デッドリードライバーズ~マーベリックはもういない~ 作:椚右近
眼前には深い闇。
数mしか見通す事のできない、都市からは遙か昔に忘れられた原始的な夜を思い起こさせる景色。
だがその場所には朝は来ない。
暗闇の奥で巨大な影がうねり、次の瞬間視界の眼前を通り過ぎていく。
蛇に似て明確に違う異形。細長い体躯の先端で巨大な目を見開き、無数の鋭く細い牙を剥き出しにして泳ぐのは、魚影――深海魚の一種。
映し出された深海の暗い眺めを、視点はゆっくりと沈降していく。手の届きそうな片隅に魚以外にも奇妙なモニュメントの影を掠めながら。表面を泡立たせた巨岩、無数の吸盤を並べた触手、塔のようにそびえ立つかって船と呼ばれた遺物の残骸……。
突然、黒い背景を駆逐して、青い輝きが画面下方からせり上がる。球形に区切られた空間の中は、そこだけが真昼のように明るく透き通っていた。
暗い海底に浮かぶ青い水球の中を、光の尾を曳いて駆けるものがある。一つではない。二つ、三つ、四つ、さらに多い。十を超える光点が巡る青い水球は、次第にその大きさが
ズームアップした先で、光点の詳細が明らかになった。
それらは言うなれば不完全な流線型を象っていた。
泳ぐには有効な円錐形多関節無肢、硬質の小細片に覆われた下半身と、対照的に非効率な細長い二肢と水抵抗となりうる胸部の隆起、薄くひ弱な表皮に引きずるような長い体毛を備えた上半身。
すなわち、半人半魚。
極彩色の髪と鱗を備えたうら若き美貌の人魚姫達が、航空ドローンもかくやの編隊水泳で
“――お還りなさい、生まれた場所へ”
声が声として生まれぬ舞台を示すように、その歌声は濡れながらにして震えていた。
降らぬ雨粒がリズムを刻み、立たぬさざ波が鍵盤をうねらせる。
“――夢の中でも夢見る人よ。理想はあなたの中にある”
『アルカディア・ドリーマー』。それがこの曲の名前。
ここは第六聖域都市ティファレト、その中央たる6区の西側主要街路、通称オルフェストリート。
中央側の商業施設の壁面に設けられた巨大な
ウィークエンド・カウントダウン。シェレトワレ動画配信サービス『エメラルドキャスト』における今週の音楽再生数ランキングTOP10は、まさにその第三位へと差し掛かっていた。
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場所、同じくティファレト6区。
時も同時刻。
だが表通りからいくらか離れているが故に、歌声は街行く人々の喧騒の間で擦り切れて届かない。
そんな細い裏通りで、代わりに踏みつけられた砂がアスファルトの地面に噛みつき、こすれ、音を立てた。
走る履き手は女性、まだ若い。シンプルかつ活動的なグレーのパンツスーツ姿で、豊かな栗色の髪をたてがみのようになびかせて、人ひとりがやっと通れる程度の都市の間隙を駆け抜けていく。
女性に二十歩ほど遅れて続く、男が二人。
黒づくめのスーツに多機能型と思われるバイザー。靴は艶消しのブラックだが、素材は布でも革でもない。
これでカタギを名乗るのには無理がある。7区8区を根城とする、
実際予想は正しかった。だがれっきとしたヤクザ相手に、女性は一人逃げ続ける。
ギャング達はそれなりに鍛え、それなりに装備を整えていたが、脚部の義体化まではしていなかった。いや、していたとしても追いつけたかどうか。
女性は走りながらごく自然に裏通り特有の障害物――使われる見込みのない建材、積み上げられた空の
俊敏や俊足と形容するにはそれだけでは足りない。土地勘という言葉も物足りない。
言うなれば熟練。女性は街の裏路地を逃走する事を、明らかに熟知していた。
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スクリーンが深海のスタジアムから切り替わる。
ウィークリー第二位のMVは打ちっぱなしのコンクリートで出来た巨大な箱の中で始まった。工業施設の倉庫と思しきがらんどうの石棺の中で、歪な
全員が黒のエナメルと
“――吾互御語呉悟誤劫護護護、禹雨流倶瑠夢愚琉宇留虞無、阿在拉多摩間他羅蛇太”
ツインネックギターの上で四関節十二本の指をパンチマシンのように連打するギタリスト。増設した四本腕を四方の鍵盤に走らせながら、独楽のように回転するキーボーディスト。全身を板金鎧のように機械化して超高速超高精度のリズムを刻む、
メンバーの全員が
流派:【
機械仕掛けの超絶技巧を売りとする
“――無目無光無耳無音光明の下にのみ影は有り死せる夢現の屍の山に立つ楼閣のおよそ灰燼の如くなり!”
人外の唸りが抑揚の無い叫びへと移り変わっていく。
曲名、『
檻に閉じこめられた怒れる獣の歌声は、何故か全年齢的な支持を得ている。
だが彼等に近い方向性を持ち、さらに広くに受け容れられる者が存在した。
それ故の、第二位。
「ぬぁー、我らがアンデルシアの新譜は3位か。くやしー!」
モニターを見上げていたカティア=ルドーが悔しそうに声をあげた。
黄色いと評したくなる、よく響く高音。
オルフェストリートの道端で、仲間と共に買い食いしながら音楽ランキングのチェック。まるで十代の若者のような休日の過ごし方だが、カティアは一応れっきとした成人女性である。ただし、見た目には判断が難しいかもしれない。
レモン色の髪に茶色の瞳、グレーのワンピースにクリーム色のニットジャンパー、チョコレート色した毛糸のベレー帽。
片手にミックスベリーのクレープ、大型レンズの黒縁眼鏡――素朴ながらふわふわの愛玩犬を思わせる愛くるしさ。丸みのある頰にはうっすらとそばかすが散っていた。
目の大きめな童顔である事からも、学生と思われても不思議が無い。
「健闘した方だろ。ギアーズと被っちまうのはタイミングが悪ぃや」
応じた仲間の一人の声は、うってかわって機械的なフィルターを通した
声の主ことギルスティン=マイネンボルグは四人のメンバーの中では最も恵まれた体格を誇る。2m近い長身を包むのはブラックレザーのライダースーツ、ただし右手は肩から剥き出しの白銀色の義手――板金鎧の如きMa-GEARアーム、前頭部を船首のように突出させたガンメタルシルバーのフルフェイスヘルメット、ミラーシェードのゴーグル部分が時折奥から両眼の形で緑色に発光――いかつい割りには子供っぽいフェイスアイコン。
本人曰く拘りのポイント――お洒落だと言い張るが、周囲からはお茶目の間違いではとの指摘多数。
「てゆーか、まだ1位は落ちてこないの? もう三ヶ月経つってことは、週間イコール四半期になっちゃったワケか」
ストローを離した口から張りと透明感のある声。高すぎず、低すぎず、それでいて不思議な華がある。
この声そのものが、コネット=ブルームという少女の
髪の毛の色以外は古今東西で美女という評価が揺るぎそうもいないが、何故か服装は奇抜――メタリックブルーの全身タイツ型ボディスーツに、肋までしか覆わないのベリーショートのデニムジャケット。ブラックデニムのショートパンツ、黒のロングブーツ、青い石のイヤリングとネックレス、赤青橙の三色によるアイシャドウで強調され過ぎた目力。
過剰装飾された素体にすれ違う若者がぎょっとして振り返る。悪目立ちの中心、剥き出しなようで完全防御、迎撃意欲満点な専守防衛――猛毒のマネキン、あるいは挑発的なハリネズミ。
片手にはぶっといストローを挿した新作フレーバーティーのカップ――七色のポッピンキャンディとバタークリームとチョコチップのトッピング
「しょうがねぇ気がするなぁ……リナはこうなんていうか、格が違うから」
若さを残しつつ棘を丸め始めた男性の声は、その場にいる中では一番特徴というものを持たなかった。
四人目にして最後の一人は派手かつ伊達な
癖のある短い黒髪、浅黒い肌、金色に縁取られた
明らかに実用性とデザイン双方を意識したチョイス――8区や7区を根城にするストリートチルドレンに長く流行り続けている価値観。自分達は今日まで生き残り、またこれからも生き残るのだという
このジェット=ナイアルは印象としては年齢の分かりづらい男だった。未成年にしては不気味な落ち着きがあり、成人にしては無邪気過ぎる。
だが今スクリーンを見上げる横顔は、どちらかといえば十代に近い。わくわくとした期待を隠し切れていなかった。
つまるところ、魂に少年を残したまま大きくなった類いの男である。
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女性が走る。走り続ける。
路地裏に詰まれたものを片っ端からひっくり返して。
光に向かって疾走する。
なお、光は何か観念的なものというわけではない。
文字通り、女性の進路は逆に白い闇のように見える逆光によって塞がれていた。
それは裏路地の終わり――表通りへの出口である。
同時に、女性やギャングの潜める暗がりがそこで途切れる事も意味している。
表通りに出てしまえば、ギャングの武装は障害になりこそすれ、意義の多くを失う。
だからこそ、追っ手の片方がここで反射的に拳銃を抜いたのも致し方が無い。
リボルバー式のソリッドマグナム――内蔵Ma-GEARによる銃弾生成能力付き。魔力切れはあっても弾切れという概念がなく、衝撃だけでも人を殺し得る、生半可な装甲を無視する代物。
だが。
「止せ!」
銃を構えた方の腕を掴んで、もう一人が軽挙を制した。
止めた理由はもちろん倫理ではなく保身。外れれば銃弾が表通りに飛び出す。そして流れ弾が当たった相手によっては、彼等の身も危ない。都市にはギャングより弱い者はいくらでもいるが、それでも食物連鎖の頂点にはほど遠い。
彼等は