喰べられ続ける、歓びを   作:あばなたらたやた

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六話:陽光

 

 私はいつものように、朝の通学路を歩いていた。空は薄い雲に覆われていて、光が柔らかく拡散している。

 

 湿った風が首筋を撫で、制服のブラウスがわずかに肌に張りつく。鞄の肩紐が食い込む感覚さえ、どこか遠い出来事のように感じられた。

 

 足は自動的に前に進む。

 毎日同じ道、同じ景色、同じ繰り返し。まるで誰かが用意した長い夢の中を、ただ歩いているだけだ。

 

 信号の角で美胡ちゃんと合流した。彼女は赤みがかった髪を朝風に揺らしながら、小走りで近づいてきた。金色の瞳が少しだけ輝いている。その瞳を見るたび、私は胸の奥で小さな棘が刺さるような気がする。

 

 彼女は私の“大親友”を自称する子で、私を守るために記憶を捏造し、日常を彩ってくれている。でもその優しさの裏側に、どれほどの飢えを隠しているのか、私は知っているつもりだ。

 

「おはよー、比名子! 今日もいい天気じゃない? まあ、ちょっと曇ってるけどさ」

 

 美胡ちゃんは屈託なく笑うと、すぐに昨日の夏祭りの話を始めた。浴衣の帯を締めたときの息苦しさ、屋台のたこ焼きの熱さ、提灯のオレンジ色の光が地面に落ちる様子。そして、花火が夜空に広がった瞬間の音と色。彼女は楽しそうに、生き生きと語る。

 

 その声に耳を傾けながら、私は思う。

 これはきっと、私のために作られた思い出なのだろう。彼女が私のために用意してくれた、優しい偽りの欠片。

 

 実際の私は、彼女の誘いを断って汐莉さんと二人で祭りに行ったけど、それを言うわけにはいかない。

 私はただ、短く相づちを打つ。

 

「うん」「そうなんだ」「へえ」

 

 美胡ちゃんは気にせず話を続け、時折私の顔を覗き込んで笑う。彼女の横顔は明るくて、夏の終わりの風みたいに軽やかだった。でもその明るさの向こうに、彼女の本当の欲望——私を食べたいという、底知れぬほどの愛情——がちらりと見える気がして、私は目を逸らした。

 突然、美胡ちゃんが足を止めた。

 

「比名子は花火見た?」

 

 心臓が一瞬、強く跳ねた。ドキッという音が、耳の奥で響く。嘘がバレたのかと思った。汐莉さんと一緒に花火を見上げていたあの夜の記憶が、胸の中で熱くなる。

 汗が背中に少しだけ浮かんだ。

 

「家から花火見えるって言ってたじゃん?」

「あっ……そういう」

 

 私は小さく息を吐き、平静を装った。声はいつも通り、平坦に出た。

 美胡ちゃんは「でしょ?」と笑って、また歩き始めた。彼女の後ろ姿は、何も疑っていないように見えた。それが計算なのか、本物の優しさなのか、私には判断がつかない。ただ、彼女の赤い髪が朝の光に揺れるのを見ていると、胸が少し苦しくなった。

 

 教室に入ると、美胡ちゃんはすぐに友達の輪に入り、元気いっぱいに笑っていた。

 彼女の笑い声が教室の淀んだ空気を少しだけかき混ぜる。私は自分の席に座り、窓の外をぼんやりと眺めた。校庭では部活の声が遠く聞こえ、日常がゆっくりと回り続けている。

 

 私は美胡ちゃんのことを考えていた。

 彼女は私を生かそうとしてくれている。汐莉さんも同じだ。でもその「生かす」という行為が、私から死ぬ権利を奪ったことを、彼女たちは本当の意味で理解しているのだろうか。

 

 放課後、校舎の裏手にある古いベンチで汐莉さんと会った。彼女は青い髪を肩に流し、青い瞳で私を静かに見つめていた。まるで深い海の底から浮かび上がってきたような、穏やかで重い存在感。

 私は先に切り出した。

 

「美胡ちゃんのこと……食べないでね」

 

 汐莉さんはくすりと笑った。その笑顔は優しく、でもどこか寂しげだった。

 

「食べないですよ。そんなこと、しませんよ」

 

 彼女は私の顔をじっと見つめ、ゆっくりと言った。

 

「貴方は死にたがっているから、鯨が腐ったみたいな臭いがするんです。でも、それと同じくらいに……血の香りがするんです。濃くて、甘くて、誘うような血の香りが」

 

 その言葉に、私は一瞬、目を細めた。ああ、それには確かに覚えがあった。

 

「それは悪夢の香りなんじゃないかな」

 

 汐莉さんは首を軽く傾げた。青い髪が肩から滑り落ちる。

 

「悪夢?」

 

「そう、悪夢。何度死んでも、何度殺しても、何度も何度も……。最初は怖かったよ。痛くて、叫んで、失敗ばかりだった。体が引き裂かれる感触、血が噴き出す感触、骨が折れる音。全部リアルで、逃げたくて仕方なかった。だけど毎晩、逃れられなくて。武器を取って、自分を鍛えて、行動するようになった。闇の中で探して、追い詰めて、戦って、殺す。上手くいく夜もあれば、惨めに負ける夜もあった。どうやったら勝てるだろうって、何度も何度も試行錯誤を繰り返しているうちに……いつの間にか、楽しくなってきたの」

 

 言葉を吐き出しながら、私は自分の唇がわずかに緩んでいることに気づいた。汐莉さんは悲しそうな目で私を見ていた。

 

 とても静かで、深い、底の見えない悲しみ。海のように広い、でも冷たい悲しみだった。

 一体私は、どんな顔をしていたのだろう。喜びに近い表情を浮かべていたのかもしれない。それが彼女を傷つけていることも、わかっていた。

 

 周囲の空気が重く淀む。遠くで自転車のベルが鳴り、誰かの笑い声が風に乗って流れてきた。

 

 日常は変わらず続いている。私は生きている。不死の体が、私をこの世界に留め続けている。美胡ちゃんの作った偽りの思い出と、汐莉さんの善意の呪いの中で。

 

 私はただ、ベンチの背もたれに体を預け、空を見上げた。雲の隙間から、淡い光が差し込んでいる。それがなんだか、とても遠いもののように感じられた。

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