ようこそ死んだはずの俺が行く教室へ 作:ホムンクルス至上主義者
本格的な寒さが到来し、カイロと上着が手放せなくなった季節ごろ。西高東低の気圧配置が俺を絶賛悩ませていた。
クリスマス、毎年一回必ず訪れるこの日に七瀬からメールで『イルミネーションを見に行きませんか?』と誘われた。悲しいかな俺のカレンダーに予定の記載はなく、仲の良い友人たちも彼女と過ごすやら、家族と過ごすやら、寒いから外に出たくないなんてふざけた理由で俺のやんわりとした誘いを断った男もいた。その日も父は仕事で夜にはおらず、やることもなかったので快く引き受けたわけだがその代償が今俺を悩ませている。
結論から言うと、風邪を引いた。2度目の人生、生まれてこれまでちょっとした体調不良はありながらも本格的な風邪をひいたことはないという超人じみた頑丈さを見せてきたこの栄一郎ボディだが、ついにその無敗伝説も破られたわけだ。
かくして今、俺は自室のど真ん中に設置された
実態は看病と言いながらだらだらと言葉を交わしたり、一緒に炬燵に入りながらミカンを食したり、ただそれぞれが持ち寄った本を読書したりだとかかなり怠惰なものだったのだが。
炬燵の温かさが体を起こすことに異議を唱えるが、何とか腰から上を持ち上げてミカンを一つ掴み取る。調べてみるとかなり良いとこのブランドらしく、ずっしりとした果汁と実の重みがこの後、俺の舌を襲う味覚のキャパオーバーへの期待を膨らませた。
オレンジ色の皮をむき去る。実に付属している白い筋、正式名称アルベドを短く切り揃えた爪でちまちまと剥いていく。これが無いほうが甘くミカンの甘味を楽しめる。
しかし鬱陶しいアルベド君にはなんとも功名な栄養素が含まれているようで、腸内環境を整える食物繊維のペクチン、血流を良くするヘスペリジンというビタミンPが豊富に含まれているらしい。
医者でもないので腸内環境が整おうが、血流が良くなろうが、今俺を悩ます風邪を改善してくれるのかは不明であった。だから一つめは剥かずに、二つ目は剥いて楽しむ俺こと優柔不断人間は最適の回答をしたと思いたい。
そういえばこの冬休み期間、学校から面倒な課題が出された。
私立学校にも授業参観は当然あるようで冬休み明けの3学期に開催される予定とのことだ。授業参観といえば普通はいつも通りの国数英理社といったガチガチの座学や、道徳の授業でグループワークなんかがベタだと思うが、弊学では親への感謝を育むためなのか、はたまた少し早いキャリア教育のためなのか、親の仕事内容をインタビューしてまとめ上げ、それでは飽き足らずクラスの前で発表しろとのお達しがなされた。
俺はその課題に従い、いつも通り仕事を終え家に帰ってきた父に間を見計らってインタビューしたのだ。
「執事だよ」
執事…執事…良いよね執事。中世ヨーロッパみたいで良いよね執事。おしゃれだし。
にしてもこんな時代に執事なんて雇ってる人いるんだな。そこにまず驚愕だ。ハウスキーパーとか家政婦さんならいるだろうなって感じだけど執事?一体どんな雇い主なんだか。普段から黒くてやけに燃えやすい油に囲まれて紙幣を薪代わりに使ったりするのだろうか。夏は中東あたりでトーブに身を包みクーフィーヤを載せ、輪っかのようなイカールを冠るのだろうか。砂漠に囲まれラクダに乗りながら優雅に蒼いソーダでも飲むのだろうか、いやそれだと若干下品だからスパーリングウォーターか。なんだかワクワクしてきたぞ。
せっかく最高の証人が目の前にいるのでどうせならと尋ねてみた。
「栄一郎は知らないかもしれないけど
と言うんだ。なんだムハンマドとかファハドとかじゃないんだ。想像してたものよりも興醒めでガックリとしてしまう。
いやいやそれよか綾小路だって?聞いたことあるどころか滅茶苦茶馴染みのある名前だ。ただ苗字が同じなんてザラだ。綾小路って苗字は珍しいけどなんと日本は1億2000万の人口を抱えているんだ。どんなにも珍しくても何人かは必ずいるだろ。
だからフルネームで聞いたよ。息子の方の名前を。暗雲立ち込める中、一筋の光に手を伸ばすように。
「清隆君だよ、綾小路清隆君。ちょうど栄一郎と同い年のお子さんだね」
清隆…綾小路清隆だよな。それってあれだよな。世界の主人公綾小路清隆君だよな。
まさかそんな縁があるとは。俺の父が綾小路の執事?相関図で表すなら俺から父一人挟むだけで綾小路清隆君に辿り着くわけだ。家系図なら実質孫と同義ですよ孫と。
一先ずそんなお人形は置いとくとして問題は綾小路父の方だよ。確かこの人って
そんなこんな思考をあちこち散りばめているうちにちょうどミカンを食べ終え手持ち無沙汰になった。
さて何をしようか。筋トレは病人に毒だし、チェスはもう朝に何局もやった。眠いには眠いけどまだ日の出ているうちに寝るのは勿体無い気がしてならない。という訳で読書でもするかと思い立った俺は立ち上がるのも億劫なので自衛隊の
プルプルと震えるくらい伸ばし切った人差し指が辛うじて届き、くいくいとひっかけ取り出した本はジョージオーウェルの『1984』だった。
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ビクッ
…ハッ!どうやら本を読み進めているうちにすっかり眠っていたようだ。壁掛けの時計は17時33分を指しており、本を読む前まで見えていたレース越しの日光も今はすっかり闇に飲まれていた。
2時間近くも寝ちまったよ、これじゃあ夜寝れないじゃないか。普段なら眠気を徐々に帯びる時間であると言うのに思考はぼんやりとした薄い膜が剥がれたようにシャキリと冴えていた。思考だけでなく身体も体温計を使った訳ではないが体感ではかなり熱が下がり平熱に近づいたように思う。
こうなるとどうも落ち着けない。普段酷使している筋繊維や脳みそ達が早く俺たちを使ってくれよ、風邪は治っただろ?俺たちは準備万端だぜ、だなんて俺に囁いているようだ。
だいぶ熱が引いたとはいえ途端にトレーニングをおっ始めるほど筋肉バカでもないし自制心は持っているつもりだ。俺と彼らの白熱した議論の結果、お散歩が折衷案として可決された。我が身体の治世は民主主義なのでその決定に従う。
幾分か軽くなった身体を持ち上げクローゼットへと向かう。朝から着続けていた部屋着を脱ぎ去れば、中に篭っていた体温というか発された熱の残り香というかが大気に放出され心地よさを感じる。下着含めすべてを脱ぎ去りマッパになってからハンガーへと手を伸ばしていく。世間では裸族なる趣向が勢いを持っているのも納得だ。この解放感と手軽さは一度手にしたら決して手放すことはできないだろう。
以前七瀬とわざわざ買いに行った洋服を身にまとっていく。直近で手に入れた洋服がやけにお気に入りになり、結果的にそればかり着てしまうのは人間誰しも経験があると思う。まさに今の俺だ。
加えてあのやり手店員さん、なんと靴下やマフラーまでサービスしてくれたのだ。しかも俺と七瀬それぞれに。やけに袋の底が深いと思ったがまさかこんなことまでしてくれるとはサプライズだ。あれのせいでせこせこと貯めてきた貯金が一目でわかるくらい目減りしていて貯金箱を見るたびに胸がキリキリするのだ。しかしサプライズを鑑みて総合的に考えればかなりのお買い得だった。
どうであれ冬のメンズセット一式が揃ったのだ。俺のクローゼットは以前よりも彩に満ちていた。モノトーンカラーを彩りと言うのならの話だが。
今日は時間もあるし少し遠くまで行こうか。首から垂れるマフラーをペチペチと時折サンドバッグに見立て、手甲でペチペチ叩きながら思い立ち、今に至る。
今の頼りは道路沿いに等間隔で並ぶ街路灯と眼下に見える照明くらいだ。水辺に近いこともありそれらの明かりに誘われたユスリカどもが冬だというのにわらわらと群がり蚊柱を形成している。
向こうから走ってきたランニング中の男性が、鬱陶しそうに蚊柱を振り払いながらすれ違っていく。やはりユスリカはランニングを趣味とする者にとっては天敵だ。俺も何度こいつらによって挫折に追い込まれたことか…汗を流そうとシャワーを浴びるため、服を脱いだら肌にくっついるユスリカの死骸。帰ったら気づく口腔にある謎の異物感。そのどれもがかつての俺を苦しめた。
そんな忌々しい過去回想から俺を現実へと引き戻したのは、眼下の河川敷コートから響く声だった。ナイター照明に照らされたコートでは、俺と同じ中学生らしき少年たちがサッカーに興じている。その中の一人、一際目立つ動きで周囲を翻弄している茶髪っぽい少年がいた。本来なら中学生で髪を染めるなんて、と眉を顰めるのだろうがこの世界じゃその常識は通用しない。にしてもかなり上手いな彼。
夜の静寂には不釣り合いなほど、若者たちの快活な声が響き渡る。その眩しさに、俺の脳内を占めていた不愉快なユスリカとの思い出は、一時的に払拭されそうになった。
あくまで『されそうになった』だけだ。よく見れば、どうやらあの少年はコートを支配するだけに飽き足らず、コート外にまで絶大な影響を及ぼしているらしい。
ピッチ内外を区切るフェンスの外には同世代の女子たちが何人も横並びで陣取り、彼がボールを持つたびに黄色い歓声を上げている。
いくらお姉さんが好きとはいえ、同年代の男がこれ見よがしにモテまくっている光景が気に食わないのは男の常だ。一時下がりかけていた俺の不快指数をユスリカと同等レベルに針を動かす。
やめだやめだ、これ以上あの眩しい光景を見ていると俺がダメになる気がする。
現実逃避に携帯へ目を移すと既に20時を回るあたりだった。
まじかよ、そんな歩き続けているのか。
改めてその距離と時間を認識するとどうにも喉が渇いた。カラカラだ。今すぐ何か飲みたい。
人間の身体とは現金なもので、意識すればするほど喉が砂漠のようになっていく。石油は出ないから百害あって一利なしだ。
携帯で地図アプリを開き現在地を確認する。GPSの指し示すルートによると、ここから300m突き当たりを進み、そこを右へと曲がって100mほど進むとコンビニエンスストアがあるらしい。
「……よし」
自転車のギアを変えるように若干小走りにモードを変えた。行く手を阻むように時々現れる蚊柱をシャドーボクシングのようにするすると
気分はナミブ砂漠のシマウマだ。
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いらっしゃいませ〜
ウィーンと両側に開く自動ドアを抜ければ二人の店員さんから挨拶をされる。
無視するのも寝覚めが悪いので軽く会釈をして飲料コーナーへと直行する。この時間帯はかなり空いているようで誰一人避けることなく辿り着いた。
大量の飲料物の壁を前にすると、ここまで来て水なんて買うのもなんだかなあと思う。
エッフェル塔のラベルが貼られた黄色いやつや、ドイツの大手自動車メーカーみたいなラベルを貼ったやつ、生姜と砂糖、水を煮詰めてレモン汁を加えたあれ。今炭酸飲料なんて飲んだら仕事終わりに生ビールを流し込む中年男性みたいな呻き声をあげてしまうだろう。
と、冷たい液体ばかり注視していたのが災いしたらしい。今度は膀胱が緊急事態の信号を脳へ発信し始めた。
まあ良い、買うのは後でも良い。今はトイレだトイレ。トイレが先決だ。
キョロキョロと視線を走らせればトイレは右側にあった。
(……珍しいな)
コンビニのトイレというのは基本、店の出入り口から一度曲がって真っすぐ進めば到着する作りになっている。加えて雑誌コーナーもその導線上に配置されている。
しかしこの店舗はトイレが出入り口から1番遠い対角線の位置だし雑誌コーナーもトイレの横ではなく反対側とあべこべな作りだ。このコンビニ…何か変…だ。
ジャーーーーーーー
はあー、すっきりすっきり。
トイレの洗浄音を背後に全てを出し切った俺は満足して、さあ元の目的に戻ろうじゃないか、とドアノブに手をかけた。手を洗った後にドアノブとかあまり触りたくないんだよな…
被害を最小限にしようと人差し指の先っぽだけでなんとかドアノブを勢い良く下げて開く
「え?」
「あ…」
「ええと…何をされてるんですかね…」
勢いよく下げたドアノブが反動で音を立てながら元の位置に戻る。
ドアを開ければ先ほど見たばかりの飲料物の壁が見える――のを期待していたのだがそこには先客がいた。そこまでは納得だ。喉を潤したいと考える人は幾千万といるし現に自分がそうだ。何らおかしなことはない。ただ一点を除けば。
そう、彼女、なんと缶ビールを片手に、まさに今、肩にかけたトートバッグに入れかけているのだ。傍から見ても、俺から見ても、彼女が所謂万引きをしようとしているのは明白だった。
正直に言う。くそほど面倒だ。正義感に駆られ彼女を突き出しても、無視しても面倒ごとになるのは丸わかりだ。
「……………」
「いや、なんか言ってくれ。困るんだよ…すごく…」
言葉をかけても話し始める気配すら見えず、ずっと固まったままだ。別に話さなくとも固まっていようとも勝手にしてくれと言う感じなのだが、缶ビールをバッグに入れようとしたままの状態で固まっているのが問題だ。誰かに見られたらどうすんだ。ピクリとも瞬きをしない。そんな我慢強いなら演者に向いてるよ君。急に動き出すドッキリ系とか、時間停止系とか。
「………………」
「………………」
どれくらいそうしていただろうか。
さすがに不毛すぎる時間が限界を迎えたのか、彼女はギチギチと錆びた人形のような動きで首をこちらへ巡らせてきた。
「……ねえ。通報、するわけ?」
ジト目。元々釣り目がちに見えるのもあるが、あからさまに不機嫌そうで、しかしその奥に明らかな焦りを滲ませた瞳が俺を射抜く。
「いや、しない。というか、俺は視力が低いんだ。何より興味もない」
「……は?」
「だから、その手に持った缶ビールを静かに棚に戻して、俺が飲み物を買って出ていくまで大人しくしててくれれば、この場には最初から誰もいなかったことになる」
ちらりと監視カメラのほうを見る。ついでに彼女の延長線上にある雑誌コーナーを見る。
お互いウィンウィンの提案のはずだ。彼女は犯罪一歩手前で踏みとどまれる。俺は早く帰れる。だが、彼女はあからさまに怪訝そうな顔をして、バッグに半分入ったビール缶を握り直した。
「……何それ。あんた、あたしを
「するメリットがどこにある。俺は面倒ごとが嫌いなんだ。何より喉が渇いてる。頼むからこれ以上俺の残り少ない水分を消費させないでくれ」
ちらりとまた雑誌コーナーを見る
はあ、と深いため息をつきながら俺は彼女の横をすり抜けて、当初の目的からはだいぶ逸れた緑茶のペットボトルを手に取る。トイレの最中、炭酸飲料は体に悪いと気づいたのだ。
彼女は呆然とした様子で、俺の背中と、自分の手元のビール缶を交互に見つめていた。
「変わった奴……。じゃあ、お言葉に甘えて。それよりあんたさっきからちらちら何見てるわけ?」
まずいバレた…
そう思い立った俺は質問を無視して電光石火の速さでレジへと向かう。わざわざ雑誌コーナーの前を通る遠回りをして。
「ちょっと、無視すんなし……!ていうかあんた……!」
背後から彼女の苛立った小さな声が聞こえるが、そして何かを察して引きつったような声が聞こえるが、構っていられない。推定万引き犯とこれ以上話すことはない。
「QR決済で」
現金派の俺だが一番迅速に済む決済方法を選ぶ
「袋はいりますか?」
「いらないです」
食い気味で応える。心の中で早く早くと店員さんをせかす。その焦りが伝わったのか不器用ながらに頑張ってくれる。
お買い上げありがとうございました~
決済音と同時に、ひったくるように緑茶をつかみ取って最速で自動ドアに向かう。普段は一ミリも気にならないのに、こういう時だけ自動ドアの開くスピードの遅さにクレームを入れたくなるのは人間のサガだろう。
滑り込んできた冬の夜風が、冷や汗の浮かんだ首筋を通り抜けていく。
コンビニの敷地から十分に距離を取り、もう大丈夫だろうと、普段より早めていた歩みと大きくした歩幅を元に戻した。
携帯を見れば20時45分と表示されていた。ここから急いで帰ってもかなり遅くなるし連絡しておくか。メッセージアプリを開き、『今日はちょっと遅くなるから先食べて』と父親に送信する。
波乱万丈今日はいろいろ忙しかったな。ふう、と一息ついてペットボトルのキャップをねじ開ける。パンパンに詰め込まれた緑茶の黄緑が、小さな円形から垣間見える。数十分前の俺は砂漠のシマウマだったかもしれないが今の俺は肉食獣だ。飲み口にむしゃぶりついてごくごくと喉を激しく鳴らす。
「……ぷはぁ」
飲み口から口を離すとすっかり緑茶は1/3まで目減りしていた。だが、まだ足りない。乾ききった身体に対して、500mlのペットボトルはあまりにも力不足だった。
(今からあのコンビニに戻るのも面倒だ……少しくらい我慢するか……)
何より、今戻ったらさっきの万引き未遂の少女とまた鉢合わせるかもしれない。話が通じなそうな女は懲り懲りだ。
「――ちょっと、待ち、なさいよ……!」
そんなこと考えていると突如、がしりと俺の肩が掴まれた。背後からのひどく息を切らした声とともに。
振り返ると、そこにはさっきの少女がいた。冷たい冬の空気の中、肩を大きく上下させながら。彼女は俺の目の前まで走って詰め寄ってくる。ハァハァと白い息を吐いて。
その両手には、温かそうな缶ココアが二つ、ぎゅっと握りしめられていた。
「あんた……足、速すぎ……。呼んだのに、完全に無視して、逃げるみたいに……」
「いや、無視したわけじゃなくて急いでただけなんだが」
「いや……散々話、かけても無視、してたでしょ……!」
かなり本気で巻いたはずなのに追いつくか。この女は結構足が速いらしい。万引きで磨いた逃げ足か?
「それにしてもどうしたそれ。また万引きしてきたのか?折角止めたのに懲りず」
「はあ?そんな、わけないでしょ。買ってきたのよ。あんたのために」
「俺のため?」
「そうよ。あんたのため」
ぐい、と見るからに温かそうな缶を俺に押し付けながら言う。ちょうど緑茶じゃ足りないと思っていたのだ。ありがたく受け取ろう。ただ開ける前に缶を傾けながら、側面をぐるりと一周するように爪や指先で数十回トントンと叩く。
「……なにしてるのあんた」
怪訝そうな目で言う彼女。ずっとジト目だけどなんか癖でもあるのか?
「いや、走ってきたんだろ?なら開けた瞬間に噴き出すかと思って」
「何言ってんのあんた。ココアは炭酸じゃないけど」
「それもそうか」
「バカなのね。あんた」
緑茶を買ったは良いもののまだ炭酸飲料に思考が引っ張られていたようだ。万引きしようとしていたやつにバカなんて言われる筋合いはないが。
「……少し…話聞いてよ」
すっかり息を整えた彼女はやけにしおらしく告げた。河川敷に並ぶベンチを指さしながら。
奢ってもらったしな…ココア飲んでる間くらいは聞いてやるか。
余った緑茶を勢いよく飲み切る。
ガコンッ
「それで話って一体何?」
「……聞かないわけ?万引きしようとしてた理由」
「だから興味ないって言ったじゃんか」
先ほどのペットボトルをゴミ箱に捨てベンチに腰を据える。木製とは言えこの時期になるとさすがにひんやりしている。
「…………」
「…………」
またこの流れかよ…しょうがないから口を開く。
「ちなみに年齢は?」
「…13、それがどうしたってわけ」
「13ね。なら万引きのスリル目的ってとこか」
「――っ!?」
少女が目に見えて息を呑み、身体を硬直させた。
両手で持っていた缶ココアが、その指先の中で微かに震えている。ジト目だった彼女の瞳が驚愕の色で見開かれていた。
「あんた……なんで、それを……」
「そもそも20歳未満。自発的に酒を飲むには万引きくらいしかないが、だとしたらココアよりも炭酸飲料を買ってくるだろ。飲みたいと思って万引きしようとしていたところで俺に横槍を入れられたんだからなおさらだ。だから飲兵衛の線は薄い」
諭すように淡々と続ける
「貧乏だからって可能性もあるけど、だとしたらわざわざこのココアを買わないだろ。味は良いが、他社の製品に比べれば若干割高なやつだ。おまけに破滅願望なら俺なんかに構わず、俺がいなくなった後に改めて万引きをやり直せばいい話だ」
「…はあ」
隣に座る彼女が息を漏らす
「……正解だよ、大正解。あたしさ、昔、重い病気して死にかけたことがあってね。その時からずっと、自分が本当に生きてるのか分からなくなるの」
夜の冷気の中、彼女の口からぽつりぽつりと、歪んだ生の実感が語られていく。
俺は時折ココアに口をつけながら前を見据え耳だけ貸す。
「でも、あの万引きするときの、心臓がバクバク鳴る瞬間だけは――あ、あたし今、捕まるかもしれない、生きてるんだって、実感できる気がして。……バカみたいでしょ」
「うん、バカだ」
「はあ!?」
「スリル程度ならギャンブルでも賭けでも他にやりようがあるだろ。破滅願望が無いというのにわざわざリスクを背負うバカがどこにいるんだか」
あ、目の前にいるか、なんてけらけら笑いながら言う。
隣で彼女がプルプルと震えている。
「あ、切れた。時間も時間だしそろそろ帰るわ」
ちょうどココアを飲み切った俺はよいしょと腰を上げゴミ箱へ向かう。
ポイッと缶を捨てた俺は言う
「そうだ。万引きはやめろなんてつまらないことは言わないけどさ、もっと自分の意志を持てよ。せっかく重い病気克服して生きながらえてるのに、その場の快感に流された思い付きの行動で人生パアなんて笑いものだ。大して深くも考えず、衝動に振り回される人生って本当にお前のものって言えるのか?」
もう良いだろ。踵を返し帰路に就く。時間を見れば21時33分だった。帰るころには22時なんてとうに超えているだろう。家で待っているであろう父に若干の申し訳なさが生まれる。
だからこそ小走りで河川敷の坂を上ろうとしたその時だった。
「――っ、ちょっと待ちなさいよ、このグラビア変態野郎!!」
夜の静寂を切り裂くような、ひときわ大きな怒声が背中に突き刺さる。振り返りはしなかったが、声の主がベンチから立ち上がってこちらを睨んでいる気配が伝わってきた。
「偉そうに意志だの人生だの語ってんじゃないわよ! さっきコンビニで、あたしを見てるフリしてずっっっとグラビア雑誌の棚見てたの、気づいてないとでも思った!? あんな熱心に表紙の女の胸見てた奴に説得力なんてあるわけないでしょ!!」
冬の風に乗って、彼女の必死の暴露が響き渡る
周りを見渡せば少なくとも人一人っ子見つからなかったのが救いだ。一応、川を挟んで反対側の岸に犬の散歩中らしき人影が見えたが大丈夫だろう。何と言っても、ここは家からいくつも市を跨いだその先の先。
まさかご近所さんや俺の顔見知りなんているわけがない。というかそうでないと困る。
意志や人生なんて言っときながら最後は神頼みだった。
それにしてもあの紫髪。どこかで見た覚えがあるが思い出せない。アニメにあんな人物いなかったはずだし人違いだろう。