「……それで、君が来たということか」
翌朝。フォックステイルはローズソルトに言われた通り、ローズソルトの代わりに授業に参加していた。
目の前にはケルシーがいて、横には礼儀作法を教えるロサという人も立っている。
「はい、ローズソルトに言われて来ました」
フォックステイルは正直に答えた。もちろん、クソフードやバカヤローの話はせずに。
「……つまり、ローズソルトは授業から逃走したということだな」しかしケルシーは、とても不機嫌そうだった。「いいか、フォックステイル。ここは礼儀作法という形式的な挙動を模倣をするだけの場ではない。個々が自分の立ち位置を認識し、その責任を内面的に全うするためのプロセスだ。そのローズソルトの学ぶべき空白を、君の善意で埋められることで、他者の成長機会を奪っていることとなる。これはローズソルトという個体の問題ではなく、君という個体が将来的に破滅的帰結を招く可能性を孕んでいるので忠告して置く。まだ想像も及ばないだろうが、これは君のためでもある」
「僕のため……ですか」
フォックステイルは首を傾げながら考える。最初ここで会った時から、ケルシーはつらつらと長い話をする人間だなぁとは思っていたが、本ばかり読んでいたフォックステイルからすると全く苦にならないものであった。
「ま、まぁまぁ! フォックステイルさんは、ローズソルトさんのために授業に来てくれた訳ですから……そこまでにしませんか? ケルシー先生」と割り込んだのはロサ。「フォックステイルさんも、私の授業が気になってここに来てくれたのよね? それは良いことだと私は思うわ。礼儀作法は、身につけて損はないもの」
とロサが言い、不機嫌そうなケルシーをどうにか宥めようとしている。
フォックステイルはますます困惑していた。人間のために動いたことが、却って人間のためにはならなかったと言われたことに。
「……フォックステイル」
やがて、ケルシーは眉間にシワが寄ったままフォックステイルを睨んだ。
「はい、ケルシー」
フォックステイルは本にあったように、行儀よく返事をしたつもりだったが、ケルシーの眉間のシワは消えなかった。
「ローズソルトの言うことは聞くようだな」
改めてそう聞くケルシー。意図は分からないが、フォックステイルは素直に頷いた。
「はい。昨日、ランタンを貰いましたから」
お礼はしなきゃならないって本に書いていたからね。
「そうか」
ケルシーはそれだけ言って教室を立ち去って行った。
「……?」
フォックステイルは、ケルシーが何を言いたかったか分からずに首を傾げていたが、ロサが取り繕うように声をあげたので、この疑問は流れることとなった。
「と、とりあえず……そろそろ授業を始めましょうか? フォックステイルさんも、授業を受けるかしら?」
ロサがやや緊張気味にそう言った。フォックステイルは、ケルシーがずっと不機嫌だったことが気になりながらも頷いた。
「はい、ロサ。僕もレイギサホウ? のジュギョー受けたいです!」
純粋に人間の振る舞いに興味があるフォックステイルは、ロサに返事をする。ロサは優しく微笑んだ。
「やる気があることは素敵なことね。では最初は……」
「ダメだよ、フォックステイル。ロサ先生のことは、ロサ先生って呼ばなきゃ!」
ロサが何か話しかけたところを、フォックステイルの隣の席にいる人間の子どもがそう言ってきた。
「センセイ……? ロサにセンセイってつければいいんですか?」
フォックステイルが人間の子どもに問えば、当たり前でしょと返ってくる。
「先生は物を教えてくれる人なんだから、ロサじゃなくて、ロサ先生なんだよ!」
と人間の子どもが言った。
「そうだったんですね……」
フォックステイルは人間の不思議に驚きながら、子どもに怒られたという気持ちにショックを受けていた。
「ふふ、大丈夫よ。フォックステイルさんは来たばかりだから、少しずつ学んでいけばいいの」とロサが近づいて優しくそう言ってくれた。「エラさん、フォックステイルさんに謝りましょう? 強い言葉で話しちゃってごめんなさい……ね? 言えるかしら?」
すると、エラと呼ばれた人間の子どもは、うつむき加減になりながら、呟くように謝った。
「ごめんなさい、フォックステイルのお兄ちゃん」
そうやって謝るエラを見て、フォックステイルは急速に、放置された書庫で見た絵本のお話を思い出した。
「相手に嫌なことをしなら、ごめんなさいと謝ろう」
そうか、人間たちはそうやって色んな人と友達になっていたのか。
フォックステイルは、どこかの本で読んだ動きを真似て挙手をした。
「ロサ先生! 人間は、嘘をついたあとも、ごめんなさいって言うんですか?」
フォックステイルの唐突な質問にロサは少し驚いたようだったけど、すぐには取り繕って微笑んだ。
「ええ、そうね。嘘をついてしまった時も、大事にしたい人にはごめんなさいと謝るものよ」
「大事にしたい人……」
フォックステイルの頭に浮かぶのは、テンニンカの顔。
僕は、テンニンカを大事にしたい。
「……フォックステイルさん?」
ロサが不思議そうに名前を呼んできたが、フォックステイルは気にも留めていなかった。
僕は、テンニンカのことが大事だ。
フォックステイルは人間のすっかり忘れていた知識に、ワクワクしていた。
「先生! もっと色々なことを学びたいです!」
これも、大将軍様……テンニンカのために!
フォックステイルはロサの礼儀作法の授業をとても熱心に受けた。