「愛こそ私たちの真の運命である。人生の意味は一人で見出すものではない。他者と共に見出すものだ」
(トマス・マートン)
サクラコはマドレーヌを12個用意した。
6個だと悪魔の数字になるから。縁起が悪い。
もっとも、今さら縁起を気にする意味があるのかは、自分でもよくわからなかった。
前回は有名店のお茶菓子を用意した。誰も食べなかった。銃撃戦になったから。
だから今回はコンビニのプライベートブランドにした。
撃たれても、あまり悲しくないので。
この間は振る舞ったマドレーヌが銃弾で粉々になった。サクラコは泣いた。
紅茶もペットボトルで人数分を用意した。これも計12本。桐藤ナギサが卒倒しかねない光景だ。
テーブルに清潔なクロスを敷く。銃弾の前には無意味かもしれないけど。
ここを妥協したら何かが壊れてしまう、とサクラコは思った。
タンタンタンタンタンタン
テーブルが揺れている。ペン子が無秩序なリズムで貧乏ゆすりするからだ。
騒々しい。でも通常時と比べたら、かなり静かな方だ。
サクラコが両肩を掴んで説得した成果だ。泣きながら懇願した甲斐があったな、と思った。
「ペン子さん。貧乏ゆすりはやめてください」
「うんっ!」
タンタンタンタンタンタン
「止まってません」
「えっ!?あ、本当だ!ごめんねサクラコちゃん!」
タンタンタンタンタンタン
「止める気あります?」
「あるよ!超ある!ハレルヤ!」
「ハレルヤは今いりません」
「いるよ!?」
「……また泣きますよ?」
「わわっ!ごめんなさいっ!」
タンタンタンタンタンタン
「やめてください」
「わかった!すぐにでも!」
「はい。お願いします」
「任せて!」
クソデカい返事が返ってきた。満点だ。けど貧乏ゆすりは止まらない。
ペン子を見る。人の心を穏やかにする満面の笑みだ。
ああいう笑顔を見るたび、怒る側が悪い気分になる。
サクラコは微笑み返した。見る人の心を恐怖で埋め尽くすような笑顔だった。
ペン子が怯えた。サクラコは少し傷ついた。でも静かになったので、成果としては上々だった。
「サクラコ様」
「なんですか、リコさん?」
「家入スズから連絡がありました。アビドス自治区での宣教活動のため会議は欠席するとのことです」
一瞬、サクラコは天を仰いだ。
リコの表情が険しくなっている。
なんというデジャヴ。
「…………今度、スズさんは指導しておきますね」
「……ッ!はいッ!ありがとうございますッ!ハイル・サクラコ様!」
「リコさん、やめてください」
「ハレルヤ!」
「ペン子さん」
相手に合わせた対応をする。それが円滑なコミュニケーションの極意だ。大切なことはいつだって友達が教えてくれる。……たぶん。
サクラコは少し賢くなった。リコの前では支配者として振る舞う。なんだかシス・オーダーみたい。
「で?サクラコさん。今日はいったいなぁ~んの会議ですのぉ~?」
「アレクシアさん。今日の議題は、シスターフッドの広報活動についてです」
「ああ。チラシと現金をばら撒くヤツですわね」
「違います」
「ハレルヤ!スピーカーで爆音ライブすれば」
「ペン子さん」
怯えたペン子がまた大人しくなった。
サクラコは口の中が酸っぱくなる感覚がした。ペットボトルの紅茶に口をつける。甘くておいしくない。
要するに、トリニティの生徒たちに「怪しい秘密組織」と思われている現状をどうにかしたい、という話だ。
昨日なんてハンカチを落とした生徒に声をかけたら、絶叫をあげられた。何とかしなくてはいけない。
「お言葉ですがサクラコ様。組織的な広報活動には着手しており、すでに成果も上がっています」
「……私、初めて聞きました」
「ももも、申し訳ございませんッ!報告が行き届いておらず大変失礼しましたッ!指導徹底致しますッ!」
拗ねたつもりだった。でもリコは酷く怯えている。何だかすべて投げ出したくなってきた。
でも、ここで逃げるわけにはいかない。逃げたら、たぶんもっと面倒なことになる。
「私は、生徒の皆さんと交流できるような広報活動ができると良いと思っています。シスターフッドはもっと親しみやすく身近な存在になるべきです」
タンタンタンタンタンタン
「ペン子さん」
「なにもしてないよっ!?」
「ペン子さん」
してる。足を見つめたら、ペン子は内股になって大人しくなった。
なるほど。こうすればよかったのか。
会議室は珍しく静寂に包まれた。
(可愛い看板とか、作れたらいいですね。あとボランティアとか。学園の清掃活動……みんなでお揃いのエプロンなんかを着て……)
サクラコの脳内では、夢のような光景が広がっていた。
シスターフッドの面々が笑顔で箒を持ち、生徒たちと和やかに交流している。
そういう穏やかなシスターは今もたくさんいる。でも、変なシスターも同じくらいいた。
「サクラコさん」
アレクシアが白手袋の指先をテーブルにそっと置いた。それだけで会議室の空気が変わった気がした。
「はい、アレクシアさん。なにか?」
「不要ですわ」
会議室の温度が下がった。
「……はい?」
「親しみやすさなど、まったくもって不要ですの。考えてもご覧なさいまし。バラの香りは誰に媚びますか?黄金は誰に頭を下げますか?荘厳さとは、それ自体が語るものでしてよ」
「そんな話はしていません」
「迷える子羊たちは、荘厳なものを見上げて崇めることで救われるのですわ。だからこそ、ワタクシたちシスターフッドは、圧倒的な威光で、庶民たちをひれ伏させる存在でなければならないのですわ」
ひれ伏させる。
反論しなくては、と思った。
でも、その言葉はサクラコの喉の奥で止まった。
さっきまで、怯えたペン子はちゃんと静かだった。サクラコは胃のあたりをおさえた。
「サクラコ様。私もアレクシア様と同意見です」
「リコさん?」
「今、民衆に必要なのは、親愛ではなく主への敬意ではないでしょうか?」
「あぁ~ら?クソ真面目の石頭のクセにオツムは上出来のようですわねぇ~」
「そして、主への敬意を育むには、正しい組織で適切に管理されるべきです」
「待て。愚か者」
エマが経典から目を上げた。心底、不愉快そうだった。
サクラコは思い出した。滝のような冷や汗をかく。うっかりスピーチで引用した経典の言葉の「てにをは」を間違えたとき、エマは三時間に及ぶ罵詈雑言を浴びせてきた。その時と同じ目だ。
「引用。律法学者は重い荷物をくくり合わせて、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本差そうとはしない。これすなわち、管理者の偽善なり」
「エマ様!私を偽善者と糾弾するおつもりですかッ!」
「肯定。汝、形式主義に安住せり。これすなわち、腐敗の始まりなり」
「それなー。っぱ、大事なのは個人の体験っしょ」
さっきまでつまらなそうにあくびをしていたテスマが参戦する。
二対二で拮抗状態。そう思ったサクラコは甘かった。
「てかさー。組織とか、いる?本質的に」
間があった。重い沈黙。
サクラコはエラの谷くらい埋まらない溝を幻視した。
「いります。絶対に」
「でもさー。それって信仰の本質じゃなくね?」
「テスマさん」
「ウチさー。別にルールなくても主を敬えるし。てかルールある方が信仰から離れるくね?組織があってー、派閥があってー、会議があってー。そゆのが怪しさなんじゃないの?」
「テスマさん」
「だったらさー。全部なくしてー、各自がノリで信仰を表現すればよくね?やば。ウチマジ天才かも」
言葉に詰まった。周りを見る。
リコの顔は赤を通り越して紫色だった。アレクシアは深紅の扇をへし折った。エマは未だかつてない大きな舌打ちをした。
どれも噴火寸前の火山だ。このままでは取り返しがつかない。
だからサクラコは言葉を絞り出した。胃に穴が開きそうだった。
「テスマさん」
「サクちゃんも、そー思うっしょー?」
テスマはサクラコを見てにっこり笑った。まったく悪意がない笑顔だった。それが余計にきつかった。
悪魔は笑顔でやってくる。
サクラコは微笑み返した。
「テスマさん」
「うん」
「私が、シスターフッドを守るためにどれだけの時間と労力を割いてきたか、ご存じですか?」
「え、わかんない。でもそーやってサクちゃんが犠牲になってること自体が、そもおかしいってゆーか」
「テスマさん」
「なーに?」
「それ以上言ったら泣きます」
テスマは黙った。さすがにやり過ぎたと思ったのだろう。
何とも言えない沈黙が会議室を支配した。
その沈黙を破ったのは、椅子を蹴り倒す音だった。ペン子が立っていた。
「サクラコちゃんっ!」
誰もが彼女を見る。
ペン子は両手を握りしめ、ぶるぶると震えていた。
「もう我慢できない!」
「ペン子さん?」
「何この重苦しい空気!?信仰の話してるのに全然ハレルヤじゃないよ!」
「ハレルヤじゃないって何ですか」
「言葉でどう説明しても伝わらないことってあるじゃないか!信仰って、もっとこう、胸の奥がバーンってなって、魂がドーンってなって!足が勝手にタンタンしちゃうものなんだよ!」
「それは貴女だけです」
「だからさ!みんなで踊ろうよ!聖霊と一体化して!ハレルヤ!」
クソデカい声で会議室の窓が震えた。
サクラコは目を閉じる。どうにかペン子の真意を理解するために。
三秒、数えた。無理だった。
「引用」
エマの声が、氷のように落ちた。
「神は無秩序の神ではなく、平和の神である。これすなわち、貴様の提案は信仰ではない。ただの乱痴気騒ぎである」
「ボクはみんなに笑っていてほしいだけなんだ!それに、ボクらは聖霊とのセッションをしてるんだ!」
「痙攣。集団幻覚。近隣迷惑」
「でも!みんなで同じリズムに乗ったら、怖いことだってちょっと楽しくなるんだよ!」
「引用。すべてを適切に、秩序をもって行いなさい。落ち着け」
「ガッデム!そんなの魂が冷えちゃうよ!」
「冷やせ。発火している」
「それが信仰の炎なんだよ!ハレルヤ!」
「ただの火災である」
「違うよ!?」
ペン子の言うことにも、一理あるのかもしれない。
それでも、踊る必要はないとサクラコは思った。
あと比喩ではなく本当に炎を使うのはやめてほしい。
一昨日、ペン子が火災報知機を作動させたせいで、サクラコは各所に謝罪してまわっていた。
深夜二時に。パジャマ姿で。
思い出しただけで、頭が重くなる。
「ですが、今の発言には利用価値があります」
リコが静かに口を開いた。
「大切なのは体験を通じた教化。その体験を、正しい組織のもとで管理すればよいのです」
「管理」
サクラコは小さく復唱した。
その二文字だけで、もう十分に怪しかった。
「あぁ~ら!悪くありませんわねぇ~!どうせなら荘厳な式典にいたしませんこと?黄金の祭壇、大勢の聖歌隊、そして宝石でできた巨大なステンドグラスを」
「作りません」
「ならば経典の勉強会を開くべき。1日12時間。文字を叩き込むべし」
「えーっ!文字だけじゃテンション上がんないよっ!」
「だったらさー。水に沈めよ。やっぱ生まれ変わる体験が必要じゃん?」
「沈めません」
サクラコの声が、少しだけ低くなった。
誰も気づかなかった。
「つまり、親しみやすさ向上のためには、儀式、統制、引用、音響、水中体験を組み合わせた総合的な広報活動が必要ということですね」
「必要ではありません」
必要ではない。
絶対に必要ではない。
だが、誰もサクラコの声を聞いていなかった。
みんな、自分の信じるものだけを見ていた。
その結果、責任をとるのはいつもサクラコだ。
サクラコは、テーブルの上に並んだマドレーヌを見た。
今日は、まだ撃たれていない。
燃えてもいない。
沈められてもいない。
それなのに、どうしてこんなに疲れているのだろう。
「……皆さん」
その声に、ようやく全員がこちらを向いた。
「私は、シスターフッドを怖がられる組織にしたいわけではありません。皆さんに、勝手なことをしてほしくないだけです」
窓から差し込んだ光が、サクラコの姿を照らす。
「ですから、これ以上、勝手なことを言わないでください」
そこで止めるべきだった。
けれど、疲労と焦燥に押されるように、サクラコはもう一言だけ続けてしまった。
「シスターフッドのトップは、私です」
会議室が静まり返った。
言った瞬間、失敗したと思った。
違う。
そういうことを言いたかったのではない。
話を聞いてほしかっただけだ。勝手に決めないでほしかっただけだ。
なのに、今の言い方ではまるで――。
「サクラコ様……!」
リコが立ち上がった。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「ようやく……ようやく、御自覚を……!聖俗を統べるお方としての、御自覚をッ!」
「違います」
「あぁ~ら!なぁ~んと荘厳ではありませんことぉ~!そのお姿!ステンドグラスにしたいですわぁ~!」
「しないでください」
「ハレルヤ!今のサクラコちゃん良いよ!心にドーンってきたよ!新しいダンスが作れそう!」
「作らないでください」
「やば。サクちゃん、今のめっちゃキマってた。バイブス最高じゃん。マジでガチなトップって感じ」
「やめてください」
どうして一人ずつ違う方向に誤解するのだろう。
サクラコが引き攣った笑みを浮かべた、その時だった。
「引用」
エマが、経典から目を上げずに呟いた。
「その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに泣き叫ぶ。しかし主は、その日、あなたたちに答えてはくださらない」
サクラコの胃が、きりりと痛んだ。
リコは感涙し、アレクシアはうっとりと目を細め、ペン子はなぜか拍手を始め、テスマは面白そうに笑っていた。
ただ、会議が終わるまで結局サクラコはエマを見ることができなかった。
胃の奥に、さっきの言葉だけが残っていた。
・・・・・・・・・
誰もいなくなった会議室で、サクラコは残されたペットボトルの紅茶を一口飲んだ。
一番「怪しい」のは、この会議室だ。
そのことに、今日ようやく気がついた。
テーブルには、マドレーヌが残っている。
今日は撃たれていない。
なのに、少しも嬉しくなかった。
それでも来週もきっと、同じ会議室で、同じメンバーと、同じような会議をするのだろう。
そしてサクラコはまた、マドレーヌを12個用意するのだろう。
扉の向こうから、誰かの言い争う声が聞こえた。
シスターフッドは今日も賑やかである。