デッドリードライバーズ~マーベリックはもういない~ 作:椚右近
ある意味で、その光景は路上の聴衆には見慣れたものになっている。
スクリーンに映し出されるのは青黒い夜の空を背景にした、高層ビルの頂上に組まれた
空に浮かぶのは小さな白い月――本物ではない。高度2500に達する聖域都市の結界をさらに飛び越して10の
人類最後の砦が身に纏う世界最強の魔術結界が、月と見紛う燐光を放って夜空を青くにじませる。
新譜の度に入れ替わる生身も人工も問わぬバンドメンバーを背にして、黒いワンピースドレスの少女が一人、舞台の矢面に立つ。
構造色の暗い虹色を湛える黒髪、背中に小さな飾り物の黒い羽根。トレードマークの紫色のヘッドレストすら、幼さを強調こそすれ隠しはしない。
目の前にはクラシックとすら言える飾り気のない軽金属のマイクスタンド。
白く愛らしい指が絡みつく瞬間は、どこか背徳的ですらある。
だからこそ、冒頭のハイトーンが聞く者全ての背筋を凍らせる。
“ああぁぁーーーーーーーーーーぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!”
千回でも。万回でも。一瞬前のぬるくて下卑た欲望の一切を、
粉砕された幸福な被害者達は錯覚する。
あるいは、幻聴する。
遙かなる空の高みから真っ逆さまに落ちていくとき、耳を打つ風はこんな音がするのだろうかと。
あるいは、それすらまだこの歌声よりは優しいのではないかと。
“――――――――――――悪魔よ、この手に止まれ”
可憐な十代の容貌から放たれる大質量の音声。その圧、もはや暴力的。
流派:【
無加工無添加の歌姫リナ=セツナの最新ナンバー、『デーモンスリンガー』。
その歌は三ヶ月前のリリース以来、一度足りとて週の再生数トップの座を譲り渡したことはない。
まさに不動の王座に足を組み、少女は傲然と
誰もが画面を見上げたまま凍り付いている中、あの四人組も例外ではなかった。
だがそれでも周りよりは少しだけ早く金縛りから脱して、半ば手癖のようになった感想を口にする。
「うわー……」
「MVだって分かってるのに毎度ゾクっとするな」
「生歌はもっとヤバいらしいっスよ。比喩でなく失神者が出るだとか」
気を失うのは感動からなのか。それとも恐怖によるものなのか。
事実、カティアは自分を抱き締めるように二の腕をさすっている。
一番最後に我に返ったコネットはと言えば、わざとらしくフレーバーティーを一口すすった後、腕を組んだ上で感想を口にした。
「ふん。ま、確かにいい声よね。
「歌を褒めるのに呪って言葉が出てくるのはどうなんだよ」
「何言ってんのよ。魔術の原初は
「ぬーん、そういうもんか……?」
「魔術絡めて喋る時だけは頭良さそうに見えるよな、コネットは」
丸め込まれかけて首を傾げるジェットをフォローして、ギルスティンが混ぜ返す。
あっけなく引っかかったコネットは腰に手を当てて、片目を細めた面相で巨漢を下から
「あーん? どういう意味だぁそれは。喧嘩売ってんのかぁ?」
「普段がそれだから頭悪そうって言われるの、自覚した方がいいんじゃない?」
宥めるというより水を差すカティアの言葉も、すっかり熟れた熟練の呼吸である。
――なお、コネットの言葉は正確ではない。
魔術の始まりは
のたまう神がいるのなら、この
誰もが口にせずに、胸の奥、あるいは腹の中で共有する言葉。
致し方のないことであった。
信仰を未だ抱く健気な者達ですら、求めるのは神の言葉の前に、神そのもの――すなわち失楽園によって失われた
************
ゴールテープを切った。
そのはずだった女性は、しかし大通りに出たその場で足を止めてしまう。
まさに跳び込んだ先の強い光に当てられ、怯んだように。
オルフェストリートでは、丁度『デーモンスリンガー』のMVが終わったばかりだった。
路上の群衆、その殆ど全てが足を止めてモニターを見上げ、足を止めている。
まるで乱立する鍾乳石の柱のように。ボーリングのピンだと思うには、女性の体格は平凡過ぎた。
「退いて!」
それでも我に返るや否や、人混みを掻き分けるように押し通る。
跳び込む度に、夢から覚めた人々が様々な顔で女性を見返してきた。
驚き。困惑。嫌悪。
およそ気に止めるタイミングではない。にも関わらず、女性は彼等を表情ごと押し返す度に胸に鈍い痛みを感じた。
同じ場所に立っているのに、まるで違う世界に住んでいるような隔絶。
これまで緩まず止まらなかった足が、明確に遅く、鈍くなる。
その背中により暴力的な喧騒が迫ってくる。ギャング達にとっては、群衆は石の柱よりは不安定なピンに近かった。それも腕力が必要なのは最初だけ。後は強面を振り回すだけで蹴散らすより早く人の波が割れていく。
これまで一向に縮まらなかった両者の距離が、瞬く間に詰まっていく。
だから焦燥にかられた女性が四人組の真ん中に突っ込んだのも、それ自体を責めるのは酷というものだった。
「ごめん!」「ちょっ」
他の三人は軽い驚きを見せつつも、すんでのところで身をかわす事に成功。
ただ一人、コネットだけ反応が遅れた。
女性の肩が掠めたせいで使い捨てカップを取り落としかけて、一瞬空いた掌が宙を掻く。それでもどうにか掴み直し、安堵と同時に美声が悪態の形を取った。
「あぶねっ、何処見てんの――」「どけっ」
そこにすかさず乱入する、女性よりも遙かに遠慮無く肩をぶつけていくギャング達。
今度こそ手から零れて容赦なくアスファルトにぶちまけられるフレーバーティー。
「ああああああああああ」
コネットの罵声の後半が形を失い、ただの歎きへと霧散していく。
「あーあ、勿体ない」
「ったく、粋じゃねぇ野郎共だな」
コネットの惨状を若干気の毒そうに、ほぼ他人事として見やる仲間達。カティアは運良く手元に残ったクレープの残りを逃がすまいとばかりに一息に口に放り込み、ギルスティンは再び路地裏へと消えていった狼藉者達を舌打ち混じりに視線で追った。
「……」
「あっちゃー……服は大丈夫か、コネット?」
路面を汚すただのシミと化したフレーバーティーを見詰めたままコネットが動かず、流石に同情しつつあったジェットが気遣う声をかける。
「……ろす」
だが返ってきたのは、酷く温度のない無機質な呟き。
「なに?」
「ぶっ殺す!」
氷点下。否、絶対零度の宣言。
彼女を知る者からすれば、まるで比喩には聞こえなかった。
普通は、食べ物の恨みもここまで怖いものではない。
だがギャング達は運が悪かった。
彼らが怒らせたのは、聖域都市の中でも最大人口を誇る第六聖域都市ティファレトにおいてさえ、屈指の危険人物だったのだから。
************
凍れる人波を避けるために、女性は再び間近の曲がり角から路地裏へと逃れた。
だが選択としては、悪手。誤射の心配が無くなったギャングが、今度こそ躊躇無く懐から拳銃を抜き放つ。
足元の路面をえぐり取った銃弾に、女性の足が本能的に止まった。
ようやく足を緩める事が出来たギャング二人は、ソリッドマグナムを向けたまま女性へと近づいていく。いらだたしげな表情を剥き出しにして。
「クソアマが。散々手間かけさせやがって」
「一秒でも長く息をしたいなら大人しく――」
その言葉の終わらない内に、女性が駆け出す。咄嗟の不意を打つ事を狙っての最後の賭け。
だが悲しいかな、もうその背中は銃弾を外す距離では無かった。
「馬鹿が――」
唾を吐き捨てるように、ギャングの指先がトリガーを絞る。
放たれた銃弾は女性の背中に吸い込まれる――前に、火花と共にあらぬ方向に跳ね返った。
足場など何もないはずの空中から降ってきた男の掲げた、鉄パイプ――にしか見えない金属棒の表面で。
突然現れた闖入者の気配に、女性が振り返る。緑色の目が驚きで大きく見開かれていた。
「おー、あっぶねー……最悪
ジェット=ナイアルの呟きは、状況に対しては暢気過ぎて、正直過ぎた。
「さて旦那方。裏通りとはいえ6区の中でぶっ放すとはいただけねぇなぁ。
まるで銃口が見えてないような緊張感のない顔つきで、ここ禁煙ですよとでも告げるようなノリのまま、ジェットは女性とギャングの間に立ちはだかる。
正中線に重ねて剣のように縦に構えていた鉄パイプを、片手に持ち替えて手首のスナップと指先だけで高速回転。器械体操のバトンのような扱い――緊張感がなさ過ぎて、まったく威圧感がない。
ギャングの顔に浮かぶ苛立ちが、何段かすっ飛ばして高まる。グラスの奥で目がすわった。
「ガキが……コナかけるには首突っ込む相手を間違えたな」
「はっはっは。その言葉、そっくりそのまま返したげるよ」
「あぁ?」
可愛らしい、カナリアのような黄色い声。
振り返ったギャングが躊躇無く銃を突きつけるその先には、しかしレザースーツの巨漢。反射的に引き金に力がこもり、銃口から飛び出した弾丸は透明な薄片を叩き割った後、盾として構えた銀の右腕に弾かれ、止まる。
次弾を撃つより早く、ギャングの手の中の拳銃が黄色い
「はぁ!?」
どう見てもバナナにしか見えないそれの引き金を引けずに呆然とするギャングは、次の瞬間仰け反りもんどりうって背中から倒れ込んだ。
意識途絶。
同時に手から零れたバナナが元の拳銃の姿を取り戻す。
化かしたのはカティア、撃ったのは青緑の髪の女――コネット。親指を立てて人差し指を伸ばし残りを握った拳銃のジェスチャーで、残った一人を指し示す。コネットのビビッドなネオンじみた服装を目にしてギャングは一瞬麻痺したように固まった後、殆ど悲鳴のような声で叫んだ。
それはギャングに出来た、せめてもの必死の抵抗だったのだろう。
「テメェ、まさかそのふざけた
「黙れ
指先に灯る光――爪に仕込まれた
〈理力の門〉第二階梯、《
ギャングの手元で空気が歪んで発光、疾走。構えた銃が光弾に衝突した途端、プレス機にかけられたように潰れて握った手を巻き込みながら圧壊、小爆発。
飛び散った血液が数滴女の顔に跳ね返る。
一瞬遅れて盛大な悲鳴。金属と血肉の合い挽きハンバーグとした手を膝に挟み込んで泣き叫ぶギャングに対して、コネットは容赦の無い追撃の魔弾を顔面に叩き込んで黙らせる。
ぺたり、と女性がへたり込んだ。窮地から脱したにも関わらず、その顔は目の前で起きた惨状に恐怖すら通り越して放心していた。
そこへ悠然と近づく、原色の塊のような女魔術師。
「――で?」
血の滴を拭おうともせずに、コネットは女性を見下ろして凄惨に笑った。
「私のお茶を弁償してくれる奴は、どいつなんだい?」