あんな奴を好きだった自分、ホント馬鹿じゃねぇ? 百合カップル? クソだよクソ! 過去に戻れたら絶対に選ばんわ! 作:Yunoko
※ 注釈 ※
亜紗の処遇について、かなりご都合展開な内容となってます。
実際に傷害罪および殺人未遂罪に及んでいて、かつ、精神に失調をきたしている方がこのような流れで不起訴となるかは怪しいです。
私の法律や制度に対しての知識や見識が著しく低く浅いため、読まれた方に誤った情報を届けないよう、描写をぼかしたり、過程を大幅に省いている箇所が多数ございます。
何卒ご理解とご了承を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
「……亜紗」
あの日、私が亜紗に刺されて入院した日。
亜紗が私の手の届かない場所へ行ってから、気付けば半年が経過していた。
いつの間にかカレンダーは10月に突入してて、季節は春と夏を終えて秋へと差し掛かっている。
今日、私は久しぶりに亜紗と会う。
あいつの顔も久しく見てないし、声だって聴けてないし、肌にだって触れてない。
でも一日たりともあいつを忘れた事なんてなかった。
あいつが家にいない事を意識しなかった日なんてない。
「あと5分くらいしたら行くか……」
約束の時間まで、私は病院の駐車場で待機していた。
車の中で缶コーヒーを口にしたり、亜紗の荷物が積み込めるようにスペースを確保したり、トランクを取り出せるように準備したり、他にする事もなくなると、これから起きるであろう出来事を想像して、時間が経つのを待っていた。
結論からいえば。
私を刺した事で亜紗は傷害罪、もしくは殺人未遂罪が適用される可能性があった。
だけど、その亜紗を不起訴処分にまで持っていけた。
前科だって付けずに済んだし、裁判そのものも発生させずに終わったから、その分早く帰れるようにだってなった。
まあ、完全に自由ってわけでもないんだけど……。
もちろん、私だけの力じゃ無理だった。
当然だ、当たり前だ。
警察署で担当の捜査員の人や、被害相談窓口に相談した。
私が出向いた時には既にこの一件が警察の手から離れつつあって、ここから先は検察だの裁判官が(亜紗には病院関係者)絡んでくるって話だったけど、それでも構わず相談しまくった。
亜紗を罪に問わせないため、法律事務所にだって出向いた。
警察署で相談したら、「ネットで不起訴に強くて医療機関との連携に強い人を探したらいいですよ」と言われたので、探してみたらあっさり見つかった。
等々力(とどりき)さんという女弁護士さんで、その人は最初戸惑ってた。
だって被害者である私が、加害者であるはずの亜紗を罪に問わせないためにどうしたらいいのかって相談してくるんだもん。そら驚くわ。
なんなら、亜紗の弁護士も付けれないかって聞いたりもしちゃったし。
(無論、被害者と加害者の担当を両立は色んな意味で無理だと断られた)
亜紗の入院している病院にだって分かり次第通った。
面会はさせてもらえなかったけど、差し入れもしたし、何度も何度も亜紗をお願いしますと声をかけた。
その内、本当は良くないのだろうが口の軽い、けど情に弱そうな看護師さんが亜紗の状態を教えてくれたりもした。その内容は決して喜べるものじゃなかったけど、とにかく生きててくれるだけでも良かった。
今回の事件にあたる検察官の人とも接触した……というか、検察庁から呼び出しを受けた。
この件の起訴や不起訴を判断する側の人間だから、それはもう勇んで出向いた。
もちろん、事前に等々力さんと打ち合わせや相談を重ねて、亜紗が不利とならないように事前準備も重ねて。
当日、被害者の私がとにかく亜紗が不起訴となるように懇願してくるもんだから、検察官の人が呆然としてたのは覚えてる。
つくづくに今回のケースってのは珍しい事例になるらしい。
そんな亜紗が不起訴となるに至ったのは、私から亜紗を罪に問わないでほしいといった旨の嘆願書や示談書を作成してた事とか、亜紗が心神耗弱との診断を受けた事、色んな人達の助力があってこそだ。
「…………」
本当に、この半年間で色々あったと思う。
色々あったで済ませるにはかなり、いやめちゃくちゃ濃密で多忙な半年間だった。
まず仕事。
今回は突然休む事になったから、目覚めてからは電話越しでぺこぺこしながらお詫びの連絡してさ。
残ってた有給じゃ足りなかったけど、それ以降の欠勤については傷病休暇扱いにしてくれた。
詳しい事情だって聞かれなかった(母が前もって休む旨の連絡してくれたのもあるだろうけど)。
その代わり、復帰したらきっちり頑張るようにとのお達しで。
もちろん、結果はちゃんと出してる。
元々の顧客との繋がりは維持してるし、今回入院した事を心配してくれたその人達経由で新たに紹介してもらった人と契約を取る事ができた。
他にも契約継続中の人達とも、長期スパンへの契約切り替えだとか、オプション追加の新規契約もできたからノルマ達成なんてちょろいちょろい。
亜紗を迎えに行く前に金欠で生活もままなりませんじゃ、笑い話にもならんからな。
お金はいくらあっても困らないし、貯金はとりあえず四桁万以上は維持しておきたい。
今回の弁護士費用だって着手金や報酬、その他追加費用で100万円以上しちゃったし。
まあ仕事自体は忙しくしつつも、手一杯なんて事はなく。
むしろ、仕事が終わってからの方が忙しかった。
仕事の合間に弁護士や病院との連絡だってしばしばあったし、仕事が終わってからは私にもできる事はないかとインターネットで調べたり、図書館から借りてきた文献を読み漁ったりしてたし、土日は私の家族とお義母さん……亜紗のお母さんとの関係修復にも動いたりと奔走してたわけで。
なんせ、亜紗の一件後からお義母さんの精神状態は悪化の一途をたどってしまった。
私と会えば謝罪を続けるばかりで、その姿は弱りきった亜紗と被るくらいに憔悴しきってて。
放っておいたら、亜紗を迎えに行く前にお義母さんが先にどうにかなってしまいそうだった。
というわけで、私は母と相談。
お義母さんの様子を気にかけてほしいという私に対し、母はかなり複雑な顔を浮かべてた。
内心はもっと複雑だっただろうけど、それでも包丁で刺された本人が亜紗を許そうとしてるもんだから、最後には折れて頷いてくれた。
亜紗が帰ってきたら、母娘ともどもメンタルケアにも力を入れていかなくちゃいけない。
障害年金の話だって進めたいし、やっぱり私に何かあった時の遺産相続だってきちんとしなくちゃ。
もちろん、亜紗を困らせないようにしつつだけど。
「…………」
仕事や亜紗関連の事を除けば。
千早と関わる機会がこの半年で増えた。
今回の件で千早には本当に迷惑をかけてしまった。
私がスマホを操作できるようになった時点で、すぐに謝罪と感謝の連絡を入れてる。
なんせ私が自宅に招いたせいで、危うく亜紗に刺される可能性だってあったんだ。
刺されたのが私だったから良かったものの、その後の対応だって千早がいなかったらどうなってたか。
これだけの迷惑をかけたにもかかわらず、警察の捜査員からの事情聴取だとか、検察の人からの聞き取り調査に話す内容がおかしくならないよう、千早の方から私に協力を申し出てくれた。
なんなら、重要参考人として検察庁に呼ばれた際にも応じてくれてるし。
今後、私が千早に対して頭の上がる事が果たしてあるのか……ってレベルで世話になってしまってる。
もう感謝の気持ちと謝罪の気持ちで私はいっぱいいっぱい。
この恩は、これから私の生涯をかけて返していかなくちゃいけないと思ってる。
あとは……あ、そうだ。
4月で予定してたフォトウェディングだが、こちらはとっくにキャンセル済み。
入院中の時点で4月9日を過ぎるの確定してたし、亜紗だっていつ迎えに行けるか分からない有様だったし。
とにかく平謝りしつつのキャンセルで、それでもまた予約させてくれないかと厚かましくもお願いしたわけよ。
だって近場のスタジオでLGBTフレンドリー企業なんて、そうそうないし。
予約の時や打ち合わせの時も、スタッフの人達が皆優しいし、すげぇ親身になって色々としてくれたし、ここでフォトウェディングをしたいって気持ちは強かった。
亜紗だってここなら……って反応だったしさ。
結果からいえば、快く応じてくれた。
だから亜紗が帰ってきたら、私はまた予約を入れたいと思ってる。
もちろん亜紗の状態が落ち着いて、なおかつ一緒にフォトウェディングをしてくれるか聞いてからだけど。
でも断られたら……どうしよ。
「…………時間か」
スマホのアラームが鳴っている。
約束の時間だ。
亜紗と半年ぶりに顔を合わせ、声を交わす時間。
いよいよもって、亜紗と一緒に自宅へと帰るための前段階。
亜紗にすぐ会いたい。
亜紗の顔を見て、声を聞いて、肌に触れたい。
その気持ちに嘘はない。
でも、会うのが怖い。
この半年間で私からの連絡はまったく繋がらなかった。
LINEは既読もつかないし、着信だって折り返しはなかった。
ブロックや着信拒否はされてないし、そもそもスマホを扱う事もできない状況だったかもしれない。
でも……不起訴が決まってからも、一向に亜紗からの連絡はない。
亜紗宛に届けてもらった手紙にだって返事はなかった。
もう、私と会うのも口を利くのも嫌になってしまったのだろうか。
私を刺した事をずっと後悔していると、亜紗に接した人達は教えてくれた。
だけど、ならどうして。
なんで私と会ってくれないの? 返事もしてくれないの?
手の汗が滲んでくる。
今日は朝からずっと心臓の音がうるさくて、リズムだって乱れっぱなし。
ここ数日はよく眠れてなかった上、昨日なんてほぼ寝てないから肌荒れもひどいし、目の下のクマもひどい。
せっかくの再会で余計な心配はかけたくない。
でも、病院で不自由な生活をしてたはずの亜紗と会うのに、私が血色も良くて健康そのものだったらどう思うだろう?
心配なんて何もしてなくて、元気にのびのびやってたなんて思われるのも嫌だ。
くだらない思考だと、穿ちすぎな思考だなんて分かってる。
そんな事よりも、亜紗が帰りたくないと言ったら、私を拒絶したらどうしよう。
目の前には亜紗がいるはずの病院。
あと少しで会えるはずなのに、私の足は中々前へ進もうとしてくれない。
※ ※ ※
時は遡る。
あの日から2週間が経って、無事退院して自宅に戻った時。
玄関の鍵を開けて、中へ足を踏み入れた時。
ただいま、という声を自然と発してしまった時。
家の奥から駆け出してくる音はない。
おかえりという言葉だって聴こえてくるはずもなく。
亜紗がいないって事を嫌でも意識してしまった。
「…………」
ラックから私のスリッパを出して履く。
亜紗のスリッパはそこに残ったままで、それだけの事が私の胸を締め付ける。
リビングの中は当たり前だが電気は点いてない。
カーテンだって閉まってるし、テレビも点いてない。
料理をした形跡もないし、いつもだったら漂うはずの料理の匂いだってありゃしない。
亜紗がいたら、微かに漂ってくるはずの甘い匂いだって無くなってた。
部屋の中は綺麗に掃除されてて、でもだからこそ違和感が強くて。
亜紗が掃除してたら大体部屋の角に汚れが残ってるし、あとで片付けようとしたのであろう衣類や日用品がテーブルとかカウンターの上に置いたままになってるし、リモコンやティッシュだって絶対定位置に戻っていやしない。
ソファーの上のクッションやブランケットが整然と置かれてるわけがなくて、その前のテーブルだって雑誌がちゃんと綺麗に積んであるはずもなく。
頑張ってはいるけど、ちょっと目を凝らせば細かく散らかってて、亜紗が掃除や片づけをしてたんだって、すぐ分かったのに。
「…………」
床にはあの日、私が流したはずの血は一滴たりとも残ってなかった。
母が掃除してくれたおかげだし、血を残したままにしてたら、いつか私が退居するってなった時に困るのも分かってる。
あるいは亜紗が痕跡を見た時に不安がるだろうって事も。
だけど、あの日の出来事がまるで最初から無かったみたいな感覚に陥る。
亜紗だって家の中にいなくて、実は最初からいなかったんじゃないかって考えすら浮かんで。
嫌な考えを振り払うように、私は首を振った。
「…………」
そんなはずがない。
亜紗がここで暮らしてたのは間違いない。
だってリビングのソファーには私と亜紗のクッションが並んでいるし、亜紗のよく使ってたクッションからはあの子の匂いだってする。
(私のクッションの方がなぜか亜紗の匂いが強く残ってる気もする。まあ、理由は大体察してるが……)
壁に掛けたテレビの下、テレビボードの上には去年の旅行で一緒に選んだお土産のインテリア(海岸の白砂が詰まったよく分からん瓶とか、ご当地マスコットのキーホルダーとか)や、リビングに彩りが欲しくて買ったプリザーブドフラワーだって並んでる。
キッチンなんて間違いなく亜紗の空間だ。
最初は掃除がしやすいようにと、シンクやワークトップ、IHコンロ周辺にほとんど物を置かなかった。
調味料やキッチンツールの類だって全部収納棚に入れてたし、シンクのところに置いてたのなんてスポンジや洗剤、あとはラック程度だった。
それがどうだ。
亜紗が来てから着々と確実に、キッチンがあいつ好みのおしゃれなレイアウトになってるじゃないか。
キッチンツールはコンロ周辺でいつでも使えるように壁掛けになってるし、調味料だってスパイスラックだかなんだか知らんが、くるくる回転する収納ラックに並んでるし、マンション備え付けの収納スペースの中には亜紗が使ってたエプロンだって入ってる……。
洗面所の収納棚にだって、私と亜紗の使うコップや歯磨き用の道具一式が置かれてて。
下の棚にはやはりお揃いの化粧水だの乳液が入ってて、気付いたら亜紗のクレンジングだのスキンケア用品が浸食してきてた。
浴室だって同じくだ。
あいつは自分の主張をほとんどせず、私物だって全然持ってこなかった。
でも着々と確実に、亜紗の存在がこの家に浸食してる。
違和感を覚える間もないまま、この家に溶け込んでたし、私もそれを受け入れてた。
私の日常生活、私の人生の中で亜紗がいて当たり前となってた。
「…………」
その亜紗が家にいない。
それだけで信じられないほど、私の生活や人生は色褪せていくのだと実感させられてしまう。
不起訴が確定してない間はまだマシだった。
仕事の復帰でばたばたしてたし、それ以外でもあちこちへ連絡をしたりで忙しかったし、亜紗をどうしたら迎えに行けるのかと考えるので必死だったから。
まだそこまで意識をしなくて済んだから。
でも段々と亜紗が戻ってこれる可能性が高くなり、私のできる事が少なくなっていく内につれて、嫌でも亜紗のいない孤独を痛感させられた。
亜紗がこの家で生活するようになったのは去年の8月下旬からで、そこから今年の3月まで一緒にいた。
期間にすれば1年にだって満たない。
でもそれだけで、私の人生の一部と化すには十分な時間だったのだ。
「……色々ありすぎたなぁ」
亜紗が来る前と来た後での違いなんてほとんどないと思ってた。
自分の主張をしなくて、私物だってほとんどなくて、かといって新しく何かを買う事もほとんどなくて。
でも実際はこれだ。
「…………」
テーブルの上の卓上カレンダーを手に取る。
亜紗がここで暮らすようになってから、3月分まで亜紗の字でびっしりと書き込まれてた。
私が仕事で遅くなる日、早く帰ってくる日、買い物を一緒にする日、ちょっと出かける日など、私中心に捉えたスケジュール。
あいつの字は決して綺麗じゃないけど、丸くて可愛くて私は好きだ。
あいつにとって特別な日は、狭い四角の中を目一杯に使って書き込みされてて。
パートナーシップ宣誓の日、ペアリングを購入した日、そしてフォトウェディング関係の日。
色とりどりのカラーペンを用いていて、遠めからでも何かあった日だと一目で分かるくらいだ。
そんな小まめに書き込むくせして、フォトウェディング当日の4月9日のスペースには、小さく目立たない字で『ついでに私の誕生日(29歳)』と書いてあり、こんなところでもあいつが自分を小さく扱っている事が伝わってしまう。
逆に8月12日なんかは『ほのちゃん誕生日おめでとう』だとか『HappyBirthday』という文字と共に狭いスペースをこれでもかとイラスト(誕生日ケーキだのイベントっぽい輪っかを下げてたり、私らしき人物が描かれてる)で埋め尽くしてるし。
絵心のある子じゃなかったけど、一生懸命描いたんだろうってのはすごく分かる。
そして、8月21日。
『2年目』という字が書かれてて、他にも何かを書きかけてやめた跡。
そこに亜紗がどんな思いを込めていたのだろう。
ここで生活して2年目突入だとか、記念だとか書こうとしたのだろうか。
「…………ふぅ」
息を吐き、ソファーで横になる。
沈黙が嫌で点けっぱなしにしていたテレビの音声だけが、室内に虚しく響く。
いつもだったら、隣には亜紗がいた。
すぐ隣に亜紗がいるだけで、そこに会話がなくても、一緒に何かをしてなくても、私の心は満たされていた。
肩が触れ合う距離で、お互いの指を絡める。
それだけで私は幸せだったのに。
「早く帰ってきなよ、亜紗」
※ ※ ※
復帰した仕事をそつなくこなし、等々力弁護士からのメッセージなどを確認して、帰りにスーパーで簡単に材料とか酒(アルコール度数5%以下しか私は飲めん)を買って帰る。
自宅に帰り、いつものルーチンで施錠確認、チェーン確認としてからリビングへ。
もうすぐ午後7時。
さっと手を洗い、着替えも済ませ、キッチンで包丁を取り出す。
そういえば、と考える。
私を刺した包丁は処分してしまったのだろうか……いや、押収されたのか?
ここに残ってたとしても、人刺したやつで調理する気にもならんけどさ。
「……さっと炒飯でも作るか」
中華系のやつなら、ネットで調べなくても作れる。
春巻きや焼売や餃子なんてどれも一緒。
具材を細かく切って、炒めて味付けして、皮巻いて焼くなり揚げるだけだから。
そう言った時、亜紗がなんともいえない顔してたな。
きっとあまりにも雑すぎて、言葉が出なかったのだろう。
料理以外だったらあいつの方が絶対雑なのに。
「…………」
思い出すと気持ちが沈むから、さっさと作ろ。
IHの電源を入れて、フライパンに油を入れて火力を最大にしておく。
ついでにポットでお湯も沸かす。
その間に冷凍ご飯を解凍しつつ、卵も出しておき、ねぎとチャーシューを細かく刻む。
塩と胡椒、鶏ガラスープの素、味の素(ハイミー)、調理酒、醤油も準備。
「やるか」
卵を二つ割って黄身を潰さないようにしつつ、木べらで白身だけを炒めてく。
白身が固まってきたらご飯を投入。
そこから混ぜて混ぜて、調味料を次々と入れてフライパンを振る。
IHなので、フライパンを離す度にエラー表示が出るが気にしない。
あとは酒入れて蒸発させて、チャーシューとねぎも加えて炒めて、最後に鍋肌へ醤油をほんの少し加え、炒め回したら完成と。
ざっと数分で炒飯が完成し、ちょうどお湯も沸いたのでスープ用の器に注ぐ。
あとは鶏ガラスープの素を少々と、乾燥わかめと白ごま(いりごまの方)を入れたら即席スープの完成。
これがまた、美味くも不味くもねぇんだわ。
ただ喉に流し込むだけのあったかい液体だ。
「……亜紗が見たら呆れるんだろうな」
あいつは、私が炒飯を作ってるのをいつも楽しそうに見てた。
私の作ってるやつなんて、亜紗の作るそれに比べたらお遊びレベルだ。
それでも、亜紗は私の調理姿が好きだと言ってくれてた。
帰ってきたら、どこかで炒飯でも作ってみるか。
少しは腕上げておかないと。
炒飯作ってる動画とかレシピを見て、勉強だ。
(本来なら他の料理なり覚えるべきなのかもしれんが、どうせ亜紗をアッといわせるような調理は私にはできん。無理)
「…………」
そういえば。
亜紗がいなくなってからというもの、就寝までの行動も変わった。
食事が終わって休憩したら、そこから風呂に亜紗と一緒に浸かったりしてた。
でも一人だと私はシャワーだけで済ませる。
風呂沸かすのめんどいし、一人で入るのもなんかもったいないし。
シャワーが終わって落ち着いたら、軽くスキンケアもこなす。
そんで冷やしておいた酒を片手に、自室でパソコンから動画を垂れ流しながらスマホをいじる。
亜紗がいる時だったら、こんな自由に好き勝手してなかった。
というか、させてくれなかった。
なんせ、動画サイトのゲーム実況を見てれば、画面の向こうの実況者にも嫉妬してんだぞアイツ。
男女問わずでvtuberが相手でもお構いなしだし、お前なんでも嫉妬するじゃねぇかと思ったのも、今となっては懐かしい。
STEAMで買ってそのまま積んでたゲームをたまに遊ぶと、嫉妬こそ流石にしないけど、ずっと寂しそうな顔してくっついてくる。
そうなると重いし、熱いし、ムラムラする。
それでも亜紗を放置してるとどんどん服脱いでいくし、最終的には全裸で密着してくるから集中なんかできん。
小学校からの付き合いでゲーム仲間の冬馬(とうま)とゲームしながらボイチャなんてしてみろ。
亜紗が静かに発狂するんだぞ。
あの時はひどかった……服を脱いだり泣いたりもしないけど、私に完全密着して名前を連呼してくっからな。
画面の向こうの冬馬も、間違いなく驚いた声出してたし、そのあとメッセージで短く「なんかごめん」と言い残して去っていくし。
私がパソコンだろうがスマホだろうが、亜紗以外に集中してたら悲しむし、寂しがるし、妬むし、しまいにゃ泣くし……。
「……めちゃくちゃ重い女だよな、亜紗」
呟いてから、何を今さらと思う。
亜紗一人で自立した生活はできない。
対人能力でいえば男がほぼ無理、女相手もかなり厳しい時点であらゆる場面が制限される。
就職だって当然困難で、在宅ワークだって出来るか怪しい。
精神は病んでて定期通院は欠かせないし、出される薬だって把握してないし、内服タイミングを守らない。
そもそも女なのに、子供の時からの付き合いの生理ですら曖昧に対応するんだもの。
これから先が思いやられる。
ご飯作り以外の家事は微妙なレベルだし、ご飯作るための材料だって買いに行くの難しいし。
ネットで配達してもらっても、配達員の人が男だったら詰む。
置き配って手もあるけど、絶対安全とも限らないし……。
かといって一緒に過ごしてると、すぐ嫉妬してきよる。
妙に嗅覚が敏感だから、ちょっとした匂いにも反応するし、仕事の電話にも聞き耳立てるし、出先で店員と喋ったりしてるだけも強い視線感じるし。
そこから不安が強くなって、愛情確認しないと落ち着かなくなるし。
冷静に振り返るまでもなく、つくづくに面倒な子だと思う。
それでも亜紗が好きでたまらない私も、大概どこかおかしいんだろう。
大体、訳も分からん内に包丁刺されてんのに、罪に問わないように必死こいて動いて弁護士も雇って、帰ってこれるように準備して待ってんだぞ。
警察も弁護士も検察も病院も、どいつもこいつも私の動きに引いてやがらぁ。
こんな私がおかしくないわけがない。
「……はぁ、もう寝るか」
自由な時間が増えて、行動範囲だって広がって、それでも私は物足りない。
睡眠時間が増えて、体力も回復できて、肌にも良いはずなのに物足りない。
理由は分かってる、原因だってはっきりしとる。
早く亜紗に会いたい。
※ ※ ※
目的の階に到着したと、エレベーターが到着音を告げる。
私は心が晴れないまま、だけど覚悟を決めて降りる。
「…………」
一階で面会希望の紙だって提出してきた。
手指のアルコール消毒だって行い、検温だって問題なし。
亜紗や私の身分証明関係だってきっちり持参してる。
亜紗の荷物を詰め込めるように、空のトランクだって手にしてる。
自宅も帰ってから寒くないようにエアコンだって点けてきた。
亜紗に比べりゃ下手だけど、ご飯だって準備してきた。
準備は一見万端。
でも、私の気持ちにはずっと不安が付きまとってる。
この期に及んで、亜紗に拒絶されないかと怖くて仕方ない。
「…………」
亜紗と連絡がつかない事が続いてから、私は今までのやり方が正しかったのかと疑問を抱くようになった。
亜紗の心が弱ってて、病んでるから、自分で主張できないから、一人で行動ができないからと、私が引っ張らなきゃダメだとか、亜紗が困らないように環境を整えなくちゃとか思ってた。
だから私が死んでも困らないように遺産相続の公正証書を作ろうなんて考えたりもした。
私と亜紗の関係を知った上で、相談事ができるような人を増やしていきたいと思ったりもした。
でも結果だけをみたら、それらは亜紗を追い詰めてた。
私が死ぬ事を想像させて不安にさせた。
私が亜紗以外の人を選ぶんじゃないかと混乱させ、苦しめてた。
やってきた事のすべてが間違いだったと、自己満足だったとは思わない。思いたくない。
だけど、どれもこれもが正しい行動だったとも思えない。
「…………腹括れよ、私」
うじうじするのは嫌いだ。
やらずに後悔するくらいなら、やれる事をやって後悔したいのが私だろ。
病棟前の扉、その横に設置してあるボタンを押す。
よく分からんけど、患者の人が勝手に出ていかないようにロックしてるんだろうか。
少しの間待ってると、向こうから看護師の人がやってくる。
「えっと、面会希望の方ですか? 面会希望の方の名前と、ご家族様の名前を仰っていただいてもよろしいでしょうか」
「はい。私は花咲で、天ヶ崎亜紗さんのお迎えに来ました」
本当は恋人で夫婦みたいなもので、私としては嫁を迎えにきたくらいの気持ちだけど、それを言っても伝わらないだろう。
一応パートナーシップを結んでる事とか、他に迎えに来れる人間はいないって前もって伝えてはあるけどさ。
「……なるほど、本日の予約も承ってますね。お部屋に案内しますのでどうぞ」
一瞬思い出すような仕草をして、その看護師さんは誘導してくれた。
廊下を歩いていると、ジッとこちらを見つめてる患者の人(男の人で結構若そう)がいて、私は無視するのもアレかと思い、なんとなく会釈していく。
向こうからは無視された。悲しい。
意外というとなんだが、見かける患者さんは割と若年の人が多い。
男の人も女の人もいて、高齢な人はほとんどいない。
単に部屋の外に出てきてないだけかもしれないけど。
ここでの入院生活は特に決まった流れとかないらしいけど、日中にリラクゼーションやレクリエーションをしていたりするらしい。
もちろん参加は自由意志で、強制はされない。
でも、亜紗はほぼ何も参加していないと聞いてる。
ずっと部屋で一人きりで過ごしていると。
それと入院してる患者の人達は、定期的に面談があるらしい。
こちらは流石に参加というか、ちゃんと話し合いはしてるらしいけど……。
担当してる医師の反応を見てる限りだと、決して良い傾向じゃないんだろう。
亜紗が退院するにあたってのカンファレンスに参加した時、亜紗の様子について知ってる医師や看護師、薬剤師や臨床心理士といった面々の反応や説明を聞いてても、私が楽観視できるような内容じゃなかったし。
「…………」
途中通り過ぎたトイレの臭いがきつい。
中に入ってもいないのに、奥からの臭いが鼻をつく。
言い方は悪いけど、こんなところでトイレするの絶対に嫌だと率直に思う。
でもここで入院してたら、嫌でも利用するしかない。
(室内にトイレが備わってれば別だが、亜紗の部屋はそんなの付いてないっぽいし)
「このお部屋です」
「ここが……」
廊下を歩いてつきあたりの奥部屋。
確かに扉の横のネームプレートに『天ヶ崎亜紗』と記載されてる。
「天ヶ崎さん、開けますよ~」
私が覚悟を決めるよりも先に、看護師さんが扉をノックして開けていく。
そこはちゃんと反応を見てから開けるんじゃねぇのかよ。
文句を言いそうになったが、それどころじゃない。
いよいよだ。
この部屋の中に、亜紗がいる。
看護師さんのあとに続き、私は足を進めていく。
そして────。