「三十八度五分…、朝より酷くなってるじゃないですか」
「いやぁ、我ながら不養生ここに極まれりだね…、ゴホ、ゴホッ…」
「自覚があるなら、直してください…」
呆れたように言いながら、カフェはベッドで仰向けになったタキオンの冷えピタを取り換えてやる。額のそこだけが熱を奪われ白くなっているのが少しだけ面白かったが、それで不機嫌になられても面倒だと黙って新しい冷えピタを貼った。
「ゴホ…。でも、デジタル君がいないタイミングで拗らせたのは不幸中の幸いだね…。彼女を心配させるのはどうも気が引ける…」
「…私はいいんですか?」
「はは…、いいじゃないか。君と私の仲だろう?」
そう言われるとカフェは返す言葉を失ってしまう。例えばそれは、惚れた弱みなどではない。断じてないが、彼女に付き纏われているうちに、少なくとも友人と言って差し支えない関係までにはなってしまっているらしい。らしい、というのはあくまでアグネスデジタルやフジキセキといった共通の知り合いからの評によるものだから。カフェ自身としてはその関係をあまり認められないでいる。
「あー、冷たい…」
「それはそうでしょう。これに懲りたら、日頃の生活習慣をもう少し見直してください」
「はは、そうだね」
見直す気は微塵もないな、と思いながらも言って直す気がないならしょうがない。カフェは黙って持ってきたお粥の容器をトレーに乗せると部屋を後にしようとする。
「…もう行くのかい?」
「授業がある以上行かないわけにはいかないでしょう、ちゃんと寝ていてください」
「なんだか、君といると少し体調が優れる気がするんだよ。もう少しいてくれよ…」
「…我儘言わないでください」
普段の彼女らしくないしおらしい発言に後ろ髪を引かれる思いになるも、こちらとて学生の身分だ。いつまでも彼女に構ってはいられない。「頼むよ、カフェ~」と、こちらの気も知らないで言う彼女をあしらう為に振り返って、何の気なしに覗いたごみ箱を見て、カフェは眉根を寄せた。
「…タキオンさん」
「なんだい、カフェ…。ここに残ってくれる気に…」
「薬、飲みましたか…?」
「…」
普段から飄々とした態度をしている割に、このアグネスタキオンという少女は隠し事が下手だと常々思う。自分に都合が悪くなると露骨に目を反らすのだから、子供でも分かってしまうだろう。
「どこに隠しましたか?」
「あー、その、飲んだよ。うん。ただ、包装をどこにやったか…」
「誤魔化すのもいい加減にしてください」
「あっ、ちょっと…!」
彼女が頭を乗せる枕の下にずぽ、と手を突っ込む。制止の声も無視してごそごそと探れば、かさりという感触。それを掴んで引き抜けば、まだ開封されていない薬の小袋。
「さて、何か言い逃れはありますか?」
「…だって、苦いじゃないか、それ」
「子供ですか…」
はああ、とそれは深い深い溜息を吐いてカフェは自らの額に手を添える。珈琲が苦手だという時点である程度予想はしていたが、薬も飲めないほど子供舌だとは。これが学園でも指折りのウマ娘だと誰が信じるだろう。それとも、それくらいの才能を持つものになればこのように何かが欠けているようになるのだろうか。
「ほら、こうなったら仕方ない。ちゃんと飲むから。君は次の授業があるんだろう?」
「えぇ、行きますよ?あなたがそれを呑むところを見たら、ですが」
「…ぐぅ」
それは悔しそうに、薬とカフェの顔を何度か交互に見て、タキオンは布団の上にそれを放り投げる。
「…寝てれば治るだろう?無理に薬で治すのはよくないと聞くよ」
「屁理屈をこねないでください」
「いや、こんなに苦いものはウマ娘の飲むものではないよ」
「そうですね。そろそろ授業が始まるので早く飲んでください」
「君には情けというものはないのか…、ゴホッ、ゴホッ!」
「ほら、早く治してください。薬っていうのはそのためにあるんですから」
咳き込むタキオンの背中を軽く擦ってやりながら、なおも渋る彼女に薬を勧める。
「うぅ、でも…」
「…分かりました。そこまで言うなら仕方ないです」
「…?何をするんだい、カフェ…」
それでも躊躇うならもう最後の手段だ、そう半ば自棄になったのだろう。カフェは薬の包装を引き裂いて、自らの口に放り込む。そうして、タキオン用に持ってきたスポーツドリンクも一口だけ口に含む。そうして、
ちゅ。
「!?…ん、ぷぁ、あ、か、カフェ…!?」
「…スポーツドリンクでしたから多少は甘かったでしょう?はい、病人は早く寝てください」
そう、口を手の甲で軽く拭いながら何事もなかったかのように言って、カフェは顔を真っ赤にして狼狽えるタキオンを尻目にトレーを持って部屋を後にした。
***
ばたり。
背後から扉が完全に閉まる音を聞いて、カフェはその場にへたりと座り込んだ。その顔は先程のタキオン同様に耳まで真っ赤で、トレーを横に置いて先程よりずっと熱い顔を両手で覆う。多少の苛立ちはあったのは事実だし、そうした方が早かったのもそうだった。しかし、なぜよりにもよってあんな方法を取ったのか。魔が差した、としか言いようがない。
「…初めてだったんですから。ちゃんと責任取って早く治してくださいよ」
誰に言うでもなくひとり呟く。午後一の始業の鐘の音を遠くに聞きながら、今日の夜までにはタキオンの風邪が治っていますように、とカフェは誰もいない廊下で一人願った。