ようこそ根源があふれた魔法の学校へ   作:shinkyu10

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生きた城

 

 

 

 

朝のホグワーツは、前夜とは別の場所のようだった。

 

昨夜の大広間には、儀式の熱があった。

湖を渡り、城へ入り、帽子をかぶり、寮へ分けられる。

すべてが順番に置かれていて、誰かが見えない手で場を整えているようだった。

 

だが、朝は違った。

 

地下の廊下を出た途端、城は動いていた。

 

生徒の足音。

ローブの擦れる音。

肖像画の話し声。

遠くで誰かが階段を駆け上がる音。

どこかの角で本の束が宙を滑り、慌てた上級生らしい少年がそれを追いかけている。

壁際の鎧は、通り過ぎる生徒に合わせるように首を少しだけ動かした。

 

夜の城が眠っていたわけではない。

ただ、朝の城は人間を流していた。

 

スリザリンの一年生たちは、上級生の後について地下から大広間へ向かった。

昨日よりも列は崩れている。だが、完全に自由でもない。

誰が前を歩き、誰が後ろへ下がるか。どこで声を落とすか。どの角で道を譲るか。

スリザリンの生徒たちは、まだ半分眠そうな顔をしながらも、それを自然にこなしている。

 

ザビニは、急いでいない。

だが、遅れてもいない。

隣を歩くでもなく、少し前を歩くでもなく、流れの中で自分の場所を確保している。

 

ロウルは、昨日聞いた道順を確認するように角の数を数えていた。

声には出さない。

だが、曲がるたびに視線が壁の特徴を拾っている。

 

ケイは、何度も周囲を見た。

上級生の背中。階段。壁の肖像画。

こちら。また上級生。

遅れることそのものより、遅れた時の周囲の反応を先に探しているような顔だった。

 

朝食の大広間は、夜よりも少し雑だった。

 

グリフィンドールの卓では、赤と金のネクタイが何人も立ったり座ったりしている。

ハリーとロンの姿も見えた。

ロンはパンを片手に何かを話し、ハリーはそれを聞きながら、皿の上の食べ物と大広間の入口を交互に見ている。

ハーマイオニーはすでに教科書を一冊出していた。食事をしながら、時々ページに目を落としている。

 

スリザリンの卓は、やはり声量が低かった。

朝だからといって緩みすぎない。

ただ、夜よりも会話の実用性が増している。

 

「一限は何だ?」

 

誰かが聞いた。

 

「呪文学だ」

 

上級生が答える。

 

「フリットウィック先生は遅刻には甘い方だが、初回から試すな。教室は三階西側。階段を二つ上がってから、廊下を右へ行く。ただし、朝は階段がよく変わる。人の流れだけで行くと四階へ持っていかれる」

 

それを聞いた一年生の何人かが、顔を上げた。

 

こういう情報が、当然のように流れてくる。

 

昨日ファーレイが言っていた通りだった。

教授の傾向。

教室の位置。

失敗しやすい導線。

それらが、寮の中で積み上げられている。

 

ロウルが小さくうなずいた。

 

「三階西側ですね」

 

ザビニはパンをちぎりながら言った。

 

「右って、どの右?」

「階段を上がった時の右です」

「その階段が動いたら?」

 

ロウルの手が止まった。

 

「……その場合は、上級生の流れを見ます」

「真面目だね」

「迷うよりはましです」

 

ケイの顔色が少し悪くなる。

 

「迷うのは困る」

「初日で迷わない奴なんていないだろ」

 

ザビニは軽く言った。

ケイは、安心するどころか、さらに視線を忙しく動かした。

 

エリアスは、上級生の説明を頭の中で分解していた。

 

三階西側。

朝は階段が変わる。

人の流れだけで行くと四階へ持っていかれる。

つまり、生徒の移動量が多い時間帯ほど、主要階段の接続先が変動する可能性が高い。

混雑緩和。

寮ごとの導線分離。

教師と生徒の移動経路の分離。

あるいは、城側の交通制御。

 

完全なランダムではない。

少なくとも、そう考える方が合理的だった。

 

朝食を終え、大広間を出る。

 

ここからが本番だった。

 

廊下には、生徒の流れがいくつもできていた。

赤と金。

青と銀。

黄と黒。

緑と銀。

色ごとにまとまるわけではないが、寮ごとの癖はある。

 

上級生は足取りが違う。

迷わず進む者。

途中で壁の前に立ち止まり、肖像画に何かを言って抜け道を開ける者。

階段が動き出す直前に速度を上げる者。

逆に、動くのを待つ者。

 

人の流れには、太さがあった。

一番多い流れが正解とは限らない。

むしろ、上級生の流れと下級生の流れは途中で分かれる。

教師らしい大人が通る廊下は、さらに別だ。

窓から入る光の方向は東。朝の光が右から差す廊下なら、南北軸は推定できる。

地下から上がった時の階段の角度、廊下の長さ、湿気の抜け方、石壁の古さ。

魔力の流れは、階段の根元で濃く、廊下の中央で薄くなる。

 

構造として読める。

読めるはずだった。

 

「こっちです」

 

ロウルが言った。

上級生から聞いた通り、階段を二つ上がる。

 

一つ目の階段は、問題なく上がれた。

二つ目の階段は、上がり切る直前でゆっくり動き始めた。

 

足元がずれた。

 

誰かが小さく声を上げる。

上級生の一人は慣れた様子で手すりを掴み、後ろの一年生に止まるよう合図した。

 

階段は、重い石の音を立てながら、別の踊り場へ向きを変える。

 

動きは滑らかだった。

乱暴ではない。

だが、建築物の一部が当然のように向きを変える光景は、見ていて気持ちが悪い。

 

周期はあるのか。

 

階段の端に刻まれた細かい傷。

石の継ぎ目。

手すりの摩耗。

移動中にわずかに濃くなる魔力の線。

人流が一定量を超えた時に動くのか。

時刻で動くのか。

あるいは、目的地によって振り分けているのか。

 

階段が止まる。

 

「……ここは?」

 

ケイが不安そうに言った。

 

「予定の踊り場ではありませんね」

 

ロウルの声にも、わずかな硬さがある。

 

ザビニの視線が、周囲を軽く流れた。

 

「じゃ、別の道だな」

「軽いな」

「重く言って道が戻るなら、重く言うけど」

 

それはそうだった。

 

左手側は人流が細い。

右手側は人が多いが、上級生中心。

正面の廊下は妙に静かで、壁にかかった肖像画がこちらを見ている。

 

三階西側へ向かうなら、窓の方角と階段の回転角から見て、右手側が最も近い。

だが、上級生が多すぎる。

初回授業へ向かう一年生の流れとは合わない。

 

「右だ」

 

そう判断した。

 

ロウルがうなずいた。

ケイの肩から、わずかに力が抜ける。

ザビニは何も言わず、最後尾についた。

 

右の廊下へ進む。

 

しばらくは順調だった。

 

窓の位置は合っている。

空気の湿度も少しずつ下がっている。

地下から遠ざかり、外壁側へ寄っている証拠だ。

壁の古さは一定。

床の摩耗は多い。

つまり使用頻度の高い廊下。

 

だが、角を曲がった瞬間、前方に人の流れが消えた。

 

さっきまで足音があったはずの廊下が、妙に静かだった。

 

壁には大きな肖像画がひとつ。

椅子に座った魔女が、編み物をしながらこちらを見ている。

 

「おやまあ」

 

肖像画の魔女が言った。

 

「また一年生かい」

 

ケイの顔がさらに青くなる。

 

「また?」

「この廊下、呪文学へ行けますか?」

 

ロウルが丁寧に聞いた。

 

魔女は編み棒を動かしながら、にこにこ笑った。

 

「行ける時もあるねえ」

 

ザビニが小さく笑った。

 

「便利な答えだな」

「今は?」

 

エリアスが聞いた。

 

魔女の目がこちらへ向いた。

絵の具でできた瞳なのに、妙に生きている。

 

「今は、行きたいなら戻った方が早いかもしれないね」

 

戻る。

来た廊下を振り返る。

 

そこにあるはずの角が、少し遠く見えた。

 

距離が伸びたわけではない。

少なくとも、見た目には。

だが、空気が違う。

さっきまであった生徒の気配が薄い。

 

ロウルが低く言った。

 

「戻りましょう」

「いや」

 

奥の窓から入る光。

床の傾き。

壁の魔力の流れ。

風向き。

 

完全に閉じている道ではない。

奥へ進めば、おそらく別の階段に出る。

そこから三階西側へ回り込める可能性がある。

 

「このまま進んだ方が近い」

 

ケイが息を呑んだ。

 

「でも、肖像画は戻れって」

「早いかもしれない、と言っただけだ。確定ではない」

 

ザビニがこちらを見た。

 

「そういうところ、面白いな」

「面白がる状況じゃない」

「いや、たぶん面白がる状況だろ」

 

ロウルは一拍置いたが、それから何も言わずについてきた。

四人は廊下の奥へ進む。

 

その判断は、途中までは正しかった。

 

廊下の先には確かに階段があった。

階段は上ではなく、斜め下へ続いている。

だが、踊り場から別の階段へ接続しており、上り返せば目的階へ戻れる構造に見える。

 

見える。

 

そのはずだった。

 

踊り場へ降りた時、下から大きな声が響いた。

 

「おい、こっちだって!」

 

ロンの声だった。

 

見下ろすと、下の階の廊下に赤毛の少年がいた。

隣にはハリーもいる。

二人ともローブの前を少し乱し、明らかに急いでいる。

 

「そっち、行き止まりだぞ!」

 

ロンが叫ぶ。

 

行き止まり?

 

階段の先は行き止まりには見えない。

むしろ、接続先はある。

窓の位置も合う。

 

「根拠は!」

「兄貴が言ってた!」

 

それは根拠なのか。

 

「どの兄だ!」

「パーシーだよ。こういうのだけは外さないんだ」

 

判断材料としては、あまり強くない。

 

ハリーが横から言う。

 

「こっち、さっき人がたくさん行ってた!あと、なんか明るい!」

 

なんか明るい。

 

ザビニが喉の奥で笑った。

 

「負けそうだな」

「何に」

「なんか明るい、に」

 

ロンが手を振った。

 

「急げよ! 階段、また動くぞ!」

 

その瞬間、足元の階段が低く軋んだ。

 

動く。

 

踊り場の継ぎ目で、魔力の流れが濃くなっている。

階段の根元に力が集まる。

周期ではない。

いや、周期だけではない。

 

人が乗っているか。

移動方向か。

目的地か。

 

考えるより早く、ロウルが言った。

 

「今は降りた方が安全です」

 

ザビニはもう動いていた。

ケイも慌てて続く。

 

エリアスも階段を降りた。

 

全員が下へ着いた直後、階段がゆっくり横へ動き始めた。

さっきまで繋がっていた踊り場から外れ、別の壁へ向かっていく。

 

もし上へ進んでいたら、完全に別方向へ運ばれていた。

 

ロンは勝ち誇った顔をした。

 

「な?」

「今のは、たまたまだ」

「たまたまでも当たりなら勝ちだろ」

 

勝ち負けの問題ではない。

 

ハリーは少し息を切らしながら笑った。

 

「僕たちも、たぶん迷ってるんだけどね」

「迷っているのに、人に道を示したのか」

「ロンが、こっちだって」

 

ロンは胸を張った。

 

「なんとなくだけどな」

 

根拠がない。

再現性がない。

論理がない。

 

だが、城はそちらを通した。

 

それが気に入らなかった。

気に入らないのに、無視できなかった。

 

ロンたちの廊下は、確かに流れがあった。

大きくはないが、細い人流が続いている。

一年生だけではない。

二年生、三年生らしい生徒も混じっている。

肖像画は、こちらを見て笑っていた。

 

さっきの編み物の魔女とは別の肖像画だ。

太った騎士が、剣を膝に置いている。

 

「急ぐなら左だ!」

 

騎士が言った。

ロンが即座に左へ曲がる。

 

「待て、なぜ信じる」

「兄さんたちが言ってた。こいつ、嘘つく時はもっと変な笑い方するんだ」

 

騎士は笑っていた。

 

「笑っているが」

「いつも笑ってる感じの笑いと、嘘ついてる時の笑いは違うんだよ」

 

そんな識別があるのか。

 

ハリーは一瞬だけ足を鈍らせたが、すぐにロンについていく。

足は止まらない。

根拠は薄い。

だが、二人は城と喧嘩していない。

 

廊下を左へ曲がる。

 

風向きが変わった。

 

さっきまで背中から押していた空気が、今度は前から流れてくる。

窓はない。

なのに、明るさが増す。

右の壁にあった鎧が、通り過ぎた後でわずかに向きを変えたような気がした。

 

いや、気のせいではない。

さっきまでは槍が廊下の奥を指していた。

今は階段の方を指している。

 

城が案内している。

 

そう考えるのは早い。

早いが、捨てきれない。

 

角を二つ曲がると、広い廊下に出た。

 

そこには、はっきりと人の流れがあった。

呪文学へ向かうらしい生徒も混じっている。

遠くに、フリットウィック教授の授業で使うらしい教室の扉が見えた。

 

ロウルが小さく息を吐いた。

 

「間に合いそうですね」

 

ケイはほとんど脱力していた。

 

ザビニはロンを見て言った。

 

「勘、便利だな」

 

ロンは少し得意げだった。

 

「だろ?」

 

ハリーは笑っていた。

馬鹿にする響きはない。

城に振り回されたことまで、どこか楽しんでいるような顔だった。

 

エリアスは笑えなかった。

 

廊下の向こうで、階段がまた動いている。

生徒たちは驚くでもなく、止まるでもなく、それぞれのタイミングで乗り、降り、曲がり、流れていく。

その動きは血流に似ていた。

心臓がどこにあるのかは分からない。

だが、城全体が生徒を循環させている。

 

地図を作るには、線が動きすぎる。

 

迷宮と呼ぶには、こちらを見すぎている。

 

廊下の壁に掛かった肖像画の一人が、こちらを見て小さく笑った。

まるで、ようやく気づいたか、とでも言いたげだった。

 

ホグワーツは、建物ではない。

少なくとも、ただの建物ではない。

 

機械でもない。

固定された魔法機構でもない。

単純な迷宮ですらない。

 

応答している。

 

その言葉が、胸の奥に残った。

 

「おい、エリアス」

 

ロンが呼んだ。

 

「お前らの授業、そこじゃないのか?」

 

気づけば、呪文学教室の扉の前だった。

 

授業開始までは、まだ少しだけ時間がある。

遅刻ではない。

だが、余裕があるとも言えない。

 

ザビニが扉の前で立ち止まる。

 

「初日から濃いな」

 

ロウルはローブの袖を整えた。

 

「原因の一部は、我々の判断です」

「我々?」

 

ザビニが笑う。

 

「主にレンだろ」

 

ケイが小さく言った。

 

「でも、間に合った」

 

その声は、さっきまでより少しだけ力が抜けていた。

 

扉の向こうから、軽い足音が近づく。

小さな影が、教室の中を動いた。

 

フリットウィック教授だった。

 

教授は扉のそばにいた一年生たちに気づくと、にこやかに目を細めた。

 

「おはようございます、皆さん。初日の城内散歩は、いかがでしたかな?」

 

温厚な声だった。

だが、こちらがどこかで迷っていたことは、たぶん分かっている。

 

誰も答えなかった。

 

フリットウィック教授は、少しだけ楽しそうに笑った。

 

「さあ、中へ。呪文学の初回授業を始めましょう」

 

教室へ入る直前、もう一度だけ廊下を振り返った。

 

生徒の流れ。

動く階段。

笑う肖像画。

向きを変えた鎧。

風の向き。

 

ホグワーツは、こちらを見ている。

 

そう断定するには早い。

 

だが、ただ読まれるだけの建物ではないことだけは、もう疑えなかった。

 

 

 

 




……難産でした。
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