デッドリードライバーズ~マーベリックはもういない~   作:椚右近

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ディーパー・ザン・ザ・ナイト……アウトリュコス、無能者

「そこでストップだ。ビュティ」

「ジェット!?」

 

 首だけでビュティが振り向けば、そこにはもう見慣れてしまったフライトジャケットの姿がある。線条は黒色で、もう十分に日が昇った明るさの元でなら、どうにかジェットの袖口まで先端を辿ることが出来た。

 散々に罵ってやるつもりが、ビュティの口から出たのは懇願だった。

 

「解いて……ねぇ、放してよ、ねぇ!」

「散々立体ショートカットしてギリギリとは、すげぇよアンタ。その足一本でも自由人として食える。オレが保証するよ」

「なによそんな、そんな、今更――何の意味もないわよ! アンタも! 私も!」

 

 まるで慰めるような言葉に、諦めと無力感に占められつつあった心から、逆になけなしの怒りが噴き出した。

 対して体が強い力で引っ張られた瞬間、ビュティは反射的に目を閉じ、歯を食いしばった。

 だが恐る恐る目を開けた時、彼女は自由になっていた。覚悟した痛みもない。

 ただ目の前にジェットの背中があった。立ち位置だけが入れ替わった形だ。

 

「まぁ落ち着け。カティアの部屋に戻れとは言わない。ただ、先行するのはオレだ。アンタは少し離れてついてこい。装備無しのアンタじゃ入った瞬間にブービートラップで即死するオチも有り得るからな」

 

 そう言って、答えも待たずにジェットは歩き出す。

 

「何にしろ、今アンタの部屋の中は無人だ。それだけははっきりしてる」

「……目印だけ、中には入らないって言ったわよね」

「ああ、だがオレの目と耳と鼻は優秀でね。特に変わった動きをしてると、壁越しでもすぐ分かる」

 

 ビュティの先に立って、ジェットは見た目には無造作に部屋の周囲をチェックし、やがて慎重にドアを開いた。自分が鍵を一度も渡していない事にビュティが気付いた時には、すでにジェットの姿は部屋の中に消えている。

 

「ちょ、なんで――」

「こりゃあ、すげぇな」

 

 慌てて追いかけたビュティが部屋に入ると、ジェットは照明を付けた部屋の真ん中に立って、何かを目を細めて眺めていた。

 見つめていたのは壁。ただ普通の1LDKを何処か別次元のものに変える異常な気配の元。無数に貼り付けられたのは無数の紙。恐らく印刷用紙の類いである安価な白紙の上に描かれているのは何かの設計図、ポップなグラフティ、写真と見紛うような精緻なスケッチ、そして都市(ティファレト)の何処かと思しき地図。

 写真も数点混じってはいたが、その殆どは絵か図面――人の手、それも極めて優れた技巧で書かれたものが殆どだった。

 だが異常な気配の原因は、絵図の上から白いスプレー塗料のようなもので無造作に書き殴られたメッセージ。

 

no where(どこにもない)"

 

 ジェットが視線を振ると、反対側の壁に押しつけられた小さなテーブルの上に乗ったレトルトシチューの皿があった。中身は半分ほど残っており、冷めきってはいるがまだ痛んではいない。

 まるで食事中の誰かが、突然煙のように消えてしまったような痕跡。

 不意に玄関の側が騒がしくなった。飛び込んできたのはコネットを戦闘にした何時もの顔ぶれ。

 

「――ジェット!」

「おう、思ったより早かったな」

「アンタ話の途中で、って……」

 

 食ってかかろうとしたコネットが、壁を見て口をつぐむ。視線は絵よりも先にメッセージを捉えていた。

 

「……これは、【アウトリュコス】?」

「だな。連中には以前の仕事(ビズ)でクランの事もある程度知られてる。にしても、あちらの黒幕は随分と育ちがいいようだ」

 

 コネットの言葉に、ジェットが頷く。

 アウトリュコスは聖域都市成立以前から存在する秘密結社である。法外な対価と引き換えに暗殺、誘拐、密偵などの裏仕事をこなす、一説にはマルクト史上最初のプロ犯罪組織。その技術と実績は裏社会でも最高位の信用を得ており、依頼の失敗には対価の倍額で報いるという噂までまことしやかに語られるほどだ。

 だが彼等に依頼する経路を持つ人間は極めて限られている。アウトリュコスの顧客となり得るのはもっぱら極めて高い社会的地位を持つ人間――学会や聖樹教会の中でも上層部に限られるとされている。

 

 不意にどさりと入口側で物音がした。全員が振り向くと、天井の排気口から落ちてきたと思しき何かが床に蹲っている。

 

「「「ひっ!?」」」

 

 複数名の女性の悲鳴。それは見慣れていても、不意を突かれると飛び下がってしまう相手だ。

 暗灰色の鼠。それも大きい。一般に溝鼠(ラット)と呼ばれる類いは二十日鼠(マウス)よりもかなり大きいが、目の前の鼠は平均的な猫のサイズに近い。

 加えて鼠は手負いだった。片目が潰れ、左肩から腰の辺りにかけて切り傷と思しき赤い線が走っている。

 何より不気味なのは、その赤い線を塞ぐように、深紅の細かい棘のようなものがびっしりと生えている事だった。

 

「ちょ、何このネズミ、まさか魔獣(メタビースト)!?」

「……全く、無理しやがって。交代が来たんだからそいつに任せて、ゆっくり寝てりゃよかったんだよ」

 

 生理的な嫌悪を抑えきれないビュティを無視して、ジェットが鼠に近づき、その傍らにしゃがみ込む。鼠はまるで飼い主にそうするように、ふらつきながらも足元にすりより、ブーツの上に頭を乗せた。

 ジェットはその頭を、限りなく優しく撫でた。

 

「これがオレの情報ネットワーク――クランの正体だ。都市の地下に住む溝鼠のグループに、オレのMa-GEARの子霊(コダマ)を埋め込む事で意志と感覚を部分的に共有している。といっても鼠達の見ているものが見えたりはしないし、自殺に等しい命令を出せる訳でも無い。だが一つの群れでも都市の地下全体をカバー出来る程度の数がいるし、嗅覚と聴覚が鋭いおかげで人捜しや見張りには頼りっぱなしだよ。<溝鼠の王(ラットキング)>って渾名は、ちょっと過大評価だな」

「なんか、私の記憶にある溝鼠よりも大きい気がするんだけど……」

「鼠は生きている限り成長するんだ。オレのMa-GEARは微量だが身体能力も強化する。その分長生きするから、クランに属する鼠は大型化する傾向にあるのさ。鼠達がオレの言うことをある程度聞いてくれるのも、クランに属する事がこいつらの生存にとってプラスになることを本能的に理解してるからなんだろうな」

 

 やがて鼠は自分を撫でる手を小さな手で捕まえると、その掌に頭を乗せて、全身の力を抜いた。背中の棘が消えて、代わりに潰れた目から涙のように赤い血が流れ、ジェットの掌を満たしていく。相当な量が流れたにも関わらず、血は浅い掌の上から零れることはなく、まるで砂漠に降った雨のように消えてしまう。

 動かなくなった鼠に視線を落としたままのジェットに代わり、カティアがビュティに向き合った。

 

「多分メールが来たんでしょ。見せてもらってもいい?」

 

 ビュティはわずかな逡巡(しゅんじゅん)の後、M-Phoneを差し出した。受け取ったカティの後ろから、ギルスティンとコネットも画面を覗き込む。

 

「……妹のアドレスから。だけど、内容は別人よ」

 

 その言葉で、この家にかっては居て、今はいない人物の正体が明らかになった。

 メールの文面に目を走らせたカティアとコネットの表情が苦虫を噛みつぶしたものになり、ギルスティンの両目が等号(イコール)に置き換わる。

 

『――拝啓、ビュティ=モンデッタ殿

 貴方が不在だったので心苦しくも妹君だけをパーティーにご招待した。貴方も後からの参加を希望するなら執筆中の記事を今すぐ置いて、関連書類の一切とでしゃばりな下請け屋(サブコン)を携え下記の住所まで来られたし。

 ご来訪をお待ち申し上げる。遅参を気にかける必要は無いないが、あまり仕事にかまけてお茶が冷めてしまうと、お出し出来るのはワインの赤しかなくなってしまう。できるだけお早めの到着をお薦めする。

 ――貴方の親愛なる友人 ニムゴ=グラードより』

 

「……なんていうかこう、ウザっ!」

 

 読み切ったところで、コネットが詰めていた息を吐き出すように感想を口にした。

 カティアも異論無しというように頷く。

 

「上品ぶってる割りに品の無い文章ね。ビュティ、ニムゴ=グラードって誰?」

「分からない。ビーテールのお偉いさんなのは間違いないと思うけど……」

「ニムゴって名前は知らないけど、グラード家は聞いたことあるわね。結構古参の魔術師一族だったはずだけど」

「……ホント、コネットって魔術が絡むと物知りになるよね」

 

 皮肉を言われた事にも気付かないコネットは、代わりにずっと言いたかった事を思い出した。そしてそれを未だ鼠を手に支えていたジェットへと無遠慮にぶつける。

 

「それよりジェット。アンタ、ビュティに妹がいるって知ってて黙ってたわけ?」

 

 その言葉にようやく、ジェットは鼠をそっと床に横たえて立ち上がった。

 

「依頼人のプライバシーだ。当人が知らせない事を契約に含めた以上、サブコンが口を出す領分じゃない」

「だからってさぁ!」

「コネット!」

 

 なおも言いつのるコネットを制止したのはビュティだった。

 その両手は握りしめられ、両目は強く閉ざされている。

 

「聞かれたって言えないわよ……あなた達にだって、言えるはずないじゃない」

 

 そしてビュティは血を吐くように告白する。

 

「あの子は、【無能者(エンプティ)】なのよ!」

 

 部屋の中の空気が、奇妙に歪みながら凍り付いた。

 コネットは完全に硬直していたが、ギルスティンとカティアは薄々気付いていたが故に、視線を天井か床に逸らすに留まった。

 ジェットは――何も変わらない。

 

 無能者(エンプティ)とは、体質の問題で生まれながらに体内に魔煌を蓄積できない人々を指す言葉である。彼等は当然体内の魔煌を魔術として出力する魔術師(メイジ)になることは出来ず、それどころか魔力容量を必要とするMa-GEARも一切使用できない。

 故に、魔貨(マジカ)を介した聖域の住民税、すなわち魔煌税を自力で支払う事もできない。労働を介して他人から魔貨を得る方法はあるが、Ma-GEARを使用できない無能者が聖域内でまともな仕事にありつく事は非常に困難だ。

 故に無能者の多くは8区の闇に紛れて、不法滞在者として生きている。極めて基本的かつ過酷な肉体労働や、非合法な行為に身をやつしながら。

 結果として当然のことながら、無能者の生存率は低い。それでも聖域都市の中に居られればまだマシだ。魔煌汚染に抵抗する術のない無能者にとって、野外での生存はもはや不可能の域にある。そして不法滞在者として捕縛された無能者の処遇は基本的に都市からの強制退去……即ち追放である。

 一応、無能者の中には失った魔力の代わりに身体能力や芸術的感覚、記憶力などが極めて高度に発達する例も存在する。壁に飾られた無数の絵を見る限り、ビュティの妹もまたそんな一人である可能性があった。

 ただし、その才能を生かす機会を得られる無能者は殆どいない。彼等の才能の多くは魔術を使えないデメリットを上回るものではないからだ。

 コネットは平然と佇むジェットへ、責めるような視線を向けた。

 

「……ジェット」

「そこにも残ってるが、ビュティが居なくなってからもこの部屋でずっと誰かが保存食を食べて生活してるのは分かっていた。汎用製造機(パンメイカー)があるのにだ。8区で態々金のかかる食い物を食い続けているなら、そういうことだろ」

 

 ジェットはにべも無く淡々と答えた。。

 ティファレトを含む聖域都市は全て魔煌線(レイライン)の上に存在しており、都市の中にいればその恩恵に浴することが出来る。M-Phoneを初めとする日常的なMa-GEARを魔力容量(スロット)無しで利用できるのもその一つだ。体内の魔力の代わりに魔煌線から都市内に供給される魔煌がエネルギー源を代替してくれる。

 ただしこれは比較的簡易なMa-GEARに限られた話で、より高機能なものとなると魔力容量が必要になる。

 該当するのは戦闘用Ma-GEARや乗り物(ヴィークル)の類い、霊脳空間に接続するためのサイデッキ、そして家庭用から工業用まで様々な種類が存在する汎用製造機などがある。汎用製造機は〈創造の門〉に連なる《物質生成》、《加工》、《食料生成》などの術式が刻印されたMa-GEARである。トイレットペーパーや石鹸のような日用消耗品の他、贅沢を言わなければ困らない程度の食料や飲料水の出力も可能だ。

 家庭用の汎用製造機の多くは平均的な住居に最初から備え付けられている。つまるところ聖域都市は、ただ生存するだけならば生活費自体はほぼ必要ないという点では、人類史で長く夢見られていた理想郷の条件を備えていると言えなくもない。

 ただし、それ故に都市を維持する目的で徴収される魔煌税が存在する。

 そして無能者は、聖域都市にとっては生まれながらインフラにタダ乗り(フリーライド)することが確定した、厄介者である。

 

「ティファレトは、聖域都市は無能者には何もしてくれない。妹一人じゃ街の中を歩くことだって危ないの。行方不明になったって、保安局だって捜してくれない、取り合ってさえくれない……!」

 

 保安局の対応は確かにビュティの言うとおりで間違いない。

 一応、無能者はその体質故に魔術的感知に反応しないため捜索しにくいという技術的問題もある。だがそんなものは建て前であることは公然の秘密どころか、不文律の域にあった。

 無能者は都市に何も支払えない者として扱われる。故に、聖域都市はその設計上から無能者を住民として想定していない。

 結局のところ無能者は聖域都市にとって“存在しない人間”なのだ。

 ビュティの言葉は、堰を切ったように止まらない。

 否、実際に決壊したのだ。後は溜め込んできたものを吐き出しきるしかない。

 

「あの子の分の魔煌税を払わずに済めば、あの子がいなければ、私一人だったら。フォーギアレースで好きにくたばるまで荒稼ぎするも良し、小さくてももっと綺麗で安全な6区のアパートに移る事だって夢じゃない。そういうこと、考えた事が無いとは言わない……それでも、それでもあの子は私のたった一人の妹で、今はもうたった一人の家族なのよ」

 

 8区が貧民街になるのは、もう一つ切実な理由がある。

 聖域都市内では住所によっても魔煌税の金額に差が出る。いわゆる住民税だ。都市の中でも最も住居に関する税金の安い――実質ほぼ無料になるのが8区である。都市は税の滞納に対して決して甘い顔をしないが、かと言って安い労働力の一切を不要とするほど高潔でも夢見がちでもない。

 抱え込んだものを吐き出しきったビュティの顔は、憑き物の落ちたような解放感を浮かべつつ、同時に酷く疲れたようにやつれて見えた。

 一般的に、無能者とその家族が最も恐れるのは密告だ。

 無能者は魔術的検知を免れやすいが、魔煌税を免除されるわけではない。故に滞納や未納が疑われやすく、そして実際に納付漏れが見つかれば不法滞在者として強制退去である。それも未納分を支払いきれなければ、家族ごとだ。安全を考えれば、周囲には無能者の存在を明かさないのは自然とも言える。

 だが世間に対して家族をまるで存在しないように扱うことのストレスは、その立場に立ってみなければ想像することすら難しい。そのまるで鉄の首輪を付けられたような窒息感に、ビュティはずっと耐えてきたのだ。

 だからこそ、その自戒を破る事にも相応の負荷と消耗がある。

 ビュティは投げやりに手にしていた端末を放り投げた。なんなく受け取りながらも、わずかに目を見開くジェット。

 

「記事に使った全部の資料と、認証用のパスコードも入れておいた。カティアの部屋の端末からなら、記事は今度こそちゃんと届くはず」

「なぜ、これをオレに渡す?」

 

 ジェットの淡々とした質問に対して、ビュティは泣き笑いのような表情を浮かべて言った。

 

「お願い、私が死んだ後でいい。どうか記事をトリビューンから公表して。都合の悪い事実を隠して、無を真実にしてはいけないの。相手が企業でも、魔術師であっても。……正しい報道は、公正と平等のためにあるのよ」

 

 その目から実際に涙の粒がこぼれ落ちるまで、次の言葉を待つ必要はなかった。

 

「でも私にはあの子を見捨てる事はできない。例え引き換えに世界が滅ぶと言われても、それだけは絶対にできない。何も出来なくても、せめて一緒に地獄に落ちることくらいはしてあげられる」

 

 

 

「……馬っ鹿じゃねーの」

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