自分が主人公じゃないことにようやく気付いた男は、流れ着いた片田舎で魔術を教える 作:栗色cc
アーサーはただ、何でもない場所に行きたかった。
自分の事を知っている人間がいないような場所ならどこでも良かった。
どんなに危険な土地でも。
どんなに寂れた場所でも、どこでも。
とにかく、自分のことを誰も知らないほど遠くに行きたかった。
幸いにもアーサーには時間と力があった。
アーサーに家族はいない。十歳のころ流行り病で死んでしまった。
その後魔術学院に身を置いたが、もう学院からは退学している。
だからこれからはどこへだって行けるのだ。
何だって自由に選べるのだ。
学んだ魔術で、危険地帯を切り拓くのも良いだろう。
寂れた土地を開墾して恵みをもたらすのも良いだろう。
広がる未来の想像に、アーサーは笑みを見せながら旅を続けていった。
結果としてアーサーが選んだのは、そのどちらでもなかった。
ただの田舎の村。
周辺には山々が聳え、鳥獣の鳴き声が木霊する。
草葉は暖かな風に揺れ、心地の良い音を奏でさせる。
村の中央を流れる川の静かな揺らめきには、感動さえ覚える。
傍には風車があり、風が送られている。
子供たちは遊び、時に親の手伝いをしている。
親は元気いっぱいな子供を暖かい目で見守り、周囲の大人も同じように。
そんな自然にあふれた、のどかな村だった。
選んだのは直感。この村が良い、立ち寄った際にそう思った。
アーサーは思い至ってすぐに、移住を決定した。
自分がいてもいなくても、何の影響も受けない村だったから。
魔術の力なんて必要ないくらい恵まれた場所だったから、選んだのだとアーサーは後で理解した。
「のう、ちと良いかな、アーサー君」
「なんでしょう、村長?」
この村に移住して、ちょうど三日が経った頃。
アーサーが譲ってもらった家から村の日常の風景に癒されていると、村長が声をかけてきた。
のどかで牧歌的なこの村を、そのまま人間にしたような印象を受ける老人だ。
「お主に、頼みたいことがあるんじゃが。ああ無理にとは言わんよ、流石に厚かましい願いだとは自覚しておるからの」
アーサーは、村長の頼みが魔術関連であることを悟る。
よそ者で、まだ来て日が浅い人間を使うなんてそれしか考えられない。
土地の開墾だろうか。
あとはもっと楽に農業がしたいから、道具の開発だとか。
もしかしたら怪我を直す薬の作成かもしれない。
獣よけや、鳥よけの魔術をかけてほしいという願いも、考えられる。
「儂の孫に、魔術を教えてもらいたいんじゃ」
村長の願いは、アーサーの考えたどれでもなかった。
「魔術を、ですか?」
アーサーが聞いたのは、嫌だったからではない。
魔術というものは、大前提として才能——この場合は素養が必要なのだ。
素養が無ければ、どれだけ努力しても魔術は発動しない。
「お孫さんは、紋章があるのですか?」
「うん、ある。じゃが、これまでは誰も教えられなかったからの……」
紋章とは、魔術の素養。魔術が使えるよ、と知らせる印のようなものだ。
生まれた時から背中か肩に刻まれている。
「お主は、魔術師じゃろ」
「しかし、私は逃げた身。大した事は教えられませんよ?」
「それでも良いのじゃ」
村長は目を細め、後ろに振り返る。
視線の先は村長の家だった。
「この村は、良いところじゃ。村長として、誇れる場所じゃよ」
「そうですね、同意します」
「じゃが……子らには、もっと世界を見て欲しいと思う。この狭い村だけで、一生を終えて欲しくないのじゃよ」
だから、と。
村長は曲がった腰を辛いだろうに更に曲げて、アーサーに頭を下げる。
「儂の孫に、世界を教えてくれんかの」
「わかりました」
アーサーは了承する。
もとより、断るつもりなど無かった。
「頂に上り詰める事から逃げた私ですが、それでもでき得る限り力を尽くすことを誓いましょう」
「…………ありがとう」
「ただし、条件があります」
アーサーは条件を言うと、村長は悩みながらも最終的には頷いた。
ほどなくして、村長がまたやって来た。
孫を連れてきたのだろう。
玄関をノックする音が聞こえたアーサーは杖を一振り、魔術で扉を開けた。
「な、なんじゃ?勝手に扉が」
「どうぞ、お入りください」
姿は見えずとも、奥からアーサーの声が聞こえたのでおずおずと二人は中に入って来た。
物珍し気に、二人はアーサーの家の中を見る。
まだ移住して三日だというのに、他の村民の家とはまるで違う。
誰もいないのに、独りでに動き食器棚に戻っていく食器。窓を拭くタオル。
「すみませんが、もう少し待っていてください。テーブルに座って、お茶でもどうぞ」
アーサーの言葉が言い終わるとともに、ふよふよと茶器が運ばれてくる。
中には暖かいお茶が淹れられていた。
村長とその孫は、目を合わせて目の前の状況をうまく呑み込もうとしているが、難しいようだ。
アーサーの家は、二人が知るどの知識とも異なる。
文字通りの別世界の光景だった。
まるで。
「まるで、魔法使いの家みたい……」
「魔法使いほど、高尚なものじゃないよ。僕は」
用事が終わったのか、苦笑交じりにアーサーが二階から降りてくる。
「すみません村長、少し準備に手間取りまして」
「いんや、急に言ったのは儂じゃから」
「それで、この子が?」
アーサーが横に目を滑らせる。
うん、と頷き村長は連れてきた孫を紹介する。
少女。
とはいっても今年で十七歳になるアーサーとそう年齢は離れていない。五歳ほどの差だろうか。
短く切りそろえられた金髪に、エメラルドグリーンの綺麗な瞳。
彼女は目を大きく開けて、アーサーを見ていた。
魔術師が珍しいのだろう、とアーサーは結論づける。
「シズという。シズ、挨拶を」
孫——シズは、頬を紅潮させながら勢いよく立ち上がり頭を下げる。
余りの慌てようにテーブルに足をぶつけ、がん、という大きな音が響き渡った。
「いへぃ……!?す、すみません!シ、シズでしゅ!よ、よろしくお願いします!」
「う、うんよろしく。アーサーと呼んで……大丈夫?」
「大丈夫です!うひぅ……」
そうは言うものの、やはり痛そうだ。
アーサーは苦笑しながら立ち上がり、彼女の足元で膝をつく。
「じっとしていて」
杖を足へと差し出し、優しく当て。
勢いよく引く。
「っ。あれ、痛くなくなった?」
「癒しの魔術さ」
なんて事の無いようにアーサーは言いのけて、また椅子に座る。
――そんなもの、かなり難しいんじゃ。
魔術のことについて何の知識も無いシズでも、これはとてもすごい事であることを理解していた。
それは直感からのものだったが、実際アーサーが使用した癒しの魔術は超高難度の魔術である。
いとも簡単に凄い魔術を使って見せたアーサーをみて、シズは興奮を抑えられなかった。
「それでだけど、シズ。村長から聞いた?」
「何をです?」
聞いていないのか、とアーサーは悟り。
彼に言った魔術を教える条件を、シズに聞かせる。
「冷たいことを言うかもしれないけど、魔術は素養があっても最低限の才能が無いとどうにもならない。だから君を教えるかどうか、見極めさせて欲しい」
真面目なアーサーの表情に、シズの顔が強張る。
「一カ月以内に、魔術を使ってみせること。もちろん、魔術の使い方とかもろもろは教えるよ。疑問にも答えるし、どうしたら良いかも可能な限りアドバイスする」
期間内は教え子という扱いをする仮期間、というやつである。
「は、はい?」
そんなことで良いのか?と言いたげなシズの表情にアーサーは苦笑する。
一見簡単そうに聞こえるが、実際そうではないのだ。
「さあ、早速魔術について教えよう。シズ、君が魔術を使えるようになることを願っているよ」
魔術を使うこと。
それ自体がとても特別で、難しいことをシズはまだ知らなかった。