次の飼い猫は私?! 幼馴染とはいえ、なんで大嫌いな女のためにこの私が……   作:顔のない女

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第27話 帰宅

 考えうる限りの、最悪な事態になった。

 まさか熊にボコられた上に、葵に正体がバレるとは。

 

 だが、顔は一瞬しか見せていない。

 かなり黒寄りのグレーだろうけど、しらばっくれれば、まだ巻き返せるかもしれない。

 

『呼んだ?』

「来るのが遅いんですよ。……誰でもいいので、近くに人がいたら……呼んできてください。できれば……女性で…………」

『は〜い』

 

 私はあの場から逃げ出した直後、森中に鳴き声を響き渡らせ、猫を呼んでいた。

 これは他の猫科動物にはできない、私だけの特権である。

 

 とはいえ、こんな場所をうろついている猫も珍しいもので、姿を見せてくれたのは一匹だけだった。

 

「はぁ……ゴホッゴホッ!」

 

 呼吸をするたびに肺が灼けるように痛む。全身の節々が、軋んだ音を立てている。

 だが熊にまともに頭を殴られて、こうして命がある幸運には感謝すべきだろう。

 もし、あの瞬間に人間状態だったなら、私の頭部は熟した果実のように一撃で粉砕されていたはずだ。

 

「…………」

 

 私は巨木の根元に背を預け、少しでも体力を温存するために、深い眠りの淵へと意識を沈めた。

 

 どれほどの時間が経過しただろうか。

 体感で二時間ほど経った頃、静まり返った森の奥から、二人の女性の声が微かに聞こえてきた。

 そのうちの一人の声には、聞き覚えがあった。

 

「マキさん。山菜に興味が無くなったからって、野良猫についていくのはちょっと……」

「だから何度も言ってるじゃん。あの子は助けを欲しがってるんだって。きっと子猫あたりがイノシシ用の罠に引っかかったんだよ」

「イノシシ用の罠に子猫が――って、本当に何かいた!!」

「……おぉ、そういう感じね。今日は非番なんだけどなぁ」

 

 やがて、迷いのない足音が私のすぐ傍らで止まった。

 

「患者さ〜ん。ここで会うなんて奇遇だねー? 裸で寒くないの?」

「すみません……。少し……助けていただけると、助かります……」

 

 重い瞼をこじ開け、視界を合わせる。

 そこにいたのは、予想通り弦巻先生だった。

 

 彼女は面倒そうに唸りながら少しだけ思案した後、薄く笑った。

 

「これも何かの縁。別に失うものもないし、助けてあげっちゃおっかなー」

 

 そう言うと、彼女は私のおでこを軽く弾いた。

 そのささやかな衝撃を合図に、私の意識は完全に途切れ、底知れぬ闇の中へと吸い込まれていった。

 

 

 

 ---

 

 

 

「いつまでそこで寝とんがけ! 寝るんやったら、もうちょっとどけい!」

「は、はい!!――って」

 

 怒鳴り声に飛び起きると、私はリビングのど真ん中で無防備に転がっていた。

 

 慌てて自分の体を確かめる。

 熊にぶん殴られた右頬、激痛が走っていたはずの後頭部。

 

 恐る恐る触れてみたが、そこには痛みも腫れも、血の跡すら残っていない。

 窓の外へ視線をやれば、太陽は今まさに沈もうとしているところだった。

 

「えぇ………………???」

 

 混乱したまま立ち上がろうとした瞬間、服の隙間からひらりと一枚の紙が滑り落ちた。

 私はそれを拾い上げ、静かに目を通した。

 

『世界って狭いよね? こんなクソ田舎だから、ラーメン屋とかガ◯トで知り合いに会う事は多々あったけど、まさか山で遭遇するとは思わなかったな。

 面白い体験ができたし、うちの妹はキミの裸を見てはしゃいでたから、この貴重な出会いを祝して治療費は、財布の中身全部で勘弁してあげる。――患者に優しい弦巻より』

 

 読み終えた瞬間、私は手紙を握り潰して破り捨てた。

 そして財布の状態を確認するため、階段を二段飛ばしで駆け上がった。

 

「うっそぉぉぉ……二万は入ってたのに…………」

 

 不安を込めて開いた財布の中身は、見事なまでにスッカラカンだった。

 

 私は深い溜息を吐きながら、部屋の姿見で全身をくまなくチェックする。

 傷跡一つなく、まるで最初から何もなかったかのような完治ぶりだ。

 

「う〜ん。非常に不服ですけど、ここまでガチで治療されると、二万円で済んだのはむしろお得かもしれません」

 

 スマホを取り出し時間を確認すると、時刻は16時を回ったところだった。

 

 もし私の予想が正しければ、あの後、葵は姿を消したレイを家族総出で必死に探し回ったはずだ。

 だが、熊が出没した危険な山中にいつまでも居座ることは許されないだろう。

 そろそろ家族に半ば強引に連れられ、帰路についている頃合いだ。

 

 そう考えていた矢先、ふと窓の外を見ると、椎名家の車が私の家の前を通り過ぎていくのが見えた。

 

「……となると、多分すぐに私の家に突っ込んでくるような気がしますね、これ」

 

 分かりきっている事だし、さっさと準備して玄関の前で待っていてやろう。

 

 

 

 ---

 

 

 

 私が玄関へ出ると数秒もしないうちに、突撃するようにやってきた葵と鉢合わせた。

 

「玲香!!!!??」

 

 予想通りの慌てっぷりだ。

 山から引き返す決断を下された際にも、相当抗って泣き喚いたのだろう。

 彼女の目は真っ赤に腫れ上がり、痛々しいほどだった。

 

 その必死な姿を想像すると、不謹慎ながら一瞬吹き出しそうになったが、私はそれをなんとか堪えた。

 

「……何ですか、急に。大きな声を出さないでください」

「ごめん……でも、えっと……なんで?」

「はい?????」

 

 たぶん状況はこうだ。

 

 彼女はレイの正体が玲香であると決定づけた。

 それならば、一度玲香の家に行って、うちのお婆ちゃんに確認すれば、家の中に玲香がいないことが証明される。

 だって葵から見れば、今現在レイは山の中で遭難中なのだから。

 

 だが、蓋を開けてみれば私は彼女の目の前にいた。

 それはまぁ、驚くのも無理はないだろう。

 

 たぶん家に私がいない事を確認したら、バスでもタクシーでも使って山の方に行くか、お婆ちゃんに山で起きた事を全て話していたはずだ。

 

「なんで……玲香はここにいるの?」

「なんでって言われても、自分の家の玄関でぼんやりしたくなったから、としか言えませんが」

「そうじゃなくて!!!!」

 

 葵が再び叫びだしたので、私は眉を潜めて自分の耳を塞いだ。

 

「あ……ごめん、大きな声を出しすぎた」

「全く、何をそんなに焦ってるんですか。相談事があるなら、聞きますが」

「それは…………その。玲香はレイが今どこにいるか知ってる?」

「知ってるも何も、あの子は葵と一緒に車で出かけたと、他の猫達から聞いてますよ」

「うぐっ……」

 

 正直、熊との遭遇は私にも落ち度があるが、総合的に見れば九割方は葵の自業自得だ。

 そもそも、忠告を無視して家族から離れるべきではなかったのだから。

 

 責めようと思えばいくらでも追い詰めることはできるが、彼女に悪気がなかったのも事実だ。

 ここはひとつ、助け舟を出してやることにした。

 

「葵のその腕、痛そうですね」

「これは……」

「……大丈夫ですよ、事情は伝わっています。あの子なら今、知り合いの病院で治療を受けています。命に別状はないそうですよ」

「え……? ――本当!? 本当なの!? 信じて、いいの!?」

 

 葵は顔を上げると私の肩を力任せに掴み、激しく揺さぶった。

 

「本当に大丈夫なので、落ち着いてください!」

 

 宥めるように言葉を重ねると、彼女は私に縋りついたまま、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。

 そして堰を切ったように涙を流し始める。

 

「良かった…………私のせいで死んじゃったかと思った…………」

 

 声を震わせて泣きじゃくる彼女。

 私はそれ以上言葉を重ねることはせず、ただ崩れ落ちた葵の背中を静かにさすり続け、彼女の慟哭が静まるのをじっと待ってあげた。

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