あんな奴を好きだった自分、ホント馬鹿じゃねぇ? 百合カップル? クソだよクソ! 過去に戻れたら絶対に選ばんわ!   作:Yunoko

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第20話 私はそれでも亜紗を愛してる

 

 電車の中で、私は亜紗と隣り合って座っている。

 ボックス席ってやつだったかな。

 対面式のやつでその気になれば、私と亜紗は向かい合って座る事も可能なのに。

 それでも私達は隣同士に座り、身体はほとんど密着させたままだ。

 

 どこへ向かっているのか、いつから乗っているのか、何も分からない。

 私達の席はといえば、厚みのあるクッション、無骨な肘掛け、窓側に付いたドリンクホルダーなどと、いずれもが古くてレトロな空間。

 窓から見える景色は田んぼだとか家々とか、森とか山ばかり。

 えらく古い電車に乗っているものだ。

 ここは田舎……なのだろうか。

 少なくとも、都会ではないのは確かだが。

 

 私と亜紗はずっと無言だった。

 不規則にガタンゴトンと揺れる電車の音、次の行先を告げているのであろうアナウンスがどこか遠くから聞こえるものの、私達はずっと沈黙を守っている。

 

 だけど、その空間に対して私は不安や恐怖といったものがなかった。

 亜紗の小さな息遣い、時々重なる視線、触れた指先の体温を感じるだけで、亜紗が私を嫌がっていない、拒んでなどいないと分かるから。

 

「…………」

 

 これは夢だ。

 私はこれを夢だと分かっている。

 

 だって、隣に座る亜紗は大人の……今の私のよく知る亜紗だけど。

 私と亜紗が電車に乗っていたのは高校生までだから。

 そこから先、二人で電車に乗った覚えなんてないのだから。

 

 それに、さっきから亜紗がずっと悲しそうな顔をしているのに。

 私がそれを黙って見つめたままでいる理由が分からない。

 放っておく意味が分からない。

 

『────』

 

 声がする。

 聞き馴染みのある声。

 私の好きな声。

 

 隣の亜紗からだ。

 何を言っているのか、私には分からない。

 でも、その声色が悲しそうで、切なそうで、寂しそうで。

 

 亜紗の顔は沈痛そのものだ。

 今にも泣きだしそうで、壊れてしまいそうなほどに辛い表情。

 

 なのに、どうして私は亜紗を抱きしめてやらない。

 手を握ったまま、そこから先に動かないんだ。

 夢の中とはいえ、自分の不甲斐なさに腹が立ってきた。

 

「亜紗」

 

 私は亜紗の名前を呼ぶ。

 いや、呼んだつもりだ。

 でも、亜紗にその声は届いていない。

 

 そもそも、亜紗はずっと私を見ていない。

 私と隣同士なのに、肩が触れるくらい傍にいて、手も繋いでいるのに。

 だけど亜紗は正面を見続けている。

 いよいよ涙がいつこぼれてもおかしくないくらい表情を歪めながら、どこか先を、遠くを見ている。

 

 どこを、見ているの?

 亜紗に倣って私も前へ視線を向ける。

 でも、対面式のボックス席で座っている私達に見える部分なんて限られている。

 前の席は誰もいない。

 向こうの席に座る誰かの頭が見えるなんて事もない。

 

『────』

 

 亜紗が何か呟いている。

 相変わらず、忌々しい事に私にはそれが聴き取れない。

 どれだけ耳を澄ませても、聴覚に全神経を集中させても、私には分からない。

 

 不意に、視界の隅に変化が訪れる。

 窓の外の景色が黒く、暗く染まっていく。

 急に陽が沈んだだとか、トンネルに差し掛かったわけではない。

 だって電車の中は明るいまま。

 

 夢だと分かっていなければ、私は軽くパニックを起こしていたかもしれない。

 でも、夢だと分かっていてもなお。

 私はだんだんと不安になってきていた。

 それがどうしてなのか、私には分からない。

 

「亜紗……亜紗っ」

 

 亜紗の名を繰り返し呼ぶ。

 亜紗をこのまま抱き寄せて、思いきりハグしたい。

 キスだってしたい。好きだと、愛してると何度だって告げたい。

 

 でも動けない。

 指先は繋がれたまま、お互いの肩だって触れ合うほどの距離なのに。

 ほんの少し首を動かし、顔を寄せあえば唇だって重ねる事ができるはずなのに。

 

 私は指先一つ動かせない。

 当然のように顔も首も、足先も何も動かせない。

 亜紗の指の柔らかな感触だって分かるのに、どうしてそこから先に指を動かせない。

 

 なんで、なんで。

 どうして、私は何もできない。

 亜紗が泣いているのをずっと見ているしかできないんだ。

 

『────…………っ』

 

 亜紗の声がする。

 相変わらず、その声は音として耳に伝わるばかりで、言葉として理解ができない。

 でも、亜紗の顔がこちらを向いている。

 その視線が私を捉えている。

 

「亜紗っ!」

 

 さっきまでの不安だとか焦燥が一瞬で吹き飛ぶくらい、私は嬉々とした声をあげた。

 自分でもはっきり分かるくらい、声が弾んでる。

 

 でも……。

 亜紗の顔が今までで一番苦しくて辛そうなものとなっていた。

 形の良い眉を顰めて、大きな瞳からは涙をぽろぽろと流し続け、顔は赤らみ、唇を噛み、肩を震わせて彼女は泣いている。

 

 私の手を握っていた指先に力が入る。

 微かに痛みを感じたけど、それはほんの一瞬の事で。

 

「…………」

 

 夢が覚めるのだろうか。

 さっきまで感じていた肌触りだとか、温もりというものが遠ざかる……というより、感じなくなっていくのが分かる。

 指先から力が抜けていく。

 柔らかな感触も、亜紗の温度も、何もかも。

 

『────っ! ────っ!!』

「……亜紗」

 

 声は聴こえないはずなのに。

 亜紗が私に向かって何度も、何度も叫んでいる。

 悲痛や沈痛がぐちゃぐちゃに混ざったというしかないくらい、表情を歪ませて亜紗は叫ぶ。

 でも、やっぱりその声は私に届かない。

 どうして、聴こえないの。

 

「…………」

 

 窓の景色が明るいものへと変わっていく。

 雲が一つたりとも見えないくらい、青く澄み渡る空へと。

 

 なのに、私の視界は狭く、暗くなっていく。

 ひどい夢だ。

 意地悪な夢だ。

 

『────っっっ!!』

 

 隣の亜紗が顔を両手で覆っている。

 いつの間にか、私の手を握っていた指先は離れていた。

 

 ごめんね、夢の中とはいえ亜紗をこんなにも泣かせて。

 泣いている亜紗を慰めることもできなくて、ごめんね。

 

「またね、亜紗……」

 

 目が覚めたら、うんと亜紗に甘える事にしよう。

 どうしたの、と亜紗は聞いてくるはずだ。

 そして私はこの夢について話して、不安な気持ちを正直に伝えながら甘える。

 怖い夢を見て不安になるなんて、子供のようなだと思わなくもないけど。

 

 でも亜紗は困ったような笑顔を浮かべ、それでもちゃんと耳を傾けてくれると思う。

 そのあとに優しく抱きしめてくれる。

 だから、この夢だって怖くない。

 寝て覚めれば、亜紗がそこにいるはずだから。

 

 

※ ※ ※

 

 

「………………ん」

 

 目が覚めた時、室内は薄暗かった。

 けれど、カーテン越しの光が今は日中だと知らせている。

 

 いや、ちょっと待て。

 視界に映る天井や照明もそうだが、室内の至る所に違和感しかない。

 ここ、私の家じゃない。

 

「ここ、どこ?」

 

 身体を起こし、周囲を見渡す。

 どれもこれもが私の部屋の家具じゃない。

 なのに、いずれも見覚えのある家具。

 

 上下左右、天井も壁も床も窓も、私の部屋の内装じゃない。

 なのに、どれもこれもが覚えのある空間。

 

 チェストやクローゼット、本棚や学習机も。

 部屋の中心に置かれたほとんど物を置けない小さなテーブルも。

 アナログ感全開のテレビも時代遅れのMDコンポ(同世代の友達で持ってる子が誰一人いなかった)も。

 私が今休んでいたであろうベッドも布団も毛布も。

 

 何もかも、実家の部屋のままだ。

 それも、私がまだまだ小さな頃の。

 

「……まだ夢?」

 

 声に出してはみたものの、この時点で夢じゃないであろう事を私は実感しつつある。

 だって、これが夢にしてはあまりにもリアルすぎる。

 視界も手触りも匂いも、何もかもが鮮明すぎる。

 さっきまで見ていた夢と違って、私は自由だ。

 

 手を前に伸ばしてみる。

 手のひらも指も手首も、何もかもが小さくて細くて頼りない。

 指先の、大人になってからできたはずの小指のホクロだって見当たらない。

 

「ふふ……嘘だろ」

 

 ぼやいた私の声だって幼い。

 トーンが高く感じたのは気のせいじゃない。

 別に風邪引いてるとかでも、鼻づまりでもない。

 

「……これが現実だっての?」

 

 顔に触れる。

 顔も当たり前だが小さい。

 自分の肌の滑らかさ、瑞々しさに指先が止まる。

 めっちゃ玉肌じゃねぇか、どうなってんだこれ。

 

 髪に触れる。

 いや、触る前から薄々感じてたけど、長さがまったく違う。

 肩ぐらいまでだったはずのそれが、背中まで伸びてる。

 つーか、キャップもしてねぇし、シュシュとかで結んでもねぇのかよ……髪のダメージなんて気にもしてなかったんだな、私。

 

「もう分かっちゃいるけど……一応」

 

 パジャマの襟元を引っ張る。

 乳が……やっぱり無いっ。

 キャミソールこそ着てるけど、ブラなんて当然してない。

 見事なまでに水平線であり、そこにあるのは薄い乳首だけよ。

 

「子供に戻ってる……ってのかよ」

 

 嘘だろ、と思う。

 でも、こういうシチュエーションを漫画やアニメ、小説で私は見たり読んだりした事がある。

 意識だけが過去へと遡っていくタイムリープってやつ。

 だけど、そんな、まさか自分が?

 

 ベッドから起きて立ち上がってみる。

 もうこの時点で視点が低くて、心が挫けてしまいそうになる。

 

 だけど。

 沈む気持ちとは裏腹に、めちゃくちゃ頭がクリアというか、歳取ってからのもやもや感がない。

 身体に疲労感や倦怠感がまったくない。

 手も足も軽い。

 

「…………今の私っていくつなんだ」

 

 軽く周囲を見渡し、とりあえずの癖でスマホを探す。

 だが見つからない。

 代わりに見つかったのは──

 

「ガ、ガラケー……」

 

 しかもキッズケータイだ、これ。

 折りたたみのやつだし、ボタン押すやつだし、めちゃくちゃ小さい。

 確かこのリングと紐って防犯ブザー付いてるやつじゃねぇか。

 一度も使った記憶はないけどさ。

 

 もうこの時点で懐かしさがやばいし、私の直感がほぼ確信状態。

 ガラケーをパカッと開き、デスクトップ画面(待ち受け画面だったっけ?)を確認する。

 

「4月1日……」

 

 表示されている時間や月日が今日じゃない。

 いや、言い方おかしいか。

 私の認識してるはずの日付じゃない。

 まあ、それは今さら驚く事じゃないけど……それにしたってエイプリルフールかよ。

 この出来事が冗談だと、誰かに言ってもらいたいもんだ。

 

 周囲を見渡してリモコンを手に取り、部屋の照明を点ける。

 明るくなった視界の中で部屋を見渡せば、いよいよもってここは私の部屋だと認めざるをえなかった。

 あまりにも見覚えのありすぎる内装、家具配置。

 

「…………」

 

 学習机の方に置かれた鏡を手に取る。

 もうほとんど分かっちゃいたけど、私が若い。つーか子供。

 鏡の中の私が女の子しとる。

 

 すぐ近くに貼られたカレンダーを確認する。

 月日はともかく、今は何年なのか。

 逆算して計算する。

 

「…………18年前」

 

 って事は、今の私は小学4年……くらいか?

 マ、マジでガキじゃねえか。

 

 今日起きてから、一体何度目の驚きだろう。

 嘘だろ、と何度も何度も口にしてる。

 ありえない、おかしいと頭の中で思っているのに、これは現実だとどこかで認めてる。

 自分自身で自問自答を繰り返している。

 

 今の状況こそが夢であるべきだと思っているのに、一向に目を覚ます気配がない。

 なんなら頭の中がすっきり(その割に思考がぐるぐるしまくってるけど)してる。

 身体がめちゃくちゃ動かしやすいし。

 子供の時から運動神経終わってたから、今の状態でも大した事はできんだろうけど。

 

「…………あ、亜紗っ」

 

 机の上に置かれていた写真を見て、私は我に返る。

 私と亜紗のツーショット写真。

 まだ可愛げのあった頃の私と、この頃から可愛かった亜紗。

 

 なんでここに至るまで忘れてた。

 ホントに馬鹿じゃねぇのか、私。

 ついさっき、夢の中であんなにも恋焦がれてんのかってくらい、私は亜紗を求めてたっていうのに。

 

 私はどうしてた、昨日の最後は何してた?

 最後の記憶は、千早が家に来た日だ。

 千早が来て、私と亜紗の事を祝ってくれて……それから……。

 

 

※ ※ ※

 

 

 泣きながら包丁を握る亜紗。

 訳わかんないままそれを宥めてる私。

 千早は……驚いてたのは覚えてる。

 それからどうなった。

 

 包丁を持って迫ろうとした亜紗を、私は止めようとしていた。

 あの時、私は混乱しまくってたのは確かだ。

 なんでいきなり包丁持ってんだ、どうしてそれを千早に向けてんだとか考えつつ、それでも必死になって止めようと説得してたはず。

 

 亜紗がそうした理由が分からない。

 千早と相性は確かに良くなかったけど、だからっていきなり包丁を持ち出す意味が分からない。

 でも、あのまま放っておいちゃダメな事くらいは分かってた。

 

 ゆっくりと声をかける。

 大きな声で責めないように、刺激しないように。

 包丁を持つ手を下げさせて、指先を一つひとつほぐして離して。

 それから亜紗を離れさせて、千早には悪いけど帰ってもらい、ゆっくり二人で話をしようと考えていた。

 

 だけど、気付いた時には私は包丁を刺されてた。

 避けようとか身を守ろうとか、なんの反応も示せなかった。

 運動神経とか反射神経とか全然なかったからなぁ私。

 

 そもそも、私が刺されるという前提が頭になかった。

 亜紗が私を傷付ける事はしないと、私が前に立っていれば最終的には思いとどまってくれるはずだと、心のどこかで高を括っていたのだろう。

 実際は刺されてたわけだが……。

 

 いや、でもあの時……あいつ躓いてなかったか。

 バランスを崩して勢い余っていたような。

 だとすりゃ、思いがけずに刺されたという事になってしまうのだが。

 そんな馬鹿な話、あるか?

 

「…………っ」

 

 そういえばとお腹のあたりを擦る。

 

 痛みはない。

 傷痕だってありゃしない。

 でも、刺された時のひやりとした感覚が、そのあと急激に熱と痛みに変わっていくあの恐怖を私は覚えている。

 私の中から少しずつ液体が出ていく感覚も覚えてる。

 あれはきっと出血で、止まる事なく流れ続けてたんだろうな。

 

 そこから先の事を私は覚えてない。

 という事は、あのまま死んだのだろうか。

 あまりにあっけない終わりすぎやしないか。

 

 亜紗や千早はどうなったんだ。

 救急車くらいは呼んでくれたのだろうか。

 警察とかって来るのか、あの場合。

 パニックになってた亜紗はまだしも、千早もいたから流石にあのまま放置って事はしてないと思うけど。

 

 でも、あの状況で千早が残っているのも危ない気がする。

 元々包丁を向けられていたのは千早だ。

 無事に逃げてくれてたらいいけど……。

 

「亜紗は……どうしてんだろ」

 

 私に包丁を刺しちまって、あいつはどうしてるのか。

 想像がつかない。

 ずっと家で泣きじゃくってるわけにもいかないだろう。

 

 というか、私が死んだのだとしたら殺人扱いになっているんじゃないか。

 そうなったらどうなる? 殺意云々はさておいても、無罪とはならないよな。

 私が生きてさえいれば「いいよ、許す」の一言で片もつく……つかないか? 

 あいつ精神をやっちまってるから、なんだっけ……心神耗弱だか心神喪失みたいなやつで罪に問われないとかってならないか。

 

 私や亜紗の家族にどう伝わってるんだろう。

 私の家族はどう反応してるのか、この事でお義母さんと揉めたりしていないだろうか。

 亜紗がさらに追い詰められたりしていないか心配だ。

 

「…………あぁ、くそっ」

 

 駄目だ、思考がまとまらん。

 状況を整理したい。

 こんな時はパソコンに文章打ち込んでまとめて……パソコンがねぇ。

 

 

※ ※ ※

 

 

「…………」

 

 私は学習机に向かい、机の上のノートに状況をまとめていた。

 右手に握るのはキャラクター物の鉛筆。

 この当時に流行ってたアニメのやつとか、雑誌の付録のやつとか、どれもこれもが懐かしい。

 今となっては興味もないが、夢の国ブランドのやつとか愛用してたなぁ。

 

 それにしても。

 今の感覚だとこの頃の私の持ち物のすべてが子供っぽい(当たり前だが)し、意外と女の子してるしよぉ、持ってるだけでなんだか気恥ずかしいぞ。

 シャーペン使わせてくれ、それかボールペンでもいいんだが。

 小学校の時ってまだ禁止されてたんだっけ……今もか? なんか色々と禁止の理由を聞かされた覚えはあるけど、まったく内容を覚えてない。

 

 まあいい。

 とにかく状況の整理が先決だ。

 余計な事を考えて懐かしむな。

 順番に時系列と内容と書きまくって、そこから必要な情報をまとめていく。

 

「今の私は小学4年で……」

 

 28歳までの記憶が夢じゃなかったと想定して、記憶の中の出来事をつらつらと書き記していく。

 

 小学生、中学生、高校生の時の思い出。

 亜紗と付き合ってからの約4年間の思い出。

 亜紗と別れてから再会するまでの間の記憶。

 亜紗とセフレになってから、最後に至るまでの思い出。

 

 書き並べてみると、小さい時の記憶なんてほとんど曖昧だ。

 亜紗中心での思い出はちらほらと書けるが、その詳細はほとんど覚えちゃいない。

 亜紗以外の交友関係なんて、ほぼ忘れてる。

 幾人かはエピソード的な記憶こそ残ってるけど、裏を返せば普段のやり取りなんて皆無に等しい。

 

 つい最近までの……亜紗と再会してからの思い出なら詳細に書けている。

 ここまで記憶してんのに全部夢でしただったら、逆に驚きだろこれ。

 これからしようと考えていた未来図だってすらすら書けるし。

 

 亜紗の誕生日だって近かった。

 その日はフォトウェディングを予定してたし、なんならその前から打ち合わせとか衣装や小物の準備もしたり、どんな風に撮影するかで延々と話し込んでたなぁ……。

 それが終わったらまた小旅行して、それから……。

 

「…………フォトウェディングくらい、したかったな」

 

 亜紗のウェディングドレス姿はきっと綺麗で愛らしくて、私は見ているだけでも満足できたはずだ。

 私があいつを憎んでいた頃、結婚式に呼ばれた時なんてめちゃくちゃにムカついてたのに、それでもあいつの花嫁姿は清楚さと可憐さを兼ね備えていて、心のどこかで「綺麗だ」と認めていたんだもの。

 

 再び好きになってしまった今じゃ、あの姿を見ただけで私は感極まる自信がある。

 あの時は遠くから眺めるだけだった。

 それが私の手の届くところで、私の隣で、私の事だけを見てくれる亜紗がいる。

 

 いや、いたはずだった。

 今の私には、もう亜紗に手が届く事はない。

 

「………………」

 

 正直、私と亜紗のツーショットをいくつか撮り終えたら、残りはすべて亜紗オンリーでの写真を撮りまくるつもりだった。

 そんで良いやつは部屋に飾って、残りの亜紗の写真はアルバムに綴って埋めつくす予定だったんだけどな。

 

 あぁ、つうかフォトスタジオに中止の連絡だってしなくちゃいけない。

 キャンセル料金はいくらになってしまうのか。

 そもそも、亜紗が連絡できるだろうか。

 それに連絡できるような状況なのか、あいつ。

 

 生命保険の受取人を亜紗に変更もできてないし、遺産相続の公文書だって下書き段階で止まったままだし、私があいつに残してやれる物が何もない。

 マンションの契約は私がしてたし、その相続を亜紗に引き継ぐ事だってどうなる。

 パートナーシップの解消だってさ……しなくちゃいけない。

 

 亜紗が一人で話を進めていく姿が想像つかない。

 かといって千早に手助けしてほしいなんて、あまりにも厚かましくおこがましい願いだ。

 学生時代の亜紗なら、私と付き合ってた頃のあいつだったら、愛想と愛嬌と勢い任せでなんとでもしてくれただろうに。

 

「…………はぁ」

 

 目頭を押さえる。

 亜紗が一人でどうしているのかと考えると、勝手に涙がこぼれようとしてくる。目の奥が熱くなってしまう。

 今頃一人で不安になっていないだろうか。寂しくさせていないだろうか。

 私を刺した事を悔やませたりしてないだろうか。

 

 自意識過剰でなければ、きっとあいつは今も泣いている気がする。

 再会してからの亜紗はとにかく泣き虫になってしまったから。

 好きだの愛してると伝えただけで泣くし、夜一緒の布団で抱きしめても泣くし、一緒にアルバム開いて思い出を語るだけでも泣いてるし。

 

 でも、私も。

 亜紗ほどではないけど、涙もろくなってしまった。

 亜紗の事を思い出すだけで、亜紗の今を考えるだけで、涙がぽろぽろ溢れるようになったんだものな。

 

「…………」

 

 書く。

 ひたすらに覚えている記憶を片っ端から書き続ける。

 そうして書けば書くほど、私の人生の大半を占めていたのが亜紗だと思い知らされる。

 

 思い出や出来事のほとんどに亜紗が関わっていたのだと実感した。

 私の抱いた感想や印象が、どれも亜紗に焦点を当てたものだと痛感してしまう。

 好きだった頃も憎かった頃も、私は亜紗ばかり考えていたのだと。

 今さらすぎるほど、私は亜紗がずっと好きだったのだと再認識してしまった。

 

「それにしても……なんて内容だこりゃ」

 

 私の中では実際に体感し、経験してきた記憶や出来事ではある。

 これらが全部、夢や妄想の類だとは考えられない。

 でも、まだ先の出来事でしか、しかも必ずこうなるとも限らない今、この内容は妄想と思われても仕方ない。

 

 というか、事実であったとしても人様に見せれる内容じゃない。

 まあ、見たところで信じてもらえはしないだろうけどさ。

 私自身、絶対の自信を持っちゃいないのだから。

 

「…………」

 

 ノートを閉じて私はベッドで横になった。

 大の字になってみて、天井を見上げる。

 

 まだ、この状況を夢だと思いたい自分がいる。

 ベッドで休んで寝て、目を覚ませば大人になった自分に戻っていると思いたい私がいる。

 戻りたい、帰りたい。

 亜紗のいるあの頃に。

 

 今までの事が全部夢だったなんて思いたくない。

 28歳までの人生経験なんて、あまりにもロングランな夢すぎる。

 良い事も悪い事もごちゃごちゃしてるし、今だったらこうするのに、今だったらもっと良くできると分かっていても、戻りたい。

 

「…………っ」

 

 頬を伝う何か。

 気取ってんじゃねぇ、涙だろ。

 まだ流し足りないらしい、私は。

 

 

※ ※ ※

 

 

 時刻は午前8時半すぎ。

 いつの間にか私は寝てた。

 目を覚ましても、場所は変わる事もなく、私も子供の姿のままであった。

 

「穂乃花、起きてる?」

「あっ……うん、起きてる」

 

 目を覚ましたのは母が呼びに来たからだ。

 咄嗟にどう返事しようか考えたが、あの頃の私がどんな風に喋っていたかなど覚えちゃいない。

 

 それにしても、母が若い。

 18年前なのだから、当たり前といえばそうなのだが。

 気にしてた皺やほうれい線だって見えない。

 この頃は髪を伸ばしていたっけか。

 

「穂乃花、泣いてたの?」

「え? どうして?」

「だってあんた……」

 

 目元が真っ赤で腫れてたと指摘される。

 鏡を見てみると、確かにむくんでる。

 この短時間でこうもなるのかと驚くが、さらに驚いたのは母が私に優しく接してくれた事だ。

 

「ご飯できたけど、食べれそう?」

「無理だったらあとでもいいよ」

「身体大丈夫? どっか具合とか悪くない?」

 

 こんな感じでめっちゃ気にかけてくれてんのよ。

 いや、まあ私も身体が子供だからそりゃそうかもしんないけど。

 あのドライ代表の母にも、こんな時期があったんだなって感慨深くなっちまうよ私もね。

 

 気を遣ってくれる母に感謝しつつ、私は起きる事にした。

 どんな状況になっても、お腹はちゃんと空くらしい。

 

「…………」

 

 部屋を出て階段を下りて、リビングへと向かう。

 その間でさえ、懐かしさがこみ上げてくる。

 

 長らく住んできた実家であるのに、廊下の窓際に置かれたミニサボテンだとか、階段近くの収納しきれていない荷物だとか、一階のあちこちに置かれたインテリアやら壁に貼られたカレンダーや学校の行事表とか、何もかもが昔のそれで。

 

「あらぁ、ほのちゃん」

「…………っ!」

 

 キッチンから現れたその人に、生前のおばあちゃんを見た時。

 私はまたまた涙がこぼれてしまう。

 感情が揺さぶられっぱなしだ。

 

 生きてる。

 生きてた頃の元気な姿のおばあちゃんがそこにいる。

 まだ自分の足で歩いていて、腰も全然曲がってなくて、髪もちゃんと白髪染めしてて真っ黒で、認知症も大して進んでなくて、脳出血も起こしていないおばあちゃんが現実に、私の目の前にいる。

 私は思わず駆け出してしまった。

 

「んん? どうしたんね、ほのちゃん?」

「おはよう、おばあちゃん。おはよう……」

 

 おばあちゃんはきっと戸惑ってるだろう。

 起きてきた孫がいきなり抱き着いて泣きじゃくってさ。

 しかもその中身はアラサー……いや過去と現在の合算でアラフォーか? 中身が大人の私が年甲斐もなく泣いてるなんて想像もつかないはずだ。

 

「ほのちゃん、泣いとんね?」

「穂乃花、あんたほんとに大丈夫? 今日やっぱりなんか……ねぇ」

 

 おばあちゃんも母も心配してる。

 訳分かんないよね、ごめんね。

 でも大人の私が精神とか記憶だけ若返ったとか説明しても、もっと訳分かんなくなるからごめん。

 

 私は理由も何も言わないまま、ひたすらに「ごめん」「なんでもない」と繰り返した。

 とはいえ、それで納得してもらえるわけもなく。

 私がびっくりするくらい、母が親身に丁寧にどうしたのかと尋ねてきたわけよ。

 リビングのソファーに座るよう促され、母も隣に座ってじっくりと懇々と。

 

「怖い夢を見ちゃって……」

 

 結局、そんな感じの理由でゴリ押しした。

 あながち嘘でもないし、私の年頃ならあり得なくもない事だし。

 話し終えたあと、母は……お母さんは私をぎゅっと抱きしめて、何かあったらいつでも言うようにと伝え、頭を撫でてくれた。

 

「…………」

 

 お母さんらしい事、ちゃんとしてくれてたんだな……。

 しっかし、母に抱きしめてもらうなんて一体いつぶりなんだろうなぁ。

 ここでも私が泣きそうになったのは秘密だ。

 

「ごちそうさまでした」

 

 朝ご飯を食べ、シンクに持っていく。

 使った食器を洗っていき、水切りラックへ並べていると母が驚いた顔をしている。

 どうしてかと疑問に思ったら、私は食器を下げるまではしても、まだちゃんと洗ったりできてなかったみたいだ。

 

 迂闊だった。

 でも、このくらいだったらまだ私も日々成長してるで誤魔化せる範囲。

 子供が洗い物をできて困る大人もいないからね。

 セーフだセーフ。

 

 だけど……近々で私は自分の能力を見直す必要があると思った。

 

 中身は28歳社会人の私だから、大概の事には対応できる。

 でも、小学4年生の私が子供らしからぬ行動を取っていれば、周囲は不審や疑問に感じてしまうだろう。

 社会経験を活かして子供の内から何か……色んな事に挑戦はしてみたいけど、何をしたいのか、まだまったく想像もできない。

 

 この時代に戻って、私って何をしたらいいんだろう。

 また最初から人生をやり直しして、同じ歴史を辿ってみるか?

 

 小学校から高校まで亜紗中心の生活を続けて。

 高校卒業前に亜紗へ告白して、付き合って。

 約4年間の交際期間を経て、こっぴどく振られて。

 それからしばらく落ち込んで再起して。

 亜紗と再会してセフレになって、やがて……。

 

「…………」

 

 全部が全部、同じ流れに沿う必要もないと思う。

 少なくとも、付き合ってから別れるまでの流れは改善の余地ありでしょ。

 美春や八奈子あたりの介入を防げば、破局は免れる……少なくともあんな別れ方はしなかったと思う。

 

 そもそも中学校から高校までの間、亜紗が色んな男と付き合っては別れるのを黙って見ている必要あるか?

 あの6年間、私の脳は破壊と破壊と破壊の地獄ループだったぞ。

 再生する暇なんてありませんでしたよ?

 

 じゃあ黙って手をこまねいて、高校3年まで我慢するのかって?

 嫌だと思う。めっちゃ嫌だ。

 他の男に亜紗を触らせたくない。

 エッチどころかキスだってしてほしくないし、亜紗に指一本触れる事も、声を掛けてほしくもないくらい。

 

 でも、私が亜紗と付き合えたのは……。

 亜紗が色んな男と付き合って、でも長続きしなくてうんざりしてたからだ。

 高校3年まで私が亜紗の近くにいて、亜紗が私に対して多少の情もあったからだ。

 

 この条件を満たせないまま、早めに告白したところで私にチャンスがあるとも思えない。

 

『ほのちゃんと最初から付き合えてたら良かったのに……初めてだって、ほのちゃんにあげたかった』

 

 復縁してからの亜紗は、最初に付き合うのが私だったら良かったと、身体を重ねる相手も私が初めてであったらと何度も何度も言ってた。

 でも、そんなの無理だ。

 

 他ならぬ若い頃の亜紗が、私を受け入れてくれない。

 女同士での恋愛感情なんて意識もしやがらねぇ。

 あの日、告白するまでの私は完全に数いる友達の中の一人でしかなかった。

 

「…………」

 

 だけど、諦めたくない。

 諦めきれない。

 亜紗を諦めて、別の恋をするなんて……考えられない。

 

 でも亜紗とまた結ばれようとしたら、どうしたって私は見たくもない現実を突きつけられてしまう。

 彼氏ができたとはにかむ亜紗を見なくちゃいけない。

 どんなデートをして、どんなエッチをしたかと恥ずかしげに語る亜紗を相手にしなくちゃいけない。

 別れて泣いている亜紗を慰めてやらなくちゃいけない。

 

 ただの友達として、無自覚に残酷な振る舞いをしてくる亜紗と関わっていかなくちゃいけないのだ。

 

 それを6年間、今の私がまたやれるのか?

 想像するだけで、胸が張り裂けそうだ。呼吸が苦しいのは気のせいじゃない。

 考えるだけで、子供の内から鬱になんじゃねぇのかこれよぉ。

 

「……」

 

 リビングに響くのはインターホンの音。

 どこぞのコンビニの入店音とよく似た音。

 そういえば、この家のインターホンってこんなんだっけな。

 何もかもが懐かしくなってしまう。

 

 母が「はーい」と言いながら、玄関へと向かう。

 私はぼんやりとソファーに座り、テレビを見ていた。

 まだ地デジにしてないんだな、我が家。

 テレビの端でメッセージが出てきてんよ。

 

「穂乃花」

「うん?」

「亜紗ちゃん来たよ」

「えっ」

 

 素で驚きの声が出てしまった。

 でも、驚く事じゃないんだよな。

 

 私がまだ小学生だって事を考えたら、この頃の私と亜紗はしょっちゅう一緒に遊んでいたし、今日が4月1日なら学校だって春休みだもの。

 そもそも春休みなんて概念自体、忘れかけていたぜ。

 春休みだから宿題とか無かった……よね?

 

「どうする? 遊べそう?」

「…………うん、大丈夫」

 

 本音をいえば、会いたくない。

 亜紗には会いたい。

 でも、私の会いたい亜紗は別の……私の事を大好きだと言ってくれる亜紗だから。

 

 だけど、だけどさ。

 私は小さな頃から亜紗が好きだった。

 今はあの時よりずっと若いだけで、同じ亜紗には違いないんだ。

 

 だから、会おう。

 それに……もしかしてという気持ちがある。

 亜紗も、この時代にタイムリープしてないかという願望が。

 

「…………あれ、そういえば」

 

 玄関へ向かいながら、私は思案する。

 私ってこの時期、亜紗の事をなんて呼んでた?

 

 亜紗って呼び捨てにはしてないよね。

 亜紗ちゃん? あーちゃん?

 まだ子供の時だし、あーちゃんだったよな?

 

「ほのちゃん! おっはよう!」

 

 玄関で待っていた亜紗は、当たり前だが幼かった。

 髪は元々地毛からして明るくて、この頃から長くて綺麗で。

 顔はやっぱり可愛くて、睫毛も長くて瞳は爛々と輝かせてて。

 私よりも背丈は高くて足もすらりとして、気のせいじゃなければ、既に胸だって微かに膨らんでいて。

 

 そんな亜紗が、無邪気で屈託のない、愛想と愛嬌に溢れた表情を浮かべて立っていた。

 その姿は、私の知る最後の姿とあまりにもかけ離れている。

 年齢とかの問題じゃない。

 醸し出す雰囲気があまりにも違いすぎる。

 

「おはよう、あーちゃん」

 

 私は声を出す。

 亜紗に挨拶を返す。

 玄関内で軽く雑談する。

 懐かしい顔を見て、懐かしい声を聞き、私は気付く。

 

 一つは、亜紗はタイムリープしてきていないという事。

 ほんの少しだけど、もしかしたら亜紗もこちらにやってきていて、私に会いに来たんじゃないかとどこかで……期待してた。

 

 でも、違う。

 あの時の亜紗が、こんなにも笑えているはずがないから。

 今の亜紗が私に対して、まったく恋愛感情だとかそれに近しい感情がないって分かってしまうから。

 友達として、ただただ無防備に接しているのだと肌で感じてしまうから。

 

 それともう一つ。

 あまりにもバカバカしい事だけど、私が死ぬ直前までのあの弱々しい亜紗が、私に依存してくれる亜紗が、私を離したくないと必死だった亜紗が狂おしいほどに好きだったのだと再認識してしまった。

 

 この時期から既に、私は亜紗の事が好きだったはずだ。

 でも、幼い亜紗を見た瞬間。

 脳裏に浮かんだのは気弱に笑う大人の亜紗だった。

 

 やる事なす事自信をなくしてるのに、料理をする時は楽しげな亜紗が。

 私が帰ってきた時、真っ先に駆けてきてはハグしにくる亜紗が。

 ソファーで隣り合わせに座り、ずっと肩を寄せて手を繋いでいた亜紗が。

 ベッドで一緒になって視線を交わして微笑んでいた亜紗が浮かんでしまう。

 

「ほのちゃんどしたん? なんか元気ないじゃん?」

「大丈夫…………なんでも、ないよ」

 

 どこまでもどこまでも、私は未練がましく執着する女なんだ。

 亜紗と……私の一番愛してた亜紗に会いたいと願ってしまった。

 それが無理だと、分かってしまったというのに。

 

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