「なぁ、カフェ~。放課後に少しだけ研究室に寄るだけでいいからさぁ~。頼むよ~」
「いやです、トレーナーさんにでも頼めばいいじゃないですか」
誰しも、見慣れた光景というものは存在するだろう。通学通勤中に縄張りでご気楽に朝寝をする猫であったり、たまたまいつも同じ時間帯に同じ電車を利用するサラリーマンであったり。ここ、トレセン学院では小さなことで言い争いをするウォッカとダイワスカーレットだったり、物陰から笑みを浮かべてウマ娘を眺めるアグネスデジタルであったり。
その、トレセン学院で見慣れた光景の最たるものは恐らくそれだろう。即ち、試験管片手に駄々絡みするアグネスタキオンと、それを面倒くさそうにあしらうマンハッタンカフェの二人だ。場所など気にせずべたべたと抱き着くようにしてマンハッタンカフェに絡むタキオンに、振り払うなりすればいいのにただ言葉だけでタキオンを制するカフェ。それを呆れ半分興味半分で周りは眺めている。
「まったく。何がそんなに嫌なんだい?トレーナー君は喜んで引き受けてくれるのに」
「それはあなたのトレーナーがおかしいだけです。普通は身体が発光するような薬品を喜々として飲みません」
「あぁ、そんなこともあったねぇ。私の研究室で一晩中恨み言を聞かされたのも懐かしいよ」
「覚えているなら少しは反省してください」
そう言って首に回されたタキオンの腕を引き離そうとするカフェであったが、タキオンは思いの外力強くしがみついているらしい。なかなか引き離せないようで、そして諦めたように腕に回していた手を離すと、大袈裟に溜息を吐いてみせた。
「…分かりました。今回きりですよ?本当に」
「…あぁ!大丈夫さ!それじゃあ放課後、研究室で待っているよ!」
そう言って、タキオンは満足したように回していた腕を解いた。そのまま上機嫌に袖をぱたぱたと振り回しながら、廊下をカフェとは正反対の方へと駆けていく。その後ろ姿を、呆れたように眺めながら、カフェは呟いた。
「…どうせ、今回きりじゃない癖に」
***
終業の鐘が鳴り、大半の生徒がトレーニングに向かい、残りの生徒が帰路に就く中カフェはタキオンが言った通りに、彼女が根城としている研究室の前まで来ていた。相変わらず彼女に甘いな、などと自分にも呆れながら今日何度目かも分からない溜息を零す。零して、いつものように扉を開けた。
相変わらずに整理整頓がなされていない部屋だと思う。埃っぽさも感じるし、床には小難しそうな本や何らかの資料がいくつも山積みにされていて、それらを避けるようにして進まないと歩くのも覚束ない。その奥、彼女がベッド代わりに使っているソファに座りながら上機嫌に鼻歌を歌っているタキオンの姿があった。
「いやぁ、遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」
こちらも見ずに楽しそうに試験管を振りながらタキオンが言う。せめてこちらを見ればいいのに、と内心愚痴を零しながら彼女の隣に座る。そうして見た彼女の横顔は、何かに夢中になって時間も忘れて没頭する子供の様で、つい文句も言えなくなってしまう。
「…仕方ないじゃないですか。掃除当番を任されていたんです。これでも急いだほうですよ」
「成程ねぇ。そんなのもあったね、しばらく教室に行ってないから忘れてたよ」
相変わらずだな、とカフェは思う。天才というものは気楽なものだ、とも。
「それで、今日はどのような薬なんですか?今回きりという話ですが」
「ん?あぁ、それは本当だよ。いつまでも、嫌がる君に薬の実験台になってもらうのも悪いと思ってね」
「それは最初からそう考えてください」
「だから、せめて君の意志だけでも確認させてほしいと思ったんだ。それで、もしも本気で私が関わるのが嫌だというなら、金輪際私は君に付きまとわない。約束しよう」
重くなる頭を指先で支えながら聞いた言葉に、カフェは思わず顔を上げた。確かに実験台にされるのは厄介だが、これから先関わらない、というまでに私は彼女を嫌っているだろうか?カフェは思う。しかし、彼女と関わる以上そう言った場面に出くわすのを避けられないのも事実で。そうして、心の靄が晴れないままのカフェにタキオンは試験管を一本差し出した。
「それを確かめる前に。いや、確かめるために、か。君の意志が如何なるものかを知るために、とりあえずの最後としてこれを飲んでほしい」
その言葉と共に差し出されたそれをカフェは恐る恐る受け取った。中に入っているのは、ピンクの蛍光色をした少し粘性のある液体。ぽん、と栓を開けて鼻を近づければ、いかにも薬品くさい、それでいて甘ったるい匂いがして思わず顔をしかめた。
「それでも一応飲みやすくはしたつもりなんだがね。まぁ、飲んでみてくれよ」
「一応、どんな効果かだけでも聞いていいですか?」
「あぁ、すまない。言ってなかったね。…簡単に言えば素直にしてくれる、とでもいうのかな?自制心を取り外すというか、まあそういう薬だよ。副作用は、飲んだ後に身体が火照るくらいしかないから安心してくれたまえよ」
「…はぁ、そうですか」
いかに彼女でもそんなものを作れるのか。疑心暗鬼になりながらも、渡されて栓まで開けた以上飲む以外の選択肢をカフェは持ち合わせていなかった。覚悟を決めて、一息に試験管を傾ける。ドロリとした液体が口内から喉を伝い、口の中に薬品特有の甘ったるさが広がる。そうして喉元を流れていくのを感じながら、カフェは一息ついた。——そうして、異変を感じた。
「ありがとう。もう二、三分もすれば効果が出るはずだ。それまでゆっくりしていてくれよ」
「え、えぇ…。わかりました…」
そう零されたカフェの言葉に、タキオンは異変を感じて振り向いた。そうして見えたカフェの様態に驚きと焦燥を感じずにはいられなかった。
熱に浮かされたように顔を赤くしてぐったりと身体をソファに預けている。息は荒く、潤んだ瞳でこちらを見てくるその様子に飄々とした普段の様子も見せずに、珍しく慌てた様子を見せている。
「カフェ、カフェ…!?大丈夫かい!?まさか、副作用がここまで早く…」
そう言いながら、まずは解熱剤を、と別のテーブルに向かおうとするタキオンの白衣の袖を何かがぎゅ、と掴んだ。それを出来るのなんて一人しかいない。振り向けば、涙目のカフェが縋るようにこちらを見ている。
「カフェ、すまない…!ひとまず解熱剤と水を持ってくるから君はここで…」
そこまで言って、タキオンは続く言葉を紡がなかった。否、紡げなかった。
「タキオンさ、ん、んむぅ…!」
「んぅ!ぁ、か、ぇう!?」
想像もしていない刺激に困惑と驚きで反応ができなかった。不意に首に手が回されて、見た目衰弱していたその様子からは想像もつかない力で顔を引き寄せられる。そのまま、タキオンの唇にカフェのそれが触れる。目を白黒させながらも現状把握に努めようとするタキオンの思考を奪うようにカフェは攻め手を緩めない。熱を持った自身の舌を薄く開いたタキオンの口の中へと挿し込んで、行き場を失っていた彼女の舌を絡め捕る。
「んぅ!?ん、ちゅ、じゅぅ、ぅうう——!?」
もはや思考が追い付かない。困惑と快楽と羞恥と、様々な感情に振り回されてタキオンはカフェに覆いかぶさるように先程まで弱っていたはずの彼女に身を預けてしまう。そこで、違和感に気付く。いま、かふぇが、わらったような——。
「ぷぁ、はぁっ」
「ふ、ふぁあ…あ」
力の抜けた体はウマ娘には易々とどうにかできるようで、気付けばタキオンはソファの上に仰向けに寝かせられていた。視界いっぱいに広がる見慣れた天井を遮るようにして、頬を赤らめながら薄く笑みを浮かべるカフェの顔が視界を占める。
「ど、どうしたんだい。随分と、積極的、じゃないか…」
「分かりません…。これが、あなたの薬の効果じゃないんですか?」
そう言いながら、カフェはタキオンの耳元から首筋にかけてを指先でつぅ、と撫でる。その感触に思わず身じろぎするタキオンの様子に笑みは一層深くなる。
「普段の様子からは想像できなかったですが、敏感なんですね…。楽しみです…」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、カフェ…!せめて、本題を聞かせてくれ、ひっ…!」
「本題、ですか?」
首元のタイを外しながらこてん、と頭を傾けるカフェにタキオンは呼吸を深くしながらカフェに尋ねた。
「き、君は私の実験についてどう考えているんだい!それが嫌なら、私は君に付き纏うことをやめるという話だったろう!?」
「…確かに、あなたの実験台になるのは勘弁願いたいですね…」
「そ、それなら…!」
「でも、私はあなたのこと特段嫌いじゃない…いや、好きなんですよ。あなたと一緒に過ごす時間が無くなるのが心底惜しいくらいには」
「そ、それと、これに何の関係があるんだ!?そう言ってくれれば、私は君に相応の態度で接するだけで…」
「でも、そうすれば他の誰か…それこそトレーナーさんとかに今以上に迷惑をかけることになるでしょう。それは私の望むものではありませんから」
そう言って、タイを失いより肌が露出したタキオンの首元に唇を寄せる。ちゅ、と吸い付けばひう、と普段の彼女より高い声を零すのがカフェにとって心地よかった。
「だから、私が管理すればいいんじゃないか、と今思いました。他の方に迷惑をかけないように、私がタキオンさんを躾ければ誰も困らないのではないかと」
「そ、そんなこと…」
「いやだとは言わせません。…決めましたから。これからは私がタキオンさんを飼ってあげます」
そう言ってタキオンの羽織っていた白衣を剥ぎ取ろうとするカフェ。当然抵抗するが、トレーニングをさぼり気味なうえに先程からの施しで力も碌に入らないタキオンが力で敵う道理もなくそのまま肘の辺りまで捲り上げられてしまう。そうなってしまえば、白衣などただの手枷だ。かえって抵抗の邪魔にしかならない。カフェが白衣の下に着ていたベストとYシャツの間に手を滑らしてくるのを感じながら、もうタキオンは全てを諦めて笑うしかない、そうしている間にもカフェの手はYシャツの上を伝って服の上からでも分かるタキオンの双丘に——————
その日以来、トレセン学院の日常は僅かに変わった。アグネスタキオンが薬の実験台を求めて徘徊することがめっきりと少なくなり、マンハッタンカフェと共にいる姿もすっかり見かけなくなった。その代わりに、マンハッタンカフェがアグネスタキオンの研究室へと訪れる頻度が少々増したその理由を、当事者以外は知る由もない。