落ちこぼれ魔法少女と魔力ゼロの俺 ~彼女を補佐できるのは俺だけだった~ 作:青井風太
「あなたはだぁれ?」
エルミナは、目の前の誰かに話しかけるように、そっと問いかけた。
小さく首を傾げ、返事を待つ。
その仕草は、初めて会った相手と会話を交わすように、無邪気なものだった。
母の助言を受け、本で読み、間違った知識を頼りに身につけた「ですわ」という口調も、今はない。
そこにいるのは、ただ一人の少女。
相手を知りたいと願い、素直な心のままに言葉を交わそうとする、幼いエルミナだった。
――だが、この場に彼女の問いかけに答える者はいない。
エドワードは振り上げた拳を止め、娘を見つめていた。
何が起きているのか。
なぜ、あのように微笑んでいるのか。
その答えを知る者は、ここにはいなかった。
それでも、エルミナは気にする様子もなく、再び口を開く。
「私はエルミナ・アルヴェイン」
まるで、自分のことを知ってもらうのが嬉しいとでもいうように、柔らかな笑みを浮かべて。
「私には、守りたい人がいるの」
彼女は、ゆっくりと視線を横へ向けた。
地面に倒れた遥の姿を見つめ、ふっと頬を緩める。
「うん。あそこにいるノクス……じゃなくて、私のお友達。遥」
「……エルミナ?」
掠れた声が、決闘場の片隅からこぼれた。
地面に横たわった遥が、顔を上げている。
目の前にいる少女は、先ほどまでとはまるで様子が違っていた。
父親と対峙しているはずなのに、その表情には恐怖も、怒りもない。
まるで、誰かと穏やかに言葉を交わしているかのように、柔らかく微笑んでいた。
遥は何かを尋ねようと唇を開きかけた。
けれど、結局それ以上の言葉は出てこなかった。
今のエルミナに、何を言えばいいのか分からなかったのだ。
「遥はね、私なんかの為に戦ってくれたの」
エルミナは再び前を向いた。
大切な友達を誰かに紹介するような、どこか誇らしげな声だった。
「ローダン村の時だって。一番弱いのに、村を、みんなを守る為に自分を犠牲にできる人なの」
言葉を区切りながら、ゆっくりと語りかける。
それはまるで、相手に一つひとつ確かめてもらうように。
「だから……私も守りたい」
そっと、胸元に添えた指先が、服を軽く握りしめた。
「遥が私を支えてくれたように、私も遥を支えたいの」
――その時だった。
足元で、ちいさな光が瞬いた。
消えていたはずの魔法陣。その縁をなぞるように、淡い輝きが走っていく。
一筋。
また一筋。
途切れていた紋様がつながり、円環を描く光がゆっくりと息を吹き返した。
エルミナは足元へ目を落とす。
けれど、驚いた様子はなかった。
むしろ、相手の反応を確かめるように、ほんの少しだけ首を傾げる。
「どんな魔法が使いたいか?うーんとね」
考え込むように視線を上げ、頬に指を当てる。
しばらくして――ぽん、と何かを思いついたように表情が明るくなった。
「お母さんみたいな魔法が良いな」
その笑顔には、幼い頃から抱き続けてきた憧れがあった。
「強くてカッコいい。でも暖かい」
一言、また一言。
言葉を紡ぐたび、魔法陣の光が鮮やかさを増していく。
赤い輝きが彼女の頬を照らし、銀色の髪の先を淡く染めた。
「そんな私の憧れた魔女と同じ、誰かを守るための魔法を使いたいの」
魔法陣が、ひとつ増えた。
最初の円を囲むように、もうひとつ。
さらに、その外側へ。
二重、三重と重なり合った魔法陣が、エルミナを中心に広がっていく。
赤い光が決闘場の床を駆け抜けた。
空気が揺らぎ、肌を刺すような熱が周囲へと広がる。
その光景を前にしても、エルミナの表情は変わらなかった。
彼女はただ、目の前の誰かに語りかけ続けている。
『ならば、私の名前と共に、その想いを解き放ちなさい』
確かにその声を聞いたエルミナは、一度だけこくりと頷く。
そして、顔を上げ、小さく告げた。
【レオ・ヴォルカニアス・レイ】
その言葉と共に、エルミナの背後で炎が弾けた。
渦巻く火焔が周囲の空気を巻き込み、赤々と燃え上がる。その炎は天へと伸びながら一つの形を成し、やがて巨大な獅子の姿へと変わっていった。
炎を纏った四肢が地を踏み、猛々しい鬣が熱風を受けて逆立つ。大きく開いた口から鋭い牙が覗き、喉の奥から低い唸りが漏れた。
獅子が顔を上げる。
その動きに合わせて全身の炎がうねり、揺らめく火の粉が周囲へと散っていった。
エルミナは、背後に現れたその姿を見上げた。
そして、ふと顔を横へ向ける。
地面に倒れた遥。
苦しげに横たわるその姿を見つめ、エルミナは小さく微笑んだ。
「ありがとう……遥」
その声は、背後で燃え盛る炎の中にあっても、ひどく穏やかだった。
けれど、その表情に迷いはない。
エルミナは父親へと向き直った。
「いくよ、お父さん」
次の瞬間、炎の獅子が大地を蹴った。
地面を砕く勢いで踏み出した巨体が、燃え盛る鬣をなびかせながらエドワードへと突進する。熱風が決闘場を駆け抜け、床に散らばった砂塵が巻き上げられた。
「――っ!」
エドワードの目が見開かれる。
迫り来る炎の巨獣。その全身から放たれる魔力と熱量は、無視できるものではなかった。
まともに受ければ、ただでは済まない。
だが、エドワードに焦りはなかった。
時間を止めればいい。
獅子が届く前に時間を封じれば、対処する余裕はいくらでもあると。
そう確信したエドワードは、即座に詠唱へ移った。
【刻め秒針!澱め波紋!】
視線は炎の獅子から外さない。
意識のすべてを迫り来る脅威へと向け、時間停止の詠唱を続ける。
その瞬間、組み上げられた魔力は、まるでガラスが割れたかのように崩れ去った。
「……なんだと?」
エドワードは一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
だが、すぐに足元へと視線を落とす。
右足。
その足首を、血に塗れた手が掴んでいた。
「――っ!?」
地面に倒れていたはずの遥。
その右手が、エドワードの足をしっかりと捉えている。
(このガキ、まだ……!?)
エルミナの魔法に気を取られた、まさにその一瞬。
遥の手が、エドワードの足を掴んでいた。
「離せ、貴様っ!!」
エドワードは掴まれた右足を振り上げ、そのまま遥の身体を蹴り飛ばした。
遥の身体が宙を舞い、離れた地面へと叩きつけられる。
だが、エドワードには確かめている余裕などなかった。
時間停止は防がれた。ならば、もう一度――。
そう考え、エルミナへと視線を戻した、その時。
「――なっ!?」
炎が、視界を埋め尽くした。
巨大な獅子が、すでに目の前まで迫っていた。
燃え盛る鬣。大きく開かれた顎。紅蓮の炎をまとった前脚が、眼前へと迫る。
肌を焼くほどの熱が押し寄せた。
気づいた時には、もう遅かった。
エドワードが再び詠唱を行う暇も、身を躱す隙もない。
炎の獅子が、その巨体を叩きつけ、衝突の瞬間、獅子の身体を覆う炎が一気に膨れ上がる。
眩い閃光とともに爆炎が広がり、エドワードの姿も、決闘場の一角も、すべてを紅蓮の炎が覆い尽くしていった。
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