ようこそ死んだはずの俺が行く教室へ   作:ホムンクルス至上主義者

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第4話

 季節は巡り、あれほど猛威を振るっていた暑さも、今ではすっかり影を潜めている。

 訪れた久々の休日に、俺は心身ともに弛緩(しかん)させ、開ききった窓からときおり気まぐれに忍び込み、頬を撫でていく秋風がひどく心地よく思わず目を細める。

 窓の向こうには清々しいまでの青と白が広がっていた。突き抜けるような青空に刷毛(はけ)()いたような白い雲。そのあまりの爽快さが、かえって俺の心の奥底にある、名前のない憂鬱を静かに炙り出していくようだった。

 そうだ。俺たち中学二年生はそろそろ本格的に進路を考えなくてはならない季節だ。

 

 俺の通う学校は私立であり、エスカレーター式にそのまま高等部へと進むことが出来る。だからと言って選択肢がないのかと言えばそういうわけではない。もちろん外部受験という道も当然用意されているし、教職員だってそのための協力を惜しまない。究極、最終決定は生徒自身の自由意思に任されているのだ。そうは言うものの、わが学び舎の高等部は全国的にかなり名の知れた名門校である。それを目当てにまだ幼い頃から勉学に打ち込み、満を持し中学受験をしたからなのか、もう一度過酷な受験戦争に身を投じるのが億劫なのか、ほとんどの生徒は決められたエスカレーターを選択する。わざわざ勉強してまで他校を目指す人は必然的に少数であった。

 

 かくいう俺はこの生を受けてから一貫して高度育成高等学校を志している。もちろんこの目で直接()()を見てみたいという好奇心こそ一つの理由ではあるのだが、一番大きな要因としては学費だ。なんとこの高校は3年間学費ゼロ円となんとも信じがたいほど破格の待遇なのだ。幸運なことに我が家は学費に困るほど生活は困窮していないのだが、約14年間、父は男手一つで俺を育ててきた。一つくらい恩返しや親孝行があったも良いではないかと考えてのものだった。

 

 そんな高尚な理想を掲げているのだが心の中は物憂いに満ちていた。

 だってよく考えてみろ。これまでは自由闊達(じゆうかったつ)に生きていたのに突如3年間決められた敷地内での生活を強制され外部との連絡も禁じられるのだ。残念なことに普段俺とつるんでいるような友人は皆高等部行きの予定だ。彼らは俺もその道に誘ってくれたのだが、大層な目的のためにも期待には応えられそうにない。どれだけ広かろうと所詮高校。たかが知れているし3年間もそこで生活するなら早くとも半年くらいでどこも生きつくし新鮮味を失う。友人や家族とも連絡が取れない閉鎖空間。あぁ鬱々とした気持ちに満たされていく。

 

 

 

ピンポ~~~~ン

 

 

 濁り澱んだ気持ちを吹き飛ばすように快活なインターフォンが鳴った。

 

「栄一郎君!!遊びに来ましたよ~」

 

 聞き馴染みのある声が窓を通して鼓膜に届く。

 

「いるのは分かってるんですよ栄一郎君!!早く開けてくださ~い」

「はいはい今行くから待ってろ」

 

 近所迷惑なんて一切考えてなさそうな能天気な声で叫ぶ。最初はお淑やかなお嬢さんって感じだったのにどこで道を間違えたのやら。

 ソファーと同化した身体を無理やり引きはがししぶしぶ玄関へ向かう。

 

ガチャッ

 

「栄一郎くん遅いですよ。それに私のこと一回無視しましたよね?」

「いや、誰か分からなかっただけ」

「ふ〜ん…まあそういうことにしておきましょう」

 

 小言を挟みながら、慣れた手つきでエントランスラックからスリッパを引っ張り出す七瀬。あまりに我が家へ彼女が訪れるものだから父が気を利かせたのか七瀬のためにスリッパを用意したのだ。最初は慇懃(いんぎん)に扱っていたものだが今ではすっかり我が物顔だ。実際七瀬のものなのだが。

 

「それで今日はどういう用件で?流れで家にあげちゃったけど」

「用ですか?特にないですよ。用がなきゃ栄一郎君の家に来ちゃダメですか?」

「いや別にそういう訳じゃないんだけど」

 

 用もないのに何しに来たんだ、とは思うが若干表情の曇った七瀬の顔を見てその言葉を奥底に押し隠す。

 

「ですよね!良かったです!」

「…先に部屋で待っててくれ。飲み物は麦茶で良い?」

「わかりました!飲み物はなんでも大丈夫ですよ。いつもありがとうございます」

 

 なんだか良いように扱われている気がしなくともないが一先ず目的の飲みものを取りに冷蔵庫へ向かう。

 

 う〜ん、麦茶…残ってると思ったんだけど無くなってる。父さんが仕事に持っていったっぽいな。

まあ牛乳で良いか。中学生は麦茶なんて退屈な飲み物より牛乳の方が嬉しいだろ。それに健康にも良いし骨が強くなるし身長も伸びる。大きくなれよ七瀬!

 

 2つのコップとちょっとした軽食を載せたお盆を持ち部屋へと向かう。ちなみに俺が選んだのはコーヒーだ。牛乳でも別に良いのだが毎朝2杯飲んでいるしカロリーと脂質が怖い。前世では運動を習慣付けていた甲斐もあってかアラフォーまではスラリとした体型であったがそこから急激におじさんボディへと変貌を遂げたのは懐かしいものだ。少年期である今はあまりそんなこと考えなくても良いのは承知だがどうにも癖が抜けない。

 

 汁物を運ぶ上で最大の敵は階段だ。学食で付いている味噌汁、社員食堂で汲んだ水、お盆の上を浸水させた回数は数知れず。

 

 ふぅ…どうにか溢さずに運ぶことが出来た。部屋の前に到着したのだが両手が塞がっているので行儀は悪いが肩と腕でドアを開く。どうにも動きがサッカー選手っぽいので気持ちはスペインあたりで活躍する老獪な名DFだ。無事木製のFWに競り勝ち、真ん中に配置された卓にお盆を置く。

 ミッションコンプリート。

 

「それで七瀬さん、あなたは一体何をしているんです?」

 

 何故か襖の奥に体を入れ込み、芋虫のようにくねくねと動いている七瀬を見据えてそう言う。まさに頭隠して尻隠さず状態だ。というかスカートを履いているせいで目に毒だ。

 

「あっ!栄一郎君早いですね!座って待っているのも手持ち無沙汰だったので栄一郎君の部屋に変なものがないかなと散 探索していたんです」

 

 見事なもので体幹一つずらさず四つん這いまま後ろ向きに移動し顔をのそりとこちらに向けてくる。普段さらさらに真っ直ぐ整えられている七瀬の髪が今は不規則に散らばっておりその顔は新鮮だった。

 

「変なもの……?」

 

 詳しくは言わないが俺の頭の中がピンク色に染まる。こいつなんちゅうことしてやがる。とうとう俺のプライバシー中のプライバシーにまで侵略しようってんなら容赦しないぞ。

 

「変なものというか面白いものですね!今の所成果はゼロですけど」

 

 俺の姿をその目で確認し満足したのかまたガサゴソと襖に頭を入れ込む。

 ごめん七瀬。なんだか俺は酷い勘違いをしていたみたいだ。心の中で謝罪する。

 

「んっ?これは…」

 

 どうやら何か見つけたらしい七瀬は一際音を立てる。察するに何か奥から物を引っ張り出しているようだ。

 おいおいまさか、俺の秘蔵っ子が見つかった訳じゃないよな…まずい、まずいぞ…。一筋の冷や汗が横顔を(つた)う。

 

「栄一郎君、これってチェス盤ですよね?チェスなんてやってたんですか?」

 

 ふぅ〜、間一髪、人生最大の危難を逃れたらしい。俺は平静を装って答える。

 

「そうチェス盤。夏休みあたりかな、だいぶ前に始めてそれ以降ハマっちゃってさ…今はオンラインでしかやってないからチェス盤は襖の中に保管しといたんだった」

「へ〜、栄一郎君がチェスを。ちなみに私も初心者ですが少しやったことがあるんです。良かったら一回指してみませんか?」

「七瀬もやったことがあるんだ。良いよやろう」

 

 部屋の机はさっき持ち込んだお盆やら俺の私物やらで散らかっており、今更片付けるのも面倒だと思い、部屋の隅に重ねてあった座布団を二つ、ある程度の間隔を空けて配置する。そして等間隔になるようその間に件のチェス盤を置いた。

 地べた(フローリング)の上に敷かれた座布団に正座しチェス盤を挟んで向き合う姿は和洋折衷って感じで面白い。将棋みたいにチェスをしているし、畳じゃなくてフローリングだし、プレイヤーも日本人と外国人みたいな見た目の日本人。

 

 

 

 結果から言うと3局指して全勝だ。危なげなく勝利した。

 負けるのが怖いから本当はある程度の実力こそあるが初心者を騙る、そんな人もいるが七瀬は正直者だ。正真正銘の初心者だった。

 それに今や俺はあのArisu相手に20%近くの勝率を叩き出しているのだ。あの頃と比べればとんでもない進歩、とんでもない成長だ。何やら俺の成長と比例してArisuの執着が増している様に思えるがそこには触れない。

 そんなこんなありすっかりビギナーを抜け出した俺が七瀬に遅れをとるわけがなかった。

 

 

「まさかこれほど栄一郎君が強いとは思いませんでした…」

「流石に3ヶ月もやってるしちょっと齧った程度の人には負けられないわ」

「3ヶ月でこんなにも強くなるものなんですかね…」

 

 何やら納得がいかないと言う顔で思案する七瀬。

 

「栄一郎君はチェスの先生だったりがいらっしゃるのでしょうか?これだけ強いなら独力というわけではないでしょう?」

「先生……?」

 

 先生…先生ねぇ…。一瞬頭の中に1人思い浮かぶがアレは先生といえないだろ。勝っても負けて2桁単位のメッセージを目にも留まらぬ速さで送りつけてくる奴だ。感情の制御が杜撰すぎるだろ。先生というのならもっと落ち着きを払っていて欲しい物だ。かくして先生候補最有力者は脱落。

 

「…先生って感じじゃないけど父さんにはちょくちょく教えてもらってる。でもほとんどは独力だな。最近はずっとオンラインチェスに篭りっきりだ」

「…そうですか」

 

 若干目を細め訝しげに俺を見つめてくる。

 そういえば!と七瀬が煮詰まった話題から逃げるように切り出す

 

「栄一郎君ってあまり洋服には興味が無いのですか?クローゼットを見てみたのですがかなり数が少ないというか種類が少ないというか」

 

 ちらちらと扉が開きっぱなしのクローゼットに目線を送りながら問われる。肝心のクローゼットは密度が小さく薄手の布が何枚かひらひらとぶら下がっているだけだった。

 

「好きな人には申し訳ないけどさ、正直服って何着ても同じじゃないかって思うんだよな。確かに奇抜な柄物とか色物なら話は変わるけど、生憎俺はそういった類のものを着る勇気もないし似合うとも思えない。結局暑さ寒さが防げてシンプルなものに落ち着くんだよ」

「栄一郎君なら何でも似合いそうですけどね」

「おぉ…ありがとう。話は戻すとシンプルな服なら数千円とかで買えるでしょ?なのにわざわざ柄もない、同じような服を何万、何十万もかけて買うかって話だよ。服好きはわざわざそれを好んで買うんだからおっかない」

 

 七瀬の素直な合いの手に少々照れながら長々と持論を述べきる。

 

「栄一郎君の言わんとすることも理解できますが洋服には洋服で奥深い魅力があるんですよ?」

 

 わざとらしくスカートをふわふわと靡かせながら一回転する。

 

 服好きはみんなそう言う。俺の古い友人も言っていた。だけれど俺はその奥深い魅力とやらを理解できないままに一生を終えてしまった。そいつは入学初日から丈のサイズを間違えたのかというくらい長く、転んでしまったのかと見間違えるほど色があせ、穴が開いているズボンを地面に引きずりながら、上は様々なデコレーションのついたタイトなレザージャケット、最後はサングラスでまとめていた。なんだこいつはと一種の畏怖の念を持っていたのだが話してみると案外愉快な奴で大学以降も関わりを持つほどだった。そいつはことあるごとに自慢の服を俺に見せつけ、俺が理解できないと分かるや否や、やれやれこれだから素人は、と魅力を熱弁してくるのだ。それを冷めた目で見つめ耳から反対の耳へと聞き流すのが一種のお決まりになっていた。多額のバイト代をつぎ込んでしまったからには奮発して成功だったと思いこまなければやってられないのだろう。

 

「そうだ!栄一郎君!どうせならこれから一緒に洋服を買いに行きませんか?見たところ冬服がかなり少なそうなのでこれでは冬が心もとないでしょうしちょうど良いタイミングですよ」

 

 名案だと言いたげにキラキラと目を輝かせ提案してくる。その手は既に広げてあった荷物をまとめ上げ、ことさらこの部屋でやることはもうないと言いたげだった。

 

「…まあ元々今日は予定もなかったしな。ダラダラ部屋で過ごしててもやることないしいいよ、行こう」

「栄一郎君ならそういうと思ってました!」

 

 うん、言う前から準備してたもんね

 

「でも昼飯はどうするつもり?時間的に中途半端じゃん」

 

 チラッと時計を見る。ちょうど午前11時ぴったりを指し示している。

 

「う〜ん…そうですね。どうせなら外で食べちゃいませんか?今出ないと栄一郎君はずるずる引きずって家に籠りたがる気がします」

「間違いない、俺を引っ張り出したいならチャンスは今しかないな」

「やはりそうでしょう!そういうことなら早く行きましょう」

「はいはい、そういえば七瀬。どこに行くかは目星つけてるの?俺全然服屋とか詳しくないら全部任せるけど」

「それが私…男性ものの洋服屋さんは詳しくないというか…とりあえずショッピングモールの近くを歩いて考えようかなと思っています」

「そんなんで良いんだ」

 

 ここ!と店を決めて買いに行った経験がないからそんなもんなのかと適当に流す。

 

「良いんですよ」

 

 食い気味で七瀬が答える。

 

 

 

 今日はちょっと肌寒いし上着は着ていこうかな。こう見ると確かに洋服のレパートリーが少ないな。去年までの俺はよく冬を乗り越えられたな。思わず失笑してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

━━━━━

 

 

 

 両脇には一面緑の上にキンモクセイの黄色やサザンカの白がポツポツと散りばめられた低木を携えながら凸凹としたコンクリートの道をスタスタと並んで進む。

 目的地のショッピングモールまでは若干の距離があるため、自転車で良いのではと言ったものの今日は雨が降るから、と提案を退けられた。天気予報アプリを見ても雨模様なんて一切見当たらないが別に気にすることでもない。

 

「それで栄一郎君。お昼ご飯を食べてからお買い物に行きますか?それともお買い物をしてからお昼ご飯を食べますか?」

「俺は朝ごはん食べてきたばっかりだからいまいちお腹空いてないんだよな。まあ七瀬に任せるよ」

「それならお昼は後で良いですね。ぱっぱと栄一郎君のお洋服を見繕いましょう!」

 

 ここ最近で見たことないくらい上機嫌に言う。何時でも会える幼馴染と外出することのどこに喜びを見出しているのやら。

 

「ところで栄一郎君、進路のことって考えていたりするのですか?」

「これまた急に話題が変わるな。にしても進路って七瀬にはまだ早いだろ。どうしたんだ」

「いえ、生徒会の先輩が進路の話をしていたのでふと気になって…」

 

 そうなのだ。学級委員長を務めていた七瀬はそれに満足することなく、1年生から数人しか選ばれない生徒役員に熾烈な選挙を通じて抜擢されていたのだ。いや、熾烈というには七瀬が圧倒的な得票率だったかもしれないが。

 

「なるほど、生徒会って3年生がまだいるもんな」

 

 他の委員会ではこの季節になるとすっかり2年生に引き継ぎを済ませ3年生は役を解かれていた。生徒会だけはその膨大な業務量と難解さから猫の手でも借りたいほど逼迫(ひっぱく)しているためそんな事態になっているわけだ。生徒会の友人伝てに聞いただけだが。

 

「そうなんですよね。その先輩方が外部受験する様で忙しないんです。栄一郎君も確か外部受験を志望してましたよね。良ければどこを目指しているか教えていただけませんか?」

「高育、高度育成高等学校。そこを目指してる」

「高度育成…高等…学校…?」

 

 どうやら聞いたことないらしい。なんだその学校はという顔でぽつぽつと名前を繰り返す。

 

「そうそう。そこだと学費が無料だしどうやら卒業した暁には、超難関大学への進学でも、誰もが知る企業への就職でも100%叶えてくれるらしい。寮制で敷地外には出れないってのが唯一の欠点だけど中にはショッピングモールやら何やらまで全部揃ってるらしいからね。3年我慢すれば天国が待ってるなら是非とも行かせてくださいってんだ」

 

 入学前に得た情報としては100点満点の答えだ。実際はAクラスで卒業できた場合のみ、退学者続出、暴力万歳と一番下に小さな文字で注意書きがなされるが。

 

「寮制…それなら栄一郎君と1年会えなくなるってことですね…」

 

 なんだか曇った顔をして力のない声で呟く

 

「そんな寂しがることでもないだろ。お前学校でも生徒会でも上手くやってるじゃん」

「分かってない…本当に栄一郎君は分かっていない」

 

 なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ。天気は快晴なのにこれだけ陰鬱じゃたまったもんじゃない。

 

「そういえば1年って言った?七瀬も高育を目指すつもり?」

「栄一郎君が行くところならどこにでも」

「なんだか自分の意思がないなあ…」

「自分の意思で栄一郎君のもとに行くんですよ」

「そうなのか」

「そうなんです」

 

 

 どこからか鳥が鳴いた。モズの秋の高鳴きだ。木枯らしの秋風が優しく俺の顔をなぞる。一足先に冬を伝えに来た、気がしなくもない

 

 

━━━━━

 

 

「やっと着いた」

 

 随分歩いた気がする。大きく息を吸って吐く。疲れているわけでも滝屈しているわけでもない。ただの気休めだ。

 

「栄一郎君、洋服のコーナーはこっちみたいですよ」

 

 こっちこっちと器用に手首を折り曲げ俺を誘う。

 

「それでどのあたりがおすすめなの?」

 

 ショッピングモールならどこにでもあるような大看板のマップを前に尋ねる

 

「だから男性ものには詳しくないと言っているじゃないですか。そんなに女性ものを着たいんですか」

「そんなわけあるか」

「冗談ですよ冗談」

 

 俺の女装姿なんてどこに需要があるんだか。飲み会の罰ゲームでやったくらいだ。

 

「栄一郎君、当たって砕けろですよ!どうせならこの端の方からザーッとすべて見ていきましょう!」

 

 その瞬間数時間後に疲労した顔でとぼとぼと歩を進め家に向かう自身の姿が安易に想像がついた。

 

「ああ、ちょうどそう思っていたところだ」

 

 

 相変わらず顔の良いやつに弱いのが弱点だな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ご来店ありがとうございました〜

 

 

「う〜ん、中々目星いものが見つかりませんね」

「そうだな〜」

 

 

 そんな会話をする俺たちの腕にはまだ袋一つない

 

「似合ってはいるんですけどなんだかビビッと来ないというか」

 

  モールを活発に闊歩し始めて早2時間弱。その間幾つもの店を練り歩き、数えるのを諦めるくらい試着をしているのだが七瀬曰くビビッと来ないらしい。俺的にはどれも変わらないし、自分で言うのも憚れるが似合ってはいたと思う。なんたってこの栄一郎君ボディはスタイル抜群。だからと言ってもうこれで良いじゃん、なんてこと言うと拗ねるのだ。というか拗ねた。女性との買い物は難しい。世の男性たちが何千年かけても最適解を見つけられない難問を前にひしひしと感じる。綾小路(しゅじんこう)くんにもきっと無理だろう。

 

 

「ええと…このフロアの最後はここですね」

  

 ぐいぐいと異次元の推進力を見せながら道中スタッフさんに手渡された簡易的なマップを見つめ言う。

 どうやらここがフロア最後の店らしい。あくまでフロアだ。これだけ巡ったのにも関わらずまだあるのかよ、と心の声が思わず漏れそうになるのを寸でのところで堪えた。また拗ねられたらたまったもんじゃないからな。

 

「それなら早く入ろう。このままじゃ何も買わずに時間だけ浪費するなんてことになりかねない」

「栄一郎君はせっかちですね…ウィンドーショッピングも面白いというのに」

 

 いや,だから服を買いに来たのにウィンドーショッピングじゃ本末転倒だろうが

 

 いらっしゃいませ~

 只今当店の全商品が表示価格から5%OFFとなっておりま~す

 女性店員の良く通る声が店内に木霊する。

 

「栄一郎君聞きました?5%OFFですよ?」

「5%だとあんまりお得感を感じられないな」

「あまり店内でそういうこと言っちゃだめですよ」

 

 小声でたしなめるように呟く

 

 アパレルがよくシーズン間にセールをやっている理由としてお客さんを呼び込むため、次のシーズンの洋服を仕入れる資金を入手するため、っていうのは簡単に予想がつくと思う。ただより深堀りするのなら、会社の決算が悪くなることを恐れているのが一番大きな要因らしい。会計のルール上、売れ残った洋服は資産としてカウントされるのだが、何か月も売れ残った服は価値が落ちたとみなし、棚卸資産評価損(たなおろししさんひょうかそん)という損失を計上しなければならない。アパレルは当然大量の洋服を転がしているのだから売れ残りも大量である。そうなればせっかくの会社の利益が一気に吹き飛び、株価や銀行からの信用が落ちるというわけだ。

 

「栄一郎君、こんなのはどうですか?シックで栄一郎君にぴったりだと思うのですが」

 

 いつの間にか俺の横から消えた七瀬は早速服漁りに先んじていたようだ。数あるハンガーの中から一つを引っ張り出し、ひらひらと俺に見せつけてくる。

 

「まあ良いんじゃないか。よくわからないし全部七瀬に任せるよ」

「もう!そればっかり!」

 

 若干頬を膨らませたと思えば、背を向け服漁りに再突入した。

 だって最初に任せるって言ったもんな。

 

 

「彼女さん?」

 

 ぼーっと宙を見ていれば横から突然話しかけられる。

 

「まさか、ただの腐れ縁ですよ」

「あら、そうだったの。てっきり男女でブティックに来るなんてカップルだと思っていたけど」

「とんだ偏見ですね。男女の友人だっていますよそりゃ」

「だってすごくつまらなそうな顔をしてるんだもん。服屋に来るカップルは、彼氏が絶望的な顔をして興味なさそうに彼女の後をついていくの。そして彼女からこれなんかどう?って質問されると生気の籠ってない声で答えるの。そう相場が決まってるのよ」

「本当にとんだ偏見だった」

 

 俺のタイプはお姉さん。七瀬はただの幼馴染。

 

「今日はどうして洋服を見に行こうと思ったの?」

「僕のクローゼットを見た彼女が服を買いに行こうっていきり立ったんですよ。でも2…いや3時間たっても成果はこれです」

 

 袋ひとつ持っていない両手を降参のポーズで挙げる。

 

「買い物ってそういうものよ。その余暇も楽しまないと」

 

 微笑みながら答える店員さん。口元の皺がチャーミングだ。

 

 二人して並んでこれかこれかと服漁り、いやディグる?だっけか、に興じる七瀬を見つめる。

 

「それにしても彼女熱心ねぇ。あなたの服を見繕ってくれてるんでしょ?あなたも手伝わなくて良いの?どういう感じのものを探しに来たのか教えてくれれば手伝うけど」

「それが僕、恥ずかしながら服のことはさっぱりで…一回口を挟んだら完膚なきまでにねじ伏せられました」

「仲が良いのねぇ。若いって良いわ~」

 

 あらあらと手で口元を隠し嬉しそうに言う。いやあんたそんな歳でもないだろ。高く見積もっても40いってるかどうかくらいに見える。

 

「栄一郎君!これを試着してみてください!」

 

そんなこんなで七瀬のディグなるものは終わったらしい。腕に何重もの布をかけ顔を見せる

 

「おお、終わったか」

 

 それじゃあ、と店員さんに目配せをして七瀬のもとへ向かい戦利品を受け取る。

 試着室はどこだと一瞬迷う素振りを見せればさっきの女性店員が指をさしながらここよ、と教えてくれる。

 よく周りを見てるな。もしかしたらかなりやり手の店員さんなのかもしれない。なんて思いながらカーテンを閉める。

 

 

 

 

 鏡に映る自分はいつもより大人びている気がした。

 

 

 

 

 

 カーテンを開ければ七瀬とさっきの店員さんがやけに仲良く談笑に更けていた。時々慎ましやかにキャーなんて叫びながら。

 

「七瀬~試着終わったぞ~」

「分かりました。ちょっと見ても良いですか」

 

 

 おう、と言いながらカーテンを開ける

 

「…栄一郎君、これ買いましょう」

「そんな即決で?」

 

 どうせ『もう少し見ていきましょう。他の店もありますし』なんてセリフが続くと思っていた分拍子抜けだ。

 

「うん似合ってる。それだったらこんなのも合いそうだけど、どう?」

 

 これ幸いセールスモードに移り変わる店員さん。黒地で厚手のアウターを引っ張り出し俺に押し付けてくる。

 

 バサッと羽織れば確かに色合いやシルエットもばっちりだ。流石アパレル店員というところだろ。この目利き、やっぱ凄腕なんじゃないか。

 

「それも買いましょう」

「毎度あり~」

 

 お姉さんはくるりと背を向けレジに向かう。

 どうやらアウターも七瀬にビビッと来たらしい。あれだけ時間をかけたのに決まるときは一瞬なんだなと考えに耽りながらもやっと解放されると心の中でガッツポーズをする。

 

 もう一度試着室に戻り着替えてレジに向かえば店員さんが待っていた。

 

「いや~良い話聞かせてもらったしお姉さんサービスしちゃう。本当は5%だけど25%までおまけしちゃう」

「良いんですか?」

「良いのよ良いのよ。ここだけの秘密だからね」

 

 ちらちらと七瀬の方を見ながら声を弾ませる。その間も洋服を綺麗に畳みながら。器用なこった。

 別に安くなるに越したことはないのでそれ以降は特に問いたださず支払った。

 

「はい、支払いは現金ね。袋もつけていくでしょ?袋代はいらないわ」

 

 先ほど畳んだ洋服を丁寧に、やけに底の深い袋に詰めていく。

その袋とお釣りを手にわざわざカウンターを出てお辞儀とともに手渡してくる。フランクな店員さんと思いきや大事なところはしっかりしているらしい。

良い店だったな。これを機に俺はここを行きつけに設定し、服への興味と知見を高める。終いにここで働くこととなる――なんて未来は、まるでない。

 

 

 

 

 恒例の、またのお越しお待ちしております。という声を背に店から出る。

 

 

「いやぁ、想像してたより安く済んで助かった。5%OFFのままだったら足りなかったかもしれない」

 

 流れで値札を見ることを忘れていたがそこそこ良い値のする店舗だったらしく持ってきたお金の大半が吹き飛んだ。

 

「にしても七瀬。いったいあの人に何話したんだ?あんだけの大盤振る舞いなら俺の恥ずかしい話でもしたのか?」

「どちらかと言うと私の方が…」

 

 最後のほうがごにょごにょと濁っていたこともあり雑踏に紛れて聞こえない。

 

「なんだって?」

「いえ!それより昼食はどうしますか?すっかりお昼は過ぎましたけど」

「昼ね、完全に忘れてた。別に家に帰ってからでも良いんだけど、せっかくここまで来たら何か食べたいよな」

 

 凄まじい力技で会話のレールを切り替えられたが、追及するほどの興味もなかったので大人しく乗っかってやる。

 

「ここからだとCエリアのフードコートが近いみたいなので行ってみますか?」

「そうだな。見に行けばまたお腹空くかもしれないし」

 

 

 近場のエスカレーターを上り、Cエリアのフードコートに足を踏み入れた瞬間、凄まじい匂いの波に殴られた。

 お好み焼きのソースの焦げる匂い、豚骨ラーメンの濃厚な湯気、分厚い赤身ステーキが焼ける鉄板の音。それらが渾然一体となって、俺たちの嗅覚を容赦なくハッキングしてくる。

 

「……なぁ、七瀬」

「はい」

「お腹、空いてきたな」

「不思議ですね。私も今、猛烈に食欲がわきました」

 

 さっきまでの家に帰ってからでもいいというセリフは、フードコートの魔力の前にもろくも崩れ去った。

 偶然空いていた机に荷物を置くとに空間全体に満ちた匂いに突き動かされるように、ちりぢりに散ってそれぞれの食指が伸びる方へと向かう。

 

 数分後、再び机に持ち寄られた各々選りすぐりのトレイの上は全く異なる様相を呈していた。七瀬の目の前には、各種スパイスの強烈な香りが鼻を突く、真っ赤なスープの麻辣湯(マーラータン)。一方、俺の目の前には、男なら誰しもが好物の一つに挙げるであろう茶色い正義が黄金色に輝く山盛りの唐揚げ定食。

 

「……七瀬、それ結構辛そうだけど大丈夫か?」

「はい、この舌の上で痺れる辛さが癖になるんです」

 

 最近、麻辣湯流行ってるもんな。完璧人間七瀬さんも一介の流行りもの好きな女子中学生だ。

 空調の影響か麻辣湯の湯気がちょうど俺の顔に当たる。吸う息、吐く息がどことなくスパイシーな感じがして心なしか汗がでそうだ。

 俺は自分の顔にかかる辛味要素がギュッと詰まった湯気を手で払いながら、サクサクの唐揚げをがぶりと囓った。サクサクの衣を突き破れば口いっぱいに広がる肉汁。やはり大正解、唐揚げにハズレ無しだ。なんたってなんちゃらグランプリ金賞だぞ。どの唐揚げ店も金賞を受賞している気もしなくもないが。

 

 ふと見ると、七瀬が真っ赤なスープにふぅふぅと息を吹きかけながら、こちらの唐揚げをじっと見つめている。

 

「……食べるか?」

「えっ。い、いいんですか?」

 

 普段のすました顔からは想像できないほど、分かりやすく目を輝かせる。

 

「おう、六個もあるから一個くらいやるよ。その代わり、七瀬の麻辣湯も一口もらうぞ」

「うぐっ……。まあ良いでしょう。交渉成立です」

 

 

 お互いのトレイを少しだけ中央に寄せ、俺は箸で一番大ぶりの唐揚げを一個、彼女の皿へと移した。これは俺の優しさだ。代わりに、七瀬は『どうぞ』と、ごく自然な動作で自分の蓮華(れんげ)をこちらに差し出してくる。

 

 ありがとうと一言伝え、蓮華を赤みの沼に沈める。

 

「――ッッ!?」

 

 喉を通った瞬間、爆発的な刺激が口内を駆け抜けた。辛いというより痛い。いや、舌の神経が根こそぎ麻痺してると言っても過言じゃない。

ごほっ、と咽びそうになるのを必死で堪え、俺は卓上の冷水を一気に煽った。喉に染み渡る水の冷たさだけが、今この瞬間、唯一の救いだった。今宗教勧誘なんてされたら快く首を縦に振るだろう。

 

「……っ、おい! これ人間の食うレベルの辛さじゃねえだろ。十辛だろ! 舌死ぬわ!」

 

 昔友人とチャレンジした激辛ペヤングを思い出す。本当に辛い時は自分の食道のどこにブツがあるのかすぐわかるのだ。

 

 もう辛抱ならんとトレイを七瀬のほうに寄せ戻す。

 俺の顔を見てアハハ、と笑いながら一口、また一口と蓮華を進める七瀬。昔から七瀬には勉強だろうが運動だろうが大抵のことなら勝てると思っていたのだが我慢強さだけは完敗のようだ。いや、服のセンスもか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俯きながら箸と蓮華を進める七瀬は辛さのせいか若干顔を赤らめていた。




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