次の飼い猫は私?! 幼馴染とはいえ、なんで大嫌いな女のためにこの私が…… 作:顔のない女
それから少し日が経ち、騒がしかった日常が落ち着きを見せ始めた頃のこと。
「そろそろ中間テストの時期に入る。中間と期末の結果、そして諸々の平常点を合わせて赤点だったやつは、夏休みにみっちりと補習だ。……地獄を見たくなければ、しっかりと家で勉強しておくように!」
入学後、初となる定期テストの足音が近づいている。
担任の注意喚起を合図に四時間目が終了し、昼休みが始まった。
私と葵との関係が修復されて以来、私、葵、莉子、そして佳織の四人グループで行動することが定例となっている。
「中間テストだってさ。みんな勉強は大丈夫そう?」
「問題ナシ!」
「私も赤点にならない程度にはできてる……かな?」
「………………」
私は佳織に貢がせた大量のおにぎりを頬張りながら、静かに気配を消して話をスルーしようと試みた。
「……西園さんはどう?」
「聞いてやるなよ。中一の時に白紙でテスト用紙を出して、数学の先生に胸ぐらを掴まれた脳足りんが、まともに勉強できてるわけないっしょ」
「……言い過ぎですよ」
いや、全部事実ではあるんだけど、言葉にされるとキツい。
そもそも、勉強に対して正気を保って向き合える人間の方がどうかしているのだ。
こちらは高校入学という高いハードルを越えるために、すでに一生分の知能を使い果たしてオーバーヒートしている。
一学期くらい、また白紙で提出しても許してはもらえないだろうか。
「じゃあ放課後に図書室でお勉強会的なやつ、する?」
「悪くないね」
「学生って感じでいいかも」
「私は帰って寝たいです」
「先生の話を聞いてなかったの? 一番勉強できてない人が、先に帰るのだけは許されないでしょ」
「えぇ……」
心底、面倒くさい。
こんなことになるのなら、最初からバイトが入っているとでも嘘を吐いておけばよかった。
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放課後、私たちは図書室の片隅にある長机を囲んだ。
こうした放課後の勉強会という輪に加わるのは、私の人生において初めての経験と言っていい。
佳織と二人きりで机を並べたことは稀にあったが、四人となると勝手が違い、どうにも居心地の悪さが拭えない。
隣には葵、向かいには莉子と佳織。
落ち着かない空気を振り払うように教科書を広げ、私は黙々とノートにシャーペンを走らせ始めた。
すると、隣の葵がこれ見よがしに私のノートを覗き込んでくる。
集中を乱されて苛立ち、肘でぐいと押し返すと、彼女は「えっ」と情けない声を漏らして体勢を崩した。
向かいでその光景を見ていた莉子が、可笑しそうに口元を押さえている。
しばらくして、私以外の三人が無言で目を見合わせたかと思うと、葵が唐突に席を立った。
「ちょっとトイレに行ってくるね」
「あ、私も!」
示し合わせたように佳織も立ち上がり、二人揃って図書室を後にした。
残されたのは、私と莉子の二人だけだ。
莉子は静かにペンを動かし、私もまた沈黙を守って勉強を続ける。
図書室特有の静寂の中に、紙をなぞる音だけが規則正しく響いていた。
莉子は常に葵の傍らにいるが、私とまともに言葉を交わしたことはほとんどない。
小学生の頃から葵の友人として認識はしていたが、その内面までは知る由もなかった。
おそらく物静かな人なんだろうとは思う。
今も特に話しかけてくる気配はなく、淡々とノートを取っている。
そうして数分が経過した頃、莉子がふと顔を上げた。
「……葵とは最近どうなの?」
「ほぼ初絡みでその質問ですか。貴女達がグルになってやった水族館デートとやらで、見ての通りですよ」
「そっか、それは良かった。私、葵にはいつか恩返しをしたいって思ってたから、こういう形で返せたようで何より」
「恩返し……?」
「そう、小学生の頃にね。あの頃の私は一人でいることが多くて寂しかったんだけど、そこに葵が来てくれたの」
「…………あの人は本当に、弱い人に手を差し伸べるのが好きみたいですね」
「言われてみれば、そうかもね」
莉子はそう言いながら、視線をノートに戻した。
特に感情を込めた言い方ではなかったが、その一言で情景が浮かんだ。
……まるで昔の私に、葵がやってくれたことと同じだ。
雨の日の公園。
ブランコをしていた葵が近づいてきた時のことを、一瞬だけ思い出した。
それをすぐに頭から追い出す。
一応許したとはいえ、ここ10年の積み重ね分の恨みはすぐに消えないのだ。
「ねぇ、玲香さんって何か欲しいものある?」
「……唐突ですね」
「ちょっと気になっただけ。何でもいいんだけど」
莉子は視線をこちらに向けたまま、答えを待っていた。
欲しいもの。
特段思い当たるものはない。
物欲というものが、昔からあまりないし。
強いていうなら筋子おにぎりが永遠に手元にあれば、それで十分だが……それを答えるのはあまりに味気ないのだろう。
「……強いて言うなら、筆記用具全般でしょうか。私が使っているのはどれも年季の入ったものばかりですし。今さら自分で買い替える手間をかけるのも面倒なので、壊れるまで使い続けるつもりですが」
莉子はその回答を聞くと、満足げに小さく頷いた。
手慣れた様子でスマホを操作し、一瞬だけ画面を弄ると、すぐにまた自分のノートへと意識を戻した。
それ以上、彼女が追求してくることはなかった。
ほどなくして、葵と佳織が戻ってきた。
「お待たせ〜」
「遅すぎますよ。トイレにどれだけ時間をかけてるんですか」
「え、そんな長かった?」
葵は悪びれる様子もなく、軽やかな動作で元の席に収まった。
向かいの席に戻った佳織が、こちらを見て何故かニヤリと口角を上げる。
……何がおかしいのか、さっぱり分からない。
結局、釈然としないまま勉強会は続き、十九時を回った頃にようやく解散となった。
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そして中間テスト当日の朝。
私がいつものように廊下の方に足を進めようとすると、葵が駆け寄ってきた。
その手には見覚えのある筆箱が握られている。
「玲香! 廊下に行く前に、はいこれ」
差し出されたのは、彼女が愛用していたはずの上質な筆箱だった。
「……なんですか、朝から」
「誕生日プレゼント!」
誕生日。
そうか、今日がそうだった。
自分のことながら、すっかり頭から抜けていた。
いや、それよりも……
「これが誕生日プレゼント……?」
「なに、文句あるの? 欲しかったんでしょ、筆記用具一式」
「えっと全然嬉しいんですけど、自分が使ってた筆箱をそのまま渡すのがプレゼントって、初めて聞いたな〜……とか思いまして」
「それ入学と同時に新調したやつだから、中身含めて総額一万超えね?」
「いや、ほんっっとうにありがとうございます!! 友達から誕生日プレゼントを貰ったのは初めてなので、凄く嬉しいです」
「……現金なやつ」
まぁ、うん。
ありがたいのは事実だ。
一万円の価値がある筆記用具など、自分では一生買うことはなかっただろう。
ふと、テストに備えて静かに教科書をめくっている莉子に視線を移すと、彼女は私の視線に気づいたのか、無言でグッと親指を立ててみせた。
……あまり喋ったことはなかったが、莉子というのは意外とお茶目なところがあるらしい。
「それとね」
「はい」
「自分の筆箱を渡しちゃったから、私の分が全くないんだよね。ってことで玲香のやつ全部頂戴!」
「……いいですけど、小学生から使ってる超ダサいやつですよ」
「機能性に問題がないならいいよ」
「葵がそれで納得するなら……どうぞ」
私は自分の年季の入った筆箱を、物々交換のように彼女に手渡した。
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やがて運命の中間テストが開始された。
問題用紙に名前を書き、一問目を解こうとしたその瞬間、私はソレに気づいた。
葵の匂いがする。
彼女から貰ったペンから。
シャーペンを握った指先から、彼女の残香が容赦なく鼻腔を突き抜ける。
まさか、バスの中だけでは飽き足らず、よりによって人生を左右するテストの最中にまで、彼女の存在が私の思考を侵食してくるとは。
「…………」
私は一度シャーペンを置き、こめかみを強く指で押さえた。
今は極限の集中が求められる時間だ。
ここでしくじれば、私の夏休みは補習という名の監獄に形を変える。
獣の本能ごときに、人間としての平穏な生活を邪魔されてたまるものか。
私は大きく深呼吸をし、気持ちを切り替えて問題用紙に向き直った。
再び、シャーペンを握る。
――また、葵の匂いがした。
「……うっ」
このテスト、相当な点数を覚悟しなければならないかもしれない。