かった。
「ですが」
琥珀色の瞳が、朝日を映す。
「もう、誰か一人を犠牲にする必要はありません」
レオンは、小さく笑った。
「……そうだな」
疲れ切った声。
でも。
少しだけ誇らしそうだった。
その時。
ふらりと、エリシアの身体が揺れた。
「エリシアさん!」
レオンが慌てて立ち上がる。
だが。
倒れる前に、カイトが支えていた。
「……無茶しすぎだ」
低い声。
エリシアは、少し困ったみたいに笑う。
「先生譲りですよ……」
黒い紋様は、ほとんど消えていた。
まだ薄く残っている。
でも。
もうあの時みたいな、壊れそうな気配は無い。
赤く染まっていた瞳は、今はもう本来の金色へ戻りつつあった。
エリシアは、静かに自分の手を見る。
「……消えて、ないんですね」
小さな呟き。
怖さは、まだ残っている。
完全に消えた訳じゃない。
カイトは、静かに答えた。
「ああ」
短い声。
エリシアの肩が、少しだけ揺れる。
けれど。
続いた言葉は、優しかった。
「でも」
「もう、一人で抱える必要はない」
エリシアは、ゆっくり顔を上げた。
灰色の瞳。
ずっと追いかけてきた背中。
その人が。
今。
自分を見ている。
過去じゃなく。
今の自分を。
胸の奥が、少し熱くなる。
「……はい」
小さく頷く。
カイトは、それ以上何も言わなかった。
でも。
支えている手だけは、離さなかった。
崩れた封印区画を、一行は静かに歩いていた。
戦いは終わった。
アルディウスもアステリアも、もう居ない。
失ったものは、きっと戻らない。
それでも。
足は前へ向かっていた。
レオンが、不意に空を見上げる。
「……教官」
「なんだ」
「これから、どうするんすか」
カイトは少し黙った。
今までなら。
迷わず、戦うと答えていたかもしれない。
誰かを救う為に。
何かを背負う為に。
そうやって、ずっと生きてきた。
でも。
今は違う。
灰色の瞳が、静かに前を見る。
「……さあな」
レオンが目を瞬かせた。
だが。
カイトは、小さく息を吐く。
「だから」
「これから考えてみる」
その言葉に。
エリシアが、少しだけ目を見開いた。
これから。
未来。
そんな言葉を。
この人が口にするなんて、思っていなかった。
ルーメリアも、静かに微笑む。
「それで良いと思います」
優しい声。
「私達は、ようやく始まったばかりですから」
レオンが、照れ臭そうに頭を掻く。
「……なんか、実感ねぇな」
「世界救ったっぽいのに」
「お前は最後まで軽いな」
カイトが呆れたように言う。
レオンは笑った。
エリシアも、小さく笑う。
本当に。
少しだけ。
昔みたいだった。
その時。
遠くから、鐘の音が響いた。
朝を告げる鐘。
新しい一日の始まり。
一行は足を止める。
朝日が、崩れた遺跡を照らしていた。
暖かい光だった。
カイトは、静かに空を見上げる。
雪は降っていない。
でも。
何故か少しだけ、懐かしかった。
『カイちゃん』
遠い記憶。
優しい声。
灰色の瞳が、僅かに細くなる。
忘れない。
きっと、これからも。
ノエルも。
アステリアも。
アルディウスも。
消えない。
傷も。
痛みも。
後悔も。
全部残っていく。
それでも。
生きていくしかない。
隣には、もう誰かが居るから。
「……帰るか」
小さな声。
レオンが笑う。
「はい!」
ルーメリアも、静かに頷いた。
エリシアは。
ほんの少しだけ、嬉しそうに笑って。
「はい、カイ先生」
そう答えた。
朝日が、四人の背中を照らしていた。
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