デッドリードライバーズ~マーベリックはもういない~   作:椚右近

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ダイナミック・エントリー……霊脳空間(オリジナル)

 五海層にあって、質量とは即ち情報量である。

 

 例えば6区から2区へと移動する際、メトロを使えば数十分だが飛んでいけるなら5分とかかるまい。

 そう、今この時に第二層・影海の暗い街路を高速で疾走する、一個の光のように。

 見た目の速度でならそれこそ一分もかからず目的地に到着するはずだが、光はすでに体感で数分は無人のハイウェイを飛び続けている。街路樹は無く、変わりに青いグリッドで縁取られた無個性なビルだけが延々と立ち並ぶ。

 このビルの一個一個がそれぞれ企業や研究施設のデータサイロ――膨大な極秘情報を貯め込んだ、巨大な情報構造体である。

 長い飛行時間は、実際の距離以上に学会中央研究所の周りに企業や施設が密集していることの証左であった。

 巨大なデータ量が通信量(トラフィック)という重力を生み出し、転送速度の低下は距離の展延として現れる。

 この通り、影海(ダンスカー)以降の海層において、生身の時間感覚は意味を為さない。

 

 飛翔する光の正体は青白く輝く人型、その髪だけは超高温の炎に似て深く青い――コネットの仮想霊体(バーチャルアバター)。だがその高密度の情報量は見る者から見れば過剰の域。人間の全身を細胞一つ一つに至るまで情報化したとて、果たしてここまでに至ろうかというほどに。

 アバターの周囲には浮かび併走する無数の水滴。空中に凍り付いた雨粒のようなそれは、コパイロット=カティアのサポート用インターフェース。コネットの追加艤装として最低限の情報量しか保持していないが、それこそが正しく常識的。

 ビルの谷間から時折、暗い空を引き裂く巨大な光が渦巻く稲妻のように浮かび上がる。

 絡み合う光の束は、よく見れば丸められ引き延ばされた星樹印(セフィラ)そのものであることが分かる。既に2区外縁部に侵入していてもまだ見える6区中枢にして都市そのものの心臓部――即ち管理塔(タワー)

 情報的スタンドアローンでありながら、不思議なことにその威容は影海においても健在だ。孤絶不可侵を謳いながら身を晒すのは傲慢か挑発か。

 事実、そこに在るのならば手が届くと夢想した血気盛んな霊脳潜行者の蛮勇は枚挙に(いとま)が無い。

 無論、蛮勇が奇跡を生んだなどという話は皆無だ。消えていきこそすれ、浮かび上がる名は一つも無い。

 塔に向けてほんの僅か向けたコネットの視覚(センサー)に、カティアが敏感に反応する。

 

「いひひひ、ねぇ気になる? 気になるぅコネットぉ? いっちゃう? いっちゃうかぁ? いいよぉ全然手伝うよぉ?」

 

 相変わらずカティアの口調がどこかおかしい。いつも何処かダウナーな彼女が、悪戯好きの少年のように――まるでジェットのように陽気で楽しげだった。

 

「仕事中に馬鹿言ってんじゃないわよ……ほんと、潜ると毎回立場が逆になるわね」

「はははははァ! どっちかってーとこっちがワタシの素だけどなァ! あっちが偽装・変装・被る猫ってさァ!」

「普段出せない癖に素とか言ってるの痛いわよ」

「アイタタタタタ! 痛い痛い心が痛い! いきなりマジで刺すなよぉ!」

「だったら無駄口止めて。そろそろ見えるわよ」

 

 コネットの言葉を待っていたように、ビルの森の奥から巨大な瑠璃の宝飾が覗く。

 青い線と金の面によって構成される四角錐。煉瓦状の模様は見えるが、実際には四方の面は平滑。面積は一定だが、高さに関しては見る角度、位置、タイミングによって変わって見える。

 現実世界ではごく普通のピラミッド型建築物であるにも関わらず、霊脳空間にあってはまるで視覚化した波形(スペクトラム)のように変化する。扁平なブローチのような形から、頂上が霞む尖塔まで。

 方尖柱(オベリスク)は、この影海における異形から名付けられた名前だ。不安定な高さは、内部に溜め込んでいる情報量の巨大さを隠蔽しようとする悪戦苦闘のせいではないかと言われている。流石に冗句の類いのはずだが、直に波打つ青い巨塔を見た者からすれば一笑に付すこともできない。

 事実、学会中央研究所とは冗句を真実と疑わせるに足る存在であった。

 コネットはビル群を抜けてすぐ、オベリスクのはるか手前で停止し、光の粒子で構成された右手を伸ばす。

 その拳一つ先程度の距離で、空間が一面に白い六角格子(ハニカム)構造を浮かび上がらせる。触れれば即座に強力な反動を発生させ、備えの甘い潜行者の脳を破壊する攻性防壁――氷壁(アイス)。オベリスクを守る最初にして難攻不落の関門である。

 だがコネットにとっては今回唯一の突破すべき防塁であり、ある意味では帰り慣れた実家への家路のようなもの。

 一瞬でコネットの全身が青く燃えていた髪まで脱色、透明化。全身に防壁と同じ格子模様を浮かべると、まるで何もないように防壁をすり抜ける。

 常に変化し続けているはずの防壁の術式に一瞬で同調。自らを防壁の一部と錯覚させて無効化したのだ。

 神業と呼んでいい高等術式をまるで呼吸するようにやってのけるコネットに、水滴姿のカティアは遠慮無く嘆き混じりに毒突いてみせる。

 

「いやホント。見る度に上手すぎて馬じゃなくて嫌んなるわ。絶望するわ絶望した! あーやれやれ」

「嫌みが雑。しょうがないでしょ、2区じゃあこの程度は出来ないと、門限破りもままなんないのよ」

「嘘つくなぁ! どんだけ霊脳修羅の国だよ第二都市(ケブラー)!」

 

 なおもわめく声を無視すると、明度を落として再び青く染まった髪を掻き上げ、コネットは来た道を振り返る。

 障壁は既にまた見えなくなっている。だが空中から生えたように、一本の絹糸のような線が障壁からコネットの背中へと伸びている。障壁を貫通して二人に接続する、ジェットのMa-GEARが生み出した化身(アバター)。万が一の時、コネット達の脳が呪詛に焼かれる前に二人を現実世界に引き戻す、文字通りの命綱(ライフライン)

 だがそれは本当に最後の手段だった。全ての成果を捨てる事と引き換えに、命だけを守る選択。

 まるで敵であるように赤い糸を睨み付けた後、コネットは次の障壁へと進む事無く、ただただ黒い平面としか描写されない地面に手を突いた。

 

「ここからが本番よ。準備はいい?」

「オーキィドーキィ。侵入孔蓋(マンホール)、セットアップ。何時でもどうぞー」

「OK。第三層、降下開始」

「ヨーソロー! 地獄の釜の蓋が開くぜぇ!」

 

 コネットの手から青白い光によって星樹印が地面に描かれる。次の瞬間、孔が空いた。空洞を満たすのは、黒よりもなお黒い闇。

 目を細め、漆黒に身を投じるように跳び込むコネット。

 ほんの僅かに、その口元が吊り上がって笑みを浮かべた。

 

「――馬鹿ね。地獄の門はまだまだ先よ」

 

 完全な無明は内部時間を引き延ばす。永遠のような一瞬を経て、階層間の度は終わる。虫食い穴(バグホール)銃身(バレル)へと変わり、コネットを弾丸のように加速させて射出した。

 黒い闇から飛び出した先に待っていたのは白い闇。瞼の裏に映る光輪のように光る濃霧――あるいは雲海の中に放り出されたコネットは上下感覚を失い、しばし射出/落下速度に身を任せた。

 

「おいコネット? 空間識失調(バーティゴ)かぁ、しっかりしろよぉ!」

「んなワケないでしょ、っと」

 

 カティアの警告に言い返すと、コネットは自由落下から空中で反転し、速度を殺して停止する。

 

「基本何かにぶつかる場所じゃないんだし、しばらくは勢いに任せた方が早いのよ」

「ですよねーって言いたいとこだけど、あんま長居はできねーからさー。侵入孔蓋が持つのはざっと5000フレーム、それ以上かけると警備用人工精霊(バーゲスト)廃棄精霊(ランゴリアーズ)に見つかる可能性大だ。ささっと(ブツ)を見つけてずらかろーぜ」

「それも分かってる。どうせ距離なんて大して意味もないんだもの。これがあるなら楽勝よ」

 

 そう言ってコネットが手を握って開く。手品のように掌の上に現れたのは白い球体。球体は一点から白く細い光を放ち、靄の中の一点に向かって突き刺した。球体――死せる企業魔術師のIDタグは逆巻くアリアドネの誘導索(ガイドケーブル)となって、自らの信号を含む記録情報の流れ(ストリーム)へ導く進路を指し示す

 無論実際にIDタグがこの場所にあるわけではない。事前に専用のカプセルに入れたIDタグをコネットのティアラに接続しておいただけだ。

 コネット達は糸を巻き取るように進んでいく。情報の雲を掻き分ける度に、未消化のエネルギーがアバターに吸収されて記憶の断片としてコネットの内部で再生された。圧縮の影響で一つ一つの魔煌の粒が幾つもの記憶で意味を持たされ、脈絡が無い。

 夕焼けの空の赤紫と蛍の宮殿のような3区工場(プラント)群の夜景が同時に脳裏に浮かび、イオンで焼けた空気と暖かいスープの湯気、ミルクと赤錆の臭いが混じり合い、訴えるような歌声の欠片と絶望に震える悲鳴、優越感を隠しもしない無数の囁き声が継ぎ目無くグラデーションを描く。

 

 何の手掛かりも無くこの空間から物語――意味を成立させた情報を見つける事は、広大な砂漠から目当ての砂一粒を拾い上げるに等しい。故に虚海(アカサ)は愚者にとっての迷宮なのであり、学会の支配下でありながら比較的容易く不届き者の侵入を許す所以(ゆえん)でもある。

 

 光雲(こううん)の中を進み始めていくらもせずに、カティアが通信を開く。

 元々二人はずっと直結した回線を通して会話しており、他人に漏れ聞こえる心配はない。にも関わらず、カティアの声は何気なさを装っていた。おふざけかどうか判断はつかなかったが、コネットも大人しく付き合うことにする。

 実際、付き合った甲斐はあった。

 

「後方、反応無し……けど、いるぜ』

「上層から?」

 

 矛盾した報告。だがコネットはあっさりと信じた。正確には、信じることにした。

 その方が負けにくいと感じたために。

 

「いや、孔は増えてない」

「反応フレームは? 大体でいい」

「勘だが、おそらく18」

「待ち伏せね。偶然にしちゃ早過ぎる、けど人工精霊にしては遅すぎる。おおよそ検索経路(サーチルート)を見張ってたんでしょうね」

「この第三層でドンパチする気か? 学会の庭だってのに良い度胸だなぁ」

「企業の子飼いだから、色々福利厚生がしっかりしてるんじゃない? それこそ第四都市(ケセド)の蘇生用クローン完備とか」

「はっ、うっらやましいねぇ!」

 

 第四都市で予めクローン体を培養しておくと、《黄泉がえり》の術式行使時に時間経過によるペナルティを無視する事ができる。理論上、ほぼ確実に蘇生する事が可能だ。貴重なコネと目の飛び出るような金額を代償(コスト)として支払える事が前提にはなるが。

 コネットは0.1フレームの熟慮の後、迎撃を決めた。カティアに対して用意していた術式の一つと共に方針を送信。

 

対潜行者戦闘手続(カウンターダイバーシークエンス)準備(レディ)。カティア、魔力容量(スロット)借りるわよ。で、合図と同時にこれ起動して」

「OK。迷彩はどうする?」

「それも頼むわ。そしたらこっちは回避運動に集中できるし」

「了解。ご武運を(アインソフアウル・ユー)

 

 カティアの激励には答えず、コネットは盛大に脳内の舵を切った。

 

 

 

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