「所長……なんで……ここに……?」
豆芽は1/3な時間の中で、無理に捻られた腕の痛みの余波に耐えながら、呟いた。
『味噌汁……美味かったようだぞ』
スローリータイムが飄々と言った。
「……え?」
『冷えた体に染みたぜ。
お前の味噌汁。
具はなかったが、愛情はあった。
よくやるよなあ、監禁しようとした人に。
お人好しすぎないか?
まあ、その優しさのおかげで我らはグー・ヌー・ドールズから解放されたんだ』
スローリータイムの言葉に、豆芽の目から涙が溢れる。
『何泣いてんだよ?
我と目を合わせろよ、また波長合わせられるぜ』
スローリータイムはまた飄々と言うが、豆芽は涙を拭いながら何も言わない。
豆芽は自分でもなんで今、涙が溢れたのかも分からない。
親友の裏切りのショックだからなのか。
味方がいない孤独に味方が駆け付けた安堵からなのか。
今の豆芽には分からなかった。
所長は豆芽を庇う形で間に立った。
「紡輝ちゃん。
君は人との繋がりを愚弄した。
ナマケモノも……いや、ナマケモノだけじゃない。
生きとし生ける命は、他の生命との繋がりにある」
「愚弄?
何言ってるの?
私は豆芽ちゃんともっともっと仲良くなりたいだけ。
豆芽ちゃんも私と仲良くなりたいって思ってる。
そう波長が合っている。
その繋がりを無理やり切ったのはアンタだ。
アンタこそ、生命の繋がりを侮辱した」
「私が言っているのは共生。
ナマケモノとナマケモノガのような。
互いに助け合う共生。
けれども紡輝ちゃんの繋がりは違う。
ただの依存。寄生だよ」
紡輝の目が血走る。
胸に抱くグーグーもさらに首を傾げ、ボタンの目が真っ直ぐ所長に向く。
「黙れ!!!
豆芽ちゃんなんかに負けたアンタが!!
偉そうに口を利くな!!」
紡輝は拳を握り、所長に向かい走っていく。
所長も腕を構え応戦。
紡輝はニヤリと笑う。
「かかったな……!
アンタは今、私の腕を警戒した!!
そして今アンタは腕で対抗しようとした!
私もアンタの腕を警戒した!!」
「……ッ!?」
所長は紡輝の狙いに気付き、咄嗟に腕を下ろし脚を構えようとしたが
「くっ……!
遅かったか……!?」
体が動かない。
戦いのとき、とくに1vs1のタイマンのときはより、相手の動きを集中する。
どの場所を狙うのか、どこから攻撃が飛び出してくるのだとか。
そして2人とも、互いの腕が動いたことを確認した。
腕に気を付けろと、戦いの本能がそう体に伝えた。
2人の波長が合ったのだ。
「ヌー・ムー・ドールズ!!
一撃浴びせるくらいなら!
そのくらいの波長で十分だ!!」
紡輝はヌー・ムー・ドールズの能力で、波長の合った所長を動けないようにした。
そして、所長の口元を思い切り殴りつけた。
「うぐう…………!」
所長は痛みによる感覚の上書きにより、波長が途切れた。
動けるようになり、一旦バックステップで距離を取る。
「所長さん……!!」
所長のダメージにより、スローリータイムが解除された豆芽は思わず心配して叫ぶ。
「…………豆芽ちゃんだめだよ。
そんなやつの心配するの?
私たちは小指が赤い糸で結ばれた同士の親友でしょ?
私を応援してよ。
そこは、“敵に攻撃があたった嬉しい”でしょ?」
紡輝はまた見限るような冷たい視線を豆芽に送る。
豆芽はまた胸が苦しくなる。
あれだけのことをされたのに、嫌われたくない思いで溢れてしまう。
「くっ……
スローリータイム!」
『少し頭冷やせって』
所長は豆芽に再びスローリータイムを掛けた。
紡輝が声を掛けても普通の3倍の早口なため、聞き取ることはできない。
「豆芽ちゃんは私のものだよ?
昨日アンタを操ってアンタの世界に豆芽ちゃんを閉じ込めたのは、豆芽ちゃんを時間から遅らせられれば、他に頼るものがなくなるから! 私にだけ目線を向けてくれるから!!
それだけだ!!
アンタはただの舞台装置だ!!
そのスローリータイムを早く豆芽ちゃんからどかせよ!!」
紡輝も豆芽が聞き取れていないとわかっているからか、八つ当たりのように声を荒げる。
「どかしたら、遅くなるのは君だよ。
紡輝ちゃん」
2人とも互いに牽制し合って動かない。
(豆芽ちゃんは私のものなんだ……!
邪魔する奴は消す!!)
紡輝は波長が合えば思い通りにできる。
その機会を狙っている。
(相手は中学生。
手荒な真似はしたくない。
なんとか正気に戻さないと)
所長は紡輝をどう止めるべきか必死に考えている。
「ナ……ナマケモノさん……
2人とも、何の話してたの?」
豆芽は顔を上げ、スローリータイムを見る。
『なんだ?
興味あるのか?
3倍のこと言ってもお前には関係ないぜ。
我の世界でのんびりと』
スローリータイムは呑気にそう言うが豆芽の顔が真剣そのものだった。
「お願い。
紡輝を助けたいの」
さっきまでメソメソ泣いていたのに、目付きが違う。
『…………助けるったって、今のが彼女の本性かもしれないぜ?』
スローリータイムの問いかけに豆芽は静かに頷くだけだった。
紡輝は所長の方を向きながら、胸に抱くグーグーを優しく撫でた。
「ナマケモノを撫でるのってさ、どういう感覚なのかなあ?
ほら、ナマケモノって体に苔が生えてるでしょ?
ひんやりと冷たかったりするのかな?
それに、基礎代謝もあんまりないみたいだから、体温もそんなに高くないのかも。
ナマケモノだからって寝具のように一緒に寝ようとすると、逆にキーンと冷えて寝苦しくなっちゃうのかもね」
紡輝は所長の様子を伺う。
なにも起こってない。
「…………ナマケモノの話で波長を合わせようとしたのかい?
でも残念。
スローリータイムは私自身にもかけられる。
共感できるところはあったけど、そのときの私の時間は引き延ばされてた。
波長は合わない」
紡輝は顔を赤くし、再び拳を握って肉薄する。
胸に抱いているグーグーが力強く抱かれて苦しそうだ。
「うるさいなあ!!
ただの世間話だあああ!!!」
所長は今度は脚を構えた。
多少荒々しくなるが、脚で防御し抑え込むつもりだ。
「学習したか!?
でも同じことを2度やるほど甘くはない!」
紡輝も体勢を低くし脚に力を入れる。
蹴り込むつもりだ。
「スローリータイム!!」
所長は咄嗟にスローリータイムを呼ぶ。
「……!?」
紡輝の視界、体勢を低くしたことにより、所長の股下の両脚の間が見えた。
スローリータイムと目が合った。
『スローリータイム。
目と目が合えば、我の時間。
お前の時間も1/3だ』
スローリータイムは言い放つ。
所長だけ普通の時間。
蹴りを躱すことが容易。
「うぐっ!!?」
容易のはずだった。
それなのに、所長と同じ速度で体の筋肉のバネを使った、アッパーが所長の顎を叩き付けた。
「あ……ぐ……いったあ……」
所長は頭がクラクラしながらも倒れることなくなんとか耐える。
「自分の能力を過信したな?
いくら時間を遅くしても、私の行動は踏み込みで終わっていたんだ。
あとはただの物理法則だ!
作用・反作用の法則は! 私の時間じゃない!!」
紡輝はそう言うと
「ぐっ……!!」
自分の顎を強く自分の拳で叩き付けた。
「そこまでするか」
所長は紡輝の行動に圧倒された。
「つむーーぎーーー」
豆芽のスローな声が体育館に響く。
「ふ……ふふ。
心配してくれたんだ……
でも……違うよ。
今、波長を合わせたのは豆芽ちゃんじゃない!
アンタだ!!
今、アンタは私に顎を殴られた。
私アンタにやったのと同じ強さで私の顎を殴った!!」
「くっ……スローリータイム!!」
所長は改めて、紡輝にスローリータイムをかけようとした。
『はいよお』
スローリータイムも紡輝の前に出て、目を合わせたが
「…………無駄だよ。
痛みっていうのはどんな気持ちや感情をも上書きする!
人を操るってのはそういうことだ!
人を操るというのは理解するということだ!
人を操るために私は学んだ!
私自身のことも学んだ!!
だから同じ強さ、同じ場所を殴れた!
顎の……いや、もっと言えば、下顎骨という骨にある、オトガイ孔という窪みから、やや前正中線へ向けて内方1寸と言ったところ
そこを正確にだ!
そこまでの波長を合わせれば、
スタンド攻撃さえ無効化することもわけない!!
私の勝ちだ!!」
紡輝は再び、拳を握り所長へ向かう。
所長は構えるが、足か手か全く定まらない。
「敗北者は大人しく散ってしまえ!!」
「…………ゔッ!」
紡輝の拳が鳩尾に突きささる。
所長は腹を抑えて踞り動けない。
紡輝はすぐさま
「……ゔッ」
と自分の鳩尾にも拳をつきさした。
「……い……いてえ…………
やりすぎた…………
でも、これが全く同じとこ……!」
紡輝は痛みに耐えながらも、ゆっくりゆっくり動いて駆け付けようとしている豆芽を見た。
「ヌー・ムー・ドールズ!!
アイツは一生奴隷だ!
やっぱり能力は利用させてもらう!!
私と豆芽ちゃんはずっと! ずっと!!
ずーーーっと!!
誰にも邪魔されないスローな世界で一生幸せに暮らすんだ!!
はははははは!!!」
紡輝は高笑いする。
胸元のグーグーもボタンの目を怪しく光らせて、笑うかのように首がカクカクと動く。
「さて……スローな豆芽ちゃんでもっと色々遊びたいなあ。
あんなことや……こんなことまで……うふふ」
紡輝は所長の横を通り、豆芽のところへ向かった。
ゆっくり動く豆芽の肩に手を置こうとした。
そのとき
逆に紡輝の肩に手が置かれた。
「あんなことや……こんなことってなにかな?
まだ中学生でしょ。
そういうのは大人になってから。
でしょ?」
「……!?」
紡輝は咄嗟に後ろを振り返りながら、拳を振るった。
が、後ろの人影は高速で移動した。
いつの間にか目の前に立ってた。
「なんで……なんでだ
なんで所長が!!?」
所長が目の前に立っていた。
「ありえない!!」
紡輝はまた拳を握り胸元に突きつけようとしたが
所長は目にも留まらぬ早さで動き、紡輝の両腕を片手で掴み、頭上に持ち上げてしまった。
「なんでだ!?
アンタのスタンド能力は、目線を合わせた対象の時間を1/3にすること!!
アンタ自体が3倍早く動くことなんかできるはずがない!!」
紡輝は怒りに身を任せ、片足で地団駄を踏んだ。
体育館中に、その音が響いた。
鈍いのではない、どこか高い。
そして、音が伝線し鳴り止むのが早い。
「な…………
まさか……まさか私は」
「スローリータイム。
対象は1/3。
掛け続けるのはすごい苦労したし、疲れたよ。
でも、彼女のその献身性と精神力は私に勇気をくれた」
所長はチラリと後ろを見る。
「腹の痛み! 顎の痛み!
は彼女からもらった勇気に比べれば小さなもの!!
能力は一度たりとも解除なんかしていない!
欲望にまみれた波長なんかに、私の勇気は決して合わせられない!!」
『もういいぜ』
スローリータイムは豆芽に声をかけると
「……ふう……
疲れたー」
さっきまでゆっくり動いていたはずの豆芽が、普通のスピードで動き始めた。
紡輝は驚愕する。
「まさか……まさか…………
豆芽ちゃんはずっと、1/3の時間のなかでずっと、1/3の動きをしていた…………!
(アッパーを入れたとき、所長の能力は解除されたとばかり思ってた……
でも違った……!
私はずっと騙されてた!?
私は私もスローリータイム止めを合わせてからずっと!!
1/3だったんだ!?)」
「嘘つきでごめんね。……紡輝。
でも……紡輝を助けるためなら、どんな嘘もつくよ!」
豆芽の顔にもう怯えはない。
紡輝への真剣でいてそれでいて、慈悲に満ちた決意の顔だ。
「場所が悪かったようだね。
体育館の密閉された空間だ。
自分がスローリータイムの世界に入っていたことに気が付かなかっただろう?
……さて、そろそろお仕置きの時間にしよう。
スローリータイム!!」
『我、戦闘向きのスタンドじゃあないぞ』
スローリータイムは大きく飛び上がり、所長の背中に飛び乗ると
爪を喉笛へと突き刺した。
“グーグーの喉笛”へ。
「う……
うぅ………」
その瞬間、紡輝はグーグーを腕から落とし、頭を押さえ蹲った。
「紡輝!!」
豆芽は紡輝に駆け寄る。
「ま……め………ちゃん………。
あたし…………」
紡輝は脂汗をかきながら、不安そうな顔で豆芽を見た。
「よかった……!
紡輝!!」
豆芽は紡輝に抱き着いた。
紡輝は驚いていたが、しばらくすると穏やかな顔になり
「もう……またそうやって甘える。
いい加減、あたし離れしなさい」
と、豆芽の背中を優しく撫でた。
「所長さん!
ありがとうございました!」
豆芽は所長へお礼を言う。
紡輝も所長へ少し顔を合わせるが、申し訳なさでそらしてしまう。
「傷付くのは大人の仕事。
礼には及ばない。
紡輝ちゃんも、いつもの紡輝ちゃんに戻ってくれてよかった」
所長は笑顔でそう言うと、足元を見下ろした。
グーグーのぬいぐるみは、操り人形のような人型の姿に変わっていく。
紡輝はそのぬいぐるみを見ると、申し訳なさそうに豆芽に目線を向けた。
「…………あたし……フリーマーケットでそれを売られてるのを見て、思わず手に取ったの。
そこから……あまり覚えてない……。
でも、なにかがあたしの心に訴えかけてきたのが覚えてる。
欲望を解放しろって」
「一人歩きするスタンド。
のようだな」
「「一人歩き?」」
「2001年、イタリアのサルディニア近郊の海──ティレニア海では、海難事故が多く続いたという。
ティレニアの胃袋と呼ばれた現象……それを引き起こしたのは、本体が存在しない、一人歩きしたスタンド。
そういう噂話がある。
この、グーグーも同じようなスタンドなのかもしれない」
「どう……するんですか?」
豆芽は所長に訊く。
「人に取り憑き、欲望を危ういところまで引き出すスタンド。
危険性が高い。
処分したほうが」
「待ってください……!」
スローリータイムを見詰めた所長に、紡輝は叫んだ。
「あたし、取り憑かれているとき感じたんです…………
捨てられた……寂しいって」
「…………え」
「…………けれども、野放しにはできない」
所長がそう言うと
むくっと、グーグーは起き上がった。
グーグーは怯えたように後退りし、隅に隠れようとするが、転んでしまう。
「この姿では無害のようね。
スローリータイム」
所長はスローリータイムに指示し、爪でトドメを刺そうとしたが
豆芽は手で遮り、真剣な顔でグーグーのもとへ向かった。
「危ない!
取り憑かれるかもしれないぞ!」
所長は止めようとしたが、体は動かなかった。
「…………ヌー・ムー・ドールズ。
考えていることは…………同じのようですね」
紡輝が所長にスタンド能力をかけたのだ。
豆芽を信じるという波長を合わせて。
(生きとし生けるものはみな調和でいきている。ゆっくり生きるものも早く生きるものも、みんな調和の中。
共生を選ぶというのなら、どうするのか見せてもらうよ。豆芽ちゃん)
右手から味噌汁が出る能力。
8歳の頃、祖母が他界してから発現した能力だった。
父親は自分が胎児の頃に他界。
母親も夜遅くまで仕事。
祖母の味噌汁は、両親と会えない寂しさを埋めてくれたものだった。
(わたしは……この能力がいやだった。
とっても嫌い。 嫌な能力。
でも、いい能力って思い込んでなんとかしてた。
でも違う、わたしは受け止めきれてなかった。
運命を……スタンド使いになった運命を受け止めきれてなかった!)
豆芽の左手から何かが分離した。
お椀だ。
豆芽はそのお椀に手を翳し、味噌汁を注いだ。
(わたしは運命を受け止める。
もう、流しっぱなしじゃいやだ!)
豆芽は優しい笑顔で、グーグーの前で屈んだ。
「さっき、ナマケモノさんに聞いたんだ。
味噌汁は分からないけど、サラミを食べるスタンドはいるって」
味噌汁が注がれたお椀を置いた。
「どうぞ。
おいしいよ!」
グーグーは少し警戒しながらも、隅から離れ茶碗の前に立ち、ツンと水面を突いた。
それを不思議そうに見て、芳ばしい匂いにつられて口の中に入れる。
すると、グーグーは飛び上がり茶碗の中に顔を突っ込んだ。
「あ……
あつくない……?」
豆芽は心配して声をかけるが、グーグーは満足そうに顔を上げた。
そして、手を豆芽に差し伸べた。
豆芽も腕を伸ばす。
『トモダチ…………またね』
そう聞こえたと思ったら、グーグーは光の粒子になって消えていってしまった。
──────
放課後。
帰り道にて。
「それでさ……紡輝がわたしのこと好きなのって、スタンドの影響?
それとも、本当に?」
「えっ!?
それ訊いちゃう!?」
「うん」
豆芽は驚く紡輝を見て、ニヤッといたずらに笑う。
「さいあくー!
豆芽ちゃんとはもう絶交!!」
紡輝は腕を組み、頬を膨らませぷいっと顔を背けた。
「うん……
あ、そうだ紡輝! 今日さ!
うち来ない? アニメの布教するよー!」
「人の話聞いてた?
いいよ。あ、あと豆芽の味噌汁──」
紡輝は難しい顔をして、立ち止まった。
豆芽は不思議そうに振り返る。
「どうしたの?」
「その能力、スタンド名ないの?」
「あ……
うーーん……スタンドの概念知ったの昨日だから全然考えてなかった……
…………何が良いんだろう?」
「じゃあ、あたしが命名してあげる!
豆芽ちゃんで、味噌汁……うーーん……」
豆芽は少し期待に満ちた顔を向ける。
紡輝は考えるがいい案が浮かばない。
そのとき、買い物帰りの主婦が見えた。
レジ袋から見えた。
紡輝はもうそれに引っ張られてしまった。
「名付けよう!!豆芽ちゃんのスタンドは!!
『ナガ・タニェーン』!」