8000年過ぎた頃からもっと恋しくなった……? 作:グラナデンロップイヤー
「えええええええん!」
薄い壁越しに響き渡る大音量の泣き声。
その泣き声を聴く度に、何故か心拍数がどんどんと上昇していく。
視界に映る手が震えている事に気付き、反対の手で無理やり抑え込んだ。
まるで怖がっている様な自分を認めたくなくて、顔を上げて視界から手を消し去る。
「あ……」
だが、代わりに視界に入ったもの。
玄関付近にまとめられた、ベビー用品の山。
呆然とそれを見つめ、やがて心に浮かんできたもの。
これはきっと、迷惑にならない……彼女達の幸せに繋がる。
大きな悩みの種。
それは隣人――いろはとかぐやに今世でも関わるか否か。
生まれ変わってから何度も、ずっと考え続けていた。
俺が関わってもいいのか?
また……二人に要らぬ迷惑をかけてしまうのではないか?
思い浮かぶは、前世の記憶。
――……白羽さんは、甘やかしすぎです。白羽さんが甘やかすのは、こいつにも良くないと、思います。
苦しげな表情で絞り出す様に告げた、いろはの姿。
――彩葉を助けてっ!
そう頼ってくれたはずなのに、不安な顔をさせたままにしてしまった、かぐやの姿。
またしても俺のせいで、そんな姿にさせてしまうのではないか。
そんな未来を想像する度に鼓動が早鳴り、身体が震えた。
同時に、また別の光景が呼び起こされる。
倒れて苦しそうに眠っていたいろはの姿。
そんないろはの枕元に座って、不安を全面に出していたかぐやの小さな後ろ姿。
俺の選択肢が間違っていたから、二人にそんな思いをさせてしまったんじゃないか。
それを思い出す度に、吐き気を催してしまう。
身体中から汗が溢れ出てくる。
"俺のせいだ"という言葉が、思考を埋め尽くす。
だが――。
「ふやあああ!」
隣から聴こえてきたその声に、別の思考が混ざった。
それは変わらず、前世の記憶。
――……君が幸せになれるように、俺に出来ることは全部やるよ。
――例え三日間とはいえ、君が赤子を育て切ったことは本当にすごいことだよ。
そう宣言した思いは確かに、心の奥底には残り続けていた。
今でも鮮明に思い出せるあの時の気持ち。
どこか心の中で、一つの区切りがついた気がする。
精神面はサポートできない。
俺が出来るのは――金銭面でのサポートだけだ。
そして長期的に関われないのであれば、如何に短く一気に渡せるか。
関わり続けるから、彼女達を不幸にさせるかもしれないんだ。
関わり続けなければ、彼女達を不幸にさせずに済む。
手の震えが収まった。
重い腰を上げて、静かに歩き出す。
「……最小限で、最大効率、を」
そう呟き、玄関を出る。
方法は、漠然とだが思いついた。
隣の部屋のドアまでの距離は非常に短い。
心臓が早鐘を打ち続ける中、一度だけ深呼吸した。
「ふやあああああ!」
大きな泣き声が容赦なく外にまで漏れ出ている。
確かこの後、静かになったんだよな……。
初邂逅時を思い出し、心の中でこれからの未来を一つ想像した。
そして聴こえてきたのは、微かな美しい音色だった。
歌声を聴いていると、不思議と鼓動が落ち着きを取り戻してくる。
本当に、不思議な感覚だった。
暫くと聴き惚れていると、泣き声が既に止んでいることに気付いた。
慌てて思考を切り替えて静かにドアをノックする。
「ッ、やばっ、やっぱうるさかったか」
そんな声が微かに聴こえ、やがてドアがガチャリと開かれた。
「す、すみませんっ、うるさかったですよね? 今、静かになりましたんで」
現れた少女の姿に、思わずと見つめてしまう。
制服姿で、長い髪を後ろでにまとめた――いろはの姿。
二五年前と何ら変わらない彼女の姿が、そこにはあった。
初対面の頃のように整った容姿は疲れ切っておりやつれた表情。
二五年前の記憶が鮮明に蘇り、懐かしさとともに……吐き気と息苦しさを覚えた。
「あ、あの……」
再びかけられた声にハッとする。
いろはが僅かに訝しんだ表情で俺を見つめていた。
やばい、早いとこ終わらせよう。
「隣の部屋の者ですけど……さっき、赤ちゃんの声が聴こえまして」
俺の言葉にいろはが息を呑む。
怒られる。そう思ったのだろう。
「ちょうど良かった。実家から早く相手見つけて結婚しろって、使わないのにベビー用品を大量に送ってきて困ってたんです。よければ貰ってくれませんか?」
「……え?」
ポカンとしたいろはに続ける。
「相手もいなくて子どもどころか結婚も全くなのでもし必要であれば……全部新品なので貰っていただけると助かるんですが」
「え? え?」
「ホントですか! ありがとうございます! じゃあ今持ってきますね!」
「え、あ、いや、まだ何も言って」
いろはの声を無視して自宅に戻り、まとめていた渡し物を持ち上げてすぐに外に出る。
「これです! どうぞ!」
「えっ、うわ、すごい量」
驚いた声を上げるいろはへとそのまま一式を渡す。
「申し訳ないですが、ここにあるのは本当にいらなくて……返品不可でお願いします! では!」
「あ、ちょっ」
呼び止められそうだったので慌てて反転し自宅に駆け込む。
鍵を閉めて流しに向かい、限界だった気持ち悪さから嘔吐する。
本当にあれで良かったのか?
もっとちゃんとした方法があったんじゃないか?
あんな強引じゃないやり方に出来なかったのか?
一方的な押しつけで余計なストレスを与えたんじゃないか?
前回よりももっと悪い状況にならないか?
前回よりも不幸にさせるんじゃないか?
胃の内容物を吐きながら、そんな思考ばかりが巡り続ける。
暫く経って、震える手で流していた水を止めた。
震える足でゆっくりと歩き、ゲーミングチェアへと腰掛けた。
震える身体を深く背凭れに預け、全身の汗を無視して動悸だけを抑えようと呼吸を整える。
……なん、とか……渡せた。
その思いだけが胸を埋め尽くす。
前世から計算した約三日分、そして万が一のことがあればともう二日分のベビー用品。
それ以上必要になる場合は壁越しの泣き声を参考にして追加で買って渡すつもり。
とにかく前世の記憶を参考に、用意したものを渡す事ができた。
ベビー用品に紛れて、購入しといたスマコンも無地の段ボールに更に梱包して渡せた。
だがいろはの性格上、一応全ての中身を確認する可能性も高い。
しかしそれで返しに来ても、受け取らない……という、何とも行き当たりばったりの杜撰な計画。
そんな曖昧なプランしか立てられない自分に心臓が痛みを訴えるが、どうしても、スマコンは渡したかった。
――じゃあさ! これ買って!
――何かおもしろそーだし彩葉も持ってたから欲しいな~。
今は昔。かぐやからのおねだり。
前世で見たかぐやの光景が忘れられず、これもまた二人の幸せには必要なのだと思えたから。
かぐやの"つまらない"を解消してくれる物なのだろうから。
後は、関わらないで過ごす。
前世と同じく、もしかしたら引っ越すかもしれないその時まで、慎重に生活し続けるだけ。
会わないように生活し続けるだけ。
そう心に決めて立ち上がり部屋の電気を消し、壁に背を預けて両膝を腕で抱え込む。
翌朝。
何事もなく出社し、時間を潰して夜遅くに帰る。
なるべく会わない様に、前世で身につけた方法を実践すれば、二人と会わずに生活することが出来た。
――『うわぁっ!』『うおぉっ!』
ベビー用品を渡してから四日目の深夜に壁越しに聴こえたそんな声。
それを聞いて、二人に関しても前世と同じだとようやく思えた。
その声を聞いて、ようやくと安堵の息を吐けた気がする。
果たしていろはは今、どんな表情なのかは分からない。
前世と同じか、前世よりもやつれているのか、前世よりも疲れ切っていないのか。
見ていないから分からない。
だが見る勇気も、なかった。
そこからは変わらない生活が続く。
たまに聴こえる隣からのドタバタとした音や声を耳にしながら、関わらずに社会人生活を送る日々。
何も変わらない。そんな日常の繰り返し。
そんな日常を繰り返し続ける――ハズだった。
八月の既に折り返したある日。
今日は休みで何をしに出掛けようかと考えていたその時。
不意に――玄関がノックされた。
誰だ? と思いつつも、開錠し、ドアを開けた。
「あ、あの、隣に住んでいる者です。この度引っ越すこととなったので……以前子供用品をいただいた分を、お返しさせていただきます」
果たして俺は、どんな顔をしていたのだろうか。
ちゃんと、笑顔を浮かべられただろうか。
畏まった態度で俺へと封筒を差しだすいろは。
その奥に視線を向ければ、目が合ってきょとんとした後に笑顔を浮かべた――。
「? やっほー、かぐやだよー」
いろはと同年代程度まで成長した、前世と一致するかぐやの姿。
ただ二人の姿を見つめる。
「あ、あの」
眼前から届いた訝しげな声にハッとして、ようやくと思考が回りだす。
いろはが差しだしている手には、幾分か膨らんだ茶封筒があった。
それが何か、考えるまでもない。
そしてそれを、受け取る訳にはいかない。
「……いや、あれは俺も困ってたから受け取ってくれて助かったんですよ。だから何も気にする必要はないです」
「でも、いただいた分はせめてお支払いさせてください」
「いえ、何か出費した訳じゃないので貰う訳にはいきません。なので俺に渡そうとしていた分は気にせず好きなもの食べたり好きな物を買ったりしてください」
「で、でも……」
「えっ!? じゃあその金で買い物行こーよ彩葉! 新しい服買って、寿司も食べるぞ~」
楽しげな声を上げたかぐや。
それを聞いたいろはが慌てて振り返り「ダメ! これは返すお金だって言ったでしょ?」とかぐやを嗜める。
「ぶうぅ」声に出して頬を膨らませたかぐや。
そんな二人の光景を見ていると、何故か自然と言葉が出た。
「その子の言う通りに使ってくれたら嬉しいな」
俺の言葉にいろはがこちらを向く。
「え? い、いや、でも」
だがその言葉は最後まで言えず。
「ほらほら早く行こー! 彩葉と一緒にやりたいこといっぱいあるから時間があってもあっても足りないよ~」
「あ、ちょ、ちょっと引っ張らないでってば」
満面の笑みを浮かべたかぐやに腕を掴まれ強引に引き摺られていくいろは。
慌てたように静止しようとするが、いろはを引っ張ったままにかぐやが口を開く。
「欲しいっていう人にはあげてもいいけど、いらないっていう人にはあげる方が迷惑だも~ん。だったら望み通りかぐや達のために使うのが一番だよね!」
「いや、ま、待って、これは常識としてやらなきゃいけないことなの」
「いーからいーから~」
そう言って視界からフェードアウトした二人を確認し、静かにドアを閉めた。
鍵をかけ、背中をドアに預けながら崩れ落ちる。
「はあっ……はあ……はあっ」
途端に荒くなる呼吸。
途端に噴き出す汗。
「はあっ……はあっ」
ただひたすらに呼吸を整える。
だが心の中は――安堵で埋め尽くされていた。
俺が最後に見たのは。
困惑した表情のいろは。
満面の笑みを浮かべた、かぐや。
「はあっ……こっ、ち、が……正解、だったんだ……!」
思わずと声に出せば、喜色が乗っていることに気付いた。
前世よりこっちの方が――二人との終わらせ方が、正しかったんだ。
前世の記憶と、今世の記憶が重なる。
困惑した表情のいろは。
不安げな表情のかぐや。
困惑した表情のいろは。
満面の笑みのかぐや。
どちらの方がより良い結果になったのかは、火を見るよりも明らか。
いろはは変わらなかった。
けれどかぐやの顔に――不安は存在しなかった。
早鳴る鼓動が温度を変え、心臓の痛みが消えていく。
良かった……。それだけが思考を埋め尽くした。
少なくとも今回の方が――かぐやとってはハッピーエンドだったんだ。
何せ満面の笑みだ。
俺との"終わり方"としては、最良じゃないか。
その事実が深く深く刻み込まれる。
いろはだけを見ながら満面の笑みを浮かべたかぐやは……実に幸せそうだった。
その光景を思い出すだけで、暖かい感情が心を埋め尽くす。
けれど困惑した表情のいろはが、俺の心に一点の棘を残す。
だがそれでも……前回よりは、良い結果に出来た。
その事実に打ち震え、暫くと玄関で蹲る。
やっぱり俺は、二人の幸せを願っているんだ。
この思いを強く再確認出来た、そんな一日だった。
日は流れ、九月十二日。
いつも通り仕事に精を出し、その帰り道。
スーパーで購入した弁当と総菜の入った袋を片手に歩きながら、職場の同僚に言われた言葉を思い出す。
――そういや白羽、明日誕生日だろ? 仕事終わったら飲みに行こうぜ。
そんな言葉をかけられて思い出した。
九月十三日。
前世と変わらない、俺の誕生日。
いろはとかぐやが引っ越して、残る問題は俺が死ぬのかどうかという一点。
だからこそいつ死ぬのか。今日死ぬのか、明日死ぬのか。
そんな事ばかりを考えており、自分が生まれた日など全く意識していなかった。
同僚からの言葉で、そういや前世と同じ生年月日だと思ったほどに。
「誕生日かあ……」
何と無しにそう呟き空を見上げれば――闇夜を明るく照らす、満ち足りた大きな月が見えた。
アパートまで間近だが、何となく幻想的なその光景をもう少し見ていようと足を止める。
綺麗な満月は俺の目を奪い、ふと力を抜けば瞬く間に吸い込まれそうなほどに美しく、まるで迫りくる俺の誕生日を祝ってくれているかのよう。
その時だった――。
「――ぅぐ、ぅッ!」
突如発生した心臓の強烈な痛みに呻き両手で押さえれば、持っていた買い物袋が音を立てて地面に散らばる。
「がぁ、ッ、ぁ……こ、れッ」
思考が霧散し続けるほどの激痛に膝をついて、やがて道路に倒れる。
「ぐ、ぅッ……ぁ、あ、あ」
痛みが更に激しさを増して視界が狭まり、意識が薄らいでいく。
「ぁ、ぁ……ぁ……ぁ」
声にならない声を上げながら、視界が暗転した。
最後に思ったこと。
……前世と、同じだ。
白羽遠矢、享年二五歳。誕生日前日の出来事也。