8000年過ぎた頃からもっと恋しくなった……? 作:グラナデンロップイヤー
突然の叫び声に、思わずと壁を瞠目してしまう。
浮かぶは二つの思考。
何かあったのか?
そして。
二人分の声が聴こえなかったか?
そんな思考だった。
聞き間違いでなければ、どちらとも女性の声。
少女は一人暮らしだったはずと思いつつも、動くことが出来ずに壁を見つめるばかり。
行くべきか行かぬべきか。夜間という時間帯に女子高生の部屋に伺うのは明らかに事案だろう。いや、昼でもか。
とにかく"常識"というものが俺をここに縛り続けていた。
だが次に聴こえてきた声。
「お引き取りください!」
少女の明確な拒絶の声。
その声を耳にし、流石にただ事じゃないと判断。
"常識"よりも"心配"が勝ったことで、ようやくと歩き出した。
玄関を出て、すぐ隣のドアの前に立つ。
中ではドタバタと何やら騒がしい様子。
「あああああああ!」
という叫び声。
ゴスッ、という衝撃音。
「大丈夫!?」という声。
「頭痛い~。手も痛い~。誰か助けて~」
そんな助けを求める声。
戸惑いは消え、ドアをノックする。
「やばっ! ちょ、ちょっと出るからあんたはどっかに隠れてて。絶対出てこないでよね」
「助けて~」
そんなやり取りが聴こえた。
ガチャリと開錠され、ドアが開けられる。
「ご、ごめんなさい! うるさくしてしまって……って、白羽さん?」
やたらと恐縮しきった態度で即座に謝罪してきた少女が、俺の顔を見て首を傾げた。
その姿に僅かな嬉しさが宿る。
反対側の隣人よりは幾分か他人行儀が減っていると分かったから。
俺を認識して、謝罪を取りやめてくれたのだから。
「何か叫び声が聴こえたからさ、大丈夫かなって思って」
その言葉に少女の肩が大きく震えた。
「え、えっと、その……何と言ったらいいか」
やたらと言い淀み視線を逸らす彼女に思わず首を傾げる。
否定でも肯定でもない曖昧な態度。
そこに、声が聴こえた。
「彩葉お腹すいた~」
「うげえ!」
別の少女のあどけない声と、眼前の少女の慌てた声。
少女の背後から、少女が顔を覗かせた。
「誰?」俺を見て少女が首を傾げた。
年の頃は十歳前後だろうか。目の上で揃えられた前髪と、背中まで伸びた灰色がかった亜麻色の髪。頭頂部にはぴょこんと跳ねる小さなアホ毛。
半袖の黒いトレーナーをまるでワンピースのように着こなしていた。
やたらと整った美しい幼子。
真紅の瞳に、俺が映り込む。
その光景が何故か俺に既視感を抱かせた。
誰? と俺も訊ねたい状況ではあったが、幼女からの問いに問いで返すのはナンセンスだと判断。
「隣に住んでる白羽遠矢だよ。よろしくね?」
「とーやー?」
間延びした口調で名前を呼んでくる幼女に頷きを返した。
「バ、バカっ、白羽さんは年上なんだからそんな馴れ馴れしく読んじゃダメ」
慌てた少女が背後へと顔を向け、幼女へと叱責する。
「ええ~、なんでなんでなんで~?」
「何でを何回言ってもダメ。目上の人は敬わなくちゃいけないの」
駄々を捏ねる幼女に対し、暖簾に腕押しと言わんばかりに塩対応な少女。
幼女の顔がこちらへと向けられた。
「だめ~?」
あざとさ全開に俺を見上げる幼女に返す言葉は一つ。
「好きなように呼んでいいよ」
「やたっ!」
そう言って幼女は少女に向けてニンマリと笑みを浮かべた。
「何ドヤ顔してんの? まずは白羽さんにお礼を言いなさい。宇宙人だろうが何だろうが郷にいては郷に従いなさい」
不満気に半目で幼女を見下ろしながら、まるで母親の如き説教をかます少女。
幼女はただ首を傾げるばかり。
少女が言い放った"宇宙人"という言葉に疑問を抱いた俺もまた首を傾げるばかり。
その時だった。
ぐうー。
幼女から、そんな音が聴こえた。
俺と少女から見つめられる幼女。
僅かな沈黙。
「たすけて~?」
瞳を潤ませてお腹を抑えながらあざとさ全開でそう訴えたのだった。
それを見つめた少女がやがて大きく息を吐く。
「いいよ。じゃ、ご飯食べよっか」
少女が、幼女が勢いよくこちらに顔を向けてきた。
目をキラキラと輝かせ笑顔が花咲いた幼女。
目を見開いて驚きに固まりながら俺を見る少女。
深夜ということもあり、開いてるのはコンビニくらい。
「ちょっと買ってくるから、うるさくするととアレだし俺の部屋にいなよ」
「トーヤのへやぁ?」
幼女の言葉に頷きを返しすぐ隣のドアを指差せば、外へと顔を覗かせた幼女が俺の家のドアを見る。
「違うおうち!? 楽しみ~!」
「あっ、ちょっと!」
そう言って裸足のままで駆け出した幼女が、鍵をかけていなかった俺の家のドアを勢いよく開けて飛び込んでいった。
静止しようと伸ばした少女の腕が寂しく宙に浮いていたのだった。
「彩葉のおうちと違う感じ~!」
開け放たれた俺の部屋からそんな声が聴こえてくる。
僅かな沈黙。
「じゃ、買ってくるから俺の部屋で待っててよ」
少女へと声をかければ、同時に聴こえるは眼前からの"ぐうー"という音。
やがて真っ赤に染まった顔が俺の視界に映った。
「……ご、ご迷惑、おかけします」
その言葉に頷き、そして思い出す。
「そうだ、あの子はまだ寝てる?」
「あの子、ですか?」
俺の言葉に少女が首を傾げる。
ん? 言い方が悪かったか?
「そうそう、赤ん坊。もしあの子も起きそうだったらミルクも準備した方がいいだろうしさ」
「……あっ」
俺の言葉に少女が小さく声を漏らした。
ようやく認識が一致したらしい。
少女が口を開く。
「えーっと、その…………"あの子"が、"あの子"なんです」
「……んん?」
少女の言葉に俺の理解が追いつかず、首を傾げてしまう。
おずおずと、少女が俺の部屋を指差した。
「すごっ! 彩葉のより画面おっきい!」
聴こえるは幼女の楽しげな声。
「……あの子が、赤ん坊だった子です」
…………あーね。
複雑な思考を全て捨てた結果、理解した。
少女がそう言うのだ。つまりはそういうことなのだ。
ベビー用品が大分余ったな、なんて感想が浮かぶが思考を切り捨てる。
「すごーい、やわらかーい。さっきみたくぶつかっても全然いたくなーい」
そんな呑気な声が聴こえてくる。
……ま、いっか。
それならそれで対応したらいいだけ。
少女としても、赤子よりも幼女の方がまだ育児としては楽だろう。
そう思い、起因を探ろうとする自分の思考を全て捨て去った。
スマホと財布は持ってきたからこのままコンビニに行けるだろう。
「じゃ、買い物行ってくるね」
その声に少女がハッとしたように顔を上げた。
「わ、私の分は大丈夫です。ウチから持ってくので」
「残念ながら俺ん家は持ち込み禁止です」
「買ってきた弁当も持ち込みでは……?」
「俺が持ち込む分にはセーフなんだよね」
「なんて俺ルール……!」
そんなやり取りを経て少女に背を向ける。
僅かな逡巡。
だが、言っておいた方が良いと判断。
例えセクハラと思われようが、彼女の為に言った方が良いだろう。
「……戻ってくるまで少し時間かかるだろうし――もし着替えたいなら、時間はあるからね?」
「え?」
呆けた声を背に歩き出す。
「あっ」
何かに気付いた声が届く。
「~ッ!?」
声にならない悲鳴を最後に、背後で勢いよくドアが閉じられた。
いつものまとめた髪型ではなくラフにおろし、寝ぐせのついた長髪。
寝間着であろう、半袖短パンのあどけないパジャマ姿。
一時の恥で済む様に言うしかなかった。
開け放たれた俺の部屋の前を通ると。
「ねーねートーヤ。これなに? なに~?」
その言葉とともに幼女が飛び出してきて、持っていたものを俺に見せながら首を傾げる。
煙草の箱だった。
静かにそれを受け取り、ポケットにしまう。
「この箱の中に入ってるものに火をつけたら、多くの人の命を奪う毒の煙が出てくるんだよ」
「ナニソレ!? こわっ! なんでそんなの持ってんの!?」
「捨てるの忘れててね。安全に処分してくるよ」
そう言って歩き出せば「ちゃんと捨ててきてね! もってかえってきちゃダメだよ!」と背後からの声が届き、頷きだけを返して外階段を下りてコンビニへと向かったのだった。
コンビニ袋を両手に外階段を上がる。
唯一電気がついている我が家を見て、ドアノブを捻った。
ドアを開ければ四つの瞳が俺を捉える。
「あっ! ちゃんと捨ててきたの!?」
開口一番にそう訊ねてきた幼女に頷きを返す。
「安全に処理してきたよ。遅くなってごめんね」
「そかっ! じゃあごはんっ、ごはん~」
警戒心から満面の笑みへと一転した幼女に笑みが浮かびながら、テーブルに袋を置く。
傍に座る少女は俺を見上げて訝しんだ表情を浮かべていた。
「その……この子が、白羽さんが毒物を持っていたってずっと言ってて」
その表情、口調から幾分か俺への疑念が混じっているのは分かった。
まあ、彼女には素直に打ち明けてもいいだろう。
「煙草だよ、煙草」
「煙草? 箱の中にあるものに火を点けると多くの人の命を奪う毒の煙……ああ、なるほど」
少女はそう呟いて、やがて表情から訝しむものが消えた。
「たばこ~?」
首を傾げる幼女に少女が返す。
「あんたが怖がってるやつの名前。次触ったらあんた死ぬわよ」
「ヒィィィ」
顔を青褪め震え上がる幼女を見ながら、買ってきたものを袋から取り出す。
「えっ、こんなに?」
少女の言葉を無視して幼女へと声をかける。
「どれ食べたい?」
その言葉に幼女がテーブルに載せられた弁当を見比べる。
「ん~、じゃあこれ! 色がキレー」
指差したのは、オムライスだった。
子どもが好きそうな弁当を選んだ結果、オムライスも買っていたのだ。
前世の甥っ子を思い出してうどんも買っていたが、どうやら色合いでオムライスがお気に召したらしい。
オムライスの入った容器を持ち、電子レンジで温める。
その間に少女へと向け何が良いか選ばせれば、申し訳無さを前面に出した表情のままに弁当を選び出す。
コンビニに残っていた多種多様な弁当を買ってきたのだ。思う存分悩みなさいな。
レンジから温め終了の通知音が鳴り、同時に少女が選んだのは値段が一番安いのり弁当だった。
まあいいかとのり弁当温める。
他の弁当を片付け、オムライスをテーブルに置く。
そしてもう一つの袋を幼女に見せる。
「飲み物は何がいい?」
大量のペットボトルが入った袋を幼女が覗き込む。
「どれがいーかなぁ、ん~……これっ!」
そう言って取り出したのはオレンジジュースだった。前世の甥っ子の知見が活きたチョイスである。
そのまま飲むのもあれかと思い、戸棚から綺麗なコップを二つ取り出してテーブルに置き、その一つにオレンジジュースを注いで幼女へと渡した。
「んん~、うまっ、うまっ」
ご満悦の表情でオレンジジュースを飲み干した幼女。
「もっと飲みた~い」
その言葉にオレンジジュースを再びコップに注ぐ。
オムライスの蓋を外してスプーンを渡し、ようやくと幼女が食事を始めた。
「すごい! 何これ!?」
見開いた目を輝かせ叫ぶ幼女。
腕白な食いっぷりで勢いよく食べ進める幼女を見つめた後、レンジからの音でそちらへと歩く。
「この黄色いのは? 赤いのは? 中のちっさいモキュモキュしたのは?」
「鶏の卵、ケチャップ、鶏肉……」
背後のやり取りを聴きながら、温めたのり弁を取り出してテーブルに載せる。
割り箸を差しだせばおずおずと受け取った少女が「ありがとうございます」と恐縮した様子で頭を下げて、静かに食べ始めた。
とりあえずお茶をコップに注いで少女の前に置けば、再び頭を下げたのだった。
「うまっ、うまっ、うまー」
そんな楽しげな感想を耳にしつつ、ゲーミングチェアに座って一緒に買ってきたコーヒーを飲む。
「トーヤは食べないのー?」
幼女の問いに笑みを浮かべる。
「少し前に食べたからね? 今はお腹すいてないんだ」
その返しに「ふーん、うまっ、うまー」と食事を再開した幼女。
しかしその向かいに座っている少女は、俺を訝しんだ顔で見つめてきた。
暫し見つめ合う俺と少女。
やがて俺を見つめる表情のままに、矛先が幼女へと向けられた。
「あなた、どこから来たの?」