デッドリードライバーズ~マーベリックはもういない~ 作:椚右近
隠し扉の先は、広かった。
引き延ばした擂り鉢のように幅広い階段状になった水路は、今は三分の一程度の深さまでしか水が流れていない。通路と干上がった分の水路を会わせると、車両二台を楽に並べられる程度の幅がある。
ジェットは無言で水路部分を走っていた。乾いた土や干からびた苔の類いを踏みながら、まるで危うげ無く滑るように進んでいく。何より足音がほとんどしなかった。
だが後続の二人に真似ができようはずもなく、ジェットをどうにか追いかけながら湿ったアスファルトに靴音を響かせる。水量が少ないとはいえ地下水道である。湿度は異常に高い。いかに汚泥も汚水も複数回の浄化処理を経ているとはいえ、ある程度の温度と豊富な水分を内包した閉所である。マスクも術式もなければ呼吸の回数を控えたくなる程度の悪臭はどうしても発生する。
しかしジェットの表情には苦痛の色はない。凄まじく状況に集中しているのは間違いない。にしても素顔を晒しているにしては、あまりにも平然としていた。早朝の街中を走るジョガーの方がよほど険しい顔をしている。
デスマスクのように静謐な顔面で、不意に唇だけが小さく動く。
「……まったく、いい加減にしやがれ」
ジェットの視線の先には、小さな灯りがあった。
酷く原始的な、オレンジ色の炎。
焚き火だった。下水道の只中で、何かが焼かれていた。倉庫の中に充満していたのとよく似た、生臭い異臭が下水道の空気を醜悪に染め直している。
燃えているのは野外でよく用いられる、生体由来の固形燃料。そこに金属製の串に刺された何かが並べて突き立てられている。
そして火を囲む人影が、三人分。照らし出された姿は、地上を歩けばそれだけで大騒ぎになるであろう異相。
背中が異常にふくらんだ灰色のフード付きコート、下半身は襤褸布のロングスカートに子供の履くようなゴム製のサンダル。
コートの下の上半身は裸。異常に白い肌のあちこちに不規則に埋め込まれた金属片――用途不明のMa-GEARインプラントはまるで古の魔除けのピアス。
中心線以外を剃り落としてトサカ状に逆立てた髪は樹脂で固められて揺れもしない。顔を覆うのは前方に長く飛び出すゴーグル付きのガスマスク――侵襲性の高い旧式のMa-GERA。吸気口のノズル先端から伸びたニードルの束を串焼きにした肉――恐らくは魔獣のものに突き刺して、肉汁をすすっている。
ジェットが走る速度を上げながら右手を開く。ストレージリングから取り出された愛用の鉄パイプが収まり、直後に仄かな青い光を宿らせる。
〈理力の門〉第三階梯、《理力伝導》。鉄パイプはただの鉄パイプではなく、その正体はれっきとしたMa-GEAR――『
音はしなかったはずだ。聞こえる後続二人の足音もまだ遠い。
だがマスクマン達は一斉にジェットを振り返り、ノータイムで動作。首筋に設けた静注用スロットに紫の蛍光を放つシリンダーを突き立てる――『ヴァイオレット』と呼ばれる独自の
あまりにも仕上がった反応に、しかしジェットは驚かなかった。
例え下っ端でも、この程度の勘が働かなければ
本業である
「散々野外で嗅いだせいで、すっかり鼻がてめぇらのばらまく火の臭いを憶えちまった。――やっぱりかよ、【レイダーズ】!」
ジェットの言葉に呼応するように響くのはガスマスクの下、喉に埋め込まれたスピーカーから一斉に放たれる
『ヒィィィィィィィィィィィハァァァァァァァァァァ!』
だがその生き方は人というよりも野獣に近い。彼等は文明から置き去りにされ、蛮族であった頃に回帰してしまっていた。
その名の通り、レイダーズは襲う。自分達以外を。時に自分達すらも。
彼等は星樹印以前の原始的な魔術を平気で頼り、意味も効果も考えず粗雑な施術でジャンクのようなMa-GEARをむやみやたらと埋め込む。当然のように大勢が負荷に耐えきれず、あっけなく死んでいく。
その結果、生命力の弱い個体を淘汰して、群れの平均スペックは高まり続ける。
レイダーズの群れ同士でも戦い、強い方が弱い方を吸収する。同じ野外に生きる人間でも、力なき
そんな乱暴かつ原始的な手段で野外生活を送る以上、総数で見れば減り続けているはずだ。だが連中はただでは減らない。より大勢を常に道連れにしようとする。
レイダーズとは滅びの恐怖に抗うために自らが恐怖と一体化することを選んだ、かって人だったものの成れの果て、その一例だった。
聖域都市が決して
だからこそ、ジェット達は目の前の怪物達に集中する事を即座に決断する。
今この瞬間を生き抜く事が、
暗い下水道が一瞬で真昼のような明るさに照らされた。
光源はレイダーズのマスクマン達が握る金属製の取っ手から放たれた、帯状に伸びる毒々しい黄褐色の炎。
取っ手はホースによってコートの背中の膨らみ――金属製のタンクと繋がっている。タンクに詰めた壊呪燃焼剤によって追放者の集落を守る防御結界を中の人間ごと焼き払い、野外労働者の使うMa-GEARを破壊し、魔獣や魔人の肉を炙り、仲間の遺体や生きたままの裏切り者を灰にして葬る。
故に彼等は、レイダーズの中にあっても独自の呼称を役割と共に与えられていた。
『
『スティィィィィィィィィァラァァァァァァァァァィズ!』
「おぅくそったれ、可燃物背負ったまま焚き火なんかすんじゃねぇよ
三方に散開しながら意味不明の咆吼と共に躊躇無く火をばらまくクリメイターに、遅れて到着したギルスティンがたまらず罵声を投げる。
接敵する直前にストレージリングから取り出したパワードスーツと大型シールドを瞬時に装備。右手の義手と合わせて火炎放射に立ち向かうが、中々近付けない。いかな重装甲の
なので突進する構えのまま常に立ち位置を変えて時間を稼ぐ。その間に仕留めにかかるのが
つまり、ジェットの役目となる。
ギルスティンの影から滑り込むように炎の交差をくぐり抜け、一番離れた場所に陣取っていたクリメイターの一人に躍りかかった。
「ぃいよっしゃあ!」
フォースパイプの一閃を肩口にまともに喰らったクリメイターの一人がもんどり打って倒れる。だがすぐさま起き上がると、膝立ちのまま取っ手の噴射口をジェットに向けた。《理力伝導》の乗った金属棒による一撃である。肩の骨が砕けていても不思議では無い。だがクリメイターの動きはまるで無傷であるかのようによどみなく俊敏だった。
事実、彼等は何の痛痒も感じていない――痛覚そのものが死んでいる。投与した戦闘薬がもたらす鎮痛効果と極度の興奮、そして寿命を削る事と引き換えに得られる高速治癒が、致命傷すらも無視してレイダーズの肉体を完全な死の直前まで酷使させる。
「もうちょっと自分を労りやがれ、いかれジャンキー共が!」
吐き捨てるジェットにむかって、猛然と黄色い炎の舌が迫る。
燃えあがる飛沫が届く寸前に、ジェットは身をかわした。
ただし左右ではなく、真上に。
鉄パイプから手を放した左腕を天井に差し上げる。次の瞬間手首の一部が小さく破れ、髪の毛のような細さの黒い
炎の影になった瞬間に標的を見失ったクリメイターに、昨日ギャングにしたように上から襲いかかるジェット。しかし今回の着地地点は相手の前方ではなく、直上である。
その手から唐竹割りに振り下ろされたパイプは、頭部の
ジェットの着地とに一瞬遅れて、トレードマークを失ったクリメイターがコンクリートの横倒しになって動かなくなる。ジェットは振り返って確かめる事もせず、二人相手に踏み止まるギルスティンの元へと跳んだ。
「ったく、しぶと過ぎ! いい加減にしろ!」
勿論、この状況でコネットが働いていない訳では無い。だが、相当に不自由を強いられている事も事実だった。
「兄貴が来るまで我慢しろコネット! キレて背中のタンクまで潰すんじゃねぇぞ、この距離で爆発されたら逃げ場がねぇ!」
「分かってるわよ!」
叫び返すコネットに、ギルスティンの封鎖の合間を縫って放射された炎の帯が迫る。
ジェットと違って身をかわすより先に届いた炎が、コネットの頭部を貫通。
そしてコネットは何事も無かったように炎から顔を引き抜きながら横に移動、指先に小さな星樹印を点灯させる。
その全身の輪郭が炎の照り返しを請けて点滅。火を被ったはずの顔は無傷だが、不定期にその透明度を上昇――背後のコンクリート壁が透けて見えた。
〈亜空の門〉第二階梯、《
自分の存在を亜空間に格納する事で物理判定を逃れる代表的な防御魔術。ただし完全に亜空間に移動してしまうと3次元座標を失い戻ってこれなくなるか、何処ともしれぬ場所に飛ばされてしまいかねない。故に部分的、瞬間的な転移を繰り返すしかない、見た目ほどは無敵でも万能でもない矢除けの加護。
「罰当たれ露出狂!」
お返しとばかりに放たれた《理力の矢》がクリメイターを吹き飛ばす。しかし移動した距離は数歩分、転倒すらせずに再び放射器を構えて突進してくる姿に、若干傷ついた顔でコネットがぼやいた。
「ああもう、こんな奴ら本当なら一撃だっつーのに!」
接近戦の打撃に比べれば遠中距離から《理力の矢》をピンポイントに当てる方が難しい。それも動く相手の頭部を正確に打ち抜くとなれば、コネットほどの技量があっても安定しない。加えてレイダーズ特有の無秩序に埋め込んだMa-GEARが魔術に干渉し、効果を軽減している。戦闘薬の効いている限り、燃料タンクを破砕しないでクリメイターだけを行動不能にするのは至難の業だろう。
「オラァ!」
だからこそ前衛の技が光る。
コネットに意識を取られていたクリメイターに向かって、ギルスティンが咆吼と共に横合いから
ここまで防御に徹していただけに、突然の攻勢に不意を突かれたクリメイターが放射器のノズルを反射的にギルスティンへと動かした。噴き出す黄褐色の炎が今度こそ的を捉える。
だが炎の奔流を割って、屈強な銀の腕が傲然と伸びた。
一瞬の耐熱耐呪を重装甲に頼み、ギルスティンが強引に炎を突破。慌てて身を躱す
ほとばしる鮮血。ゴーグルの下から剥き出しになる落ちくぼんだ眼窩、奥底の小さすぎる瞳、喉から引きずり出される細い
『ピィィィィィィィィィィィ!』
喉のスピーカーが沸騰したヤカンのような甲高い音を放つ。ここまでで初めて響く、レイダーズの悲鳴。そのまま顔を押さえてうずくまり、小さく痙攣を繰り返すだけになる。
むしり取ったマスクを投げ捨てるギルスティンの背後で、クリメイター最後の一人が無言で放射器を構えた。剥き出しの上半身に歪んだ方陣を描く光芒――励起した
レイダーズはただの野蛮人ではない。彼等の多くは最新鋭ではないにしろ魔術の心得がある。魔煌の立ちこめる野外で弱肉強食を貫く以上、魔煌の操作技術でもある魔術は必須技能と言っていい。
火炎放射器のMa-GEARに〈灯火の門〉に属する熱量増幅術式の重ねがけ。一歩間違えれば過負荷で自爆しかねない暴挙だが、クリメイターに恐れる様子はない。むしろここまで見せる事の無かった別の明確な感情――怒りを全身で表していた。ゴーグルの奥から放たれるかってない殺気にギルスティンが振り返る。が、間に合わない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
間に合ったのはジェットだった。
裂帛の気合いに術式の行使が一瞬遅れ、そのまま加速の乗った跳び蹴りを肩口に喰らってクリメイターが横っ飛びに吹き飛ばされる。
ただの跳び蹴りでは無い。再び天井に線条を繋いだジェットは巻き取りながら跳躍し、振り子の軌道を取ることで遠心力も使って加速。さらにぶつかる寸前に線条を硬化させ、発生した弾性を
もはや人間式
クリメイターは何回も横転した後、下水道の壁面にぶつかる形でようやく止まった。距離はゆうに十歩分以上、不意の衝撃で集中を切らしたためか、ノズルに灯っていた炎は消えていた。
「あざっす、兄貴!」
「ふぃー、よかった……暴発してたら元も子もなく全滅だった……」
「兄貴ィ……確証無かったんですかぃ……」
「OKOK、いいじゃないジェット。良い位置に転がしてくれたじゃないの!」
歓声から一瞬で蛙化するギルスティンとは対照的に、嬉々として不敵な表情を浮かべるコネット。その突き出した両掌の前で、四つの星樹印が菱形の陣形を組んで回る。
「その位置その距離その格好で足が止まってくれたなら、こっちにだってやりようはあるっつーの!」
力なくも起き上がろうともがくクリメイターの周囲を、青く半透明に輝く立方体が覆った。光る硝子の箱に閉じこめられた形に。
〈理力の門〉第六階梯《
変換内容は、爆風反転と収束制御。
「『
コネットが組み上げた術式を解法すると同時に、青く透き通った箱が閃光を放つ。
立方体の面から内向きに六等分された理力爆発の爆圧がクリメイターを押し包み、圧縮し、爆発。
理力壁の立方体がオレンジ色の光球に飲み込まれて消えるのと同時に、真っ白な閃光が地下を満たす。下水道自体を振るわすほどの衝撃に、ジェット達どころかコネットまでもが顔色を変えた。
「うわっちゃ!?」
視界が暗さを取り戻した時、クリメイターのもたれかかっていた壁面はクレーター状に丸く抉り抜かれて、周辺にも無数のひび割れを生み出していた。
爆発した燃料タンクは箱状の結界を突破こそしなかったものの、圧縮された爆風によって本来不変のはずの理力壁を変形させ、激しく振動させることで恐るべき破壊力を発生させていた。
「お前ちゃんと制御しろよ、落盤したらそれこそ一網打尽だぞ!?」
「分かってるわよ。燃焼剤の魔煌干渉力が思ったより高かっただけ……って、ギルスティン、後ろ!」
「あぁ?」
コネットが指差した先にあったのは、マスクを剥がされて震えていたクリメイター。うずくまったままの姿勢は変わらず、しかし空っぽの口腔にいつからかノズルの先端をくわえ込んでいた。
「な、テメェ何を……」
『スティィ……リィ……ラァァ……ィ』
こぼれ出る掠れた音声と共に道化の仮面のような青白い顔が歪む――安堵の表情。そして止める間もなく引き金を絞る。