(アウグスティヌス)
アレクシアとの個人面談は、面談室では行われなかった。
彼女が拒否したからだ。
朝一番に届いた返事には、金色のインクでこう書かれていた。
『面談室は、威光が足りませんわ』
サクラコはその一文を三度読んだ。
威光が足りない。
意味はわからなかった。
けれど、面倒なことになるという意味だけは、よくわかった。
・・・・・・・・・・
今日の議題はいくつかある。
廊下の肖像画の件。礼拝装飾の予算超過の件。金箔、銀糸、宝石、宝石ではないが宝石に見えるもの、その他分類不能な調度品の大量発注。
全部丁寧に、でも明確に伝える。
サクラコは書類を抱えて、アレクシアの私室へ向かった。
アレクシアの私室は、廊下の突き当たりにある。
近づくにつれて、光が増えた。
比喩ではない。
壁の装飾が、少しずつ金色になっていく。床には赤い絨毯。左右にはきらびやかな額縁。その中には、歴代のシスターフッド幹部の肖像画が並んでいた。
気味が悪いと苦情が寄せられている。その話も今日はしなければいけない。
扉の前に着く。
ノックしようとしたところで、アレクシアの付き人のシスターに止められた。
「サクラコ様、少々お待ちください」
「はい?」
「お部屋に入られる前に、こちらを」
差し出されたのは、金色のスプレー缶だった。
「……何ですか、これは」
「聖なる金粉のスプレーでございます」
「聖なる、金粉」
「アレクシア様の御部屋に入られる際には、まず空間との調和を」
「調和」
意味がわからなかった。
でも付き人は当然のように振る舞う。
ここではサクラコが異端だ。
「このスプレーを使って御体を金色に染めてください」
「使いません」
「お願いします」
「使いません」
「どうしてもですか?」
「どうしてもです」
「そこをなんとか」
「なりません」
付き人は、残念そうにスプレー缶を下げた。
「では、こちらを」
次に出てきたのは、巨大な宝石の指輪だった。
宝石が大きすぎて、指輪というより小さな鈍器に見えた。
「つけません」
「ですが、シスターフッドの首長としての威光が」
「つけません」
これ見よがしにため息を吐かれた。
「では、こちらのネックレスを」
今度は、首にかけたら肩こりでは済まなそうなネックレスが出てきた。
黄金糸に色とりどりの大粒の宝石がちりばめられている。
「つけません」
「では、せめてティアラを」
「せめて、でティアラを出さないでください」
付き人は黙った。
長いため息を吐いた。
明らかに困った顔をしている。
というより、納得していない顔だった。
「……では、こちらを」
最後に出してきたのは、小さな金色のリボンだった。
今度は返事を待つ前に、丁寧な手つきでサクラコの袖にリボンを結んだ。
「これなら、どうにか……辛うじて」
「辛うじて」
「はい。最低限、人としてではなく、首長として入室できます」
「人として入室させてください」
付き人は不満そうだった。
サクラコは小さく息を吐いた。
なぜか、自分が悪いのではないかと思ってしまった。
「本来であれば、サクラコ様ほどの御方に、この程度の装飾でお通しするのは」
「この程度でお願いします」
「……承知いたしました」
まったく承知していない声だった。
扉が開いた。
光が来た。
正確には、金と銀と宝石と磨き上げられた燭台と、やたら反射率の高い何かが、複数の方向から同時に光を返してきた。
いつの間にか後方にいた付き人は、サングラスをかけていた。
それくらい眩しかった。
サクラコは振り返った。
「……それは、貸していただけるものですか」
「来賓用のものはございません」
「でも、とても眩しいです」
「慣れてください」
慣れたくなかった。
床には金の縁取り。天井には装飾。壁にはイコン。棚には宝石細工。椅子の脚まで金色だった。
壁には、歴代首長の肖像画が並んでいた。
古いシスターたち。聖人たち。シスターフッドの創設にまつわる絵。
どの絵も、どこか金色に補正されている。
そして、その列の端に、アレクシアの肖像画が一枚だけ掛かっていた。
大きさは普通だった。
普通だったのに、存在感が普通ではなかった。
金の額縁。深紅の背景。扇子を持ったアレクシアが、こちらを見下ろさないぎりぎりの角度で描かれている。
見下ろしてはいない。
けれど、見上げることを要求してくる絵だった。
部屋の中央に、本物のアレクシアがいた。
椅子に座り、扇子を持ち、肖像画と同じ角度でこちらを見ている。
「いらっしゃいませ、サクラコ様」
「お邪魔します」
背後で、扉が静かに閉められた。
その音を聞いてから、アレクシアは扇子を広げた。
アレクシアは、サクラコの袖を見た。
金色のリボンを見た。
それから、ほんの少しだけ眉を下げた。
「あぁらぁ~、サクラコさんったらぁ~」
「……何ですか」
「随分とみすぼらしいですわねぇ~」
語尾は甘く伸びていた。
アレクシアが、遠慮をなくした時の声だった。
悪意はない。
たぶん。
ただ、気を許した相手への言葉が、だいたい失礼になるだけだ。
「きちんとおもてなしするよう、あの娘たちには言い聞かせましたのよぉ~?金粉、宝石、ティアラ。最低限の威光は整えるように、と」
「最低限の基準がおかしいです」
「けれど、サクラコさんが拒まれたのですわねぇ~?」
「拒みました」
「んまぁ~」
アレクシアは、扇子で口元を隠した。
「愛らしいお顔が台無しですわよぉ~」
「愛らしい」
面と向かってそう言われたのは、初めてかもしれない。
陰で「恐ろしい」と言われているのは、何度か聞いたことがある。
「宝の持ち腐れですわぁ~。見せびらかしてこそ価値があるというのにぃ~。相変わらず謙虚ですわねぇ~」
「……早速ですが」
サクラコは書類を取り出した。
「アレクシアさん、いくつかお話ししたいことがありまして」
「ワタクシにはありませんわぁ~」
「アレクシアさん」
「んもぉ~。小粋なジョークですわよぉ~」
「……まず、廊下の肖像画についてです」
サクラコは書類の一枚目を見た。
「トリニティの廊下を、アレクシアさん監修の肖像画で埋めていくのは、やめていただけないでしょうか」
アレクシアが扇子を閉じた。乾いた音が黄金郷に響く。
甘く伸びていた語尾が、そこで消えた。
空気が変わった気がした。
「理由を聞かせて頂戴」
サクラコは、書類から目を上げた。
苦情の紙ではなく、アレクシアの顔を見てから、小さく頷いた。
「夜中に目が光って怖いという下級生が続出しています。先週だけで苦情が13件」
「怖い」
アレクシアは、静かに復唱した。
笑わなかった。
むしろ、少しだけ哀れむような顔をした。
「かわいそうに」
「苦情を言った生徒がですか」
「ええ。荘厳なものを、恐怖としてしか受け取れないのですわ」
「怖がらせているなら、やめるべきではありませんか」
「いいえ。慣れれば、恐怖は敬意に変わります」
「それでも恐怖は、恐怖です」
サクラコは小さく息を吐いた。
説得は、簡単ではなさそうだった。
その時、壁の肖像画が一枚、目に入った。
先代のシスターフッドトップ、継橋ネガイの絵だ。
横顔だった。
しかも、顔の半分が金色の光で隠れている。
「……これは、先代ですか」
「あぁらぁ~。お気づきになりましたのねぇ~」
アレクシアは扇子を広げた。
甘い語尾が戻った。
「なぜ横顔なのですか」
「正面から描くと、とっても責任感が足りない顔になりましたのぉ~」
「責任感」
「ですから、横を向いていただきましたわぁ~」
「逃げているように見えます」
「だってぇ~。実際そういう方でしたものぉ~」
「オブラートに包んでください」
「あぁ~らぁ~?金箔で包んでおりましてよぉ~?」
サクラコは口をつぐんだ。
けれど、言わずにはいられなかった。
「嫌いならば、飾らなければよいではないですか」
アレクシアが扇子を閉じた。
さっきよりも、大きな音がした。
「人格と正統性は別ですわ」
「今、人格と言いましたか」
「ええ。何か?」
「……それで、よいのですか」
「よい、悪いの話ではありませんわ」
アレクシアは先代の肖像画を見上げた。
「どのような方であれ、継承の鎖に連なる者は、様式の中に置かれなければなりません」
「それが、伝統ですか?」
「いかにも。世の中、綺麗事ばかりではありませんの。たとえ傷や汚点であっても、金縁に収めれば歴史になりますわ」
サクラコは返事に迷った。
言い方はひどい。
けれど、まったく間違っているとも言い切れなかった。
「だから、金色なのですか」
「ええ。そのままのお姿では生々しすぎますもの」
「生々しいまま受け止めることも、大切なのでは」
「ありのままを受け止めるなんてこと、子羊たちにできまして?」
アレクシアは挑発的に笑った。
サクラコは、すぐには頷けなかった。
心当たりがありすぎた。
「伝統とは、ありのままでは届きませんわ」
「だから……光らせる」
「ええ。言葉で届かないものを、光で届けるのですわ」
「その結果、夜中に目が光っています」
「視認性が高いということですわ」
「苦情がきています」
「ごく一部じゃありませんこと」
「13件です。ペン子さんより多いです」
アレクシアが目を丸くした。
効いた。
サクラコは、比較対象の選び方を覚えてしまった。
ただ比較としては、少しずるい。
集計期間が違う。
先月のペン子にまつわる苦情は、52件。
アレクシアの、およそ四倍だった。
でも、今は言わなかった。
言わなくていいこともある。
それも、最近覚えた。
「……冗談でしょう?」
「本当です。せめて夜中に目が光る仕様はやめてください」
「…………そう。善処いたしますわ」
「実行してください」
アレクシアは長いため息を吐いた。
肖像画の件は、ひとまず目が光らない方向で進みそうだった。
少しだけ、前進した気がした。
「次は、礼拝装飾の予算についてです」
アレクシアは大げさに首を振った。
「忘れましたわ」
「では、申請を却下します」
「思い出しましたわ」
「もう遅いです」
「いけずですわねぇ~」
アレクシアが扇子を開いた。
また一歩、前進した。
順調だ。
怖いくらいに。
「それから、宝石でできたステンドグラスの申請についてですが」
「素晴らしいでしょう?」
「却下です」
「まだ説明しておりませんわ」
「説明されても却下です」
「サクラコさん、最近少し冷たくありませんこと?」
「皆さんのおかげです」
アレクシアは楽しそうに扇子を揺らした。
「けれど、この件に関しては、きちんと説明を聞いていただきますわ」
「……聞くだけです」
「ええ。聞くだけで構いませんわ」
アレクシアは、一枚の図案を取り出した。
色とりどりの宝石で構成された、ステンドグラスの下絵だった。
中央には、祈るサクラコ。
背後には光輪。
足元には、迷える子羊たち。
上部には、なぜか大きく「威光」と書かれている。
「ステンドグラスに直接『威光』と書かないでください」
「わかりやすさを重視しましたの」
「読み仮名まで振らないでください」
たしかに、わかりやすかった。
腹立たしいほどに。
「設置場所は、トリニティ全域ですわ」
「全域」
「ええ。窓という窓を、すべてこちらへ差し替えますの」
「教室もですか」
「もちろんですわ」
「授業に集中できません」
「夜間は蓄光素材で、ほんのりと」
「だから夜中に光らせないでください」
とんでもない計画に、目がチカチカしてきた。
「……この計画は、当然、まだ申請段階ですよね」
「あぁらぁ〜」
アレクシアは扇子で口元を隠した。
「リコさんからは、承認を得ましたのにぃ〜」
「なんですって?」
「とってもやる気満々でしたわぁ〜。もう業者も選定したとかぁ〜」
サクラコは天を仰いだ。
主よ。
なぜ、次から次へと試練が降って湧いて出るのでしょうか。
「……急用ができましたので、失礼します」
「あぁらぁ〜。リコさんなら、すぐ近くにいるらしいですわよぉ〜」
「なぜ知っているのですか」
「ワタクシにも、情報通のお友達がおりましてよぉ〜」
サクラコは一瞬だけ黙った。
聞いてはいけない気がした。
「……ありがとうございます」
「どういたしましてぇ〜」
サクラコは書類を抱え直し、早足で部屋を出た。
「走ると、威光が乱れますわよぉ〜」
「乱れて構いません」
廊下に出ると、普通の空気があった。
普通の空気なのに、壁の肖像画だけはやはり金色に光っていた。
少し先の曲がり角から、リコの落ち着いた声が聞こえた。
「夜間警備との親和性を踏まえ、蓄光素材を全体に――」
「リコさん!」
シスターフッドは今日も賑やかである。
次回はペン子との個人面談です。騒がしい話です。