デッドリードライバーズ~マーベリックはもういない~ 作:椚右近
黒い
放物線を描いたそれを難なくキャッチして、ジェットは自らのM-Phoneに挿入する。専用のマイクロカード。中に詰まっているデータは、ビュティが記事と格闘している間にカティアが集めた、依頼人――ビュティ本人のプロフィール。
見る限り、彼女の身分と経歴に嘘はないようだった。ただ、いくつか話していない事があるだけ。それも特に非合法的なものではない。むしろ個人的ながら信じがたい偉業すら含まれている。
無論、書かれている内容が全てであれば、だが。
真顔で画面をスライドさせるジェットと後から長身を生かして覗き込むギルスティンをつまらなそうに見た後、チップを投げた張本人であるコネットは頭の後で腕を組み、不平を吐き出した。
「ちぇっ、カティアったら家主権限使いやがって。一人だけ引きこもってずるいったらないわね!」
「カティアには他にも仕事を頼んである。一体誰がフォルミカを捕獲して、ビーテール社に売ったかを洗わにゃならん」
視線を画面に落としたまま、ジェットはカティアの名誉のためにコネットを諫める。
辺りに三人の他に人影はいない。ただ時折、壁が小刻みに振動して音を立てるのみ。
ここは都市の地下に張り巡らされた交通網――【メトロ】の線路の一つである。
ただし現在は普段使いされていない。回送路線――整備待機用のピットへと転用された、古い線路である。奥に行くほど現役の路線から離れることで静けさは増していく。
「普通の
「自分も住んでる集合住宅に放火するようなもんだ。バレたら社会的にじゃなく文字通り消される……が、絶対にいないとも言い切れないのが頭の痛い話だな」
ジェット達が向かっているのは長らく使われていなかった鉄道局の倉庫であり、ビュティが密輸品と直接対面した場所だ。本来はとっくに移送されているはずだが、今の状況からすると動かせていない可能性が上がっていた。もしもまだフォルミカが残されているなら、保安局に通報して到着するまで見張るだけで仕事は終わる。物が物だけに、流石に見逃される事は無い。ビュティの安全と報酬はこの時点で確定するはずだ。
だからこそ油断はしていない、はずだった。
にも関わらず、いやだからこそ、ジェットの表情が急激に曇る。
「ギルスティン、気をつけろ。様子がおかしい。様子を見に行ったクランのメンバーが現場に近付けない。複数の何かを恐れて、軽い恐慌状態だ」
「了解。警戒レベル上げます」
ギルスティンが頭部に触れると、両眼のアイコンに装飾が増える。アイコンそのものが光学を含む複数のセンサーとして機能していた。
だが
「ねぇちょっと、なんか焦げ臭くない? しかもいやに香ばしいというか……いやもうこれ臭いレベルなんだけど」
「……くそが、罰当たりやがれ! 10時方向、壁越しに熱源反応。連中、よりにもよって地下倉庫内に火をかけやがった!」
アイコンを赤く光らせたギルスティンが駆け出し、残る二人もそれに続く。百歩も行かぬ内に、左側の壁に埋め込んだように設けられた両開きの扉が現れる。火や煙は見えないが、確かに気温だけは上がっていた。
扉に近づこうとしたジェットの肩を掴んで、ギルスティンが止める。
「見た目よりも気密性の高い倉庫だ、内部の酸素は粗方食われてると思った方が良い。下手にドアを開けると爆発しますよ」
「くそ……温度が下がるのを待って出直すしかねぇか」
「何言ってんの、そんな悠長なマネやってらんないわよ」
ジェットの唸りを遮って、コネットが一歩前に出て壁に手を向け、囁くような声で何事かを唱え始める。
通常、魔術の行使に呪文の詠唱は必要ない。現代の魔術を起動するために必要な行為は、星樹印という回路に電気の代わりに魔力を走らせるだけなのだから。
もしも呪文という音声を必要とするのなら、それは回路への干渉のため。
複数の星樹印を並列展開・接続する事で複雑かつ大規模な術式を高速起動する。そのための複雑な工程を正確に実行するために、独自に紐付けした
いわば精神的な
呪文改変によってカスタムされた術式――
だがしかし、今は一つ状況にかなり重い誓約が乗っている。
燃えているのは、壁の向こうだ。
「コネット、お前壁越しに魔術を行使できるのか?」
「呪的な遮蔽がなければ《透視》で対象は取れるわ。後は〈凍結の門〉から射線の必要じゃない術式を選んで、ちょっといじってやるだけよ」
あっさりと答えて、コネットは再び術式構築に集中する。
指先を開いて伸ばした掌の前で光点が疾走する。空間に投射された星樹印を走る、可視化された魔力。初めは一つ、次に二つ。ついには三つ。高速で走り回る輝きはやがて目で数えられる限界を超えた。あるのはただ空中に枝葉――
暖まっていた空気が、ジェットにも体感できるレベルで急速に冷えていく。今は周辺よりも数度低くなっているだろう。密閉空間の外でこれである。室内はまるでブリザードが降臨したような有様のはずだった。
間もなく、コネットが展開していた星樹印を消した。
「OK、十分に温度は下がったと思う。消し炭のせいでまだいくらかは熱いかもしれないけど、火を吹くほどじゃないわ。ただしジェットは気をつけなさいよ。私とギルスティンは大丈夫だけど、不完全燃焼した空気を吸い込んだらひっくり返るから」
「サンキュー、とはいえ心配無用だ。オレの血もガスには酸素を奪われない。野外仕様ならぬ下水道仕様だからな」
「アンタもなんだかんだ大概ね、<ラットキング>」
「それでも念のため下がっててくださいよ、発生してるガスの種類は分からないんだ。強酸系だったらコネットでもやべぇだろ」
「おっと、それはそうね。よろしく
二人が十分な距離を取った後ギルスティンが格納されていた取っ手を引き出して、ゆっくりと扉を開く。直後に真っ白な湯気が噴き出しその巨体を飲み込んだ。室内で蒸発していた水が急速に冷やされて、細かい粒となって倉庫内に充満していたのだ。
「……有害レベルの物質は検出されず。入っても大丈夫そうです」
ギルスティンを先頭に踏み込んだ空間はちょっとしたパーティ会場程度の広さで、その全てが真っ黒に焼けて焦げていた。床には巨大な箱状だったであろう何かの残骸と、その中身と思しきねじくれたオブジェのような代物が転がっている。
倉庫内に入った直後、異臭がコネットとジェットの鼻を刺した。純粋な薬品の刺々しい悪臭ではない。もっと生物的な、脳の芯を揺らす臭い。
鼻をうごめかせて、ジェットが眉間に皺を寄せる。
「この臭い……どっかで嗅いだな。やけに懐かしい気がする」
「保護魔術のかかったコンテナごと燃やされます。〈灯火の門〉か〈陽光の門〉の魔術によるものか……」
「いえ、違うわね」
ギルスティンの分析に異を唱え、コネットが黒ずんだ床の上にしゃがみ込んだ。メタリックな手袋に包まれた指先が、床に残った煤のような残滓をつまみ上げ、揉みほぐした。煤はぱらぱらと繊維状の埃となって砕け落ちる。
コネットが立ち上がって手を払った。
「
「なるほど。道理で懐かしい臭いなはずだ」
ジェットの目が細められた。顔つきから少年の陽気さが影を潜め、急に十も二十も老け込んだように見える。
「カティアに頼んだ仕事が無駄になりそうで嫌になるぜ。繋がって欲しくない点ばかり繋がりやがる」
「兄貴」
呼びかけられた方にジェットが向くと、壁際に立ったギルスティンが壁の一点に右手の指を伸ばしていた。銀の指先が触れた瞬間に壁に青い電光が走り、ついで倉庫の一角が音も立てずにゆっくりと沈み込み始める。
本来の倉庫にはあるはずの無い機能。忘れてはならないのは、ジェット達が今いるのは既にメトロの地平、れっきとした地下である。
ここより深く潜るなら、在るのは極一部の特殊な施設の他は下水道区画のみだ。
そして下水道は、最終的に排水を都市の外――野外へと排出している。
ジェットは目を細めたまま、無表情に開いていく方形の穴を見つめていた。
「見たところ、ビュティの写真にあったコンテナに比べりゃ倉庫内の燃え滓の量が少な過ぎる。全ては運びきれないからって価値の低い一部のみを焼き捨てて囮にし、残りはここから別の場所に移したんでしょう。おそらくは、フォルミカも」
「本来はもっと時間が稼げるはずが、向こうの誤算はコネットの存在だったって訳だ。舐めてくれたもんだな……あいにくそっちはオレの地元だぜ。逃がしゃしねぇよ」
呟くジェットの足元を、幾つかの小さな黒い影が掠めていく。影は流れる水の滑らかさで床面を這うと、隠されていた搬入出口へと流れ落ちていった。
「先に行くぜ」
ジェットは先行するクランのメンバーを見送った後、ただ一言を残して自分もまた暗闇へと身を躍らせる。
その先を想像して、コネットが半ば反射的にうんざりとこぼした。
「……ねぇ、アタシはここで帰っちゃ駄目?」
「OKが出ると思ったか? ほれ、《気密保護》かける間だけ待ってやるから、とっとと準備しな」