ようこそ死んだはずの俺が行く教室へ 作:ホムンクルス至上主義者
パンッ!………パンッ!………パンッ!
「よ〜し、栄一!良いキックだ!だが背骨を軸として考えるな。左右の股関節を軸に二軸で蹴り込め!」
「ウッス!」
師範に言われた通り、身体の軸を移し替える。一軸から二軸に変われば当然キックの重みが変わる。
目の前に吊るされたサンドバッグも、より鈍い音を空間に響かせた。そこに天井とサンドバッグとを結ぶ金具の音が合いの手を加える。
「そう…そう!それだ、それ!」
腕組みを解き、パチパチと軽い拍手をしながらゆっくりと駆け寄ってくる師範。突然俺の腰を両手で掴み左右に動きを加える。
「次は軸足を抜いてみろ。骨盤を動かしてリーチを伸ばすイメージだ。力は入れつつ鞭のようにしならせろ」
「ウイっ!」
「いいぞ〜いいぞ〜栄一。やっぱりお前は見込みがある」
「あざすッ!」
ドンッ!………ドンッ!………ドンッ!
先ほどまでの乾いた音とは明らかに違う、地響きのような衝撃音が道場に響き渡る。
軸足を抜いた瞬間、まるでロックが外れたかのように骨盤が鋭く回り、俺の
「今のは最高だ! 骨盤がしっかり前に出て、リーチも一拳分は伸びてるぞ!」
師範が興奮気味に俺の肩をバンバンと叩く。衝撃で脳が揺れるような感覚を覚える。
一軸のときのようなコンパクトさはない。だが二軸で生み出した体重移動のエネルギーが、軸足を抜くことでブレーキをかけられることなく全てサンドバッグへと突き抜けていく感覚。自分の足が本当に一本の強靭な鞭になったかのようだ。もしも俺がSM嬢ならば、これで鞭要らずだ。忘れ物の心配がなくなる。幸い男だからそんなメリットを享受することはない。
「あざすッ! なんか…力んでた時より、むしろ体は軽いのに威力がヤバいです、これ」
息を荒くしながらも、掴みかけた新しい感覚に胸が高鳴る。なんだか階段を一段上るような感覚だ。
「そうだ、それが脱力と回転の連動だ。でもな栄一、気持ちよくなって大振りになりすぎるなよ? 軸足を抜くってことは、空振りしたときのリスクもデカい。次はその威力を保ったまま、蹴り終わりに素早く元の構えに戻る『戻し』を意識してみろ」
師範はそう言って、再び不敵に笑いながら一歩下がった。
「よし、あと30本! ガツンと重いの、戻しまで完璧にいってみようか!」
「ウッス!!」
俺はもう一度、眼前のサンドバッグを鋭く見据えて力を込めた。
「ひぃ〜、づがァれだァ……」
乾き切った喉にスポーツドリンクを流し込む。全身の細胞が生き返るようだ。まるで、萎びたスポンジが水を得たかのように。仕事終わりに生ビールを流し込むのと同じだ。スポーツドリンクに枝豆は合わないけど。
「師範のしごきに食らいつくなんてお前やるなあ」
隣に腰かけた先輩が喉を鳴らす。どうやらさっきまで縄跳びを跳んでいたようだ。同様にスポーツドリンクを流し込む彼の右手にはその縄が掴まれていた。
「いやぁ〜、やってると夢中になってしまう性分でして…」
「だとしてもスゲェよ、お前ここ来る前に何かやってたんだっけ?」
「柔道と空手をそこそこ。あとピアノもやっていましたね。水泳とそろばんもか」
「そこまでは聞いてないわ。でも柔道と空手?そこからキックボクシングって、かなり急な心変わりだな」
「自分に限界を感じ始めたところで、そこにちょうど引越しもあったので良い機会かと思いましてね…」
持参した白いタオルで額の汗を拭う。表面の汗こそ拭えるが内部の熱は振り払おうにも振り払えない。体の表面から蒸気でも出そうなほどに熱い。
「お前って確か師範直々に練習参加に誘われたクチだろ?」
「ええ、まあもともとお世話になるつもりでしたが」
例の老け顔との戦闘を終えた俺は、今のままではダメだと痛烈に限界を感じた。だから引っ越しを良い機会として、戦闘技術を高めるために全国区でも有名なこのキックボクシングジムの門を叩いた。最初はジムの端で見学でも、と思っていたが見かねた師範が強引にリングへ連れ出した。決して道端で突然スカウトされたわけじゃない。そんな漫画のような展開が現実世界で起こりうるはずもない。
「限界を感じた、ねぇ……。うちの師範、見る目は確かだからな。あの人があそこまで付きっきりで教えるなんて滅多にないぞ。お前、ここならその限界とやらも乗り越えられるだろ」
先輩にポンと肩を叩かれ、少しの照れくささと、それ以上のモチベーションが体の奥から湧き上がってくるのを感じた。
「……だと良いですね」
「なんだよ、しけてんなぁ……よし、俺も負けてらんねぇな。もう1セット跳んでくるわ!」
先輩はそう言って、再びシャカシャカと鋭い音を立てて縄跳びを始めた。
俺は空になったペットボトルを置き、まだ熱を持った自分の両拳をギュッと握りしめる。
─────
黒いセダンで関西行脚をしたのが、もうとうの昔に感じる。そのくらい俺はこの地に馴染んでいた。
あの日、黒服の運転するセダンに揺られながら熊本の阿蘇までたどり着いた。道中で耐えかねた俺が黒服に各地の名産品を食べたいと無茶を申し出た。
何を言い出すんだと言いたげな目線を向けてきたが、どこかから、丁重に扱え、とでも言われたのだろう。ポケットからスマートフォンを取り出すと、そのどこかへ電話を掛けた。しかし相手はどうにも忙しいらしく車内には無機質な呼び出し音だけが鳴り響いていた。堪忍したのか黒服は悩みこんだ末、ため息を漏らしながら渋々と言った表情で一時外出の許可を与えた。
いくら
そうして嬉々として車内から降り立ったわけだが、その様相は逃避行よりかはどうにも行脚の方が適していたように思う。
そんなこんなで目的地に到着すればそこは俺の予想を大きく超えてきた。
法的な犯罪こそ犯していないが、あちらから見れば裏切り者。その点を鑑みれば俺たちがこれから住まうのは、戦前から建てられているようなボロボロの木造アパートやワンルーム、若しくはイエス・キリストの生まれた馬小屋の類ではないかと考えていた。実際にはイエス・キリストが生まれたのはロバや羊小屋、若しくは一般的な民家の1階部分と諸説あるようだが。
だというのに蓋を開ければ──実際はサイドウィンドウを開いたらだが──シンプルな外装でありながら外からでも十分な広さを感じさせる立派な一軒家であった。
すっかり親しみを持つに至ったセダンのトランクから2つのスーツケースを引き出し、入口へと向かえば、黒服が先導し鍵を開ける。端的に一言、『入れ』と告げられ俺たちは素直に従い扉を開ければ──家具ひとつない、家の形をした広大なスペース……なんてことはまるでなくラックや固定電話、カーペットから観葉植物まで完備されていた。
(なるほど、これなら荷物を必要最小限といったのにも納得だ)
それもぱっと見の玄関だけかと思えば、リビングからキッチン、それぞれの部屋にまで生活に困らないよう必要な家具が設置されていた。もちろん靴や本など、以前まではあって当然と考えていた完全な私物こそ空っぽだったが長年の父の貢献は想像以上に綾小路篤臣からすれば高評価だったようだ。だけれども、そのぽっかりと空いた損失のせいで、心のどこかで何かが欠けてしまったかのような、そんな奇妙な寂しさが残っていた。
階段を降りてリビングに足を踏み入れると、父と黒服が机を挟んでシンプルな椅子に腰かけていた。俺も黒服の正面、父の隣に腰を下ろす。
「やっと来たか」
黒服のその声をきっかけに、一度椅子を前に引き姿勢を正す。部屋を満たすただならぬ雰囲気を感じ取り、俺の喉から自然と生唾が滝のように流れ落ちた。
要約すれば彼の話はこれからの展望と生活の説明だった。それと共に新しい戸籍や必要書類らが手渡される。驚いたのはそこに記載された名前だ。『社会的に死んでもらう』なんて言うからすべてを刷新するものかと思い込んでいたがまさかの
そもそも俺たちはとんでもない犯罪を起こした世間のはぐれ者ではなく、あくまで綾小路篤臣の影響圏でやらかしただけだ。わざわざ名前全てを変える必要性を感じなかったのだろう。懐疑的に考えるのなら戸籍自体変えているのかすら怪しい。もしかすると俺たちの知らぬ間に戸籍はそのままに松雄家の引越し手続きや転職、俺の転校その他諸々を事務的に進めていただけなのかもしない。そうであれば、俺たち松雄家は関東から熊本に引っ越しをしたただの一般家庭。──家が全焼しただけの。それどころか家が燃えたというのも、この目で確認したわけでないからただのブラフかもしれない。
なによりも、詳しいことは知らないが政治や権力の中心地は東京と相場が決まっているだろう。その東京を中心とした関東でもナンバー2の神奈川から遥か彼方の熊本県に押し込められた松雄家は、例えるのなら徳川の治世における外様大名のようなものだろう。
史実ではその外様大名達が250年以上の時を経て討幕の志士となり、江戸幕府を打倒するわけだが、我が松雄家はそんな名家でもなければ武闘派でもない。俺自身、外様大名になる器でもなければ、なりたくもない。それは父も同様だろう。
それは置いといて権力の中心地から引き離せば、当然松雄家は綾小路篤臣に害をなす効果的な手を打つことが出来ない。それは自明の理だ。
さらに言うのなら──あくまで推測という前提こそついて回るが──綾小路篤臣の目的には、信頼を寄せていた執事の松雄すら、仇をなすなら処罰するというポーズを見せグループ内の引き締めと自身の威光を保つ、2つの名目が共存しているように思う。
そこに名前の重要性なんて微塵たりともないのだ。万が一バレたところでそれを周囲に漏らせばどうなるか、とさらに圧を強いる材料にすることが出来る。ある種、綾小路篤臣にとっては弱みでありながらも弱みでない。それどころか強みにすら昇華できる。そんな一手だ。
話したことも顔を見たこともないが、とことん合理的な男なのだろうと容易に想像がつく。一度は裏切った執事の松雄を地方へ、生かさず殺さず自身の影響下で飼い殺す。それが、あの男の引いた
──シャカ、シャカ、シャカ、シャカ……。
鋭いナイロンコードが床を叩く音が、俺の意識をむさ苦しい男たちの元へと引き戻す。視界がセダンの革シートから、汗の染み込んだマットへと切り替わる。先輩はまだ熱心に縄跳びを跳び続けていた。
「よし」
俺はパンパンに張った
「師範、戻し、もう一回お願いします!」
声を張り上げると、事務所から顔を出した師範が『お、やる気になったか!』と不敵に目を細めた。
再びサンドバッグの前に立つ。今度は破壊力だけじゃない。打った瞬間に骨盤を元の位置へ引き戻す──遊びではない、相手はナイフを持ち本気で俺を殺さんとイキリ立つ、本物の戦場をイメージして。
─────
その日の居残り練習を終え、全身の筋肉が心地よい悲鳴をあげる中、俺は自転車を漕いで一軒家への帰路についた。
苦労して上った坂道。その頂を越えた先に待っているのは、ペダルを漕がずとも風を切る爽快感が味わえる天国だ。ちなみに、以前まで居を構えていた神奈川県は、関東屈指の激坂密集地帯を擁している。だからこそ、ぴちぴちのサイクルウェアを着て、色とりどりのマウンテンバイクに跨る男たちをよく目にしたのか、と気付いたのは最近になってからのことだった。
前傾姿勢のまま、バサバサとジップパーカーを風に波打たせながら、俺はあの頃のことを思い起こす。
風呂を済ませ父親がリビングで静かにテレビを見ているのを横目に、俺は自分の部屋のベッドに寝転がる。
今の俺のマイブームは、昼間に泥臭く汗を流すキックボクシング。そして夜にこうしてベッドの上でだらだらと眺めるブログ。動と静、まさに対極。だが、それが良い。甘いトマトに塩を振りかければその甘さはさらに際立ち、より深く楽しむことができる。スイカでもトマトでもいい、理屈はそれと同じだ。
スマートフォンの画面が暗い部屋の中で俺の顔を青白く照らす。最近、俺が暇つぶしにお気に入りでウォッチしているとあるブログがある。地域の美味い飯屋のまとめ? 仕事中の出来事を面白おかしく綴った日記? それも悪くはないけれど、俺が熱中しているのはそんな陳腐なものじゃない。
日々の鬱憤を晴らすような、悪意が満遍なく詰められた便所の落書き。それはまるで、悪意の掃き溜めそのものだった。
人は皆、自分に向けられる悪意や悪口には良い気分をしないが、ネズミ返しの上から見下ろす戦場ほど面白いものはないのだ。
しかも、なんとこのブロガーは学生のようで、小気味良いことになかなか文才があって飽きさせない。ボキャブラリーも豊富で、なにより書き込まれる内容には生々しい現実味がある。リアリティを際立たせつつ、毎日のように投稿できるスピード感の塩梅。
将来は小説家にでもなるんだろうか、と顔も知らない同じ学生に思いを馳せてみる。もしかすると学生は学生でも大学生かもしれないけれど。
今日の更新内容は、なんだか他愛のないものだった。
それでも、クラスの誰々がどうだとか、周囲の人間を徹底的に観察しその裏側の醜さをこれでもかと暴き立てている。学校ではどんな素知らぬ顔をして過ごしているのかは知らないが、この画面の向こうにいる作者は、間違いなく底すらないドブ川のような悪意を抱えていた。ノンフィクションであるのなら、という仮定の上でだが。
「よくまあ、これだけの熱量を毎日吐き出せるな……」
思わず感嘆してしまう。いくら匿名とは言えここまで情報を吐き出したら特定なんかの心配もしそうだがそこまで頭の回る人物じゃないのかな、なんて最近は思っている。なぜなら、明らかにある特定の個人へ信頼を寄せたからこそ打ち解けた恋愛相談、間違いなく大多数の人に明かすことも憚れるようなコンプレックスの悩み。当事者が目にしたのなら一発で特定できるレベルだ。
たった一つ、とあるパズルのピースが手に入ったところでなんの意味も為さないが、複数集まればある程度の予想ができ、解像度がグンと増す。それと同じことをしているのだ。
そもそも普通の中学生はブログなんて見ないだろうと言ってしまえば、その危惧も水の泡と化すのだが。
改めて画面に目を向ける。どうやら今日の内容はこうだ。
友人たちが飲み物を欲しがっていたから、わざわざ買いに行って手渡したところ、お礼もなしに受け取られた。代金もまだ払われていない、とのことだった。
いや、それただのパシリじゃん。
数ヶ月にわたってこのブログの動向を追ってきたため、彼なのか彼女なのかは不明だが、おおよその人物像は掴めている。
表では人気者に憧れる良い子ちゃん。裏ではただの一般人。
一般人が自分の限界を超えたキャラクターを演じ続けているからこそ、その反動として膨大なストレスと嫌悪感が押し寄せているのだ。詰まるところ、身の程を知らずに高い目標を掲げたせいで苦労している、ただの凡人である。
思うに人助けのために周囲をよく観察する視野の広さや、他人の秘密を握るに至る人心掌握術、その辺りはかなり優れている。わざわざ偽りの自分を演じずとも、普通に過ごしていればそこそこ良い立ち位置を味わえるだろうに。一体何が、そこまでその人を駆り立てるのだろうか。
単に夢みがちなだけ?承認欲求?それとも性格が悪いだけなのか。
ふつふつと沸々と煮詰まった味噌汁のように疑問が湧き出るが今は目の前を見る。
『それってパシリ、イジメですよね?好き好んでそんなことするのは、やっぱりそういう癖なんですか?』
どうやらこのブログ、ログインなどの面倒な手続きを踏まずともコメントができる仕様らしく、画面越しにブロガー本人と直接意思疎通を図ることができた。かくいう俺も、これまでに何度かコメントを残し、そのたびに返信をもらっている。なんともアクティブなことだ。
俺を魅了してやまないこのブロガーは、一体どんな人物なのだろう。興味半分、哀れみ半分で、俺は再びコメントを送信した。
ピコ、と小気味良い通知音とともに、新しいログが画面に躍る。どうやら返信が来たようだ。
『買い出しに行ってあげただけでパシリ?イジメ?本当に脳みそハッピーセットかよ(笑)。前からあんた、私のブログに表面的なことしか見えてない可哀想なコメントばかり付けてるけど暇なの?いい加減煩いしブロックするから』
驚いた。単純な疑問だというのに何かの琴線に触れてしまったらしい。インターネットを通じた、画面越し、文字越しの関係というのにこちらにまで熱気が届いているようだ。熱い熱い。
『このサイトにブロックなんて機能ないですよ。通報はあるけど。なんか勘違いしていませんか?』
このブログサービスは、匿名掲示板の派生のような簡易的なもので、個人のIPを一時的に弾くような高度な管理機能など備わっていない。あるのは運営への通報ボタンくらいなものだ。
そんな基本仕様すら確認できなくなるほどブログ執筆の熱意を持ち、盲目になっているようだ。人間関係における鳥の目と虫の目を持ち合わせているが、SNSでの視野はとてつもなく狭いらしい。
一分も経たないうちに新しい返信が届いた。タイピングなのかフリックなのかは分からないが、とりあえず文字を打つスピードだけは一丁前だ。
『なら、なんでその平日の昼間にブログを投稿するんだか』
釣り針を垂らすように、短い一文を返してやる。すると、哀れな魚は待ってましたとばかりに、すぐに餌へと食いついてきた。
『学校が休みだからに決まってるでしょ。ちょっと考えればわかることなのに本当にバカじゃん。それに私の学校、スマホの持ち込みだって出来るし、いくらでもやりようはあるのよ』
言葉の節々に刺々しさを感じる。それでも、相手が本気で怒っているわけじゃない。普段からこの調子で返信してくるのだ。
だけれども、俺は決して誰かに煽られたいなんて幼児期の子どものような願望は持っていない。加えて、そんな悪口を言われて良い気分がしないのも事実だ。せっかくねずみ返しの上から高みの見物をしていたのに、わざわざ戦場へ降りてしまった。
それにしても、中学校でスマホの持ち込みが認められているなんて珍しい…のだが、かくいう俺の転校先もその珍しい枠内にある。
どこかで聞いたことがあるような名前の学校だったが、かなりのマンモス校らしく全校生徒はゆうに千人を超える。そのため、学校の雰囲気としてはみんなで仲良くというよりも、大なり小なりグループを作り、その内輪で盛り上がるという様相を呈していた。
中学三年になってからの転校で、知り合いが一人もいない完全アウェイの状況。それでも初日から皆に受け入れられ、輪の中に馴染めていたのは、SNSを交換できたから。
自分はこの校則に助けられたと言っても過言ではない。
そんなことを考えているうちに文を作り終えた俺は、送信ボタンに指をかけた。
『わざわざ学校に行ってまでブログを投稿するって、執着がすごいですね。その努力を他のところに向けていれば、仲間外れになっていなかっただろうに』
『だから何回も言ってるよね。私はいじめられてない。好意でみんなのために行動してあげてるだけ。実際みんなは私を褒めてくれるし、いい加減見当違いのことを言うのやめれば』
『そら自分の都合よいように働いてくれる人がいるなら嫌でも褒めるんじゃないかな。その方が楽だし。なに、君は誰かに褒められたいの?』
少し間が開いて返信が届く
『いやそんなわけないじゃん。そんな子供じみた理由で私が動くと思う?みんなのためを思ってやってるだけ』
『良かれと思ってやってるってこと? だとすれば君がブログにねちねちと嫌味や悪口を書くのはなぜ? 聖人ならそんなの書かないし不満も持たないでしょ。所詮君は、自分がみんなのために役立っているという仮初の事実、もしくは必要とされているという承認欲求に、衝動的に突き動かされているだけじゃないかな』
少し、間が開く。画面の向こうの呼吸が浅くなるのが、沈黙の長さでわかる。直接面と向かっているわけじゃないから文字通り呼吸なんて感じとることはできないが。
『だとしたら何か悪いわけ? 誰にも迷惑かけてないし、みんなの役にも立ってる。誰も損してないじゃん。それを咎めたいとでも言うわけ?』
精一杯の逆ギレだ。──そういえば以前、いつの日か誰かに逆ギレされた覚えがある。
誰だっけ、なんてぼやけた記憶の手綱を手繰り寄せようとしたが、結局のところ、その確信の欠片を掴み取ることはできなかった。
だからこそ思考のノイズを振り払い、意識を戻して画面内のキーボードへと集中する。
『誰も悪いなんて、ましてや咎めたいなんて言ってないよ。ただ、君はこれからどうするのって話。自分を殺して無理に人助けをして、常に自分ではないナニかを演じ続けるのか? それを卒業するまで、最悪死ぬまで続けるってか? ──哀れで仕方ないね。
俺は君のことなんて一切知らないが、一つだけわかることがある。文字越しにでも、到底君がそんなストレスと我慢に耐えうる人物じゃないこと。
それで君は本当に満足なの? 快感か承認欲求かは知らないが、自分のために生きているように見えて、その本質は他人に尽くし、都合良く生かされているだけの人生だ』
なんだか妙に熱が載って、随分な長文を書いてしまった。しかし、それも仕方のないことだ。画面の向こうの存在が、あまりに哀れで可哀そうだったから。というかそう思わないとこの気恥ずかしさを押し殺せそうにもない。
このブログの内容がフィクションならそれでよい。釣られてやろう。でもノンフィクションなら話は別だ。
ただまあ、改めて見返すとやっぱり恥ずかしい。どうせこの後、この口の悪い推定学生から『長文お疲れ、必死だねwww』や『何マジになってんの?』なんて返信が届くと目に見える。
だからといって、今更削除ができるほどこのサイトが都合よく作られているわけもなく、俺は逃げるようにスマホの電源を切り、意識を眠りの泥沼へと沈めた。
『急に親身になって何なのよ……もういいから……』
主を失ったスマートフォンがその通知を知らせ、暗闇の中で青白く光る。
だけれども、すっかり瞼を閉じた栄一郎の意識にそれが届くことはなかった。
──数か月後、栄一郎の隣の隣の隣の、さらに隣の、さらに隣のクラスで学級崩壊が起きた。
当然、転校生である彼は、誰一人そのクラスの連中の名前も顔も知らない。
─────
2月15日
──続いてのニュースです。
昨日、2月14日に神奈川県内の住宅街で発生した火災について、新たな事実が分かりました。
当初は外部からの放火も疑われていましたが、警察は無理心中を図った可能性があるとみて捜査を進めています。
火災があった現場の映像です。
激しく煙を上げて燃える一軒家の消火活動が行われましたが、鉄筋コンクリート造3階建ての住居が全焼しました。
警察と消防によりますと、焼け跡からこの家に住む父親と息子とみられる男性2人の遺体が発見されました。また、この火災により近所に住む中学生の少女1人が煙を吸い込んだほか、腕などに軽い火傷を負って病院に搬送されましたが、命に別状はないということです。
近隣住民の証言では、非常に頑丈な鉄筋コンクリート造の建物であったにもかかわらず、激しい爆発音とともに内部から一気に炎が噴き出したということで、警察は当初、強い恨みによる放火や、ホームレスが可燃性の高い燃料を使用する頻発している事件との関係性も視野に捜査を進めていました。
しかしその後の捜査で、現場の焼け跡から生活苦や将来への悲観がつづられた遺書とみられる書き置きが発見されたほか、本件の死因ではないものの以前から首吊り自殺を試みようとしたような痕跡も発見されたとの情報が入っています。また内部から意図的に大量のガソリンが撒かれた形跡が見つかったということです。
現在、病院で治療を受けている少女は、意識はあるものの事件のショックから精神的に不安定な状態が続いており、詳しい経緯についてはまだ話すことができていません。
警察は、少女の回復を待って当時の状況について事情聴取を進めるとともに、遺体の身元の確認を急ぎ、無理心中事件として詳しい動機や出火原因の特定を進めています。