ようこそ根源があふれた魔法の学校へ   作:shinkyu10

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組分け帽子

 

 

 

 

列車を降りた瞬間、夜の冷気がローブの隙間から入り込んだ。

昼間の車内にこもっていた菓子と人いきれの匂いが、夜の外気に薄められていく。かわりに鼻へ届いたのは、湿った土と、草と、遠くにある水の匂いだった。

 

ホームは騒がしかった。

上級生らしい生徒たちは慣れた様子で荷物を引き、誰かと再会して笑い、暗い駅舎の先へ流れていく。

親の姿はない。

九と四分の三番線で別れた時点で、もう子どもだけの領域に入ったのだろう。

 

「イッチ年生! イッチ年生はこっちだ!」

 

大きな声が夜の駅に響いた。

人波の向こうに、巨大な男の姿が見える。

 

小山のような影だった。

肩幅も、手の大きさも、声の通り方も、人間の尺度から少し外れている。

 

漏れ鍋で見た背中を思い出した。

あの時も、人混みの中で一人だけ縮尺が違っていた。

 

ハリーの顔が、はっきり明るくなった。

 

「ハグリッドだ!」

 

その声には、安心感があった。

列車内でマルフォイを拒んだ時の硬さとは違う。知っている大人を見つけたような子どもの声だった。

ロンもハグリッドを見上げ、素直に圧倒されたような顔をしている。魔法界育ちのロンでさえ、この大きさは日常ではないらしい。

ハーマイオニーはすぐに姿勢を正し、ローブの襟元を整えた。緊張を作法で押さえ込もうとしているように見えた。

 

新入生たちは、ハグリッドの声に従って歩き始めた。

夜道は暗い。駅の灯りが後ろへ遠ざかるにつれて、足元は石から土へ変わった。湿った草が靴の側面を撫で、誰かの靴が小石に引っかかって鈍い音を立てる。

前の方で小さな悲鳴が上がった。

すぐに笑い声に変わる。

暗い道でつまずいただけらしい。

 

「ほんとに船で行くのかな」

 

ロンが小声で言った。

声は不安というより、隠しきれない期待に近かった。

 

「そう書いてあったと思うわ」

ハーマイオニーがすぐに答える。

「一年生は湖を渡るって。伝統なのよ、たぶん」

 

「たぶん?」

ロンが聞き返す。

 

「本によって書き方が違ったの。城へ初めて向かう時に湖を渡る、という記述と、入学の儀礼として扱われる、という記述があったわ」

 

「それ、同じじゃないのか?」

「同じとは限らないでしょう」

 

ロンが小さく顔をしかめた。

列車内で見た顔だった。

また面倒な話が始まる、という顔だ。

 

ハリーは二人のやり取りを聞きながらも、前方へ視線を戻していた。

暗がりの向こうを見ようとしている。

何を見逃しても損をする、とでもいうような目だった。

 

道が下り始めた。

 

水の匂いが濃くなる。

空気が冷え、周囲の声が少しだけ吸われていく。木々の枝が頭上で黒く重なり、その隙間からわずかに星が見えた。

やがて、視界が開いた。

 

湖だった。

 

黒い水面が広がっている。

夜空を映しているせいで、どこまでが水で、どこからが空なのか分かりにくい。

湖面はほとんど動いていない。だが完全な静止ではなく、岸辺に並ぶ小舟の影を、ゆっくりと揺らしていた。

岸には小さな船がいくつも用意されている。

一艘に四人。

大人が乗るには心許ないが、子ども四人ならどうにかなる大きさだった。

 

「四人ずつ乗るんだ! 落っこちるんじゃないぞ!」

 

ハグリッドの声が飛ぶ。

 

新入生たちは、少し混乱しながら船へ分かれていった。

さっきまで同じ流れにいたせいで、自然とハリー、ロン、ハーマイオニーと同じ船に乗る形になった。

 

船は思ったより低かった。

足を入れると、水が近い。

木の板は冷えていて、座った瞬間にローブ越しでも硬さが分かった。

 

ハリーは船の前方に座り、暗い湖面を見ている。

ロンは周囲の船を見回し、他の一年生がどう反応しているか気にしていた。兄たちから何か聞いていたのだろう。知っている側に立ちたい顔をしているのに、実際の空気にはまだ呑まれている。

ハーマイオニーは膝の上で手を組み、背筋を伸ばしている。けれど指先には力が入っていた。試験を待つ時の緊張とは少し違う。読んだ知識と実物の差に、身体の方が先に反応しているようだった。

 

「全員乗ったか!」

 

ハグリッドの声に、いくつかの船から返事が上がる。

 

船が動いた。

 

誰も漕いでいない。

櫂もない。

それなのに、小舟は静かに岸を離れた。

 

水面を切る音がする。

黒い湖が、船底の下でごく浅く鳴った。

隣の船から、誰かが「動いた」と声を上げる。別の船では、小さな笑い声が続いた。驚きと興奮が、暗い水の上を薄く渡っていく。

 

船は簡素な木造だった。

見る限り、エンジンや櫂のような推進機構はない。

水流が押しているわけでもない。

船底に魔力の細い流れがある。

だが、それは船そのものの力というより、湖面に敷かれた道をなぞっているようだった。

 

また、当たり前のように生活と魔法が混ざっている。

 

ロンが小さく笑った。

 

「ほら、船で行くんだ」

「知ってたの?」

 

ハリーが聞く。

 

「兄さんたちが言ってた。最初だけは船で行くって。でも、実際に乗ると……なんか、すげえな」

 

ロンの声が少し小さくなる。

知っていたことと、今ここで黒い湖を進むことは違う。

その差を、ロンも感じているらしかった。

 

「創立時代からの伝統だとしたら、象徴的な意味があるのかもしれないわ。湖を渡ることで、外の世界から学校の中へ入る、とか」

 

「船に乗ってるだけじゃないのか?」

 

「そうかもしれない。でも、学校が儀式として残しているなら、意味がないとは限らないでしょう」

 

その言葉は、悪くなかった。

 

意味がある。

ただし、本人が思っているよりも、たぶん深い。

 

船はゆっくり進む。

空気がさらに冷えた。

湖の表面は黒いのに、底の方に重いものが沈んでいるような感覚があった。水の深さではない。時間の厚み。土地に積もった記憶。呼吸の底に触れるような重さ。

 

最初に見えたのは、灯りだった。

 

黒い崖の上に、小さな光がいくつも浮かんでいる。

その光は、星ではない。

窓だ。

 

船が進むにつれて、灯りの周囲に石の輪郭が生まれる。

塔。

壁。

尖った屋根。

さらに高い塔。

夜空を背に、城が少しずつ姿を現していく。

 

新入生たちの間から、いくつもの声が漏れた。

 

「すごい」

「見て」

「本当にお城だ」

 

ハリーが息を呑んだ。

口が少し開いている。

何か言葉を探しているのに、何も出てこない顔だった。

ロンは、得意げに何かを言おうとして、結局黙った。兄から聞いていた話をここで披露するには、実物の方が大きすぎたのだろう。

ハーマイオニーは、目を見開いていた。さっきまで本の記述を頭の中で並べていたはずの顔が、今はただ城を見ている。

 

周囲の子どもたちは、城を見ていた。

 

大きい。綺麗。すごい。

たぶん、そういう反応でいいのだろう。

 

だが、エリアスには、そう見えなかった。

 

城ではない。

 

いや、城ではある。

石でできた壁があり、塔があり、窓があり、屋根がある。人工物としての形は、確かに城だ。

だが、目が拾っているものと、皮膚の奥で感じているものが一致しなかった。

 

湖。

岩盤。

崖。

城壁。

塔。

空気。

森。

 

それらが、ただ別々に存在しているのではない。

 

土地が、魔力を吸って、吐いている。

呼吸に近かった。

 

息を吸う時、胸郭だけが動くわけではない。肺、肋骨、横隔膜、喉、血流。その全部が一つの動きになる。

目の前の城も、それに近かった。

 

湖から上がる冷気。

岩の奥に沈む重さ。

崖に張りつく城壁。

塔の先へ抜ける空気。

遠くにある森の黒い線。

それらが、ばらばらの景色ではなく、一つの巨大な基盤としてつながっている。

 

人が建てた建築物というより、土地に刺さった器だった。

 

胸の奥が、少しだけ熱くなった。

 

興奮。

いや、恐怖に近い。

 

これは、人間が管理しきれる規模ではない。

そう思った瞬間、喉の奥が乾いた。

 

前世で見た時計塔は、人間が神秘を囲い込む場所だった。

隠し、積み、分類し、継承し、奪い合う場所だった。

魔術師が作った巣だった。

 

目の前の城は違う。

 

人間が神秘を囲っているのではない。

神秘の上に、人間の学校が載っている。

 

「本に載っていた絵より、ずっと……」

 

ハーマイオニーの声が途中で止まった。

 

続きを探している。

大きい、綺麗、立派。

どれも違うのだろう。

 

ロンがようやく口を開いた。

 

「兄さんたちは、最初に見た時のこと、あんまり大げさに言ってなかったんだな」

 

ハリーはただ見ていた。

 

目を逸らさない。

怖がっているようでも、笑っているようでもない。

ただ、自分がこれから入っていく場所を、逃げずに見ようとしている。

 

船は黒い水面を進む。

城は近づくほどに大きくなる。

灯りが増え、石の輪郭が濃くなり、塔の影が湖面へ落ちる。

 

アニマが籠の中で、ほとんど聞こえないほど小さく鳴いた。

 

その声で、ようやく指先に力が入っていたことに気づいた。

籠の取っ手を握る手が、少し冷たい。

 

船は崖の下へ近づいていく。

 

やがて、低い岩の口のような場所へ入った。

周囲の音が変わる。

湖上の広がりが消え、石に囲まれた水音になる。船底に当たる水の音が近くなり、前の船の生徒の小声までやけに大きく聞こえた。

 

短い水路を抜けると、船は地下のような入り江に着いた。

 

ハグリッドが先に上がり、新入生たちへ手を振る。

 

「足元に気をつけるんだぞ! 油断してると滑って落ちちまうぞ!」

 

言われたそばから、誰かが小さくよろけた。

笑い声が起きる。

緊張が少しだけほどけた。

 

船から降りると、石の床が靴の下で冷たく鳴った。

水の匂いが近い。

壁は湿っていて、古い岩の匂いがする。

上へ続く階段があり、その先に、城の明かりが漏れていた。

 

ハリーが見上げる。

ロンも見上げる。

ハーマイオニーはローブの裾を少し持ち上げ、階段の段差を確認していた。

 

城の内部へ入る前から、もう分かる。

ここは、ただの学校ではない。

ただし、それを言葉にすると何かを取り逃がす気がした。

 

ハグリッドが先導し、新入生たちは石段を上り始めた。

水音が背後へ下がっていく。

かわりに、城の奥から、大勢の人間の声と火の気配が近づいてきた。

 

 

 

 


 

 

 

 

石段を上るにつれて、水音は少しずつ遠ざかっていった。

かわりに近づいてきたのは、人の声と火の気配だった。大勢の人間が同じ場所に集まっている時の熱が、石の壁の奥からじわりと漏れている。

 

階段は古かった。

踏みしめるたびに靴底へ硬い感触が返ってくる。

端はわずかに削れ、中央は長い年月で滑らかになっていた。何百年分の足が、この石を同じ方向へ削ったのだろう。

水の匂いに、松明の煙と古い石の匂いが混ざる。

湖の上で感じた巨大な呼吸は、まだ体の奥に残っていた。

 

ハグリッドは先頭で新入生たちを導いている。

大きな背中が、石壁の間を進むたびに影を揺らした。

 

「こっちだ。押すんじゃねーぞ! みんな入れるんだからな!」

 

声は大きいが、乱暴ではない。

不器用なほど大ざっぱで、けれど子どもたちを怖がらせない温度がある。

 

ハリーはその背中を追っていた。

湖上で城を見た時とは違う顔だった。圧倒されたまま、そこへ知っている大人の影が前にあることで、どうにか足元を確かめているように見える。

ロンは周囲を気にしている。兄たちが話していた場所に、自分も今いるのだと確かめるような目だった。

ハーマイオニーは緊張した顔でローブの裾を整えていた。乱れがあると減点されるとでも思っているのかもしれない。

 

階段を上り切ると、大きな扉の前に出た。

 

扉は重そうだった。

木と鉄。厚み。古い傷。

ただの入口ではない。

外から内へ、湖から城へ、子どもから生徒へ切り替えるための境界に見える。

 

ハグリッドが拳で扉を叩いた。

 

低い音が響いた。

 

少しして、扉が開いた。

 

そこに立っていたのは、背の高い魔女だった。

 

黒い髪をきちんと結い、濃い色のローブを隙なくまとっている。背筋はまっすぐで、口元には余計な緩みがない。目だけで、生徒の列を整えられる人間の目だった。

 

駅でも、湖でも、新入生たちはずっとざわついていた。

そのざわめきが、彼女の視線を受けただけで細くなる。

 

教師。

それは間違いない。

 

だが、それ以上に、儀式を乱させない管理者に見えた。

 

「一年生を連れてまいりました、マクゴナガル教授」

 

ハグリッドが言った。

 

普段の砕けた調子ではない。

声も、姿勢も、わずかに整っている。

 

「ありがとう、ハグリッド。ここからは私が引き受けます」

 

声は高くない。

大きくもない。

それでも、列の後ろまできちんと届いた。

 

ハグリッドは満足そうにうなずき、横へ下がる。

マクゴナガル教授と呼ばれた魔女は、新入生たちを見渡した。

 

「ようこそ、ホグワーツへ」

 

その言葉で、誰かが小さく息を呑んだ。

 

歓迎の言葉なのに、甘さはなかった。

門が開かれたのではない。規則の内側へ入ることを許された。そんな響きだった。

 

「入学式はまもなく始まります。その前に、皆さんは組分けを受けます」

 

組分け。

 

列のあちこちで緊張が走る。

 

ロンの肩がわずかに上がった。

ハリーの視線が一瞬ロンへ動く。

ハーマイオニーは口元を引き結んだ。試験前の顔だ。

 

マクゴナガル教授は続ける。

 

四つの寮。

グリフィンドール。

ハッフルパフ。

レイブンクロー。

スリザリン。

 

それぞれの寮で生活し、学び、点を得たり失ったりする。寮の得点は一年を通して集計され、最後に寮杯が与えられる。

 

説明は短く、無駄がなかった。

だが、その短さの中に、学校生活の構造がほとんど詰まっている。

 

所属。

共同生活。

競争。

評価。

報酬。

 

子どもたちは入学して最初に、個人ではなく寮の一員になる。

この学校は、学問の前に所属を与える。

 

マクゴナガル教授は、小部屋へ新入生たちを入れた。

 

扉の向こうからは、大勢の声が聞こえていた。

数百人分のざわめき。食器の触れる音。誰かが笑う声。椅子が床をこする音。

壁越しなのに、音に温度がある。

 

小部屋の中は狭かった。

 

新入生たちは互いの肩に触れそうな距離で立っている。誰も大声を出さない。大広間から漏れてくる音があるせいで、かえって自分たちの緊張が浮き上がる。

 

「試験みたいなものかしら」

 

ハーマイオニーが小さく呟いた。

誰に言ったというより、自分の中の不安を言葉で整えたようだった。

 

「試験なら、事前に何か教えてくれるはずだろ」

 

ロンが言う。

声は強がっているが、口元は硬い。

 

「教えられていないからこそ、基本能力を見るのかもしれないわ」

 

「やめろよ、そういうの」

 

ハリーは黙っていた。

目が小部屋の扉へ向いている。中で何が待っているのか、知らないまま待たされることに慣れていない顔だった。

 

マクゴナガル教授が去った扉の向こうに、意識が残る。

 

組分けの方法は説明されていない。

 

呪文か。

実技か。

筆記か。

血統か。

性格か。

 

いや。

 

あの言い方は、能力試験の前置きではなかった。

もっと儀式的なものに近い。

全員が受け、全員がその結果を受け入れるもの。

 

精神へ触れる可能性がある。

 

その考えが、また首の後ろを冷やした。

 

もしそうなら、問題はどの寮に配属されるかではない。

誰が、何を、どこまで読むのか。

本人の同意はどこにあるのか。

読まれたものは残るのか。

記憶に触れるのか、欲望に触れるのか、魂の縁に触れるのか。

 

周囲の新入生たちは、そこを気にしていない。

怖がっているのは、失敗すること、恥をかくこと、自分がどの寮へ行くかということだ。

 

それが普通なのだろう。

普通で済ませていいのかは、別の話だった。

 

やがて、マクゴナガル教授が戻ってきた。

 

「並びなさい」

 

一言で、小部屋の空気が変わる。

 

誰かが慌ててローブの襟を直した。

ロンも背筋を伸ばす。

ハーマイオニーは深く息を吸った。

ハリーは一度だけ手を握り、開いた。

 

列が動く。

 

扉が開いた。

 

大広間へ入った。

 

最初に見えたのは、空だった。

 

天井がないのかと思った。

 

夜空。

星。

雲。

ゆっくり流れる暗い青。

 

だが、ここは城の内部だ。

湖から階段を上り、大扉を抜け、小部屋を通って入ってきた。

物理的な天井はあるはずだった。高さにも限界があるはずだった。

それなのに、頭上には外の空が広がっている。

 

周囲から小さな歓声が上がった。

 

「本で読んだわ!」

 

ハーマイオニーが小声で言う。

 

「外の空に合わせて魔法がかけられているって」

 

言葉は知っている。

だが、声には少しだけ揺れがあった。

 

読んだことと、頭上に空があることは違う。

 

浮かぶ蝋燭。

四つの長机。

寮ごとの色。

奥の教師席。

壁に反響する声。

上級生たちの視線。

 

神秘の無駄遣いだ。

 

最初に浮かんだのは、それだった。

 

照明なら燭台でいい。

天井を空に見せる必要はない。

食堂なら、机と椅子と食事があればよい。

空を模す術を維持するだけでも、相当な負荷があるはずだ。

 

だが、すぐに考えがずれる。

 

これは見せるための魔法だ。

 

新入生に、自分たちは普通の学校に来たのではないと最初に叩き込む。

数百人の視線の中、四つの寮の前に立たせ、頭上には本物と見紛う空を置く。

ここでは魔法が生活であり、権威であり、演出であり、秩序であると、言葉ではなく景色で理解させる。

 

合理的だった。

 

実用ではなく、支配のために合理的だ。

 

大広間の中央には、古びた帽子が置かれていた。

 

椅子の上に載っている。

破れ、汚れ、つぎはぎだらけ。

それだけなら、古い備品で済む。

 

だが、皆の視線がそこへ向かっていた。

あれが、儀式の中心らしい。

 

帽子が口を開き、唐突に歌い始めた。

 

 

おや。

わしを見て、きれいな帽子とは思わんかもしれん。

じゃが、見かけだけで判断してはいかんぞ。

わしより賢い帽子を見つけたなら、

この身を食ってみせようぞ。

 

黒い山高帽もよかろう。

つやつや背高のシルクハットもよかろう。

じゃが、わしこそホグワーツの組分け帽子。

どんな帽子にも負けはせん。

 

おまえの頭の中に隠れたものも、

わしの目からは逃れられぬ。

さあ、わしをかぶってみるがよい。

おまえの行くべき寮を教えてやろう。

 

勇敢な心を持つならば、

グリフィンドールが似合うかもしれん。

大胆さ、度胸、騎士道精神、

それこそがグリフィンドールのしるし。

 

正しく、誠実であるならば、

ハッフルパフが待っておる。

忍耐強きハッフルパフは真の友、

骨折り仕事も恐れはせぬ。

 

賢き古きレイブンクローもよかろう。

頭の冴えた者ならば、

機知と学びを愛する仲間を、

きっとそこに見つけるじゃろう。

 

あるいはスリザリンかもしれぬ。

そこでは本当の友を得るじゃろう。

抜け目なき者たちは、目的のためなら、

どんな手段も使うもの。

 

さあ、かぶれ! 恐れるでない!

慌てふためくこともない!

わしには手こそないが、安心せよ。

なにしろわしは、考える帽子なのじゃ!

 

 

新入生たちの間に、明らかな動揺が走る。

ロンも目を丸くした。

ハリーは口を少し開けたまま帽子を見ている。

ハーマイオニーでさえ、瞬きが少し遅れた。

 

問題は、歌うことではない。

 

知性ある道具を、儀式の中核に据えていることだ。

 

杖が選ぶ。

梟が選ぶ。

菓子が逃げる。

肖像が動く。

カードの中の人物が消える。

そして今度は、帽子が歌い、人を選ぶ。

 

この世界は、道具と人格の境界が緩すぎる。

 

帽子の歌は、四つの寮を語っていた。

 

勇気。

誠実。

知性。

野心。

 

それは学科分けではなく、能力別でもない。

価値観による選別だった。

 

学ぶ前に、まず所属させる。

知識や技術ではなく、何を尊ぶかで分ける。

 

大広間の空気は、その仕組みを当然のものとして受け入れている。

上級生たちは笑い、拍手し、新入生たちは自分の名前を待っている。

 

歌が終わると、拍手が起きた。

 

拍手はしなかった。

 

指先が少し冷たい。

 

なぜ、これが許されている。

 

頭にかぶる。

思考へ触れる。

価値観を読む。

所属を告げる。

 

本人は拒めるのか。

どこまで読まれるのか。

記憶か、感情か、欲望か。

魂へ届くのか。

 

周囲は、そんなことを気にしていない。

それが一番気味悪かった。

 

マクゴナガル教授が巻物を開いた。

 

「名前を呼ばれたら、帽子を被って椅子に座りなさい」

 

方法は、あまりにも単純だった。

 

名前を呼ばれる。

椅子に座る。

帽子をかぶる。

寮が決まる。

 

単純すぎる。

 

だが、単純なものほど恐ろしい時がある。

 

「アボット・ハンナ」

 

最初の生徒が呼ばれた。

 

椅子に座り、帽子をかぶる。

帽子が叫ぶ。

寮の卓が歓声を上げる。

 

それだけだった。

それだけで、所属が決まる。

 

生徒たちは、呼ばれるたびに大広間の前へ進み、帽子の下でほんの数秒、あるいは少し長い時間を過ごし、それぞれの寮へ送られていった。

 

「グレンジャー・ハーマイオニー」

 

ハーマイオニーが呼ばれた。

 

彼女は速足で椅子へ向かった。

緊張はしている。だが、逃げる顔ではない。

試験に向かう生徒の顔だった。

 

帽子が頭に載る。

少し考えるような間があった。

 

「グリフィンドール!」

 

ロンが小さく呻いた。

 

「あれでレイブンクローじゃなくてグリフィンドールかよ」

 

声は小さかったが、十分聞こえた。

 

ハーマイオニーは帽子を外し、グリフィンドールの卓へ向かった。

どこか誇らしげだった。

正しい答えを得た者の歩き方に近い。

 

その後も何人かの新入生が呼ばれた。

 

静かにスリザリンへ向かう金髪の少女。

青ざめた顔の少年。

帽子を被って肩を震わせる少女。

拍手に照れたように笑う男子生徒。

 

ドラコ・マルフォイは、ほとんど帽子が頭に触れないうちにスリザリンへ送られた。

 

マルフォイの顔に驚きはなかった。

スリザリン卓からは、抑えた歓声が上がる。

グリフィンドールとは熱の質が違う。大きく騒ぐよりも、受け入れ、測り、席を空ける空気だった。

 

「ポッター・ハリー」

 

そして、ハリー・ポッターの名が呼ばれた。

 

大広間の空気が変わった。

 

ざわめきが、波のように広がる。

首が動く。

視線が集まる。

名前が小さく繰り返される。

 

ハリーは歩いていく。

 

顔は少し硬い。

それでも、足は止まらない。

列車内でマルフォイの手を見た時と似ていた。怖がっているというより、何かを選ばされる前に、逃げずにその場所へ行く顔だ。

 

椅子に座る。

 

帽子が頭に置かれた。

 

沈黙。

 

他の生徒より、長い。

 

大広間のざわめきが薄くなる。

ロンが待機列から心配そうに見つめており、ハーマイオニーも、グリフィンドールの卓から少し身を乗り出していた。マルフォイはスリザリン卓で口元を引き締め、何かを待つように見ている。

 

ハリーと帽子の間で何が交わされているのかは、分からない。

だが、何かが起きている。

 

ハリーの指先がわずかに動いた。

肩は固い。

顔は帽子のつばに隠れて、よく見えない。

 

ただの適性判断ではない。

 

帽子は、選択肢を示しているのかもしれない。

あるいは、本人の中にある反応を待っているのかもしれない。

 

どちらにしても、結果は一方的に決まっていない。

 

適性だけではない。

本人の意思が、結果へ干渉しているのか。

 

やがて、帽子が叫んだ。

 

「グリフィンドール!」

 

歓声が爆発した。

 

グリフィンドールの卓が、まるで試合に勝ったように騒ぎ出す。

上級生たちが立ち上がり、手を叩き、ハリーを迎える。

 

ハリーは帽子を外した。

 

椅子から降りる時、ほんの少しだけふらついたように見えた。

けれど、グリフィンドールの卓へ向かう足取りは軽かった。

 

選んだのか。

そう思った。

 

少なくとも、選ばされただけではない。

 

ハリー・ポッターは、自分の行き先へ何かを差し込んだ。

適性だけで決まるなら、あの長い沈黙は不要だったはずだ。

 

人は、適性だけで所属するのではない。

選択で、運命を変えることがある。

 

その事実は、奇妙に重かった。

 

ハリーはグリフィンドールの席に座り、近くの上級生と短く言葉を交わした。

少しだけ笑っている。

その笑いは、列車内で見たものより軽かった。

 

大広間のざわめきが、次の名前を待つざわめきへ戻っていく。

 

マクゴナガル教授が巻物へ目を落とした。

 

「ウィーズリー・ロナルド」

 

ロンが呼ばれた。

 

ロンは明らかに緊張していた。

耳が赤い。

歩き方が少し硬い。

けれど、顔にはどこか覚悟もあった。ハリーや兄たちの後に続く場所へ行くのだと、自分に言い聞かせているようだった。

 

帽子はすぐにグリフィンドールを叫んだ。

 

ロンの肩から力が抜けた。

グリフィンドールの卓から大きな歓声が上がった。ハリーも大げさに拍手をしている。赤毛の上級生たちが、特に派手に騒いでいた。

 

ロンは照れくさそうにその卓へ向かい、ハリーと笑い合っていた。

 

組分け前の待機列には、もうほとんど人が残っていない。

 

マクゴナガル教授が巻物へ目を落とす。

 

「レン・エリアス」

 

名前が呼ばれた。

 

大広間の音が、少し遠くなる。

椅子の上の帽子だけが、急に近く見えた。

 

 

 

 

 

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