あんな奴を好きだった自分、ホント馬鹿じゃねぇ? 百合カップル? クソだよクソ! 過去に戻れたら絶対に選ばんわ!   作:Yunoko

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序章 分岐・亜紗エンド
《IF・亜紗エンド》 貴方とならどこまでも 前編


 

「亜紗…………綺麗」

「んぇっ」

 

 思わず呟いた私の声に、亜紗が目を見開いた。

 同時に、どこから出してんだって声を発しつつ後ずさっていく。

 

「ちょっ、ごめっ……ダメ、ダメだよほのちゃん」

「何がダメなのさ」

 

 亜紗が顔を俯かせる。

 私から視線を逸らし、次第に耳を赤くさせて。

 分かりやすいくらい、思わず抱きしめたくなるくらい照れている。

 

 だってしょうがないじゃん。

 結婚式場感全開のチャペルでさ、純白のウェディングドレスに身を包んだ亜紗がいて、ほんの数歩の距離で見つめ合ってて雰囲気も十分な中で、黙って見てらんないでしょ。

 

 言っておくけど、私の言葉に嘘だとかお世辞は一切含んでいない。

 純度百パーセントの本音だかんな、これ。

 

「だって亜紗が綺麗で可愛いのはただの事実じゃん」

「あぁ……もうっ」

 

 かつてなく照れ続ける亜紗。

 正直何してても、どんな顔してても可愛いのが亜紗だが、今日は特に可愛い。

 

 ここへ来る前にプロのメイクさん(ヘアしかり、メイクしかり)の手が入ってるし、元の素材が良いから相乗効果で可愛いらしさがぐんぐん右肩上がりですわな。

 

 それにメイクだけじゃなく、上から下まで亜紗の見た目は完璧だ。

 今日の亜紗の髪は、ゆるめのハーフアップ。

 ドレスは王道のプリンセスライン。

 そして目立ちすぎない程度のティアラを髪に添えて。

 

「…………」

 

 もう隠すつもりもないから言うけど、完全に私の好み。

 いつぞやの結婚式で見た花嫁姿の亜紗と、ほとんど変わらん。

 違うとしたらドレスの細部だとか、あの時のヘアセットはシニヨンだったとかその程度。

 ティアラも下手したら、あの日とほぼ同じ物じゃねーかレベル。

 

 とはいえ、まったく一緒にするのは流石になんか気に入らなかった。

 決して亜紗の元旦那と好みが被ってたのが気に入らなかったからとか、そんなんじゃねーから。

 

「ほのちゃんは……ホントにストレートに言うよね」

「うん。だって、完全に私の好みだし」

「も、もぉ……」

 

 純白のドレスに身を包んだ亜紗が、顔を両手で覆いながらくねくねとしてる。

 いつもだったらその動きを軽口交じりにけなしてしまうところだが、今日この時に限ってはこんな亜紗でも愛おしくて仕方がない。

 

「ほ、ほのちゃんだって可愛い……よ」

「ありがと。でも亜紗の方が可愛いけど」

 

 私が一方的に褒めそやすのが耐えられないのか、亜紗も私を褒め返してくる。

 でもここの雰囲気に飲まれてるからか、その声はか細くなっていく。

 可愛い。

 

「ほのちゃんの方がか、可愛いと思う」

「ありがと。でも亜紗の方が可愛い、綺麗、最高。超好き」

「……も、もうやめよっ」

「分かった。でもさ、亜紗の事を可愛いって思ってるのはただの本音だから。お世辞だとか思ってほしくないから」

「あぅ」

 

 亜紗の首から上が、もう隠しようもないくらいに赤く染まってる。

 もう少し赤面してたら、それこそアルコール摂取を疑うレベル。

 照れる亜紗は可愛いなぁ、ホントにもう。

 

「そ、それに」

「ん?」

「う、嬉しいけど……でもっ、ス、スタッフさんもこっち見てるし……っ」

「え」

 

 今度は私が間の抜けた声を出した。

 亜紗に言われるまで、完全に忘れてた。

 私だけ、思いっきり亜紗と二人の世界に入ってた。

 

 視線をそっと周囲へ。

 私達を囲むようにしていたスタッフ達(カメラマンの人、アシスタントの人、美容や衣装担当の人とか合計6人)が微笑ましいものを見るかのように、こっちを見てた。

 あわわ……。

 

 急速に顔や首元が熱くなっていくのが分かる。

 額のあたりとか耳のところがじんわりとしてきてら。

 撮影もまだ済んでないし、あんま汗かいてほしくないんだけど……。

 

「あー……ごめんなさい。かんっぜんに浮かれてしまいました」

 

 気恥ずかしくなった私が頭を下げていると、すぐにスタッフ達から「いえいえ!」と首を振ったり、手を振って「分かりますよー」等とフォローしてくれた。

 良い人達……申し訳ない。

 

 それにしても、私とした事がホントに迂闊だった。

 分かってたはずなのに。

 

 ここがフォトウェディングの撮影会場だって事くらい。

 私と亜紗がこれから撮影するってタイミングで、亜紗が緊張と不安(距離はあれど、男のスタッフもいるし、それ以外にも色々と要因はあると思われる)で固まってしまったもんだから、少しでもリラックスできるようにと私が声をかけてたってのに。

 

 それがいつの間にか、何も考えないで亜紗を褒めちぎり、気付けば見惚れちまって亜紗しか見えなくなってんだからスタッフの人らも呆れてる事だろう。

 

 でも仕方なくね?

 花嫁衣裳の亜紗が目の前にいるんだぞ。

 

 そりゃ、その内に私だって緊張してくるって、胸も高鳴るって話だぜ。

 胸はドキドキして止まらんし、心拍が完全にいつものリズムじゃないしよ。

 亜紗ほどじゃないにしても、私だって顔に熱が広がってきてるの分かんだもん。

 

「あー……恥ずかしっ」

「ほのちゃんも照れるんだ」

「そりゃ……私だって浮かれる時くらい……ある」

 

 亜紗と一緒に過ごす事にはとっくに慣れてる。

 自宅にいたらほぼ四六時中べったりなあの関係で、慣れない方がどうかしとる。

 

 それでも、ふとした時に幼い頃からの恋心だとか憧れがぶり返す事もあるわけで。

 小さい時から……それこそ物心もつく前から好きだった子が、すぐ傍で私にだけ微笑んでくれたらやっぱ色々と溢れてくるものもあるよねって話。

 もっとシンプルにいえば、初恋の相手と結ばれてときめくってこったな。

 

 いい歳したアラサー女の何がときめきだぁ?

 あぁん? ぶち殺すぞ。

 

「…………」

 

 昔の……亜紗に恋焦がれてた頃の私がこの光景を見たら、きっと驚くだろうと思う。

 

 亜紗と結婚はもちろんの事、付き合う事だって夢のまた夢くらいに思ってたし、ずっと友達でいつづける事でさえ自信がなかったくらいだから。

 

 あの時の私は、亜紗と一緒にいるだけでいつもドキドキしてた。

 特別な事なんて何もしてなくても、一緒に歩いて通学するだけで、何気ない世間話をするだけでもおかしくなりそうだった。

 

 手を繋ぐ時、手汗でべたべたしてないか心配でたまらなかった。

 目が合う時、おかしな顔してないか、隣を歩いてて恥ずかしいとか思われないか不安で仕方なかった。

 傍にいる時、私の心臓の音が聴こえてないか、好きで緊張してる事がバレてないかといつも一人で恐れてた。

 

 変な事言って嫌われないように言葉を選んできた。

 自分の想いを悟られないように本音を隠し続けてきた。

 あくまでも理解のある幼馴染みな女友達でいようと徹し、諦めてた。

 

 万が一だけど亜紗に好意がバレて、それでも受け入れてくれたりしないかって夢見がちな期待はしてたと思う。

 だけどそれ以上に、亜紗に「女同士でとか気持ち悪い」って言われた場合の恐怖が強すぎて、絶対に気持ちがバレないように努めてた。

 

 今、私の長年の想いは実らせる事ができた。

 結婚届にお互いの名前を書いて、両家の証人欄だって埋めた。

 パートナーシップ宣誓だって結んで、宣誓書の大きい方は額縁に入れて飾って、小さい方はお互い持ち歩いてる。

 お揃いのペアリングだって一緒に見て選び、薬指に着けてきた。

 

 そして今日はフォトウェディング。

 二人で花嫁衣装に身を包み……あ?

 

 そうさ、私もウェディングドレスだよ。

 似合わないのは百も承知だっつーの。

 私だってタキシードの方が合ってると思ったし、最初はそのつもりだったわ。

 でも亜紗が打ち合わせ段階から「二人でドレスがいい」の一点張りで粘りに粘って甘えてくるもんだから、ついに私の方が折れたんじゃい。

 複数の衣装を選んで撮影も出来たんだけど、それすら頑なに拒みやがって亜紗のやつめ。

 

 …………まあ、女同士での結婚式って感じはするし、悪くはないと思うけど。

 

 女らしさから意識的にせよ無意識にせよ、どこかで遠ざかろうとしてた部分もあるし。

 男っぽく振舞う事でこう……なんだろうな。

 相手に同性感を与えたくないとか、気を遣わせないようにとか、頼りになるところをアピールしたいとか、亜紗が一緒にいやすいようにと考えてしまうんだろう。

 あいつがそれを感じ取っていたのか、察していたのか、それは分からないけど。

 

「撮影、大丈夫そうです?」

「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

 

 スタッフさんの確認に頷き、あらためて私は亜紗と向き直る。

 白を基調としたチャペルの中、一際目立つ色鮮やかなステンドグラスを背景に、私は亜紗を見据える。

 もう私の視界は亜紗しか捉えていない。

 

「そろそろちゃんとしないとな……せっかくのフォトウェディングだし」

「うん……それに今日はほのちゃんの誕生日もあるからね」

「ん、それは…………やだなぁ」

「なんでさ」

「だってよ、とうとう30歳……三十路……亜紗と同い年…………はぁ」

 

 あからさまにため息を吐く。

 それに対して、亜紗が「同い年がなんで嫌なのさっ」とか言ってつついてきた。

 

 膨れる亜紗を見てるだけで自然と頬が緩んでしまう。

 でも、あんまりじゃれてたらスタッフさんの時間と労力を無駄にしちゃうから、そろそろ真面目にやんねぇとな。

 

「冗談だよ。亜紗と一緒に歳取って嫌な事なんてなにもない。嬉しいよ」

「…………」

 

 亜紗が視線を逸らす。

 まーた照れとる。

 顔を背けてても口角上がってるのバレバレだからな。

 この間まではすぐ泣いてばっかりだったけど、ここ最近は照れる事が多くなった。

 

 まあ、嬉しくても悲しくても涙を流してばかりだったあの頃より、今の方が私は断然安心できる。

 亜紗が笑顔を浮かべる事が多くなってきて、私は嬉しい。

 亜紗の笑顔を今こうして、生きて見ていられる事に喜びを感じる。

 

 今日、私は30歳になる。

 私より誕生日の早い亜紗だって、とっくに30歳。

 

 あの日、千早が私達の家に来た日。

 亜紗が私を包丁で刺してしまった日から、既に1年以上が経過してた。

 あの日の出来事から紆余曲折あって、私達は今日、この場所に立っている。

 

 

※ ※ ※

 

 

 ────あの日。

 

 亜紗に刺された直後の記憶というのはほとんど残ってない。

 あのあとすぐに意識を失ってしまったからだろうと思う。

 

 それでも刺される直前までの記憶と、刺された時の感触や感覚は覚えてる。

 包丁が私の中に入ってくる時のひやりとした感覚。

 それがすぐに熱と痛みへと変わっていくあの恐怖。 

 

 そして、あの時の亜紗の顔。

 泣きながら、何かを訴えるように包丁を構えて突っ込んできた時の尋常じゃない表情。

 躓いて刺してしまったのか、踏みとどまろうとして失敗したのか、真相は亜紗だけが知っている。

 どちらにしても私の言う事は一つだ。

 

 あの馬鹿たれめ。

 なんで包丁をスタンバイしてんだ。

 どうして千早に向けてんだ。

 まさか千早に私が取られるとでも思ったのか? だったら尚更馬鹿だ、馬鹿たれ。

 私が今さら、あんた以外を好きになるとでも思ってんのかよ……。

 

「…………」

 

 そんな私が目を覚ました時、そこは知らない部屋だった。

 真っ白な天井、真っ白な壁紙、シンプルなカーテン、床頭台(テレビとか冷蔵庫とか置いてて、使うのにカードが必要なやつ)やオーバーテーブルが視界に映る。

 見慣れない空間、だけど見知った内装。

 病室か……。

 

 点滴のチューブやガートル台(点滴とかぶら下げるキャスター付きの棒のやつ)が見え、口元の違和感はおそらく酸素マスクをしているからで、お腹や足元にも違和感がある。

 今の私、どうなってるんだ?

 

 確かめようにも、身体を起こす事ができない。

 というか、首だって満足に動かせない。

 まだ思考回路はおぼろげ、意識もどこかぼんやりとしてる。

 だから目線だけをめぐるましく動かす。

 

「…………」

 

 さっきまで夢を見ていた気がする。

 そこは電車の中で、私と亜紗が並んで座ってた。

 でも亜紗の姿は大人で、だけど大人になってからの亜紗と一緒に電車なんて乗った事がなくて。

 だからこれは夢だってすぐに気付いてた。

 

 夢の中で亜紗が何か言ってた気もするし、泣いてた気もするけど、何を言ってたのか最後まで分かんなくて。

 気付けば窓の景色が真っ白になっていって、私は目を覚ましてた。

 

 何かを示唆するような意味のある夢だったのか、私には分からない。

 でも夢の中の亜紗はずっと私の手を握って泣いてて、悲しそうに、寂しそうにしてたのは覚えてる。

 それだけが妙に記憶に残ってた。

 

「穂乃花……?」

「…………」

 

 声がした。

 目線を動かすと、こちらをジッと見つめる母の姿があった。

 

「穂乃花、起きたの?」

「…………」

 

 声が出ないので、せめて頷こうとする。

 でも上手くできなくて、それでも頑張ろうとしたら母に止められた。

 

「大丈夫、無理しなくていいから」

「そのままゆっくり、今は休んでて」

「お腹痛くない? 大丈夫?」

「今ね、ナースコール押して先生呼ぶから」

 

 母がこんなに優しげな声色で話してくるのは、一体いつぶりだろう。

 というか、私の記憶の中ではほぼ存在しない。

 いつもドライで淡々としてて、良くも悪くもクールなイメージしかなかった。

 

 でも、今は。

 母の顔には疲れが見えるけど、ホッとした、安心したって感じの笑みを浮かべてる。

 なのに今にも泣きだしそうで、そんな母を見るのはホントに初めての事で私は驚いてしまった。

 

 とりあえず、ありがとうくらいは伝えたい。

 そう思い、口を動かすのだけれど。

 

「お”っ……あ”……っ」

 

 声が上手く出せない。

 声が言葉にならない。

 意味のなさない発音ばかりで、単語すら口にできなかった。

 

 母が察してくれたのかは分からないが、二度三度と頷いて私の頭を撫でる。

 伝わっているのかすら定かでないのに、それだけで私は涙をこぼす。

 何に対して、私は泣いているのだろう。

 

 

※ ※ ※

 

 

 最初、病室で目を覚ました時は分からない事だらけだった。

 でも次の日から少しずつ状況を教えてもらう事ができた。

 

 まず、やはりというか亜紗に私は刺されて倒れてたと。

 そんで救急車によって運ばれ、この病院で緊急手術してもらい、入院する運びとなったと。

 

 私のお腹には包丁が刺さりっぱなしで、下手に抜いていれば失血で助からなかった可能性が高かった事、刺さってはいたけど臓器に目立ったダメージがなかったので後遺症などの心配は少ない事、経過を見ながらだが大体2週間で退院はできるだろうと主治医の人は話してくれた。

 

 亜紗はどうなったんだろう。

 千早だってどうなったんだ。

 

 私は母に聞こうとするのだが、母は「今は休んでなさい」「ここに入院してるのは穂乃花だけだから心配しなくていい」とか言うばかりで教えてくれない。

 当たり前だけど、母以外の人に聞いたところで分かるわけもない。

 よしんば知ってたところで事情を勝手に教えるわけもなかった。

 

 だから、今はとにかく身体を治す事に集中しよう。

 身体を起こせるようになって、すぐに退院してやろうと私は決めた。

 

 でも、それはそれとして……。

 

「痛みが強かったら、鎮痛剤の点滴しますので言ってくださいね」

「ぜひお願いします。今お願いします」

「あはは、分かりました。持ってきますねぇ」

 

 看護師のお姉さん(私からしたらお嬢さんか……)が笑って応じてくれる。

 起きた直後はともかく、時間が経つにつれて腹の刺された場所(と同時に手術で縫合した箇所)であろうところが痛くて仕方ない。

 ホントに重要な臓器が傷付いてないのかこれ?

 

 ベッドで寝返りをうつのも四苦八苦したし、あくびをした瞬間の痛みに恐怖し、くしゃみの前兆が訪れた時には死を覚悟するような気持ちだった。

 

 そんで痛いから鎮痛剤の点滴を入れてもらうわけだが、小一時間もしてくると痛いのと辛いのが和らいでくる。

 その時だけはゆっくりと休めるのだが、2、3時間もするとまた思い出したように痛くなってくる。

 でも一度痛み止めを使うと次に使うまで6時間は空ける必要があると、申し訳なさそうに看護師さんが言ってきて私は絶望して耐えた。

 

 最初の2、3日はとにかく痛みに耐える日だった。

 正直、この期間が一番辛かったといっても過言じゃない。

 

 そんな中、尿道に挿入した導尿カテーテルについてはすぐに外してもらうようお願いした。

 いくら女の看護師さんが相手でも、自分の小便がみられるのは恥ずかしい。

 「いっぱい溜まってるので交換しますね」と言われる度に、私は羞恥心でもだえ苦しみ、自分の尊厳が失われるような感覚に陥るわけよ。

 

 仕方のない事だと、看護師さんだって仕事だからと割り切りたいけど、それができないのが私だ。

 それにカテーテルをした事がある人なら分かるだろうけどさ、おしっこがしたいのに出せない感覚ってすげぇ変な感じがすんのよ。

 なのに勝手に畜尿バッグには溜まっていくし、とにかく嫌だったね私は。

 

 大きい方の交換なんて絶対に嫌だ。無理。

 だから私はとにかく気合いと根性でトイレに通い続けた。

 私の病室からトイレまでの道中、どうしたってナースステーション(今はスタッフステーションと言うのが一般的らしい)の前を通るから、看護師さんが大丈夫かと気を遣ってくれる。

 

 でも放っておいてくれ。

 今、私は尊厳を守るために戦っているのだから。

 

 ベッドから起き上がったり、移動する度に術後のドレーン(目が覚めた時のお腹の違和感はこれだった)が私の動きに応じてたぷたぷと揺れ動く。

 手術した体内からの出血とか、なんかいらない液体が出てきてグロい。

 でも妙に生温かい。

 そりゃ、体内から直に液体出てきてんだもんなぁ。

 

 負けん気がすっかり強くなっていた私だからか、それとも平均的な入院患者だったらこんなものか知らないが、目が覚めてから3日目にはドレーンは外れた。

 点滴の痛み止めをお願いする事もなくなった。

 

 お腹もすっかり空くようになったが、ご飯はまだ食べれないとの事だった。

 おかゆでもいいから食べさせてくれんかな……。

 

 

※ ※ ※

 

 

 母から事の顛末を聞けたのは、目を覚ましてから5日目の事だった。

 痛みはまだあるけど、トイレにも問題なく通えるようになり、手術創の保護さえすればシャワーだって可能なレベルにまで私は回復した。

 

 母は毎日面会に来てくれていた。

 面会には制限があって、1日に2人まで、来てもいいのは家族や親族まで、面会時間は30分までと細かく決まっていたが、そんな中で欠かさず来てくれてた。

 

 父や蓮も一度やってきて、でも男達は何を話していいのか分からないらしく、「大丈夫か」とか「早く元気になれよ」なんて言ってはさっさと帰っていった。

 苦笑いせずにはいられない。

 でも嬉しいか嬉しくないかって聞かれれば、嬉しい。

 

 母の方は面会時間ぎりぎりまできっちり病室で過ごしていった。

 日用品や着替えを持って来たり、あれやこれやと世話を焼いたり話を振ってくれたり、私としては本当に助かるし、感謝の気持ちしかない。

 でも。

 

「毎日来てくれて助かるし、嬉しいけど……お母さん大丈夫なの? 仕事とか家の事とか」

「平気。仕事は休みもらってるから。家の事はお父さんと蓮がするから」

「そう、なんだ」

 

 仕事の事もそうだけど、この病院って実家から距離あるし往復にも時間掛かるし、いくらなんでも負担が大きいんじゃないかと私は伝えた。

 そうしたら、母は私のマンションから通っていると口にした。

 あの日以降、私の血やら何やらで汚れたところの掃除をするのに入ったし、入院した私の必要な物を準備したりするのに都合が良いからと。

 

 母親が自分の部屋に寝泊りしてるっていうのは、正直好ましくない。

 でも、そんな事を言える立場じゃないのは私にも分かる。

 だけど、今現在あの部屋で過ごしているのは母だけという。

 という事は……。

 

「亜紗はどうしてるの」

「お願い、教えて」

「家には……いないんだよね? 実家に……帰ってるの?」

 

 私の問いに対して、母は暫し無言だった。

 最初は苦々しげな、険しい顔を浮かべた。

 でも、段々と悲しそうな顔となっていき、ついには観念したように口を開いてくれた。

 やっと、あの日からの経緯を教えてくれた。

 

 あの日、私が刺されてから千早が救急車を呼んでくれた事。

 亜紗はひたすら私に縋りついてて、私の手を持って泣きながら呼び続けてた事。

 錯乱状態で手の付けようもなくて、でも救急隊員の人も搬送しなくちゃいけないから、仕方なく一緒に救急車に乗せて病院へ向かった事。

 このあたりは全部千早からの説明。

 まあ、その状態の亜紗に説明ができるとは私にも思えない。

 

 そこから私は緊急手術となり、その同意書には千早が説得、説明をして亜紗に書かせたらしい。

 加害者が被害者の手術同意にサインしてるっていうのは、どんな状況なんだよ。

 まさかのタイミングでパートナーシップ宣誓をしていた事が実を結んでいたんだな。

 

 そうこうしてる内に母が到着(これも千早が連絡してくれたおかげだったりする。マジ感謝なんだが)して、病院側からの連絡によって警察も駆けつけてきたそうだ。

 傷の状態とか状況を踏まえ、事件性があると判断したのだろう。

 

 警察は亜紗や千早から事情聴取をするも、亜紗はやはりというか話にならなかった。

 ずっと椅子に座って私への謝罪を口にしていて、そんな様子だから千早が一から順にと説明してくれてたそう。

 

 それを聞いた母の心境は分からないが、このあたりの事を話していた時の母の顔は鋭いものとなっていて、亜紗に対して良い印象を抱いていない事が嫌でも分かってしまう。

 

 そんな亜紗だが、今は精神病院にいるらしい。

 病院へ来てからしばらく茫然自失としていたが……って逮捕とかされてないのかって?

 

 母が警察に逮捕しないようにと、お願いしてくれてたらしい。

 被害者の親が加害者に対して寛大な処置を求めるって、結構なレアケースだと思う。

 でも私の意識があったら、きっとそうするだろうと母は思ったらしい。

 

「私は正直、あの子が逮捕されても構わないって気持ちだったよ。少なくともあの時」

「でもそうなったら……あんたが目を覚ました時にショック受けんだろうなって」

「それにさ、あの子は本気であんたの無事を祈ってたし、これ以上追い詰めんのもなって」

 

 完全に許す気はないけど、私を悲しませないためにと我慢して、亜紗の寛恕を求めてくれた母。

 ただ、それでも警察だってそうはいかないって感じだったそうな。

 

 事情を聞いて思うところはあったみたいだけど、事情はどうあれ、やってる事は傷害罪が適用されるだの、この件は非親告罪に該当するから云々……って事で逮捕しないわけにはいかないと。

 

 それでも。

 せめて私の手術が終わるまでの間だけでも、亜紗に病院でいさせてあげてくれと母が懇願してくれたらしい。

 近くにいた千早もお願いしてくれて、亜紗はそれこそ土下座までしてお願いしていた……みたい。

 ここまでされたって警察だってボランティアじゃあるまいし、情に訴えて心を動かすかというと……結論からいえば温情をかけてくれた。

 

 いや、融通利くのかよ。

 

 逃亡とか証拠隠滅の恐れがないって事で、私の手術が終わるまでの間は警察の人も待っててくれた。

 そんな事してていいのかと思う反面、気持ちを尊重してくれたその人にも感謝しかない。

 

「で、穂乃花の手術が無事に終わったんだけど……」

 

 亜紗は喜ぶというより、苦しみを一気に吐き出したような顔になってたらしい。

 そこからはまぁ、泣いて泣いて泣いて。

 いきなり自殺を試みようとした。

 

 手術室前から走り出し、中央階段そばの手すりから身を乗り出そうとしたのだとか。

 すぐに千早(昔から足が速い子ではあったが)や警察に止められ、あいつは逮捕とか通り越して緊急措置入院となってしまったそうだ。

 拘束や拘留どころじゃなく、自傷自殺の恐れがあると判断されてしまったという事。

 

「…………」

 

 手術室のあったフロアは二階であり、階下には一般の通院患者がいたかもしれない。

 もしも亜紗の落下時に真下で誰かが歩いていたら。

 ひと思いに死ぬどころか、関係ない人を巻き込む可能性すらあったはずだ。

 

 この時ばかりは私も亜紗に腹が立って仕方なかった。

 私が助かってるのに、何で死のうとしてんだ。

 安心して罪を償おうとでもしたのか、あの馬鹿。

 

「あんの馬鹿……」

 

 声にも出してしまった。

 まあ、ここまでが私が目覚めるまでの大まかな流れって事。

 

 私にとって大事なのはここからだ。

 亜紗の現状だが、緊急措置入院とやらは最大で72時間までと決まっているそうだ。

 つまり、この時点でその措置入院の期間は終わってるわけで。

 

 じゃあどうなるのか、というと。

 鑑定留置がどうとか鑑定入院がどうという話らしいが、母もよく分からないと話す。

 当然ながら私にもよく分からない。

 

 ただ、亜紗の精神状態にもよるけど場合によっては医療観察法(くそ、この短時間で私の知らん法律とか制度が次々と出てきやがる)とやらが適用されて、強制的な入院治療が始まる可能性がある。

 私にとって問題なのは、この入院治療が決まった場合の期間は大体18カ月……つまり1年と半年は出てこられない可能性があるって事。

 

 どういう動きをしたら、ここから亜紗が罪に問われる事もなく、スムーズに戻ってこれるのかまるで分からない。

 

 でも、やるしかない。

 いつまでも休んでる場合じゃない。

 亜紗に、会いに行かなくちゃ。

 

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