歌住サクラコは胃が痛い   作:53860

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「古くまた新しい美よ、私はあなたを愛することを遅く知った」
(アウグスティヌス)


個人面談、あるいは黄金郷への招待

 アレクシアとの個人面談は、面談室では行われなかった。

 彼女が拒否したからだ。

 朝一番に届いた返事には、金色のインクでこう書かれていた。

 

『面談室は、威光が足りませんわ』

 

 サクラコはその一文を三度読んだ。

 威光が足りない。

 意味はわからなかった。

 けれど、面倒なことになるという意味だけは、よくわかった。

 

・・・・・・・・・・

 

 今日の議題はいくつかある。

 廊下の肖像画の件。礼拝装飾の予算超過の件。金箔、銀糸、宝石、宝石ではないが宝石に見えるもの、その他分類不能な調度品の大量発注。

 全部丁寧に、でも明確に伝える。

 サクラコは書類を抱えて、アレクシアの私室へ向かった。

 アレクシアの私室は、廊下の突き当たりにある。

 近づくにつれて、光が増えた。

 比喩ではない。

 壁の装飾が、少しずつ金色になっていく。床には赤い絨毯。左右にはきらびやかな額縁。その中には、歴代のシスターフッド幹部の肖像画が並んでいた。

 気味が悪いと苦情が寄せられている。その話も今日はしなければいけない。

 扉の前に着く。

 ノックしようとしたところで、アレクシアの付き人のシスターに止められた。

 

「サクラコ様、少々お待ちください」

「はい?」

「お部屋に入られる前に、こちらを」

 

 差し出されたのは、金色のスプレー缶だった。

 

「……何ですか、これは」

「聖なる金粉のスプレーでございます」

「聖なる、金粉」

「アレクシア様の御部屋に入られる際には、まず空間との調和を」

「調和」

 

 意味がわからなかった。

 でも付き人は当然のように振る舞う。

 ここではサクラコが異端だ。

 

「このスプレーを使って御体を金色に染めてください」

「使いません」

「お願いします」

「使いません」

「どうしてもですか?」

「どうしてもです」

「そこをなんとか」

「なりません」

 

 付き人は、残念そうにスプレー缶を下げた。

 

「では、こちらを」

 

 次に出てきたのは、巨大な宝石の指輪だった。

 宝石が大きすぎて、指輪というより小さな鈍器に見えた。

 

「つけません」

「ですが、シスターフッドの首長としての威光が」

「つけません」

 

 これ見よがしにため息を吐かれた。

 

「では、こちらのネックレスを」

 

 今度は、首にかけたら肩こりでは済まなそうなネックレスが出てきた。

 黄金糸に色とりどりの大粒の宝石がちりばめられている。

 

「つけません」

「では、せめてティアラを」

「せめて、でティアラを出さないでください」

 

 付き人は黙った。

 長いため息を吐いた。

 明らかに困った顔をしている。

 というより、納得していない顔だった。

 

「……では、こちらを」

 

 最後に出してきたのは、小さな金色のリボンだった。

 今度は返事を待つ前に、丁寧な手つきでサクラコの袖にリボンを結んだ。

 

「これなら、どうにか……辛うじて」

「辛うじて」

「はい。最低限、人としてではなく、首長として入室できます」

「人として入室させてください」

 

 付き人は不満そうだった。

 サクラコは小さく息を吐いた。

 なぜか、自分が悪いのではないかと思ってしまった。

 

「本来であれば、サクラコ様ほどの御方に、この程度の装飾でお通しするのは」

「この程度でお願いします」

「……承知いたしました」

 

 まったく承知していない声だった。

 

 扉が開いた。

 

 光が来た。

 

 正確には、金と銀と宝石と磨き上げられた燭台と、やたら反射率の高い何かが、複数の方向から同時に光を返してきた。

 いつの間にか後方にいた付き人は、サングラスをかけていた。

 それくらい眩しかった。

 サクラコは振り返った。

 

「……それは、貸していただけるものですか」

「来賓用のものはございません」

「でも、とても眩しいです」

「慣れてください」

 

 慣れたくなかった。

 床には金の縁取り。天井には装飾。壁にはイコン。棚には宝石細工。椅子の脚まで金色だった。

 壁には、歴代首長の肖像画が並んでいた。

 古いシスターたち。聖人たち。シスターフッドの創設にまつわる絵。

 どの絵も、どこか金色に補正されている。

 

 そして、その列の端に、アレクシアの肖像画が一枚だけ掛かっていた。

 

 大きさは普通だった。

 普通だったのに、存在感が普通ではなかった。

 金の額縁。深紅の背景。扇子を持ったアレクシアが、こちらを見下ろさないぎりぎりの角度で描かれている。

 見下ろしてはいない。

 けれど、見上げることを要求してくる絵だった。

 部屋の中央に、本物のアレクシアがいた。

 椅子に座り、扇子を持ち、肖像画と同じ角度でこちらを見ている。

 

「いらっしゃいませ、サクラコ様」

「お邪魔します」

 

 背後で、扉が静かに閉められた。

 その音を聞いてから、アレクシアは扇子を広げた。

 

 アレクシアは、サクラコの袖を見た。

 金色のリボンを見た。

 それから、ほんの少しだけ眉を下げた。

 

「あぁらぁ~、サクラコさんったらぁ~」

「……何ですか」

「随分とみすぼらしいですわねぇ~」

 

 語尾は甘く伸びていた。

 アレクシアが、遠慮をなくした時の声だった。

 悪意はない。

 たぶん。

 ただ、気を許した相手への言葉が、だいたい失礼になるだけだ。

 

「きちんとおもてなしするよう、あの娘たちには言い聞かせましたのよぉ~?金粉、宝石、ティアラ。最低限の威光は整えるように、と」

「最低限の基準がおかしいです」

「けれど、サクラコさんが拒まれたのですわねぇ~?」

「拒みました」

「んまぁ~」

 

 アレクシアは、扇子で口元を隠した。

 

「愛らしいお顔が台無しですわよぉ~」

「愛らしい」

 

 面と向かってそう言われたのは、初めてかもしれない。

 陰で「恐ろしい」と言われているのは、何度か聞いたことがある。

 

「宝の持ち腐れですわぁ~。見せびらかしてこそ価値があるというのにぃ~。相変わらず謙虚ですわねぇ~」

「……早速ですが」

 

 サクラコは書類を取り出した。

 

「アレクシアさん、いくつかお話ししたいことがありまして」

「ワタクシにはありませんわぁ~」

「アレクシアさん」

「んもぉ~。小粋なジョークですわよぉ~」

「……まず、廊下の肖像画についてです」

 

 サクラコは書類の一枚目を見た。

 

「トリニティの廊下を、アレクシアさん監修の肖像画で埋めていくのは、やめていただけないでしょうか」

 

 アレクシアが扇子を閉じた。乾いた音が黄金郷に響く。

 甘く伸びていた語尾が、そこで消えた。

 空気が変わった気がした。

 

「理由を聞かせて頂戴」

 

 サクラコは、書類から目を上げた。

 苦情の紙ではなく、アレクシアの顔を見てから、小さく頷いた。

 

「夜中に目が光って怖いという下級生が続出しています。先週だけで苦情が13件」

「怖い」

 

 アレクシアは、静かに復唱した。

 笑わなかった。

 むしろ、少しだけ哀れむような顔をした。

 

「かわいそうに」

「苦情を言った生徒がですか」

「ええ。荘厳なものを、恐怖としてしか受け取れないのですわ」

「怖がらせているなら、やめるべきではありませんか」

「いいえ。慣れれば、恐怖は敬意に変わります」

「それでも恐怖は、恐怖です」

 

 サクラコは小さく息を吐いた。

 説得は、簡単ではなさそうだった。

 その時、壁の肖像画が一枚、目に入った。

 先代のシスターフッドトップ、継橋ネガイの絵だ。

 横顔だった。

 しかも、顔の半分が金色の光で隠れている。

 

「……これは、先代ですか」

「あぁらぁ~。お気づきになりましたのねぇ~」

 

 アレクシアは扇子を広げた。

 甘い語尾が戻った。

 

「なぜ横顔なのですか」

「正面から描くと、とっても責任感が足りない顔になりましたのぉ~」

「責任感」

「ですから、横を向いていただきましたわぁ~」

「逃げているように見えます」

「だってぇ~。実際そういう方でしたものぉ~」

「オブラートに包んでください」

「あぁ~らぁ~?金箔で包んでおりましてよぉ~?」

 

 サクラコは口をつぐんだ。

 けれど、言わずにはいられなかった。

 

「嫌いならば、飾らなければよいではないですか」

 

 アレクシアが扇子を閉じた。

 さっきよりも、大きな音がした。

 

「人格と正統性は別ですわ」

「今、人格と言いましたか」

「ええ。何か?」

「……それで、よいのですか」

「よい、悪いの話ではありませんわ」

 

 アレクシアは先代の肖像画を見上げた。

 

「どのような方であれ、継承の鎖に連なる者は、様式の中に置かれなければなりません」

「それが、伝統ですか?」

「いかにも。世の中、綺麗事ばかりではありませんの。たとえ傷や汚点であっても、金縁に収めれば歴史になりますわ」

 

 サクラコは返事に迷った。

 言い方はひどい。

 けれど、まったく間違っているとも言い切れなかった。

 

「だから、金色なのですか」

「ええ。そのままのお姿では生々しすぎますもの」

「生々しいまま受け止めることも、大切なのでは」

「ありのままを受け止めるなんてこと、子羊たちにできまして?」

 

 アレクシアは挑発的に笑った。

 サクラコは、すぐには頷けなかった。

 心当たりがありすぎた。

 

「伝統とは、ありのままでは届きませんわ」

「だから……光らせる」

「ええ。言葉で届かないものを、光で届けるのですわ」

「その結果、夜中に目が光っています」

「視認性が高いということですわ」

「苦情がきています」

「ごく一部じゃありませんこと」

「13件です。ペン子さんより多いです」

 

 アレクシアが目を丸くした。

 効いた。

 サクラコは、比較対象の選び方を覚えてしまった。

 ただ比較としては、少しずるい。

 集計期間が違う。

 先月のペン子にまつわる苦情は、52件。

 アレクシアの、およそ四倍だった。

 でも、今は言わなかった。

 言わなくていいこともある。

 それも、最近覚えた。

 

「……冗談でしょう?」

「本当です。せめて夜中に目が光る仕様はやめてください」

「…………そう。善処いたしますわ」

「実行してください」

 

 アレクシアは長いため息を吐いた。

 

 肖像画の件は、ひとまず目が光らない方向で進みそうだった。

 少しだけ、前進した気がした。

 

「次は、礼拝装飾の予算についてです」

 

 アレクシアは大げさに首を振った。

 

「忘れましたわ」

「では、申請を却下します」

「思い出しましたわ」

「もう遅いです」

「いけずですわねぇ~」

 

 アレクシアが扇子を開いた。

 また一歩、前進した。

 順調だ。

 怖いくらいに。

 

「それから、宝石でできたステンドグラスの申請についてですが」

「素晴らしいでしょう?」

「却下です」

「まだ説明しておりませんわ」

「説明されても却下です」

「サクラコさん、最近少し冷たくありませんこと?」

「皆さんのおかげです」

 

 アレクシアは楽しそうに扇子を揺らした。

 

「けれど、この件に関しては、きちんと説明を聞いていただきますわ」

「……聞くだけです」

「ええ。聞くだけで構いませんわ」

 

 アレクシアは、一枚の図案を取り出した。

 色とりどりの宝石で構成された、ステンドグラスの下絵だった。

 中央には、祈るサクラコ。

 背後には光輪。

 足元には、迷える子羊たち。

 上部には、なぜか大きく「威光」と書かれている。

 

「ステンドグラスに直接『威光』と書かないでください」

「わかりやすさを重視しましたの」

「読み仮名まで振らないでください」

 

 たしかに、わかりやすかった。

 腹立たしいほどに。

 

「設置場所は、トリニティ全域ですわ」

「全域」

「ええ。窓という窓を、すべてこちらへ差し替えますの」

「教室もですか」

「もちろんですわ」

「授業に集中できません」

「夜間は蓄光素材で、ほんのりと」

「だから夜中に光らせないでください」

 

 とんでもない計画に、目がチカチカしてきた。

 

「……この計画は、当然、まだ申請段階ですよね」

「あぁらぁ〜」

 

 アレクシアは扇子で口元を隠した。

 

「リコさんからは、承認を得ましたのにぃ〜」

「なんですって?」

「とってもやる気満々でしたわぁ〜。もう業者も選定したとかぁ〜」

 

 サクラコは天を仰いだ。

 主よ。

 なぜ、次から次へと試練が降って湧いて出るのでしょうか。

 

「……急用ができましたので、失礼します」

「あぁらぁ〜。リコさんなら、すぐ近くにいるらしいですわよぉ〜」

「なぜ知っているのですか」

「ワタクシにも、情報通のお友達がおりましてよぉ〜」

 

 サクラコは一瞬だけ黙った。

 聞いてはいけない気がした。

 

「……ありがとうございます」

「どういたしましてぇ〜」

 

 サクラコは書類を抱え直し、早足で部屋を出た。

 

「走ると、威光が乱れますわよぉ〜」

「乱れて構いません」

 

 廊下に出ると、普通の空気があった。

 普通の空気なのに、壁の肖像画だけはやはり金色に光っていた。

 少し先の曲がり角から、リコの落ち着いた声が聞こえた。

 

「夜間警備との親和性を踏まえ、蓄光素材を全体に――」

「リコさん!」

 

 シスターフッドは今日も賑やかである。

 




次回はペン子との個人面談です。騒がしい話です。
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