ただ、ファッションにはあまり興味がない。
服は何年も着古しているし、襟元袖口がダルダルになっている物の方が落ち着くと言う。草臥れた格好でも様になるのはすごいと思うが勿体ない。
選ぶ、という行動を面倒臭がる一方で、累ちゃんは努力家、勤勉、コツコツ積み上げるのが得意な秀才タイプ。
私は幼なじみを尊敬してるし、ボイス効果で累ちゃんは最近魅力値を上げた。
「かな」
「累ちゃ~ん」
幼なじみから『かな』と呼ばれると、私の発達した乙女回路がキュンキュンに稼働する。
すくすく背が高くなり続けている親友は、割と最近買ったばかりのフーディを羽織って仏頂面で我が家を訪れた。
夜、深夜に差し掛かる時間帯に来る理由なんて分かりきっている。
嫌だったんだね、ちゅーの音、そこまで聴かれたくなかったんだ。
でも累ちゃんは私のこと好きだから、大好きだから、
「はい、これ……」
「これ──、何?」
「イトコに貰ったオーディオプレイヤー」
「普通にスマホでくれればいいのに」
「かなはうっかりだから……流出とか、絶対に困るのっ!」
ネットに繋がらない手の平半分サイズの、シルバーで薄っぺらい音楽プレイヤー。
「くれるの?」と尋ねたら「使ってないからあげる」と頷いた。
私が欲張りでがめつい訳じゃなくて、累ちゃん、いらない物は結構ポンポンくれる。部屋にあるのが邪魔って思う子なのだ。カサネ・アイサワは大分クセツヨ。
マンションの外廊下に流れ込む夜風で黒い髪がさらりと揺れた。
前髪伸びてきたね、美容院行くより私へのキスを優先してくれたんだね。
好きだよ、大好き、累ちゃん♡
「心して聴きなよ……」
「うんっ♡」
「クレームは受け付けないから……」
「ルイ様のキス、ずーっと楽しみにしてたの♡ 累ちゃん、ありがとう!」
心からのお礼に累ちゃんは眉根を寄せて、いきなり私の両肩を掴んできた。
真剣な目だ。
私って信用ないのかな、ショックだよ、大丈夫大丈夫。
「誰にも聴かせないから! ルイ様のキスは私だけのものだよ♡」
「……違うから。かな」
「なあに♡」
間合いを詰めてくる累ちゃんにドキドキする。睨まれて胸が高鳴るなんて、累ちゃんは罪な女だな♡
生のときめきボイスもオマケに付けてくれるらしい。
「意識して」
「意識?」
「私がこんなことするの……っ、あんただけだからね!」
「知ってるよ~♡ 大好き♡」
このままキスしちゃっていいのかな、振られそう、怒りそうだね、でも──累ちゃんとなら本当のキスだってしていいよ。
私の唇は、累ちゃんのものなのだ。
「バカっ!」
「バカじゃないー」
「かなのアホ!」
「アホじゃないっ──累ちゃん……? どしたの?」
悪口のレパートリーが少ない優しい友達に、不意に抱きしめられて、私は背中に手を回す。
そこまで嫌だったんだ、ちゅーボイス。
謝罪の気持ちはあるけれど、累ちゃんの真心全部丸ごと貰いたいから、私は幼なじみの苛立ちも抱き止める。
「かなだけが特別なんだからね──、ちゃんと、しっかり、自覚しな」
「うん」
ここで何か言い募れば累ちゃんを傷付ける。
だから、声に出して「ぎゅー、ぎゅー♡」って腕に力を込めて、累ちゃんの鎖骨辺りに顔を埋めた。
「ありがとう、累ちゃん」
「──おやすみ、かな」
耳元で囁いて、累ちゃんたらもうっ、熟練の女っ誑しみたいに「ちゅっ♡」なんて私にキスを聴かせる。
真っ赤になっている自信があった。
頭を撫でて、距離を開けて、仕方のなさそうに目を閉じて笑って、疲れ気味に手を振って背を向ける累ちゃんに、倒れてしまいそうだった。
いつの間に、王子様から放蕩貴族息子にジョブチェンジしたんだ。
「チューしちゃったね累ちゃん……」
あれをイヤホンで聴くのだ、自分の耳が心配になってしまう。
ここ数日の音声は耳の穴に流し込まれているような感覚だったのだ。私、生きていられるだろうか。
胸いっぱい緊張めいっぱいで自分の部屋のベッドに倒れ込む。
お風呂入っててよかった。
王子様、私にキスをしながら眠らせてください──と電気屋さんでテキトーに買った安物のイヤホンを装着。
音楽プレイヤーの使い方は、裏に付箋が貼ってあった。
甲斐甲斐し過ぎるね累ちゃん。トラックは1つのみ。10分って、結構長いね。
電気を消して、枕に頭を載せて、いよいよ、ルイ様からのキス♡
2秒間くらい無音があってから、累ちゃんの、ルイ様の、やや低めの声が響いた。
「〈かなちゃん。逢いに来たよ〉」
「うんっ──♡」
「〈私の眠り姫。今日も、君はとっても可愛いね〉」
「ルイ様も、世界で1番格好いい〰〰♡♡」
私の返事が分かるのか、被らないように適度な間隔を空けている。余りに新染叶歌への理解が深い。
思う存分黄色い声を上げられた。
大好き大好き累ちゃん♡
「〈かなちゃんは、昔から、ファースト・キスに憧れがあったね。本当に──……私が相手でいいのかな?〉」
「累ちゃん以外、やだよ……」
「〈ありがとう──。そんな目で見つめないでほしいな……照れてしまうから。くすぐったいね。君からの視線は、私をこんなに夢中にさせるよ──胸が、熱くなって……目が離せない〉」
天才的だよ、累ちゃん。
何これ何これ。『ふふっ』とか『あぁ──』とか、吐息が微笑みが、私を襲う。こんなに好きにさせて、どうするつもりなんだろう。
ルイ様の爽やかはにかみ王子様っぷりは天井知らずだ。
「〈瞳を──、閉じてくれないかな〉」
「あっ──♡」
「〈私も、初めてなんだよ……。同じだ〉」
嘘嘘、近付いてきた。なんで、なんでとパニックになる。
至近距離に迫って来る、私の好きな人。
息が掛かる、ああっ、今頬に手が触れたよ、お姫様のキスをされる。
「かな……」
「累ちゃん──」
甘い、甘い、リップ音が、私を虜にさせる。
ちゅっ──って、累ちゃんが、私だけを見つめて──、優しい目をしている。
睨んでない。
今は、優しい眼差しで、熱が灯ったきらめきで、私だけを愛している。
「〈額が、熱くなってしまっているよ〉」
「あぁあん〰〰♡」
「〈恥ずかしいけれど、幸せ、だね──〉」
「うん♡♡ 幸せ〰〰♡♡」
「〈もう1回……してもいいかな?〉」
「して♡ いっぱいして♡♡」
「〈そんなに、積極的になられると、困ってしまうよ。私のお姫様〉」
今、今今今、右の耳に少し困り気味のルイ様の声がした。
これまでこんなボイス貰ったことがなかった。
『〈本当に、可愛いな……〉』っ、ヤバヤバだ、思わず、といった呟きが堪らない。身悶えしてしまう。
鼓膜を撫でられている。耳たぶがくすぐったくてもっと囁かれたい。
ルイ様の存在が確かにここにある。ルイ様はいる。
「ルイさまぁ……♡ 私、もうだめ……♡」
それからずっと、ずっと、ルイ様に可愛がられて甘やかされて、たっくさんキスを贈られた。とろっとろに蕩かされた。呼吸困難に陥りかけた。
あぁ、もう終わってしまう──と、ルイ様からの『〈愛してるよ、かなちゃん〉』の言葉に切なさが込み上げる。
「またね……ルイ様……」
もう1回聴こう、何度でもキスして貰おうと音楽プレイヤーのボタンを押そうとした直後、急に現実に呼び戻す咳払い。
演技じゃない、累ちゃんの照れ隠しのアクションだった。
「かな……どうだった? 私からのキス。少しは、ときめいたの?」
「当たり前でしょ……」
もう、私、ルイ様以外に恋できない。
新染叶歌はルイ様に巡り逢うために生まれてきたのだ。
累ちゃん、最高。天才。ありがとう私の幼なじみ。
今までのボイスを私しか知らないなんてなんて贅沢。この一途な王子様を独り占めできる至福は誰にも譲らない。
「かな? 話、聞いてよ」
「うっ……ごめん……」
「気に入ってもらえたならやった甲斐がある」
「ありがと」
「──最後に、私から、一言……。演技じゃない、本当の、本心、言わせて」
呼吸音が惹き付ける。
固唾を呑んで累ちゃんの思いを待った私は、世界が変わる日を迎えた。
空が裂けるよりも大きな衝撃。
「新染叶歌っ──かな! …………恋人に、なりたい」
泣きそうな、涙を堪えてそれでも笑っている累ちゃん。
どんな顔をしているのか、声だけでは分からなかった。
「それだけっ! 変な気遣いはいらないから、いつものあんたで笑ってよ。じゃ……また明日」
思わず返してしまっていた。
「無理だよ……」と、私の情けない声が、静かな部屋にポツンと落ちた。