歌住サクラコは胃が痛い   作:53860

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「信仰がバプテスマに続いたのではなく、バプテスマが信仰に続いた」
(メノ・シモンズ)



個人面談、あるいは水辺の狂信

 

 面談の三十分前に、サクラコは準備を終えた。

 机の上には議題をまとめた書類。シスターフッドの年間スケジュール、定例礼拝の出席記録、そしてテスマの欠席回数を赤字で記した一覧表。

 数字は正直だった。

 赤が多かった。

 

 椅子を二脚、向かい合わせに置いた。対話のための配置だ。

 でも、お茶は用意しなかった。

 何となく、今日は必要ない気がしたからだ。

 冷めたお茶を飲むことで正気を確認する時間は、これまで何度もあった。

 けれど今日くらいは、その時間が必要ない面談になるかもしれない。

 少しだけ、そう期待した。

 期待はした。

 ただ、これまでの経験から、たぶんそうはならない気もしていた。

 

 サクラコは椅子に座って、書類を一度見直した。

 今日は大丈夫だ。

 テスマは話が通じる。本質的なところで物事を見ている子だ。ちゃんと言葉で話せば、きっと。

 ノックがあった。

 

「どうぞ」

 

 扉が開いた。

 テスマが入ってきた。

 浮き輪を抱えて。

 

「テスマさん」

「サクちゃん、準備してきたよ」

「……何の準備ですか」

「面談の」

 

 テスマは黄色い浮き輪を脇に抱えたまま、当然のように部屋へ入ってきた。肩には大きなスポーツバッグ。足にサンダル。スマホケースには「完全浸礼」と書かれたステッカーが貼られていた。

 面談の格好ではない。

 どう見ても、泳ぎに来た人だった。

 

「テスマさん。今日は定例礼拝への出席状況と、ドボン組の活動について話す場なのですが」

「うん。だから場所、変えよ」

「変えません」

「いや、変えた方がいいって。マジ空気重いし。サクちゃんさ、肩ガチガチよ」

「そんなことありません」

「とりま、水に流そ」

 

 とりま。以前テスマに教わった。

 とりあえず、まぁ。の略語らしい。

 なにが、とりあえずなのだろう。

 

「絶対に嫌です」

「なんで?」

「溺れかけたからです」

「お?ならモーマンタイ。ウチ泳げるから」

「沈めてきたのは、テスマさんです」

「そだっけ?」

「テスマさん」

 

 テスマはあっけからんと笑っている。

 怒るに怒れない。

 やっぱり水みたいにつかみどころのない人だ。

 

「テスマさん。座ってください」

「んー。絶対に、いやです」

「座ってください」

「プールサイド!プールサイドならいいっしょ?」

「テスマさん」

「サクちゃんお願ーい!ウチ申請しちゃったからさー!今プールにいないの、結構ヤバめなの!」

 

 サクラコはこめかみのあたりを押さえた。

 どうやら勝手に使用申請を出したらしい。

 たしかに、使うと言っておいて、その場に誰もいないのは問題になりそうだ。

 管理不行届。サクラコにとって馴染みのある言葉だ。

 

「ちな、申請書の責任者はサクちゃんにしといた」

「は?なぜですか」

「責任者じゃん」

「シスターフッドの、ですよね?」

「ドボン組もその一部じゃん」

 

 長い、長いため息が出てしまった。

 

「…………わかりました」

「マジ!?」

「問題になってはいけませんから」

「超ありがとー!サクちゃん最高!」

「ただし!私は、絶対に、プールに入りません!」

「りょりょー。んじゃ、いこっか」

 

 テスマは面談室を飛び出していった。

 最初から狙っていたのではないか。

 いや、そんな可能性は考えたくない。

 とりま。お茶を用意しなくて良かった。そう思うことにした。

 

・・・・・・・・・

 

「では始めます」

 

 トリニティの屋内プールは、昼下がりの光を受けて静かだった。

 高い天井。規則正しく並ぶコースロープ。水面には白い光が揺れている。誰もいなければ、神聖な場所のようにも見えた。

 誰もいなければ。

 

「やっぱ水辺っていいよねー」

 

 テスマはプールサイドを裸足で歩きながら、満足そうに伸びをした。

 サクラコは、プールサイドに置かれた椅子に座っていた。

 制服のままだ。

 礼装のままだ。

 絶対に入らないという意思表示だった。

 

「テスマさん」

「うん」

「私は泳ぎに来たのではありません」

「わーってるって」

 

 テスマは電動空気入れを起動した。

 けたたましい音が、プールに反響する。

 サクラコは目を閉じた。

 ペン子よりは静かだった。

 そう思ってしまった自分が、少し怖かった。

 

「なぜ、浮き輪を膨らませているのですか」

「んー。安全対策」

「テスマさん」

「いや。もしも。もしものためよ?」

「絶対に、私を、沈めないでください」

「それは、もち。てか、それ何回目よ?」

「13回目です」

「こまかっ!え?てかサクちゃんさー。リコの影響受けてね?結構強めに」

 

 目をそらした。

 図星だった。

 リコと対話するために、サクラコは色んなことを学んだ。

 そのせいで、ちょっと官僚的になってきたのかもしれない。

 ふと、膨らんでいく浮き輪を見た。サクラコは固まった。

 白いベール。

 小さな光輪。

 なぜか険しい目元。

 

「……テスマさん」

「おー?」

「これは、何ですか」

「サクちゃん浮き輪」

「浮き輪ですね」

「うん」

「……私に見えます」

「だからそう言ったじゃん」

「…………なるほど。サクちゃん浮き輪、という名前なのですね?」

 

 聞いていない。なんだこれは。

 サクラコは胃のあたりを押さえた。嫌な予感がしたからだ。

 テスマがスマートフォンの画面を見せてきた。

 ドボン組公式グッズと書かれた通販サイトだった。

 

「今なら半額セール中~」

「売っているのですか!?」

「アレちゃんが監修して、リコが発注して、ペンペンが宣伝した」

「ほぼ全員関与しているではありませんか!」

 

 テスマは浮き輪の側面を指差した。

 そこには金色の文字で、こう書かれていた。

 『沈んでも、サクラコ様が見ている』

 

「怖いです!」

「安心感あるっしょ」

「ありません!」

 

 お話を始める前からサクラコはすごく疲れた。

 深呼吸して息を整える。久しぶりに深く息を吸ったかもしれない。

 

「テスマさん。まずは出席記録の話からです」

「ういー」

「定例礼拝の欠席が多すぎます」

「あ、そう?」

「ドボン組の活動報告も遅れています」

「……それいつだっけ?」

「……さらに先月だけで、水に沈められたという苦情が八件」

「少ないじゃん」

「数の問題ではありません」

「さっきと言ってることちがくね?」

「テスマさん」

 

 サクラコはもう一枚、書類をめくった。

 

「……トイレに顔を沈められた、という苦情もありますが」

「あー。水場さ、そこしかなかった」

「汚いです」

「いやいや。意外と綺麗よ?トリニティの水道、すげーから」

「象徴として、トイレの水は汚いです」

「アレちゃんみたいなこと言うじゃん」

「違います」

「同義!」

 

 テスマは両手の指で架空の眼鏡を作り、眉間に皺を寄せた。

 どうやらエマの真似をしているらしい。

 ちょっと似ている。

 浮き輪が膨らみきった。

 テスマはそれをプールに投げた。

 ぽすん、と軽い音がした。

 

「生徒を水に沈めるのはやめてください」

「んー」

「テスマさん」

「でもさー」

 

 テスマはプールの縁に腰掛け、足だけ水に浸けた。

 

「沈むとわかるじゃん」

「何がですか」

「息できないって」

「当たり前です」

「あ!今の比喩表現ね」

「ひゆひょうげん……?」

 

 水面が小さく揺れた。

 

「苦しいって、頭じゃなくて身体でわかるっしょ。そーゆーこと」

「……それのどこが比喩なんですか?」

「えー。なんだろね」

「テスマさん」

「いやいやいや。そこはさ。ノリで流そ?な?」

「誤魔化さないでください」

「サクちゃんこそ揚げ足とんなし。エマっちみてーじゃん」

 

 そんなことはない。

 エマなら無視する。経典に関係のない話だから。

 そして今は、無視した方が正しかったかもしれない。

 話が、全然先に進まない。

 

「とにかく」

 

 サクラコは書類を持ち直した。

 

「沈めることは、危険です」

「当たり前じゃん」

「は?」

「危険だから、わかるんだよ」

「わかる、とは?」

 

 テスマの声は、軽い。

 でも、冗談ではなかった。

 

「沈んでる子ってさー、だいたい最初は、大丈夫って言うんだよね。全然大丈夫じゃないのに。平気な顔して、笑って、迷惑かけないようにして、ちゃんと息できてるふりしてる。わかってないの。なにもかも」

 

 サクラコは、書類を握る手に力を入れた。

 

「沈めれば、わかると?」

「そーそー」

 

 テスマはあっさり頷いた。

 

「沈めばさー、助けてーって言えるじゃん」

「そこまでする必要はありません」

「あるよ。んで、生まれ変わる」

「死にかけるでしょう」

「そこはほら。ウチいるし。モーマンタイ」

「私は、溺れかけました」

「で、戻ってきたじゃん。セーフセーフ」

「テスマさん」

 

 テスマは、水面を見つめていた。

 

「怒る子もいる。泣く子もいる。笑う子もいる。何も言えない子もいる。でも、一回沈めると、どこまで苦しいかが見える」

「見えるのは、テスマさんだけです」

「そうかな」

「そうです」

「救われた子もいるよ?」

 

 サクラコは言葉に詰まった。

 その言葉だけは、簡単に否定できなかった。

 ドボン組に関する苦情は多い。

 危険な行為も多い。

 間違っている。

 それは、今でも思っている。

 でも、感謝の声が沢山あることも知っていた。

 あの時、沈められてよかった。

 一度死んだ気がした。

 それから、少しだけ生きやすくなった。

 そう書かれた手紙を、サクラコは読んだことがある。

 読まなければよかった、と思ってしまった。

 だって、否定しきれなくなるから。

 

「……それでも」

 

 サクラコは言った。

 

「助けるために、苦しませないでください」

 

 テスマが顔を上げる。

 サクラコは、まっすぐテスマを見た。

 

「沈める前に、聞いてください。苦しいのか。助けてほしいのか。本当に、それを望んでいるのか」

 

 プールが静かになった。

 水の音だけが、遠くで揺れていた。

 

「サクちゃんさ」

「はい」

「それ、めっちゃ正論」

「なら」

「でも正論って、息できない子には届かなくね?」

 

 テスマの言葉が少しだけ固くなった。

 

「何から何まで理屈ってのは、ナシじゃね?」

「どういうことですか」

「なんか好き。なんかヤダ。なんか辛い。理屈じゃ説明できないものって多いよ、案外」

「……ペン子さんみたいですね」

「あー。近いかも?」

 

 サクラコは想像した。爆音ライブの中で、ハレルヤと叫ぶテスマを。

 なんかヤダ、と思ってしまった。

 

「でも、ペンペンとはちょい違うよ」

「違うのですか」

「うん。ペンペンは外に出すじゃん。音とか声とか火とか」

「火は出さないでほしいです」

「最近出してなくね?ま、それは置いといて。ウチは逆。中に潜る感じ」

「潜る」

「うん。水の中って、声出ないじゃん。だから、声になる前のやつがわかる」

「そんなバカな……」

「バカだよ?でも、それで救われる子もいる」

 

 やりにくい。

 サクラコはそう思った。

 テスマは、正しさを認めた上で、止まらない。

 それはそれ、これはこれ。そうやって流していく。

 それが一番困る。

 

「テスマさん。貴女は、自分のやり方が危険だと理解していますか」

「だからウチがやるんじゃん」

「テスマさん」

「じゃなきゃ、沈んでる子、救えねーし」

「沈めること自体が危険だと言っています」

「沈めるのはウチだけど、上がってくるのは本人じゃん」

「……詭弁です」

「かもね」

 

 サクラコは黙った。

 テスマは足で水を揺らした。

 笑っている。

 でも、その目は水面を見ていた。

 

「サクちゃんはさー。なんで逃げないの?」

「……シスターフッドのトップですから」

「いやいやいや。ネガサマ超逃げてたし」

「……継橋先輩が?」

「責任とかー会議とかー。もうね、何でも逃げてた。あとめっっっちゃ愚痴長い!」

「それは……知りませんでした」

「隠すのは上手かったかんねー。本質的に不真面目だったわマジ」

 

 テスマは水を軽く蹴った。

 

「ずっと泳ぐのって無理じゃん。どっかで息吸わないと。沈みっぱなし」

「……今のシスターフッドが、そうだと?」

「は?何の話?」

「沈んでいる。いえ、沈みっぱなしですね。そして、息苦しい」

「ウチの話聞いてた?全然ちげーよ」

 

 テスマは、サクラコを指差した。

 

「沈みっぱなしはアンタ。歌住サクラコサマのこと」

「私は……沈んでません」

「大丈夫。ウチ、マジで沈んでる人わかるから」

「それは思い込みです」

「かもね」

「テスマさん」

「なに?」

「今日の面談は、私を分析する場ではありません」

「でも、サクちゃんはウチを分析するじゃん」

「それは必要だからです」

「じゃあ、ウチも必要だからしてる」

 

 テスマは立ち上がった。

 水から足が上がる。

 雫がプールサイドに落ちた。

 

「サクちゃん、一回だけ入ろ」

「入りません」

「足だけ」

「入りません」

「じゃあ手だけ」

「入りません」

「裾だけ」

「なぜ段階的に沈めようとするのですか」

「完全浸礼は最後に取っとこうかなって」

「取っておかなくて結構です」

「え、今でいいの?」

「…………はい?」

「お!」

「待ってください。きっと意味を取り違えています」

「おっし!そんじゃ、本丸一気に攻め落としますか!」

 

 テスマが、にやりと笑った。

 その一瞬で、テスマが動いた。

 速かった。

 そして、強かった。

 

「テスマさん、何を」

「大丈夫。沈めない」

「その言葉は信用できません!」

「ほんとだよ?だってさー」

「きゃっ!?」

 

 視界が傾いた。

 次の瞬間、サクラコの身体は軽々と持ち上げられていた。

 横抱きだった。

 いわゆる、お姫様抱っこである。

 サクラコは一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 

「テスマさん!?」

「サクちゃん、軽っ」

「降ろしてください!」

「ちゃんと食べてる?」

「降ろしてください!」

「あー。首長は重いけど、サクちゃんは軽いんだね」

「詩的にまとめないでください!」

 

 テスマは笑っていた。

 悪びれた様子はまったくなかった。

 サクラコは暴れようとした。

 だが、テスマの腕はびくともしなかった。

 華奢に見えるのに、異様に力が強い。

 ドボン組の審問官。

 その異名の意味を、サクラコは今さら理解した。

 

「テスマさん、これは面談です!」

「こっからは完全浸礼」

「違います!」

「沈めるのはダメって、サクちゃん言ったじゃん」

「言いました!」

「だから一緒にドボンする」

「そういう意味ではありません!」

 

 テスマはプールサイドに立った。

 水面が夕方の光を揺らしている。

 サクラコは目を見開いた。

 

「待ってください。待って。本当に待ってください」

「大丈夫。ウチ、泳げるし」

「私の意志を確認してください!」

「確認するね」

「はい!」

「入る?」

「入りません!」

「そっか」

 

 テスマは頷いた。

 

「じゃ、ウチだけ入るね」

「はい!そうしてください!」

「サクちゃん持ったまま」

「確認とは何だったのですか!?」

 

 テスマは笑った。

 その笑顔が、夕方の光を受けて、少しだけ眩しく見えた。

 

「こっからは無許可でご案内しまーす」

「駄目です!」

「あとで好きなだけ怒ればいいからさ」

「今怒っています!」

「いいね。怒れるなら、まだ大丈夫」

 

 次の瞬間。

 テスマは、サクラコを抱えたまま、プールへ飛び込んだ。

 水音が弾けた。

 世界が青くなった。

 冷たさが、全身を包んだ。

 礼装が水を吸って重くなる。髪が浮く。音が遠のく。息が止まる。

 一瞬だけ、何も考えられなかった。

 ただ、水の中にいた。

 首長でもなく。

 シスターでもなく。

 ただ、水の中で目を丸くしている、歌住サクラコだった。

 テスマの腕が背中を支えた。

 でも、サクラコは自分で水面を蹴った。

 

「ぷはっ――!」

 

 サクラコは息を吸った。

 冷たい空気が肺に入る。

 咳き込む。

 髪から水が滴る。

 礼装は完全に濡れていた。

 最悪だった。

 神様なんて見えなかった。

 救いも、たぶんなかった。

 でも、なんか少しだけ良かった。

 

「ほら。戻ってきた」

「テスマさん!」

 

 声が、プールに響いた。

 自分でも驚くくらい、大きな声だった。

 

「おう!」

 

 テスマは隣で水に浮かびながら、満足そうに返事をした。

 

「貴女は!本当に!何を考えているのですか!」

「サクちゃんの顔、見たかった」

「またそれですか!」

 

 テスマは笑っていた。

 

「首長の顔じゃないやつ」

「プールに飛び込む必要はありません!」

「あるよ」

「ありません!」

「サクちゃん、今ちゃんと怒ってる」

「当たり前です!」

「いいね」

「なにがですか!?」

 

 両肩を掴んでテスマを揺らす。

 

「貴女は!いつもそうやって勝手に!どうして!」

「おー」

「私が!板挟みになって!どれだけ苦労して!」

「声出てんね。本心から」

 

 思わずサクラコは黙った。

 水が頬を伝った。

 涙ではない。

 たぶん。

 

「……テスマさん」

「うん」

「これは、絶対に許されることではありません」

「そっか」

「活動停止も検討します」

「重いね」

「当然です」

「サクちゃんは軽いのに」

「茶化さないでください!」

 

 また声が響いた。

 テスマは、少しだけ目を丸くした。

 それから、嬉しそうに笑った。

 

「いいじゃん」

「よくありません!」

「生きてる声じゃん」

 

 サクラコは、また黙った。

 水面が揺れている。

 夕方の光が、細かく砕けていた。

 礼装は重い。

 髪は濡れている。

 身体は冷たい。

 さっきの「なんか良かった」は、たぶん気のせいだ。

 そういうことにしたかった。

 けれど、胸の奥にあった硬いものが、少しだけほどけている気がした。

 最悪だった。

 本当に最悪だった。

 少しだけ楽になってしまったことが、何より最悪だった。

 

「……テスマさん」

「うん」

「次に同じことをしたら、本当に怒ります」

「今も怒ってるじゃん」

「今より怒ります」

「それは見たいかも」

「活動停止」

「ごめんって」

 

 テスマは素直に謝った。

 素直に謝られると、余計に困る。

 

「出席、増やす」

「本当ですか」

「うん。サクちゃん、沈みっぱなしだと困るし」

「それは出席理由として正しいのですか」

「知らね。でも行く」

 

 サクラコは、濡れた前髪を手で押さえた。

 テスマは笑った。

 サクラコは笑えなかった。

 でも、ほんの少しだけ、口元が緩みそうになった。

 プールから上がったあと、サクラコの礼装は水を吸って重くなっていた。

 テスマはタオルを差し出した。

 

「はいよ」

「用意していたのですか」

「当然っしょ」

「計画的犯行ですね」

「バレた?」

「反省してください」

「してる。ガチで」

 

 サクラコはタオルを受け取った。

 テスマは、濡れた髪を手で払いながら言った。

 

「サクちゃん」

「何ですか」

「沈んでる時は、言ってね」

 

 サクラコは、すぐには返事をしなかった。

 さっきまでなら、絶対に沈みません、と答えていた。

 でも、今は少しだけ違った。

 もしかしたら、そういう時もあるかもしれない。

 なんか、そう思った。

 

「……沈みそうになったら、考えます」

「おう!」

 

 テスマは満足そうに頷いた。

 プールの水面が静かに揺れていた。

 サクラコは、用意しなかったお茶のことを思い出した。

 正気を確認する時間。

 息継ぎ。

 それから、水面に顔を出した時の、冷たい空気。

 テスマのやり方は間違っている。

 絶対に間違っている。

 けれど、息ができた。

 気持ちいいくらいに。

 体験したからわかってしまった。

 それもまた、事実だった。

 サクラコは濡れた礼装の裾を握りしめた。

 水が一滴、落ちた。

 ぽたり。

 その音が、やけに大きく聞こえた。

 シスターフッドは今日も賑やかである。

 




次回はエマとの個人面談です。言葉の重みについての話です。
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