死んで異世界に生まれ変わる――なんてのは、もはや使い古されたテンプレートだ。創作の世界では珍しくもなんともない。スライムに転生したり、無職のまま転生したり。小説家になろうがその火付け役となり、そこから幾度となく擦られ、駄作も名作も山のように生まれてきた。最近ではゲームのアバターごと異世界に飛ばされる、なんて話もよく見かける。
だが、それが自分の身に起きるなんて想像していた人間はそう多くないだろう。想像していたとしても、思春期を過ぎる頃には卒業しているはずだ。かく言う僕もその一人であり、正直まだこの現状を受け入れきれていない。
目を開けても、周囲は何も見えない。いや、赤ん坊というのは本当に視界がまともに機能していないものらしい。ぼやけているというより、「焦点」という概念そのものが存在しない感覚だ。
ぼんやりとした光。白い天井。あとは何か、ふわふわとした感触。
……ベッド?
いや待て。赤ん坊ということは、つまり。
僕、いま寝かされてるのか?
「――△△、▽▽……」
誰かの声がする。
女性の声だ。だが何を言っているのかまるでわからない。外国語がどうとかいう話じゃない。音としては認識できるのに、意味として頭に入ってこないのだ。
赤ちゃん補正というやつか? いや、生後数ヶ月でも言語くらいは認識できたんじゃなかったか。知らんけど。
とりあえず状況を整理しよう。
僕はたぶん死んだ。
そして赤ん坊になった。
しかも異世界っぽい。
……うん、終わったな。
いや、終わりじゃなくて始まりか? どちらにせよ、人生設計は完全にリセットである。
ローンが無いのは幸いだった――いや、あった気もするな。スマホの分割払いはどうなるんだろう。異世界に転生した場合、支払い義務は法的に消滅するんだろうか。
そんな益体もないことを考えていると、不意に身体が持ち上げられた。
「ぅえ」
あ、声が出た。
というか首!首がぐらぐらするんだけど! 赤ん坊ってこんなに脆い生き物だったのか! これ、親御さんは相当プレッシャーがすごいだろう。ちょっとしたミスで「終わる」感じがある。
抱き上げられたまま視界が揺れる。
近付いてきた「顔」を見て、僕は一瞬だけ思考を止めた。
……天使だ。
いや、比喩ではなく。
本当に頭の上に輪っかが浮いている。
背中の辺りにも光っぽい何かがある。
え。
何これ。
ガチの異世界?
「…………」
女性は優しげな顔立ちをしていた。銀髪。透き通るような白い肌。どこか神秘的な雰囲気を纏っている。
そして何より――頭上に浮かぶ淡い光輪。
いや待て待て待て。
輪っかがある! 本当にある!!
夢じゃなく? コスプレでもなく?
というか、こんな近未来技術みたいなホログラムを一般家庭で使うなよ! いや、異世界なら一般家庭という概念があるかも怪しいが!
「ぁー……ぅー……」
とりあえず混乱を誤魔化すように声を漏らす。
女性は柔らかく微笑んだ。
「────♪」
何か喋っている。
優しい声色なのはわかる。
それに、何となく「愛情」のようなものが伝わってきた。
……ん?
いや、伝わってきたって何だ。
言葉の意味は理解できない。
なのに感情だけが妙にはっきりわかる。安心とか、慈しみとか、そういうものが。
……え、怖。
いやいやいや。
何だそのファンタジー機能。共感能力的なやつ? サトラレ?
まるで直接脳に感情を流し込まれているみたいだ――
「…………は?」
そこまで考えた瞬間、視界の端に「自分の手」が映り込んだ。
小さい。ぷにぷにしている。
そして。
白い光の粒のようなものが、指先でぱちぱちと弾けていた。
……。
…………。
「ぴぎゃああああああああああああああっ!!?」
あ、泣いた。
僕が。
「ど、どうしたのこの子!?」
「急に泣き出したぞ!」
うわあ、すごい慌てている。
知らんがな。こっちだって慌てているわ。
何なんだよ光って。指先でパチッて鳴ったぞ今。静電気みたいなノリで超常現象を起こすな。
というか、冷静に考えよう。
まず天使がいる。
僕もたぶん天使らしい。
感情共有っぽい能力がある。
指先から謎の光が出る。
……RPGのチュートリアル直後みたいな情報量だな?
「ほらほら、大丈夫ですよー」
女性――たぶん母親らしき人が、あやすように僕を抱き直す。
胸元に顔が埋まり、柔らかい匂いが鼻をくすぐった。甘いような、ミルクっぽい香り。あとやたら安心感がすごい。
すると不思議なことに、半狂乱だった頭が少しずつ静まっていく。
……いやこれ絶対あれだ。
さっきの感情共有みたいなやつだ。落ち着けーって感覚が直接伝わってきている。
便利だなこの機能。
いや怖いなこの機能。
プライバシーはどうなっているんだろう。思春期を過ぎてそういうことが気になり始めた頃、「お前昨日えっちなこと考えてただろ」って家族にバレたりしないだろうか。
嫌すぎる。
「────」
男性の声。
そちらに顔を向けると、今度は長身の男が立っていた。
やはり頭に輪っか。あと腰に銃。
……銃?
いや待て待て待て。
天使が銃を携帯してるのか? もっとこう、杖とかじゃないのか。ハープとか吹かないのか。何で武装が近代的なんだ。
男は困ったように笑いながら、僕の頭を指でつついた。
するとまた感情が流れ込んでくる。
心配。困惑。でもそれ以上に――愛情。
……あー。
何だこれ。
ズルいな。
こんなの、わかっちゃうじゃん。自分が大事にされてるって。
前世の記憶なんて曖昧で、死んだ実感すらまだ薄いのに。それでも、この人たちが僕を大切に思っていることだけは、変にリアルだった。
「…………」
泣き止んだ僕を見て、二人がほっとした空気を漏らす。
その感情すら伝わってきて、なんだかこっちまで安心してしまう。
……いや、でも。
ここ、本当にどこなんだ?
天使。銃。感情共有。
ファンタジーにしては文明レベルが高そうだし、SFにしては宗教色が強い。少なくとも地球ではなさそうだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、不意に男が壁際の棚から何かを取り出した。
黒い金属質。細長いシルエット。そして見覚えのある形状。
「…………え?」
拳銃だ。
ガチの。
しかも男は慣れた手つきでそれを分解し始めた。
いや何で育児室で銃メンテしてるんだ! 危なくない! 教育に悪いとかそういう次元の話じゃないんだけど!
カチ、カチ、と小気味いい音。手慣れている。軍人か警察か、そういう雰囲気だ。
すると母親らしき女性が呆れたような顔をした。
「──────」
「────」
軽いやり取り。意味はわからない。だがニュアンスだけは何となく伝わってくる。
たぶん。
『この人の前で銃いじらないでください』
『いやでも慣れさせとかないと』
みたいな会話をしているんだと思う。
嫌だよそんな英才教育。
すると男はふっと笑い、分解していた銃を持ち上げて――僕の方へ向けた。
「……………………は?」
いやいやいやいや。待って。待って待って待って。
何してるんだこの人!
男は悪戯っぽく笑って――引き金を引いた。
「ぴっ」
乾いた音。反射的に目を瞑る。
死ぬ! 転生して数分で二度目の人生終了か!?
……しかし。
「……あれ?」
痛くない。恐る恐る目を開けると、銃口から小さな光の花のようなものがふわふわと漂っていた。
……クラッカーかよ。
いや紛らわしいわ!!
僕が呆然としていると、男は満足げに笑った。母親は「もう……」みたいな雰囲気を出している。感情共有のせいでめちゃくちゃ伝わってくる。
あ、これこの人。割とノリ軽いタイプだ。
そして何より。この世界、「銃」がめちゃくちゃ身近だ。
玩具みたいに扱うという意味じゃない。もっと文化レベルで根付いている感じ。箸くらいのレベルで生活に溶け込んでいる。
……なんか、嫌な予感がしてきたな。
そんなことを考えていると、男が僕の額を指で軽くつついた。
すると――
パァン。
頭の中で、何かが弾けるような感覚が走った。
「ぅぎゃっ!?」
び、びっくりした……!
何だ今の!?
だが次の瞬間、僕は違和感に気付く。
――音が、「理解できる」。
「……え?」
いや、正確には。さっきまで意味不明な音の羅列だった二人の会話が、「何となく理解できる」ようになっていた。
「大袈裟すぎる」
「だって反応が面白くてな」
……えっ。日本語? いや違う。音はたぶん全然違う。なのに意味だけが頭に入ってくる。
翻訳機!? 脳内翻訳!?
母親が、優しく僕の頬を撫でながら言った。
「この子、きっと賢い子になりますね」
その言葉に、男は少しだけ誇らしげな感情を滲ませる。
「俺たちの子だからな」
……。
…………あー。
ダメだこれ。
こんなの、好きになっちゃうじゃん。
前世の親に不満があったわけじゃない。普通の家庭だったし、普通に愛されて育ったと思う。だけど。
この世界の人たちは、感情が伝わるせいで「愛情を誤魔化せない」のだ。
言葉じゃない。建前でもない。直接伝わってくる。
だからわかってしまう。この二人が、本気で僕を愛していることを。
「────」
母親が、僕の名前を呼ぶ。
まだ聞き慣れない響き。けれど不思議と、その音が自分のものだと理解できた。
「ムミヤ」
……ムミヤ。
それが、今の僕の名前らしい。
なんかちょっと可愛い名前だな。女の子っぽくない?
いやまあ、赤ちゃんだからセーフか。
「……ん?」
男が窓の方を見る。母親も一瞬だけ視線を向けたが、次の瞬間には「ああ、またか」みたいな空気になった。
……またか?
緊張感というより、もっと日常的な何かに対する反応だ。
すると数秒後、外から陽気な声が聞こえてきた。
「焼き立てだぞー! 今日のアップルパイは自信作だ!」
……。
…………。
パン屋の窯かーーーい!!
いや紛らわしいわ!! 爆発音みたいなのを鳴らすなよ! 心臓に悪いなこの世界!
僕が内心で盛大にツッコんでいると、父親が苦笑した。
「隣の店主、またやったな」
「最近張り切ってますからねぇ」
母親もくすくす笑っている。どうやら本当にただのパン屋らしい。
……いや、パンを焼く音にしては物騒すぎない?
そんなことを考えていると、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
リンゴ。バター。シナモンっぽい匂い。
あっ、うまそう。
赤ちゃんなのにわかる。これは絶対に美味いやつだ。
「この子も匂いに反応してますよ」
「はは、将来は甘党かな」
やめて。そんな微笑ましい空気で語らないで。僕はいま普通にアップルパイが食べたくなっているんだから。
しかし現実は無慈悲。僕の食事はたぶんミルクオンリーである。解散。
「でも、このくらいの子って甘い匂い好きなんでしたっけ?」
「どうだったかな……俺は詳しくない」
「ふふ、頼りないお父さんですね」
「勉強中なんだよ」
二人の間に、柔らかい空気が流れる。
……なんだろうな、これ。
ものすごく穏やかだ。
前世でも家族団欒くらい経験してきたはずなのに、不思議と違う感じがする。感情が伝わるせいだろうか。言葉以上に、「空気」そのものが伝わってくる。
互いを大切に思っている感じとか。一緒にいるのが当たり前みたいな安心感とか。
そういうものが、じんわりと頭に流れ込んでくるのだ。
……これ、思春期になったら絶対気まずいやつでは?
両親のイチャイチャが感情で伝わってきたら普通に嫌なんだけど。
僕がそんな将来の心配をしていると、不意に父親がこちらを覗き込んだ。
「そういえば、この子まだ一回も笑ってないな」
「生まれたばかりですからね?」
「いやでも、こう……あるだろ。親の顔見てにこーってするやつ」
「そんな都合よくいきません」
父親は「むぅ」と少し不満げだ。
可愛いかよ。
すると彼は何を思ったのか、突然変顔を始めた。
……。
…………。
輪っか付きイケメンの変顔、破壊力高いな?
真顔で見つめていると、父親はどんどんエスカレートしていく。頬を膨らませ、目を寄せ、謎の声まで出し始めた。
「ぶるるるるる」
やめろ。何してるんだアンタ。
母親も笑いを堪えきれていない。
「あなた、怖がられてますよ」
「おかしいな……隊では子供に人気あるんだが……」
隊?
ん? 今ちょっと気になる単語が聞こえたな。
だがそれ以上に、必死にあやそうとしてくる父親の姿が、なんというか――面白すぎた。
「……ぷっ」
あ。
しまった。思わず笑った。
一瞬、部屋が静まり返る。
次の瞬間。
「笑った!!」
「ふふっ、本当ですね!」
二人の感情が一気に明るく弾けた。喜び、感動、愛しさ。それが直接伝わってきて、胸の奥が妙にくすぐったくなる。
……あー。
悪くないかもしれない。
この二回目の人生。