列車を降りた瞬間、夜の冷気がローブの隙間から入り込んだ。
昼間の車内にこもっていた菓子と人いきれの匂いが、夜の外気に薄められていく。かわりに鼻へ届いたのは、湿った土と、草と、遠くにある水の匂いだった。
ホームは騒がしかった。
上級生らしい生徒たちは慣れた様子で荷物を引き、誰かと再会して笑い、暗い駅舎の先へ流れていく。
親の姿はない。
九と四分の三番線で別れた時点で、もう子どもだけの領域に入ったのだろう。
「イッチ年生! イッチ年生はこっちだ!」
大きな声が夜の駅に響いた。
人波の向こうに、巨大な男の姿が見える。
小山のような影だった。
肩幅も、手の大きさも、声の通り方も、人間の尺度から少し外れている。
漏れ鍋で見た背中を思い出した。
あの時も、人混みの中で一人だけ縮尺が違っていた。
ハリーの顔が、はっきり明るくなった。
「ハグリッドだ!」
その声には、安心感があった。
列車内でマルフォイを拒んだ時の硬さとは違う。知っている大人を見つけたような子どもの声だった。
ロンもハグリッドを見上げ、素直に圧倒されたような顔をしている。魔法界育ちのロンでさえ、この大きさは日常ではないらしい。
ハーマイオニーはすぐに姿勢を正し、ローブの襟元を整えた。緊張を作法で押さえ込もうとしているように見えた。
新入生たちは、ハグリッドの声に従って歩き始めた。
夜道は暗い。駅の灯りが後ろへ遠ざかるにつれて、足元は石から土へ変わった。湿った草が靴の側面を撫で、誰かの靴が小石に引っかかって鈍い音を立てる。
前の方で小さな悲鳴が上がった。
すぐに笑い声に変わる。
暗い道でつまずいただけらしい。
「ほんとに船で行くのかな」
ロンが小声で言った。
声は不安というより、隠しきれない期待に近かった。
「そう書いてあったと思うわ」
ハーマイオニーがすぐに答える。
「一年生は湖を渡るって。伝統なのよ、たぶん」
「たぶん?」
ロンが聞き返す。
「本によって書き方が違ったの。城へ初めて向かう時に湖を渡る、という記述と、入学の儀礼として扱われる、という記述があったわ」
「それ、同じじゃないのか?」
「同じとは限らないでしょう」
ロンが小さく顔をしかめた。
列車内で見た顔だった。
また面倒な話が始まる、という顔だ。
ハリーは二人のやり取りを聞きながらも、前方へ視線を戻していた。
暗がりの向こうを見ようとしている。
何を見逃しても損をする、とでもいうような目だった。
道が下り始めた。
水の匂いが濃くなる。
空気が冷え、周囲の声が少しだけ吸われていく。木々の枝が頭上で黒く重なり、その隙間からわずかに星が見えた。
やがて、視界が開いた。
湖だった。
黒い水面が広がっている。
夜空を映しているせいで、どこまでが水で、どこからが空なのか分かりにくい。
湖面はほとんど動いていない。だが完全な静止ではなく、岸辺に並ぶ小舟の影を、ゆっくりと揺らしていた。
岸には小さな船がいくつも用意されている。
一艘に四人。
大人が乗るには心許ないが、子ども四人ならどうにかなる大きさだった。
「四人ずつ乗るんだ! 落っこちるんじゃないぞ!」
ハグリッドの声が飛ぶ。
新入生たちは、少し混乱しながら船へ分かれていった。
さっきまで同じ流れにいたせいで、自然とハリー、ロン、ハーマイオニーと同じ船に乗る形になった。
船は思ったより低かった。
足を入れると、水が近い。
木の板は冷えていて、座った瞬間にローブ越しでも硬さが分かった。
ハリーは船の前方に座り、暗い湖面を見ている。
ロンは周囲の船を見回し、他の一年生がどう反応しているか気にしていた。兄たちから何か聞いていたのだろう。知っている側に立ちたい顔をしているのに、実際の空気にはまだ呑まれている。
ハーマイオニーは膝の上で手を組み、背筋を伸ばしている。けれど指先には力が入っていた。試験を待つ時の緊張とは少し違う。読んだ知識と実物の差に、身体の方が先に反応しているようだった。
「全員乗ったか!」
ハグリッドの声に、いくつかの船から返事が上がる。
船が動いた。
誰も漕いでいない。
櫂もない。
それなのに、小舟は静かに岸を離れた。
水面を切る音がする。
黒い湖が、船底の下でごく浅く鳴った。
隣の船から、誰かが「動いた」と声を上げる。別の船では、小さな笑い声が続いた。驚きと興奮が、暗い水の上を薄く渡っていく。
船は簡素な木造だった。
見る限り、エンジンや櫂のような推進機構はない。
水流が押しているわけでもない。
船底に魔力の細い流れがある。
だが、それは船そのものの力というより、湖面に敷かれた道をなぞっているようだった。
また、当たり前のように生活と魔法が混ざっている。
ロンが小さく笑った。
「ほら、船で行くんだ」
「知ってたの?」
ハリーが聞く。
「兄さんたちが言ってた。最初だけは船で行くって。でも、実際に乗ると……なんか、すげえな」
ロンの声が少し小さくなる。
知っていたことと、今ここで黒い湖を進むことは違う。
その差を、ロンも感じているらしかった。
「創立時代からの伝統だとしたら、象徴的な意味があるのかもしれないわ。湖を渡ることで、外の世界から学校の中へ入る、とか」
「船に乗ってるだけじゃないのか?」
「そうかもしれない。でも、学校が儀式として残しているなら、意味がないとは限らないでしょう」
その言葉は、悪くなかった。
意味がある。
ただし、本人が思っているよりも、たぶん深い。
船はゆっくり進む。
空気がさらに冷えた。
湖の表面は黒いのに、底の方に重いものが沈んでいるような感覚があった。水の深さではない。時間の厚み。土地に積もった記憶。呼吸の底に触れるような重さ。
最初に見えたのは、灯りだった。
黒い崖の上に、小さな光がいくつも浮かんでいる。
その光は、星ではない。
窓だ。
船が進むにつれて、灯りの周囲に石の輪郭が生まれる。
塔。
壁。
尖った屋根。
さらに高い塔。
夜空を背に、城が少しずつ姿を現していく。
新入生たちの間から、いくつもの声が漏れた。
「すごい」
「見て」
「本当にお城だ」
ハリーが息を呑んだ。
口が少し開いている。
何か言葉を探しているのに、何も出てこない顔だった。
ロンは、得意げに何かを言おうとして、結局黙った。兄から聞いていた話をここで披露するには、実物の方が大きすぎたのだろう。
ハーマイオニーは、目を見開いていた。さっきまで本の記述を頭の中で並べていたはずの顔が、今はただ城を見ている。
周囲の子どもたちは、城を見ていた。
大きい。綺麗。すごい。
たぶん、そういう反応でいいのだろう。
だが、エリアスには、そう見えなかった。
城ではない。
いや、城ではある。
石でできた壁があり、塔があり、窓があり、屋根がある。人工物としての形は、確かに城だ。
だが、目が拾っているものと、皮膚の奥で感じているものが一致しなかった。
湖。
岩盤。
崖。
城壁。
塔。
空気。
森。
それらが、ただ別々に存在しているのではない。
土地が、魔力を吸って、吐いている。
呼吸に近かった。
息を吸う時、胸郭だけが動くわけではない。肺、肋骨、横隔膜、喉、血流。その全部が一つの動きになる。
目の前の城も、それに近かった。
湖から上がる冷気。
岩の奥に沈む重さ。
崖に張りつく城壁。
塔の先へ抜ける空気。
遠くにある森の黒い線。
それらが、ばらばらの景色ではなく、一つの巨大な基盤としてつながっている。
人が建てた建築物というより、土地に刺さった器だった。
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
興奮。
いや、恐怖に近い。
これは、人間が管理しきれる規模ではない。
そう思った瞬間、喉の奥が乾いた。
前世で見た時計塔は、人間が神秘を囲い込む場所だった。
隠し、積み、分類し、継承し、奪い合う場所だった。
魔術師が作った巣だった。
目の前の城は違う。
人間が神秘を囲っているのではない。
神秘の上に、人間の学校が載っている。
「本に載っていた絵より、ずっと……」
ハーマイオニーの声が途中で止まった。
続きを探している。
大きい、綺麗、立派。
どれも違うのだろう。
ロンがようやく口を開いた。
「兄さんたちは、最初に見た時のこと、あんまり大げさに言ってなかったんだな」
ハリーはただ見ていた。
目を逸らさない。
怖がっているようでも、笑っているようでもない。
ただ、自分がこれから入っていく場所を、逃げずに見ようとしている。
船は黒い水面を進む。
城は近づくほどに大きくなる。
灯りが増え、石の輪郭が濃くなり、塔の影が湖面へ落ちる。
アニマが籠の中で、ほとんど聞こえないほど小さく鳴いた。
その声で、ようやく指先に力が入っていたことに気づいた。
籠の取っ手を握る手が、少し冷たい。
船は崖の下へ近づいていく。
やがて、低い岩の口のような場所へ入った。
周囲の音が変わる。
湖上の広がりが消え、石に囲まれた水音になる。船底に当たる水の音が近くなり、前の船の生徒の小声までやけに大きく聞こえた。
短い水路を抜けると、船は地下のような入り江に着いた。
ハグリッドが先に上がり、新入生たちへ手を振る。
「足元に気をつけるんだぞ! 油断してると滑って落ちちまうぞ!」
言われたそばから、誰かが小さくよろけた。
笑い声が起きる。
緊張が少しだけほどけた。
船から降りると、石の床が靴の下で冷たく鳴った。
水の匂いが近い。
壁は湿っていて、古い岩の匂いがする。
上へ続く階段があり、その先に、城の明かりが漏れていた。
ハリーが見上げる。
ロンも見上げる。
ハーマイオニーはローブの裾を少し持ち上げ、階段の段差を確認していた。
城の内部へ入る前から、もう分かる。
ここは、ただの学校ではない。
ただし、それを言葉にすると何かを取り逃がす気がした。
ハグリッドが先導し、新入生たちは石段を上り始めた。
水音が背後へ下がっていく。
かわりに、城の奥から、大勢の人間の声と火の気配が近づいてきた。
石段を上るにつれて、水音は少しずつ遠ざかっていった。
かわりに近づいてきたのは、人の声と火の気配だった。大勢の人間が同じ場所に集まっている時の熱が、石の壁の奥からじわりと漏れている。
階段は古かった。
踏みしめるたびに靴底へ硬い感触が返ってくる。
端はわずかに削れ、中央は長い年月で滑らかになっていた。何百年分の足が、この石を同じ方向へ削ったのだろう。
水の匂いに、松明の煙と古い石の匂いが混ざる。
湖の上で感じた巨大な呼吸は、まだ体の奥に残っていた。
ハグリッドは先頭で新入生たちを導いている。
大きな背中が、石壁の間を進むたびに影を揺らした。
「こっちだ。押すんじゃねーぞ! みんな入れるんだからな!」
声は大きいが、乱暴ではない。
不器用なほど大ざっぱで、けれど子どもたちを怖がらせない温度がある。
ハリーはその背中を追っていた。
湖上で城を見た時とは違う顔だった。圧倒されたまま、そこへ知っている大人の影が前にあることで、どうにか足元を確かめているように見える。
ロンは周囲を気にしている。兄たちが話していた場所に、自分も今いるのだと確かめるような目だった。
ハーマイオニーは緊張した顔でローブの裾を整えていた。乱れがあると減点されるとでも思っているのかもしれない。
階段を上り切ると、大きな扉の前に出た。
扉は重そうだった。
木と鉄。厚み。古い傷。
ただの入口ではない。
外から内へ、湖から城へ、子どもから生徒へ切り替えるための境界に見える。
ハグリッドが拳で扉を叩いた。
低い音が響いた。
少しして、扉が開いた。
そこに立っていたのは、背の高い魔女だった。
黒い髪をきちんと結い、濃い色のローブを隙なくまとっている。背筋はまっすぐで、口元には余計な緩みがない。目だけで、生徒の列を整えられる人間の目だった。
駅でも、湖でも、新入生たちはずっとざわついていた。
そのざわめきが、彼女の視線を受けただけで細くなる。
教師。
それは間違いない。
だが、それ以上に、儀式を乱させない管理者に見えた。
「一年生を連れてまいりました、マクゴナガル教授」
ハグリッドが言った。
普段の砕けた調子ではない。
声も、姿勢も、わずかに整っている。
「ありがとう、ハグリッド。ここからは私が引き受けます」
声は高くない。
大きくもない。
それでも、列の後ろまできちんと届いた。
ハグリッドは満足そうにうなずき、横へ下がる。
マクゴナガル教授と呼ばれた魔女は、新入生たちを見渡した。
「ようこそ、ホグワーツへ」
その言葉で、誰かが小さく息を呑んだ。
歓迎の言葉なのに、甘さはなかった。
門が開かれたのではない。規則の内側へ入ることを許された。そんな響きだった。
「入学式はまもなく始まります。その前に、皆さんは組分けを受けます」
組分け。
列のあちこちで緊張が走る。
ロンの肩がわずかに上がった。
ハリーの視線が一瞬ロンへ動く。
ハーマイオニーは口元を引き結んだ。試験前の顔だ。
マクゴナガル教授は続ける。
四つの寮。
グリフィンドール。
ハッフルパフ。
レイブンクロー。
スリザリン。
それぞれの寮で生活し、学び、点を得たり失ったりする。寮の得点は一年を通して集計され、最後に寮杯が与えられる。
説明は短く、無駄がなかった。
だが、その短さの中に、学校生活の構造がほとんど詰まっている。
所属。
共同生活。
競争。
評価。
報酬。
子どもたちは入学して最初に、個人ではなく寮の一員になる。
この学校は、学問の前に所属を与える。
マクゴナガル教授は、小部屋へ新入生たちを入れた。
扉の向こうからは、大勢の声が聞こえていた。
数百人分のざわめき。食器の触れる音。誰かが笑う声。椅子が床をこする音。
壁越しなのに、音に温度がある。
小部屋の中は狭かった。
新入生たちは互いの肩に触れそうな距離で立っている。誰も大声を出さない。大広間から漏れてくる音があるせいで、かえって自分たちの緊張が浮き上がる。
「試験みたいなものかしら」
ハーマイオニーが小さく呟いた。
誰に言ったというより、自分の中の不安を言葉で整えたようだった。
「試験なら、事前に何か教えてくれるはずだろ」
ロンが言う。
声は強がっているが、口元は硬い。
「教えられていないからこそ、基本能力を見るのかもしれないわ」
「やめろよ、そういうの」
ハリーは黙っていた。
目が小部屋の扉へ向いている。中で何が待っているのか、知らないまま待たされることに慣れていない顔だった。
マクゴナガル教授が去った扉の向こうに、意識が残る。
組分けの方法は説明されていない。
呪文か。
実技か。
筆記か。
血統か。
性格か。
いや。
あの言い方は、能力試験の前置きではなかった。
もっと儀式的なものに近い。
全員が受け、全員がその結果を受け入れるもの。
精神へ触れる可能性がある。
その考えが、また首の後ろを冷やした。
もしそうなら、問題はどの寮に配属されるかではない。
誰が、何を、どこまで読むのか。
本人の同意はどこにあるのか。
読まれたものは残るのか。
記憶に触れるのか、欲望に触れるのか、魂の縁に触れるのか。
周囲の新入生たちは、そこを気にしていない。
怖がっているのは、失敗すること、恥をかくこと、自分がどの寮へ行くかということだ。
それが普通なのだろう。
普通で済ませていいのかは、別の話だった。
やがて、マクゴナガル教授が戻ってきた。
「並びなさい」
一言で、小部屋の空気が変わる。
誰かが慌ててローブの襟を直した。
ロンも背筋を伸ばす。
ハーマイオニーは深く息を吸った。
ハリーは一度だけ手を握り、開いた。
列が動く。
扉が開いた。
大広間へ入った。
最初に見えたのは、空だった。
天井がないのかと思った。
夜空。
星。
雲。
ゆっくり流れる暗い青。
だが、ここは城の内部だ。
湖から階段を上り、大扉を抜け、小部屋を通って入ってきた。
物理的な天井はあるはずだった。高さにも限界があるはずだった。
それなのに、頭上には外の空が広がっている。
周囲から小さな歓声が上がった。
「本で読んだわ!」
ハーマイオニーが小声で言う。
「外の空に合わせて魔法がかけられているって」
言葉は知っている。
だが、声には少しだけ揺れがあった。
読んだことと、頭上に空があることは違う。
浮かぶ蝋燭。
四つの長机。
寮ごとの色。
奥の教師席。
壁に反響する声。
上級生たちの視線。
神秘の無駄遣いだ。
最初に浮かんだのは、それだった。
照明なら燭台でいい。
天井を空に見せる必要はない。
食堂なら、机と椅子と食事があればよい。
空を模す術を維持するだけでも、相当な負荷があるはずだ。
だが、すぐに考えがずれる。
これは見せるための魔法だ。
新入生に、自分たちは普通の学校に来たのではないと最初に叩き込む。
数百人の視線の中、四つの寮の前に立たせ、頭上には本物と見紛う空を置く。
ここでは魔法が生活であり、権威であり、演出であり、秩序であると、言葉ではなく景色で理解させる。
合理的だった。
実用ではなく、支配のために合理的だ。
大広間の中央には、古びた帽子が置かれていた。
椅子の上に載っている。
破れ、汚れ、つぎはぎだらけ。
それだけなら、古い備品で済む。
だが、皆の視線がそこへ向かっていた。
あれが、儀式の中心らしい。
帽子が口を開き、唐突に歌い始めた。
おや。
わしを見て、きれいな帽子とは思わんかもしれん。
じゃが、見かけだけで判断してはいかんぞ。
わしより賢い帽子を見つけたなら、
この身を食ってみせようぞ。
黒い山高帽もよかろう。
つやつや背高のシルクハットもよかろう。
じゃが、わしこそホグワーツの組分け帽子。
どんな帽子にも負けはせん。
おまえの頭の中に隠れたものも、
わしの目からは逃れられぬ。
さあ、わしをかぶってみるがよい。
おまえの行くべき寮を教えてやろう。
勇敢な心を持つならば、
グリフィンドールが似合うかもしれん。
大胆さ、度胸、騎士道精神、
それこそがグリフィンドールのしるし。
正しく、誠実であるならば、
ハッフルパフが待っておる。
忍耐強きハッフルパフは真の友、
骨折り仕事も恐れはせぬ。
賢き古きレイブンクローもよかろう。
頭の冴えた者ならば、
機知と学びを愛する仲間を、
きっとそこに見つけるじゃろう。
あるいはスリザリンかもしれぬ。
そこでは本当の友を得るじゃろう。
抜け目なき者たちは、目的のためなら、
どんな手段も使うもの。
さあ、かぶれ! 恐れるでない!
慌てふためくこともない!
わしには手こそないが、安心せよ。
なにしろわしは、考える帽子なのじゃ!
新入生たちの間に、明らかな動揺が走る。
ロンも目を丸くした。
ハリーは口を少し開けたまま帽子を見ている。
ハーマイオニーでさえ、瞬きが少し遅れた。
問題は、歌うことではない。
知性ある道具を、儀式の中核に据えていることだ。
杖が選ぶ。
梟が選ぶ。
菓子が逃げる。
肖像が動く。
カードの中の人物が消える。
そして今度は、帽子が歌い、人を選ぶ。
この世界は、道具と人格の境界が緩すぎる。
帽子の歌は、四つの寮を語っていた。
勇気。
誠実。
知性。
野心。
それは学科分けではなく、能力別でもない。
価値観による選別だった。
学ぶ前に、まず所属させる。
知識や技術ではなく、何を尊ぶかで分ける。
大広間の空気は、その仕組みを当然のものとして受け入れている。
上級生たちは笑い、拍手し、新入生たちは自分の名前を待っている。
歌が終わると、拍手が起きた。
拍手はしなかった。
指先が少し冷たい。
なぜ、これが許されている。
頭にかぶる。
思考へ触れる。
価値観を読む。
所属を告げる。
本人は拒めるのか。
どこまで読まれるのか。
記憶か、感情か、欲望か。
魂へ届くのか。
周囲は、そんなことを気にしていない。
それが一番気味悪かった。
マクゴナガル教授が巻物を開いた。
「名前を呼ばれたら、帽子を被って椅子に座りなさい」
方法は、あまりにも単純だった。
名前を呼ばれる。
椅子に座る。
帽子をかぶる。
寮が決まる。
単純すぎる。
だが、単純なものほど恐ろしい時がある。
「アボット・ハンナ」
最初の生徒が呼ばれた。
椅子に座り、帽子をかぶる。
帽子が叫ぶ。
寮の卓が歓声を上げる。
それだけだった。
それだけで、所属が決まる。
生徒たちは、呼ばれるたびに大広間の前へ進み、帽子の下でほんの数秒、あるいは少し長い時間を過ごし、それぞれの寮へ送られていった。
「グレンジャー・ハーマイオニー」
ハーマイオニーが呼ばれた。
彼女は速足で椅子へ向かった。
緊張はしている。だが、逃げる顔ではない。
試験に向かう生徒の顔だった。
帽子が頭に載る。
少し考えるような間があった。
「グリフィンドール!」
ロンが小さく呻いた。
「あれでレイブンクローじゃなくてグリフィンドールかよ」
声は小さかったが、十分聞こえた。
ハーマイオニーは帽子を外し、グリフィンドールの卓へ向かった。
どこか誇らしげだった。
正しい答えを得た者の歩き方に近い。
その後も何人かの新入生が呼ばれた。
静かにスリザリンへ向かう金髪の少女。
青ざめた顔の少年。
帽子を被って肩を震わせる少女。
拍手に照れたように笑う男子生徒。
ドラコ・マルフォイは、ほとんど帽子が頭に触れないうちにスリザリンへ送られた。
マルフォイの顔に驚きはなかった。
スリザリン卓からは、抑えた歓声が上がる。
グリフィンドールとは熱の質が違う。大きく騒ぐよりも、受け入れ、測り、席を空ける空気だった。
「ポッター・ハリー」
そして、ハリー・ポッターの名が呼ばれた。
大広間の空気が変わった。
ざわめきが、波のように広がる。
首が動く。
視線が集まる。
名前が小さく繰り返される。
ハリーは歩いていく。
顔は少し硬い。
それでも、足は止まらない。
列車内でマルフォイの手を見た時と似ていた。怖がっているというより、何かを選ばされる前に、逃げずにその場所へ行く顔だ。
椅子に座る。
帽子が頭に置かれた。
沈黙。
他の生徒より、長い。
大広間のざわめきが薄くなる。
ロンが待機列から心配そうに見つめており、ハーマイオニーも、グリフィンドールの卓から少し身を乗り出していた。マルフォイはスリザリン卓で口元を引き締め、何かを待つように見ている。
ハリーと帽子の間で何が交わされているのかは、分からない。
だが、何かが起きている。
ハリーの指先がわずかに動いた。
肩は固い。
顔は帽子のつばに隠れて、よく見えない。
ただの適性判断ではない。
帽子は、選択肢を示しているのかもしれない。
あるいは、本人の中にある反応を待っているのかもしれない。
どちらにしても、結果は一方的に決まっていない。
適性だけではない。
本人の意思が、結果へ干渉しているのか。
やがて、帽子が叫んだ。
「グリフィンドール!」
歓声が爆発した。
グリフィンドールの卓が、まるで試合に勝ったように騒ぎ出す。
上級生たちが立ち上がり、手を叩き、ハリーを迎える。
ハリーは帽子を外した。
椅子から降りる時、ほんの少しだけふらついたように見えた。
けれど、グリフィンドールの卓へ向かう足取りは軽かった。
選んだのか。
そう思った。
少なくとも、選ばされただけではない。
ハリー・ポッターは、自分の行き先へ何かを差し込んだ。
適性だけで決まるなら、あの長い沈黙は不要だったはずだ。
人は、適性だけで所属するのではない。
選択で、運命を変えることがある。
その事実は、奇妙に重かった。
ハリーはグリフィンドールの席に座り、近くの上級生と短く言葉を交わした。
少しだけ笑っている。
その笑いは、列車内で見たものより軽かった。
大広間のざわめきが、次の名前を待つざわめきへ戻っていく。
マクゴナガル教授が巻物へ目を落とした。
「ウィーズリー・ロナルド」
ロンが呼ばれた。
ロンは明らかに緊張していた。
耳が赤い。
歩き方が少し硬い。
けれど、顔にはどこか覚悟もあった。ハリーや兄たちの後に続く場所へ行くのだと、自分に言い聞かせているようだった。
帽子はすぐにグリフィンドールを叫んだ。
ロンの肩から力が抜けた。
グリフィンドールの卓から大きな歓声が上がった。ハリーも大げさに拍手をしている。赤毛の上級生たちが、特に派手に騒いでいた。
ロンは照れくさそうにその卓へ向かい、ハリーと笑い合っていた。
組分け前の待機列には、もうほとんど人が残っていない。
マクゴナガル教授が巻物へ目を落とす。
「レン・エリアス」
名前が呼ばれた。
大広間の音が、少し遠くなる。
椅子の上の帽子だけが、急に近く見えた。