あんな奴を好きだった自分、ホント馬鹿じゃねぇ? 百合カップル? クソだよクソ! 過去に戻れたら絶対に選ばんわ!   作:Yunoko

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《IF・亜紗エンド》 貴方とならどこまでも 後編

 

「天ヶ崎さん、お迎えの……えっと、お迎えの方がいらっしゃいましたよー」

 

 そこを言い淀むんじゃない。

 前もって関係性伝えてんだし、パートナーだとか恋人って言えばいいだろ。

 これが親とか子共とか、あるいは旦那とかだったら躊躇う事なく口にしてんだろう。

 亜紗と話す前から私をモヤらせんなよ……。

 

「…………」

 

 つまらん事でモヤった私だが。

 先に入っていった看護師さんに対し、亜紗の応答する気配がない。

 

「そ……それじゃあ、荷物のお忘れとかないように準備してもらえれば」

「帰りの際は、スタッフステーションの方に声だけかけてください」

「では、私の方はこれで失礼しますね」

 

 看護師さんはそう言って、足早に部屋をあとにする。

 早く連れてってほしい、ちゃんと連れて帰ってほしいという態度がありありと出てる。

 それは別にいい。

 私だってこんなとこに、亜紗を大事にしない場所に置いていくつもりはない。

 

 でも、せめて私の返事くらい待てねぇのか。

 単純に、看護師以前のレベルで人としての質が低い。

 亜紗がここでどんな風に扱われてんのかって考えたら、胸がムカムカしてくる。

 

 だけど、今は病院批判をしてる場合じゃない。

 最優先すべき相手がここにいる。

 

「……失礼します、と」

 

 私は覚悟を決めて、奥へと進む。

 室内は正直……想像していたのよりは少しマシ。

 それでも大目に見て中の下か、下の上ってレベルだけど。

 

 私の入院してた個室に比べて狭いし、壁紙や天井が色褪せてる。

 ベッドやテーブルが古く、安っぽい。

 でも一応テレビや冷蔵庫付の床頭台は備わってる。

 あと、窓も普通に付いてて外の景色も見えてる。

(一応窓はガラス厚めで、溝にネジが差し込まれてるっぽい。まあ開閉自由ってわけがないか)

 

 いや、そんなんはどうでもいい。

 肝心の亜紗はベッドで腰掛けていて、私の方には振り向きもしなかった。

 後ろ姿の時点でも、身体の線が細くなったと感じた。

 髪の手入れも疎かにしているんだろう。

 

 亜紗と思えないほど長い髪はぱさついていて、ハリも艶も感じられない。

 ただ無秩序に伸ばしただけのロングヘア。

 でも左手の薬指にはまだお揃いの指輪が着いてて、その事が無性に嬉しくてたまらなかった。

 

 まだ一言も交わしていないのに、既に私が泣いてしまいそう。

 

「亜紗……久しぶり」

「…………」

 

 返事はない。

 だけど、私が歩いた時に亜紗の肩が小さく揺れた。

 私の声掛けに対し、頭を前のめりにして俯いた。

 決して、私の声が聞こえていないわけじゃない。

 

「元気に、してた?」

「…………」

「隣、座るね」

「…………」

 

 トランクを部屋の隅に置く。

 それから私が近付いていき、亜紗の隣へと──顔が見える位置へ来た時、亜紗は顔を背けた。

 私と視線を合わせないように、あるいは私に顔を見られたくないといわんばかりに。

 

「亜紗……」

「……」

 

 会話が続かない、どころじゃない。

 会話自体がそもそも始まりゃしない。

 

 せめて亜紗に触れたい。

 指先だけでもいい。

 でも、沈黙を続ける亜紗を見ていると、本当に触れてもいいのかと迷いが生じる。

 手を伸ばせても、その先に触れる勇気が出せない。

 

「亜紗、ご飯……食べれてる?」

「10月だけど、寒くない? 大丈夫?」

「帰ったら、何かしたい事とかある?」

 

 無言に耐えられないのだろうか、私は。

 以前であれば、会話をせずとも亜紗が隣にいるだけで私は平気だった。

 言葉を交わさずとも想いが通じるだとか、そんな青臭い事を抜かすつもりはないけど。

 でも好きな相手が傍にいるだけで、視界の中に映っているだけで、安心できたんだ。

 

 だけど……今は沈黙が怖い。

 反応が返ってこないのが怖い。

 本当にもう、嫌われてしまったんじゃないかと想像するのが怖い。

 

「……」

「……」

 

 やっと会えたのに。

 すぐ隣で座ってるのに。

 なのに私は心が安らぐどころか、ずっと苦しい。

 

「私と話すの嫌でも……いい」

「だけど、とりあえずここから出よう」

「亜紗が私の事を嫌いでも────え?」

 

 嫌いじゃない、と小さな呟きが聞こえた。

 亜紗は相変わらずこちらを見向きもせず、壁の方を向いたままだ。

 でも、私の事が嫌いという点だけは否定した。

 いや、否定してくれた。

 

 私はさっきまでずっと息苦しい、胸が痛い、思考がぐちゃぐちゃな状態だった。

 なのに、亜紗が短いながらも返事をしてくれた、それが私を嫌いじゃないって言葉だったというだけで。

 私の気持ちは一気にマイナスからフラットへと傾いた。

 なんて単純なメンタル……してんだろうね、私は。

 

「……とりあえず、荷物詰めて一緒に行こ?」

「……」

 

 亜紗は小さく頷いてくれた。

 私の方にほんの一瞬、ほんとに一瞬だけ視線を向けてすぐに逸らした。

 

 私にとって、その一瞬。

 瞬きさえ許されない間だけで、亜紗の顔を視界に収め、脳裏に刻むには十分だった。

 

 ずっと泣き続けていたんだろうか。

 まぶたは腫れてむくんでて、ケアも満足にしていないのか肌だって赤みが残ったまま。

 元々水分もろくに摂らないもんだから、全体的にかさかさと渇いてて、肌荒れだって見逃さなかった。

 メイクもしてない今の亜紗は可愛さよりも悲壮感が勝る。

 

「じゃあ、準備するね」

 

 亜紗の着替えとかもそうだけど、最低限の身嗜みを整えて。

 病院側からレンタルしてた病衣だとかタオルとか諸々のセットもまとめておく。

 差し入れしてた物はほとんど使って……ないけど、置いといても邪魔になるから片付けていく。

 最後に忘れ物がないかチェックもしてと。

 

 そうこうして、私は亜紗の手を引いて病棟を出ていくのだった。

 その間、亜紗はずっと顔を俯かせており、表情は窺えなかった。

 姿勢も少し猫背になってて(俯いてるせいもあるが)、歩き方もどこかたどたどしい。

 筋力も大分弱ってきてる……リハビリもちゃんと出来てないんだろう。

 

 スタッフステーションに挨拶へ行った際、私の事を知っている(差し入れとか、亜紗の様子を逐一聞いたりしてたので)看護師さんは何人かいて、その人達は割とフレンドリーな感じで声をかけてくれた。

 亜紗にも恋人さんが迎えに来てくれて良かったね等と言ってはくれたが、言葉ほど気にかけた様子もなくて、向ける目つきや表情に友好的な色もない。

 

 亜紗がこの半年間、どんな風に病院で過ごし扱われてきたのかと考えると、私は無性に泣きたくなった。

 亜紗が犯罪者扱いだったから? 医療入院患者だから? 精神病棟がそういうところだから? この病院の看護師の質が低いから? それとも私とパートナー関係だから?

 

 理由なんてどうだっていい。

 早く、亜紗を連れていきたい。

 ここ以外の場所へ、私と過ごしていた家へ。

 

 

※ ※ ※ 

 

 

 病院からの帰り道、私と亜紗の会話はほとんどなかった。

 助手席に座っていた亜紗は、俯いているか窓の外を眺めているかで、私からの声掛けに対しても短く「うん」だとか「ううん」と答えるばかり。

 

 何か食べたい物があるかだとか、したい事とか欲しい物とかないか聞いたりしても「大丈夫」だの「今はないよ」と返ってくる。

 会話が続かない。

 

「……」

 

 今日、ここに至るまでに思い描いていたシミュレーション通りにまるで進まない。

 こんな沈鬱な空気の中、帰途につきたかったわけじゃない。

 もう少しおどけて亜紗の罪悪感を薄れさせたりだとか、病院での生活についての不満だとかを口にさせた上で私から謝ったりだとか、流れは色々と考えていたのに。

 

 この空気の中で「あの時の包丁切れ味よすぎ、いっつも丁寧に研いでたもんな」だとか、「腹の傷だけどさ、帝王切開したみたいになってんだ。妊娠もしてねーのに」なんてジョークをほざいてみろ。

 間違いなく亜紗を追い詰めるだけだ。

 

 それならまだ、病院の看護師の対応についての不満や愚痴でも言ってた方が、よっぽど亜紗を追い込まないだろうよ。

 病院食ってどうだった、不味かった? だとか、精神病棟のトイレ大丈夫だった? とか聞く方がまだマシ。

 

 もっとも、そのいずれのパターンにも辿り着けてないんだけどさ。

 仮にも営業職やってて、舌先三寸で中身のないトークを磨き上げてきた私なのに、亜紗との些細な日常会話にすら発展させられないのが実情だ。

 こうなる前はもっと、何も考えずに自然と話せていたのに。

 

「……」

 

 でも、と思う。

 それでも、亜紗は病院から出てきてくれた。

 あの病室から出て、私と一緒に家に帰ろうとしてくれてる。

 

 一番怖かったのは、病院から出たくないと言われる事だった。

 

 私と会うのが気まずくてとか後ろめたくて、なんて言われて退院を断られる事を一番避けたかった。

 亜紗の迎えが遅くなればなるほど、その分だけ私と亜紗の距離が開いていくと思ったから。

 

 今日久しぶりに会えて、その気持ちはほとんど確信に近いものとなっている。

 半年の間にこれだけ見た目も心も変貌してしまったんだ。

 あのまま病院で過ごしてたって、良くなる見込みはないだろう。

 私と一緒にいる方が、あの家で過ごしている方がまだマシだと思ってる。

 

「……」

 

 でも、怖い。

 また、私の独りよがりな自己満足であれもこれもしようとして、結果亜紗を苦しめる事にならないか、良かれと思ってなんて理屈で亜紗を追い込んだりしないかと、不安がずっと付きまとってくる。

 自分のやってる事も、やろうとしている事にも自信はない。

 何も言えなくなり、私も無言で車を走らせる。

 

「ごめんね」

 

 赤信号で車を一時停止していた時、囁く声に私は耳を疑った。

 でも確かに、亜紗はそう呟いた。

 

「え?」

「ごめんね、ほのちゃん……私馬鹿で」

「……」

「ほのちゃんがね……頑張ってくれたって知ってるよ……」

 

 いつの間にか、亜紗は泣いていた。

 顔を俯かせ、膝の上で組んでいた両手の指に力を込めて。

 声を押し殺し、肩を震わせて涙を流し続ける。

 

「なのに……ごめん」

「なにもしないで病院にいて、何も返せなくてごめん」

「電話も、手紙も、返事しなくてごめんね」

「お腹も……包丁でっ、刺してごめんなさい」

 

 病院内でほぼ一人で過ごしてきた亜紗の声はぎこちない。

 人との接し方や喋り方を忘れてしまったかのようだ。

 それでも、やっと自分の気持ちを口にしてくれて私は内心でホッとしてる。

 

 信号が青に変わり、前方で並んでいた車が次々と動き出す。

 私もブレーキを踏む足を緩めつつ、亜紗の指先へと手を伸ばす。

 組んでいた指先に触れた時、以前よりも柔らかさを失っていてひんやりとした感触に私は眉をひそめずにいられなかった。

 

「亜紗」

「っ」

 

 亜紗の身体が分かりやすくびくりと震える。

 それを心苦しく思いつつも、私も自分の気持ちを伝えた。

 

「私はもう、何も気にしてないから」

「今日はとりあえず、ご飯食べてお風呂入って、ゆっくり休もう」

「家に帰って落ち着いたら……亜紗の話を聞かせてくれると……嬉しい」

 

 亜紗を責めていたりだとか、亜紗が気に病むような内容とならないよう、注意を払う。

 何気なく発した言葉が亜紗を傷付ける可能性だってあるんだ。

 どれだけ気を付けたってやりすぎって事はない。

 

「…………うん」

 

 不安や緊張はまだまだ残ってる。

 家に帰ってからが本番だって分かってる。

 でも……亜紗がほんの少しでも自分の思いや気持ちを伝えてくれて、少しだけ私は安心してる。

 

 

※ ※ ※

 

 

 半年ぶりのマンションへ帰ってきた時。

 亜紗の表情や反応、様子はおおよそ一言では言い表せないものだったと思う。

 

 懐かしさは間違いなく感じていたはずだ。

 エントランスに入っただけでも、亜紗は立ち止まって周囲を見渡していて。

 口元を微かに開いて「久しぶり」と呟いていたから。

 

 決して、ここへ来るのが嫌ではなかったはずだ。

 エレベーターに乗っている時、廊下を歩いている時、私が部屋の鍵を開けた時、少しずつだけれど私と繋いでいた亜紗の指先に温度が戻ってきていて、握る指先の力が強くなっていたから。

 

 部屋の玄関で、自分のスリッパを見た時。

 キッチンが自分のいなくなる前と変わっていないのを確認した時。

 部屋の要所に置かれた亜紗の私物がそのままなのを知った時。

 リビングに置かれた卓上カレンダーの、今日の日付に『亜紗の退院日!』と私の字で書かれているのに気付いた時。

 

 帰ってくる前提で部屋をそのままにしていた事に対し、亜紗はいちいち気付き、そこから泣きじゃくり、私の手を強く握り、身体を寄せてくれた。

 「ありがと」と「ごめん」をここに来てから何度聞いただろう。

 

 私は今日初めて、亜紗を強く抱きしめた。

 ここに至ってようやく自信を持って……まだ不安もあるけど、まともに亜紗と接する事ができた気がする。

 

「おかえり、亜紗」

「…………ただいま」

 

 そしてやっと、言いたかった言葉を伝える事ができた。

 半年ぶりの「おかえり」と「ただいま」。

 文字数にしてみれば、たった8文字。

 それだけの短い言葉、他愛のないはずのやり取りを、私は半年間待ち続けていた。

 

 亜紗ほどじゃないけど、私も気付けば泣いてた。

 いい歳した女が二人、リビングの中で泣きながら互いを抱きしめて過ごしてた。

 それからしばらくして。

 

「今日のご飯どう? 不味くない?」

「美味しい……美味しいよ……」

「そっか、良かった」

 

 半年ぶりの食事。

 いつもだったら対面で座ってお互いの顔を見ながらだったけど、今日は隣同士で肩がくっつくほどの距離で食べた。

 

 食事を楽しいと思えたのも半年ぶりだった。

 途中、亜紗は肩を震わせていたし、鼻だってすすってたけど、それでも完食してくれて私は安心した。

 私のご飯を食べてくれた事もそうだけど、食欲がまだちゃんと残ってて良かった。

 

「亜紗、細くなったね」

「私の身体……おかしくない? 変じゃない?」

「おかしくないよ。変でもない。でもあんまり痩せてると心配ってだけだよ……」

 

 半年ぶりの入浴。

 亜紗の髪を洗い、身体も洗い、一緒に浴槽に浸かる。

 全裸になってみると、本当に亜紗は痩せた。

 乳だって小さくなったと思う(それでも私よりずっとボリュームはあるけど)。

 

 「触ってもいい?」と確認し、亜紗が頷いてくれたので遠慮しつつも、私はあちこちに触れる。

 正直いえば、亜紗の身体を触ってる内にムラムラしたりもした。

 でもそれ以上に、本当に亜紗がここにいるのだと実感し、安心したくて私は触れ続けてた。

 

「…………」

 

 髪を乾かし、肌へのケアも忘れず、歯だって磨いてからのベッド。

 本当はゆっくりとソファーにでも座って、亜紗の話を聞こうと思ったけど……。

 亜紗の表情に疲労の色が濃く、あきらかに眠そうな様子だったので休もうと私は提案した。

 かくいう私も瞼が重い。

 最近不眠気味だったのもあるし、亜紗を連れて帰ってきて安心したのが大きい。

 緊張の糸が切れたといっても過言じゃない。

 

 すぐ目の前にはパジャマ姿の亜紗。

 常夜灯に切り替えたから鮮明には見えないけれど、その表情はきっと不安そうにしているのだろう。

 それは私も同じ。

 

 明日、目を覚ました時。

 亜紗が隣にいなかったら。

 実は今日迎えに行ったのが夢で、まだ亜紗は病院にいたらどうしよう。

 ここにいるのが耐えきれず、亜紗が出て行ったらどうしよう。

 

 嫌な想像ばかりが脳裏に浮かぶ。

 考えたくもないのに、無視できない可能性ばかりが頭をよぎる。

 だけど、そんな事を亜紗に伝えていいのかと悩んでしまう。

 

 だから、少しでも不安を和らげたくて。

 私は亜紗の手を握りながら、「おやすみ」や「また明日」と口にして、目は閉じていても亜紗が眠りにつくまでは起きたまま過ごしてた。

 

 亜紗の寝息が聴こえてきた時、やっと私も少し安心して眠る事にした。

 どうか今日の事が夢じゃないようにと祈りながら。

 

 

※ ※ ※

 

 

 翌日の朝。

 私が目を覚ましたのは午前7時前。

 今日は土曜日で会社も休みなのだが、それでもスマホのアラームはセットしていた。

 

 いつもの私であれば、絶対に起きない時間。

 それでも起きたのは、やはり不安と心配が強かったからだ。

 なんならアラームが鳴るよりも先に私が目を覚ましてる。

 仕事のある日ですら、そんな現象は滅多に起きないってのに。

 

 どんだけ亜紗を気にしてんだって話だ。

 でも実際、起きた時に亜紗がいないと分かると急激に心拍数が上がっていくのを実感してしまう。

 亜紗がいないとこんなにも不安でたまらなくなってしまうのだと、痛感するしかない。

 

「……」

 

 いつぞやの温泉旅行へ行った時を思い出す。

 亜紗が目を覚ました時に私がいなくて不安だったと、部屋中を探し回っていた気持ちが今なら強く共感できてしまう。

 あの時の亜紗もこんな気持ちだったのだろうか。

 

 とにかくも私はバッと起き上がって、リビングへと向かう。

 

「あ……おはよ、ほのちゃん」

 

 扉を開けて亜紗がキッチンで料理をしてる姿を見た時。

 私はなんか色々と情緒がおかしくなっていたんだろう。

 迷わず亜紗の方へと歩いていき、そのまま抱きついた。

 

「えっ……えっと、その、どうしたの……」

「亜紗がいて良かった」

「え?」

「起きたら亜紗がいなかったから、怖かった」

 

 ストレートに本音を口にして、亜紗の乳に顔をうずめる。

 性欲が高まるよりも先に安心感が勝る。

 実は亜紗を迎えに行ったのが夢だったとか、亜紗が気に病んで出て行ったんじゃないかだとか、嫌な想像がどうしても浮かんでしまう。

 

 視界の中に亜紗がいただけで、亜紗の声がするだけで私は目元が熱くなってしまう。

 まずいな、と思う。

 私の方がよっぽど、亜紗に依存している。

 

「あのね、ほのちゃん」

「ん?」

 

 朝食を終えてから、私と亜紗はソファーで座ってた。

 テレビは点けてるけど、内容はまったく目にも耳にも入ってこない。

 というか、私は亜紗しか見てなかったし、亜紗の声しか聴いてない。

 多分亜紗もそうだと……いいな。

 

 私は亜紗にくっつくように身を寄せてた。

 亜紗は少し遠慮がちだったけど、それでも嫌がらなかった。

 それだけで私は嬉しくて仕方がなかった。

 

 ささやかな、だけどかけがえのない幸せに包まれていた時、亜紗は切り出してきた。

 この半年間抱えてきた気持ちを。

 最初はあの日どうして包丁を持ち出すに至ったのか、そこから順にぽつぽつと語りだした。

 

「私ね……あの日、白河さんが怖かったの」

「ほのちゃんを取られるんじゃないかって」

「ほのちゃんと別れた時にね、白河さんと言い合って……ほのちゃんが欲しかったらあげるなんて馬鹿な事言ったんだ、私」

「私と違って……あの子は、白河さんは頭良いし、自分の事だってこなせるし、私と違って汚れてもないから、私が勝てるわけないって……怖くておかしくなっちゃった」

 

 あの日のあんた、そんな事思ってたのか。

 あまりにも、バカバカしくて私は笑ってしまった。

 笑っちゃいけない場面だし、そんな雰囲気でさえないのに。

 でも……。

 

「あんた馬鹿だね……別れる時にあんたのした事を許したのが私だろ。今さら、あの頃のあんたが何を言ってようが、そんなもん許すに決まってんじゃん」

「だって……ひどい事いっぱい言ったし……白河さん美人だし、しっかりしてるし、ほのちゃんと仲良いし……私と違って汚く……ないんだよ……私が勝てるもの、何もないんだよ」

「千早が好きだったら、とっくに付き合うなりしてたよ……でも私が選んだのは、好きなのは亜紗だから」

 

 ぽろぽろと涙をこぼす亜紗を抱きしめ、私は思うままに自分の気持ちを伝えていく。

 亜紗が正直に伝えてくれたように、私も裏表なく伝えたい。

 

 少しでもいいから安心してほしい。

 私が好きで愛してるのは亜紗で、ずっと一緒にいたいと思ってるのも亜紗だと分かってほしいから。

 

「それこそ、私の方こそごめんなんだけど」

「なんで? ほのちゃん、何も悪くないよ」

「亜紗はさ、本当は千早が来てほしくなかったわけじゃん」

「……」

「なのに私が暴走して呼んで、亜紗を不安にさせてごめん」

「……ほのちゃんは優しすぎるよ」

「どこがだよ……何度も間違えて、亜紗を弱らせて、苦しめちゃって……馬鹿なやつだよ私」

 

 言っててホントに、自分が未熟だとつくづく思うよ。

 

 昔に比べてなんでも出来るようになったと、成長してると思ってた。

 仕事だってどんな職種に就いてもそれなりに実績は出せるし、ごちゃごちゃ嫌がらせしてくるやつがいても叩きのめせるし、身体的にはともかく、精神的には大分強くなったと思ってる。

 私生活だって、料理は正直アレだけど身の回りの事は大体出来るし、自立してるって自分では思ってる。

 

 でも自分にとって一番大事なパートナーで、私が一番愛してる子の事をまだまだ全然分かってなくて、良かれと思ってしてる事だって空回る事もあって、危うく私のせいで一生手放してしまうところまで追いつめてしまった。

 

 もう30歳も近いっていうのに、まだまだ未熟で不十分で、足りないところだらけ。

 完璧なんて程遠い。

 亜紗に頼ってもらえるように、好きでいてもらうために、弱いところを見せないようにと振舞ってたけど、これだものな……。

 

「私ね、亜紗にかっこ悪いところを見せたくなかったんだ」

「昔は亜紗に守ってもらってばっかりで、何もできなくて」

「だから、今度は私が亜紗を守りたいと思ったし、かっこいいって思ってほしくて頑張ってた」

「でも……今回はほんとにきつかった。亜紗が帰ってきてくれなかったからどうしようってすっげぇへこんでた」

 

 私の言葉を聞いて、泣いてたはずの亜紗が目を丸くした。

 信じられないとでも言いたげな顔しやがって。

 元々の私がどんだけ気弱で静かで人見知りで、あんた頼りの弱い女だったか知ってるだろうに。

 

「ほのちゃん……ホントにいいの? 私、ここにいても」

「いてくれないと、私が寂しい」

「でも、また私……おかしな事するかもしれないよ」

「それでも助け合うのが夫婦……いや、パートナーでしょ。それにさ……亜紗がいない半年間は、ほんとに寂しかった。昨日は久しぶりに顔見れて、一緒に家に戻ってこれて、ほんとにホッとしてんだよ……私さ」

 

 亜紗が黙ってしまった。

 俯いてるから表情は分からないけど、耳や頬、首元が赤い。

 照れてくれてるなら、嬉しい。

 

「ほのちゃんは……ほんとに……」

 

 何か呟いてたけど、詳細が聴き取れなかった。

 何と言ったのか尋ねようと思ったら、いきなり視界が揺らぎ、天井が映る。

 

「…………お?」

 

 思い切りぎゅっと抱きしめられ、押し倒されたらしい。

 何するんだと言う暇もなく、亜紗に唇を塞がれた。

 半年ぶりのキスは懐かしくて、甘くて、そのあとしょっぱい味がした。

 

「…………」

 

 一通り、お互いの言いたい事を言ってたら、なんだか疲れた。

 でも単純な疲労だけじゃない。

 どこかホッとしたものはあったはず。

 それは私も亜紗もきっと……同じ。

 

「ほのちゃんね、かっこいいよ」

「私、最初はね……ほのちゃんに守ってほしくて、ほのちゃんしか頼れる人いないから必死になって縋ってた」

「でも段々、ううん……結構すぐにだけど本気でほのちゃん好き、大好きってなってさ。何がなんでも私と一緒にいてほしくて、違う意味で必死になってた」

「それがね、パートナーシップして、お揃いのリングもして、結婚届だって書いてくれてさ……もういつ死んでもいいくらい、幸せになっちゃった」

 

 言いながら左手の薬指を、正確には薬指に着けた指輪に触れる亜紗。

 健気な事言いやがって……。

 

「亜紗が死んだら、私が耐えられないからあと何十年か頑張ってよ」

「おばあちゃんになるまで?」

「そう……おばあちゃんになって、多分その時はレズとかどうでもいいくらい世の中も変わってて、でも私も亜紗もそんなのもう気にもしなくて……いつも通り一緒にいて、一緒に歳取って、いつかは一緒に天国に行けたら……って思ってる」

「……」

「ごめん、引いた?」

「全然……嬉しいなぁ」

 

 ぎこちなさはまだ残ってる。

 半年間の空白はそう簡単に埋められっこない。

 

 でも、まだやり直せる。

 完全に関係が壊れたわけでも、縁が切れたわけでもないなら、可能性はゼロじゃない。

 これから、あらためて関係を築いていけばいいだけ。

 

 昔は亜紗が私を引っ張ってくれてた。

 色んな事から守ってくれてた。

 

 その次は私が亜紗を引っ張っていこうとした。

 私なりに亜紗を守っていこうとした。

 

 でも、どちらかが一方的にリードするんじゃなくて、いつかは対等に。

 今の私が言いたい事を好き放題言ってるように、亜紗も私にたくさん言いたい事を言える関係に、私はなりたい。

 もちろん、亜紗と話し合った上で同意を得てからだけどね。

 

 来年には私も亜紗も30歳。

 お姉ちゃんだの女子と呼んでほしいなんて言うには、あまりにも図々しい歳になってしまった。

 

 でも、まだ30歳だ。

 まだまだ働き盛りな年齢だし、女の平均寿命だって80歳を超えてる現代、人生の折り返し地点にだって差し掛かっていない。

 

 まだまだ先はある。

 のんびりしてばかりもいられないけど、慌てて取り返しがつかなくならないよう、一歩ずつ確実に、亜紗と思い出を作り、関係を築き、愛を育みたい。

 これから先おばちゃんになって、おばあちゃんになって、しわしわでよぼよぼになって、痛いのとか苦しい思いをしないで天寿を全うして……。

 

 そして最後は一緒のお墓に入りたい。

 そんな将来に向けて、今できる事を一つずつこなしていこうと私は強く願った。

 

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