自分が主人公じゃないことにようやく気付いた男は、流れ着いた片田舎で魔術を教える 作:栗色cc
ちょうど二階にある作業部屋で、アーサーが農業用の新たな魔術の開発に勤しんでいた時のことだ。
ドンドン、と階下から家の扉を強く叩く音が響いた。
「シズが戻って来たかな?」
のほほん、とアーサーは扉を魔術で開ける。
ペンを置いて、戻って来たであろうシズを迎えに行く。
「あでっ!?な、なんだ扉が勝手に!?」
「大丈夫?あれ、シズじゃない」
アーサーが見たのは、シズではない子供。
彼女と同い年くらいだろうか。
運動後なのか服を泥と汗で汚している。
「君は……ジャン、だったかな?」
アーサーは村に馴染むため子供たちと遊んでいた際に、ジャンの姿を見ていた。
だが、そこまでアーサーと彼の間に接点は無いはず。
なぜ扉を叩いてきたのかアーサーは疑問に思う。
少なくともスポーツの誘いでは無いだろうが。
「魔術師サマ!」
ジャンは赤くなった額と鼻血をものともせず、アーサーに縋りついてきた。
必死な形相に、アーサーは面食らう。
「シズを、助けてくれ!」
「!?」
アーサーには、状況が分からなかった。
だが、シズを助けるとはどういうことだとか、シズはどういった状態なのか、無駄な事は聞かずただ一点、尋ねた。
「シズは、どこに行った?」
「森に!」
「わかった」
癒しの魔術でジャンの鼻血を止めてから、アーサーは杖を一振りする。
「それだけ分かれば十分。君は家に戻っていると良い」
「……な、んだこれ」
二階から、幾本の杖がアーサーの元へと集う。
それらすべてを装着してから、アーサーは玄関で魔術を行使する。
ふわり、と地から足が離れ、どんどんと高度を増していく。
「散歩にしては、随分と遠くまで行ったようだね」
まるで空を駆ける鳥のように、アーサーは森の方向へと飛び立っていった。
◆◇◆
シズは、走り出してから後悔していた。
冷静になったとも言う。
――何やってるの、私!?
子供が森に入ってしまったのなら、一刻も早く大人に知らせることが最適解だ。夜の森は視認性が非常に悪く、夜行性の獰猛な獣も多く生息している。
大人の力なしにはとても近づけない危険地帯だ。
どうしてこんな行動を起こしたのだろうか?
シズは息を切らしながら後悔しているが、やったからにはもう戻れない。
少なくとも、子供だけは確保しなくては。
「というか……あの子足はや……!」
森に入った子供を見失うことはなかったが、差は縮まっていない。
運動がさほど得意でないことに加えて、木の根っこといった森という地形が上手く走ることを阻害している。
それは子供も同じはずなのだが……。
「なんでっ、あんなに動けるの……!」
スイスイと滑らかに動いている。
地形をうまく活用して、加速さえできていた。
「ちょ、ちょっと!止まって!ここは、危ないから!」
シズは子供に向かって叫ぶ。
だが聞こえているのか聞こえていないのか、子供は夢中な様子で何かを追いかけ続けている。
言うことを聞かない子供に、シズは怒りさえ覚えた。
もうこのガキなんてどうでも良いから、自分だけでも戻ろうかとさえ思ってしまった。
「~~~~っ」
けれど、戻ることはしなかった。
シズの持つ善性からか、それとも……どちらにせよシズは覚悟を決め、子供を追いかけることを決めた。
そして、必死に走る事数分。
「つ、か……まえたー!……ぜぇ、はぁ、ぜごほっ、ほぐぅ」
ようやくシズは、子供を捕まえることに成功した。
代償として吐きそうになりながらも。
「何、考えてるの!?」
「…………………………」
「ちょっと!?」
シズの説教に子供は何の反応も示さず、まだ前へと進もうとしている。
だが力が弱い。シズに拘束されている状態では動けない。
「落ち着きなさい!っ、て……」
シズはそこでようやく、子供の顔を見た。
目が虚ろだった。目の前でシズが見ているというのに、焦点が合っていない。
半開きになっている口からは涎が垂れ、時折表情筋が痙攣を起こしている。
どう考えてもまともな状態じゃない。
だがシズは子供の顔に見覚えがあった。
猟師の息子だ。
好奇心旺盛のわんぱくな子供で、すぐに何かを採って食べるクセがあると親がため息をついていたはず。
「まさか、毒キノコでも食べたの?」
「う、あ」
ぎょろり。
子供の瞳が、突然シズを見つめた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「っ、何!?静かに、して!?」
獣の咆哮にも似た絶叫。
まずい、声のせいで獣たちに位置がバレてしまう。シズはすぐさま子供の耳を塞ごうとする。
だが、すべてがもう遅かった。
――どしん、と大きな地響きが鳴る。
どしん、どしん、と地響きは断続的に、回数を重ねるほどより大きくなる。
そして、止まる。
「…………………」
シズは本能的に、木の陰に隠れた。
子供の口を塞いで息を潜める。
「来ないで、来ないで……」
暴れる子供を力の限り押さえつけ、シズは祈る。お守り代わりに持ってきた杖を握って。
背後に現れた巨大な獣の息遣いから、どうか見つからないでと。
「…………………」
みしり、と。
シズの祈りとともに木の幹が引き裂かれる。
シズ達の頭上に、コケに覆われた怪物。
熊のような体躯を持ち、狼のような牙を持っているシズが見たことも無いような獣。
シズの身体は竦み、恐怖で震える。
「っ、光球を」
シズは、杖を振るって魔術を出そうとした。
もしかしたら奇跡が起こるかもしれない。魔術が出るかもしれない。
そんな万に一つもないようなあり得ない奇跡に縋るくらいには、シズは追い込まれていた。
「う、あ……」
驕っていた。
この村で唯一、魔術の手ほどきを受けて。
自分だけは他とは違う特別なのだと。
でも、そんな訳が無いのだ。
シズという村娘は、まだ魔術なんて使えないただの十二歳の女の子で。
特別な力なんて少なくとも現状は何も使えない。
大人どころか、同年代の子供にすら劣る非力な少女。
森に入ろうものなら、あっけなく獣に食われるのがオチ。
誰かを救えるだなんて、夢物語だったのだ。
「嫌……だって私は、まだ」
恐怖に震える手で、シズは手を伸ばす。
まだかろうじて五体に力は入る。恐怖をビンタで無視し、シズは立ち上がった。
子供を抱えて、この怪物から逃げる。
誰かを救えるだなんて夢物語で、現実すら見れていなかった馬鹿な少女だけど。
――この子を手放すのは、違う。
目に見えた結果。
結局、シズが稼げたのはたった一歩分の距離と時間だけ。
「——伏せて」
だが、その一歩分だけでもう一つの奇跡は起こり得た。
シズの背中に怪物が爪を突き立てる寸前、雷が落ちる。
「ぎ、ええ……!?」
「カアバレ。キノコや野草に自らの体液をかけて、食した獣を洗脳、自分のテリトリーまで案内し、捕食する生態を持っている」
怪物とシズの間に、人が降って来た。
その人は、シズが知っている人で縋った人でもあった。
灰色の衣に身を包んだ長身痩躯の男の人。
「シズ、君が自分から森へ行くことは無いと思っていたけど、案の定だったみたいだ」
シズの声は震えていた。
安堵から、涙さえ出ていた。
「アーサー、先生」
「お説教は、後だよ。今はこの森から退散しよう」
アーサーは、シズを安心させるような笑みを見せて頭を撫でる。
彼もシズが生きていたことに安堵していた。
「先生、後ろ!」
「ぎゅあああああああああああああああああああ!」
アーサーの背後から、カアバレが前足を使って攻撃を仕掛ける。
簡単に木の幹を引き裂いた腕力だ、シズはアーサーの末路を想像して悲鳴を上げる。
だが、そんなことにはならなかった。
身体をシズたちに向けたまま、杖だけを背後にアーサーは、魔術を放つ。
突風が杖の先から巻き起こる。
「がぁ!?」
カアバレの巨体は、いとも簡単に突風に圧されて吹き飛ばされる。
シズが驚きに目を剝いている間、アーサーは子供を癒しの魔術で癒した。
「多分、これで大丈夫だと思う」
暴れていた子供が落ち着いたことで、ようやくアーサーは背後に振り返った。
カアバレはまだ生きている。
「シズ」
「は、はい!」
シズはアーサーと会って間もない時と同じような返事をする。
それほど彼女の目に映るアーサーは、違って見えたのだ。
「そういえば君には、まともな魔術はみせていなかったね。見せたのは生活を楽にする魔術と光球の魔術だけ」
アーサーは杖を持ち替える。
衣服に取り付けられているホルダーに、元々持っていた杖をしまいつつ。
「戦闘に使う魔術を……魔術師の戦いを見せよう」
「ぎゅああああああああああああああああああ!」
突進するカアバレに対し、アーサーは杖を一振り。
次の瞬間、地面から棘が生えてカアバレを襲う。
また持ち替える。
「魔術師の戦いは、こうして杖を持ち替えつつ戦う。手持ちの杖の中で、最も状況に適した魔術を使うためにね」
今度は水の魔術。
人間大の矢が、五本生成されアーサーが振り下ろした杖と共に発射される。
カアバレは大きく怯み、その間にまた杖を持ち替えていた。
「大技を使う時とかは、こうして隙を作った後にする」
杖が、空を撫でた。
瞬閃。
視認さえ至難の速度を伴った轟雷が、カアバレの脳天を貫いた。
地響きを響かせてカアバレは崩れ落ちる。
「悪いけど、子供に危害を加えようとしたから倒させてもらったよ」
カアバレの絶命を確認したアーサーは杖をしまう。
振り返り、此方を覗いているシズを見た。
「シズ、もう大丈夫だよ」
「……………………」
シズは、ぼうっ、としていた。
アーサーの声に反応せず、瞬きすらせず同じ場所を見ていた。
心配するアーサーだったが、その実シズは目に焼き付けていたのだ。
魔術の力を、美しさを。
「アーサー先生」
「おわ、大丈夫だった?良かった、シズも正気を失ってしまったと思ったよ」
シズは、アーサーに聞いた。
「私も、魔術が使えますか?」
それは、どういう意図か。
だが、シズが数時間前まで抱いていた焦りからの質問では無かった。
「さあね。未来の事は、誰にも分からないさ」
でも、と。
「確かに君は上達してるよ」
確かな事は言えない。
例え本音でも嘘でも、言えばまた焦りに繋がってしまうから。
「……そうですか」
答えを言わなくとも、シズの顔はどこか満足げだった。
「時にだけど、シズ。君は光球の魔術が開発された理由は何だと思う?」
「え……便利だった、から?」
「ふふ、そうだね、便利だった。でももっと言うなら、彼らは光を欲したのさ。闇を祓う光を。もう誰も迷わなくても良いように、もう誰も怖がらなくとも良いように、光と言う名の道標《みちしるべ》を欲したんだ」
アーサーが今持っている杖は、光球の魔術が刻印された杖だった。
くるりと円を描くと、光球の魔術が発動しアーサーの頭上で留まる。
その光量は目が眩むほどではなかったが、くっきりと道が見えた。
子供を追っていた時はどうしようもなく怖かったはずなのに、今は安心できる。
「さあ、帰ろうか」
シズは、アーサーの手を取る。
アーサーは子供を背に、歩き出した。
「……道標、見えた気がします」
シズは、隣で歩くアーサーにも聞こえないように小さく呟いた。