治療薬の棚は、三列あった。
基礎魔法薬。
治療薬学。
薬草効能集。
エリアスは、薬草効能集を後回しにした。
効能なら教科書にもある。
乾燥イラクサがどの薬に使われるか。
蛇の牙が何に効くか。
ツノナメクジの粘液がどんな性質を持つか。
それだけなら、昨日の授業でも分かった。
今必要なのは、薬が効く理由だけではない。
泡が荒れ、濁りが戻らなくなり、薬液が跳ねる境目だった。
「効能集は見ないのか?」
背後からザビニの声がした。
図書室に入った時より、だいぶ声が低い。
遠くの机で、マダム・ピンスの細い顔がこちらを向きかけていた。
「後で見る」
「薬草の課題だろ」
「効能は教科書にある。足りないのは失敗条件だ」
ザビニは本棚を見上げた。
高い棚に、革表紙の本が隙間なく並んでいる。
金文字の背表紙が、窓から入る光を鈍く返していた。
「普通は成功する方法を探すんだよ」
「成功例は昨日作った」
「言い方」
ザビニは小さく笑った。
だが、すぐに周囲を見て、声を落とす。
遠くの机で、マダム・ピンスが顔を上げかけていた。
ロウルは棚札を順に追っていた。
指先は背表紙に触れない。
読むだけで位置を覚えるように、視線だけが端から端へ動いている。
「治療薬学は右です。基礎魔法薬はこの列。事故例は……奥の棚かもしれません」
「事故例って、普通の一年生が読むものなのかな」
ケイが小さく言った。
鞄の紐を両手で持ち、棚の奥を覗くように首を少し伸ばしている。
「読むだけなら爆発しない」
エリアスが答える。
ザビニが片眉を上げた。
「その慰め、だいぶ下手だぞ」
ケイは困ったように目を伏せた。
「でも、読むだけなら……少しはましかも」
「本を落とせば、爆発の代わりにピンスが来ます」
ロウルが静かに付け足す。
ケイの手が、鞄の紐を握り直した。
「それはそれで怖いんだけど」
ザビニが口元だけで笑った。
四人は棚の前で散った。
と言っても、遠くへは行かない。
声を張れば怒られる。
完全に離れれば、探した本を共有しづらい。
自然と、同じ棚の左右へ少しずつ広がる形になった。
エリアスは、まず基礎魔法薬の棚から薄い本を抜いた。
『初級治療薬の失敗と対処』
表紙は古く、角が潰れている。
背には開き癖があり、頁の端には薄く手垢が残っていた。
頁を開くと、乾いた紙の匂いが指先から立った。
目次を追う。
火傷薬。
眠り薬。
おでき薬。
簡易解毒薬。
鎮痛水薬。
おでき薬の頁は、数頁しかない。
材料。
基本手順。
注意。
指が止まる。
ヤマアラシの針は、必ず火から下ろしてから投入すること。
それだけだった。
エリアスは頁の端を押さえた。
昨日見たものは、注意書きよりも多かった。
重い泡。
落ちない熱。
火から離れる前に沈んだ針。
跳ねた薬液。
ネビル・ロングボトムの腕に浮いた赤い腫れ。
紙の上には、火から下ろせ、としかない。
「理由がない」
ザビニが横から覗き込む。
「また出たな、休日に聞きたくない言葉」
「注意だけなら、上級生の写しと同じだ」
「上級生の写し、意外と優秀だったんじゃないか?」
「要点だけなら」
「褒めてるのか、それ」
「情報量が少ないと言っている」
「褒めてないな」
ロウルが、奥の棚から一冊を抜いた。
厚みのある本だった。
表紙は黒に近い茶色で、題名の一部がかすれている。
「こちらに、薬液事故の章があります」
「事故例?」
ケイが聞く。
「はい。ただ、文字が細かいです」
ザビニが本の厚みを見る。
「うわ。事故が多すぎるだろ」
ロウルは真面目に頁をめくった。
「多いから本になるのでしょう」
「理屈まで重いな」
エリアスは本を受け取った。
ロウルの指が離れる前に、頁の折れを避けるように軽く支える。
背の古い革が、わずかに軋んだ。
索引。
おでき。
膿疱。
急膨張。
針素材。
高温反応。
ヤマアラシ。
項目はある。
だが、ばらばらだった。
一つ目の頁は、皮膚症状の項目だった。
薬液の飛散により皮膚表面に腫れや膿疱が生じる例。
原因として、過熱、未粉砕材料、投入順の誤りが挙げられている。
足りない。
次の頁。
ヤマアラシの針。
硬質針素材。
熱と反応しやすい薬液に対し、仕上げ段階で用いられることがある。
ただし、高温状態での投入は避ける。
まただ。
火。
針。
薬液。
その三つは並んでいる。
だが、泡がどう荒れるのか。
色がどこで濁るのか。
皮膚へ飛ぶまでに、鍋の中で何が起きるのか。
そこが抜けている。
「見つからないのか?」
ザビニが聞いた。
「断片はある」
「断片で足りないのか?」
「事故は断片で起きない」
ザビニは少し考えてから、低く笑った。
「そういう言い方、たまにスネイプっぽいぞ」
近くでロウルの頁をめくる手が、わずかに止まった。
「それは、褒め言葉ではありませんね」
「褒めてない」
「なら、なおさらやめてください」
ザビニは口元だけを動かした。
その時、同じ棚の向こう側から、別の手が伸びてきた。
背表紙に触れた指が、エリアスの指とほとんど同時に止まる。
先に本を掴んだのは、ハーマイオニー・グレンジャーだった。
彼女は少し目を見開いたが、すぐに本の題名を確認した。
「あなたもこれを使うの?」
「ああ」
『初級魔法薬における材料反応表』
背表紙にはそうある。
ハーマイオニーの腕には、すでに二冊の本が抱えられていた。
その上に羊皮紙が挟まっている。
端には、きっちり揃った字が見えた。
「私は必要なところを写すだけだから」
「なら待つ」
「すぐ終わるわ」
ハーマイオニーは近くの机へ本を置き、目次を開いた。
羽根ペンを取るまでが早い。
頁を二度めくり、すぐに羊皮紙へ書き始める。
羊皮紙には、材料名と手順が整って並んでいた。
乾燥イラクサ。
蛇の牙。
ツノナメクジ。
ヤマアラシの針。
その横には、効能と注意が短く書かれている。
読みやすい。
試験前に見返すなら便利だろう。
ハーマイオニーは、エリアスの羊皮紙をちらりと見た。
泡。
温度。
濁り。
針。
飛散。
皮膚。
彼女の眉が少し寄る。
「作り方を写しているんじゃないの?」
「壊れ方を探している」
「壊れ方?」
声が少し大きくなりかけ、ハーマイオニーはすぐに唇を閉じた。
マダム・ピンスの机の方を見てから、声を落とす。
「どうして?」
「作り方は教科書にある。昨日失敗した鍋は、作り方のどこかを外した。なら、どこで壊れたのかを見た方がいい」
ハーマイオニーは羽根ペンの軸を押さえた。
「でも、まず正しい手順を覚えないと」
「それは間違っていない」
「じゃあ」
「見ている順番が違うだけだ」
ハーマイオニーは、少しだけ目を細めた。
「あなた、変わってるわね」
「よく言われる」
ザビニが背後で小さく笑った。
「実際、よく言われてるな」
ハーマイオニーは本を使い終えると、こちらへ差し出した。
「はい。私はもう写したから」
「助かる」
「でも、これ、材料反応表よ。事故例なら、たぶん奥の棚だと思う。薬液事故記録とか、治療失敗例のところ」
ロウルが顔を上げた。
「今見ている棚です」
ハーマイオニーはロウルを見て、少しだけ頷いた。
「なら、合ってるわ」
彼女は自分の本を抱え直し、別の机へ戻っていった。
歩きながらも、羊皮紙へ目を落としている。
前を見ていないのに、椅子にはぶつからない。
それはそれで器用だった。
ザビニが低く言う。
「グレンジャー、もうあれだけ写してるのか」
「努力量は多い」
ロウルが言った。
「整理も正確です」
ケイは小さく頷いた。
「すごいけど、ちょっと疲れそうだね」
「君が言うと説得力があります」
ロウルが返す。
ケイは目を逸らした。
「別に、悪い意味じゃないし」
エリアスは、ハーマイオニーから受け取った本を開いた。
材料反応表は、教科書よりも項目が細かい。
乾燥イラクサ。
抽出温度。
煮出し時間。
薬液色。
混合時の注意。
蛇の牙。
粉砕粒度。
溶解速度。
過量時の泡立ち。
ツノナメクジ。
粘度上昇。
過熱時の凝固。
沈殿。
ヤマアラシの針。
仕上げ。
熱反応。
皮膚薬での使用例。
ここにも、まだ足りない。
だが、昨日の鍋を読み返すための手掛かりは増えた。
少し離れた棚で、ごと、と本を戻す音がした。
マダム・ピンスの目が、すぐにそちらへ動く。
その棚の前に、ハリーとロンがいた。
ハリーは背表紙を一つずつ読んでいる。
ロンは腕に抱えた本を何度も持ち直し、棚よりも出口の方へ目をやっていた。
エリアスは棚札を見る。
毒草。
呪毒。
危険植物。
違う。
「ポッター」
ハリーが顔を上げた。
ロンもこちらを見る。
「そこは違う」
「え?」
「おでき薬なら、治療薬か基礎魔法薬だ。毒草ではない」
ロンが棚札を見上げた。
「棚にも罠があるのかよ」
「戻す場所を間違えたら、ピンスが来る」
ロンは本を持つ手を少し下げた。
「それは罠だな」
ハリーは慌てて手元の本を確認した。
表紙には、やけに毒々しい蔦の絵が描かれている。
「ありがとう。危うくこれを借りるところだった」
「借りても課題にはならない」
「たぶん、僕には区別がついてなかった」
ロンが小声で言う。
「本が多すぎるんだよ。薬草も毒草も、全部似たような顔してる」
「顔?」
ザビニが少し遠くから言う。
ロンはザビニを見て、肩をすくめた。
「言い方だよ」
「まあ、分からなくはない」
ザビニは棚を見上げた。
「ここの本、全部こっちを見てるみたいだしな」
ハリーが少しだけ笑った。
ロンもつられて口元を緩めた。
エリアスは、基礎魔法薬の棚を指した。
「おでき薬なら、あの列だ。初級治療薬か材料反応表を見ればいい」
「分かった。ありがとう」
ハリーは本を戻そうとして、一瞬止まった。
「これは、ここに戻せばいいのか?」
「背表紙の番号を見るといい」
ハリーが番号を見て、棚の順番を確認する。
ロンも覗き込む。
「そこ」
エリアスが短く言った。
ハリーは慎重に本を戻した。
音はほとんどしなかった。
ロンが大げさに息を吐く。
「よし。ピンスに殺されなかった」
「追い出されるだけですよ」
ロウルが低く言う。
ロンは少し驚いた顔でロウルを見た。
「それも嫌だな」
ザビニが笑いを噛み殺した。
場が緩みかけたところで、マダム・ピンスの視線が飛んできた。
全員の口が閉じる。
図書室は、すぐに静かになった。
エリアスは、事故記録の本へ戻った。
索引の紙面をもう一度追う。
ヤマアラシ。
高温。
膨張。
膿疱。
該当頁は、かなり後ろだった。
薬液事故の小項目。
頁の下に、小さな文字で記録が載っている。
高温状態でヤマアラシの針を投入した場合、薬液は急激に膨張することがある。
発泡は粗く、濁りは灰緑へ寄る。
飛散した薬液は、接触した皮膚に赤色腫脹および膿疱を生じさせる場合がある。
基礎治療薬では、火から下ろした後、液面が落ち着いてから投入すること。
エリアスの指が止まった。
灰緑。
粗い泡。
火。
針。
昨日の鍋で見たものが、紙の上の言葉と重なった。
ネビルの鍋は、泡が大きかった。
濁りも強かった。
火はまだ落ちていなかった。
針が沈んだ瞬間、液面が持ち上がった。
飛んだ薬液。
腕に浮いた赤い腫れ。
頁の文字は、昨日の光景を説明しきってはいない。
だが、同じ方向を指している。
「これだ」
声は小さかった。
ザビニが覗き込む。
「見つけたのか」
「全部ではない」
エリアスは頁を押さえたまま言った。
「でも、どこから壊れたかは見えた」
ロウルが近づき、頁を読む。
目が一行ずつ下へ動き、最後の注意書きのところで一度止まった。
それから、羊皮紙を出す。
「課題には、火を落とす理由も入れましょう」
「入れないと減点?」
ザビニが聞く。
「入れた方が減点されにくい、です」
「言い方が嫌だな」
ケイは事故記録の頁をもう一度見た。
「昨日の、あれ……ちゃんと理由があったんだ」
声は小さかった。
だが、視線は頁から逃げていない。
「理由はあった」
エリアスは写しを取る。
「手順だけでは見えなかっただけだ」
ケイは、鞄の紐に触れかけて、やめた。
代わりに羽根ペンを取る。
「なら、書いておいた方がいいよね。たぶん」
「その方がいい」
ロウルが頷く。
ザビニは椅子の背に片肘をかけた。
「昨日、あれを見た時は、ただ派手に失敗しただけに見えたけどな」
「派手に見える前に、鍋は崩れていた」
エリアスは、事故記録の一文を写した。
高温状態。
急膨張。
灰緑。
膿疱。
「見えやすい失敗は、最後に出る」
ザビニは少しだけ黙った。
「……それ、薬学以外でも言えそうだな」
「たぶん言える」
ロウルの羽根ペンが、一瞬止まった。
ケイも、少しだけ顔を上げる。
だが、誰も続けなかった。
図書室では、紙をめくる音だけが細く響いている。
エリアスは、羊皮紙へ視線を戻した。
四人は、同じ机へ移った。
ロウルが羊皮紙を一枚中央に置き、項目を整理する。
一、材料の役割。
二、投入順。
三、火から下ろす理由。
四、失敗時の反応。
五、事故例。
字は整っている。
行間も、項目の頭も、ほとんどずれていない。
ザビニがそれを見て言った。
「ロウルの羊皮紙、見てるだけで背筋が伸びるな」
「姿勢が悪いよりはましです」
「そういうところだぞ」
ロウルは返事をしなかった。
ただ、項目の横へ小さく線を引く。
少しだけ強い線だった。
ケイは事故記録を見ながら、ゆっくり写している。
一文字ずつ確認するような書き方だった。
途中で止まり、エリアスの羊皮紙を見る。
「灰緑って、昨日の色、そんな感じだった?」
「近い。もっと濁っていた」
「じゃあ、灰緑、濁り強めって書いてもいいかな」
「いいと思う」
ケイは少しだけ頷き、書き足した。
ザビニは自分の羊皮紙を見て、しばらく沈黙した。
「なあ、レン」
「何だ」
「俺の昨日の鍋、危なかったか?」
「途中までは」
「途中までは、か」
「ナメクジの投入後、攪拌を止めるのが早かった。底に粘りが残っていた」
ザビニは目を細めた。
「見てたのか」
「隣だった」
「それだけで見えるものか?」
エリアスは少し考えた。
「鍋の音が変わっていた」
ザビニは、今度こそ小さく息を吐いた。
「やっぱり鍋と会話してるだろ」
「していない」
「鍋の声を聞いてるじゃん」
「音だ」
「同じだろ」
ケイが小さく笑った。
ロウルも、羽根ペンを動かしたまま口元だけをわずかに緩めた。
その時、近くの机から椅子を引く音がした。
ハーマイオニーが本を抱えて立ち上がる。
ハリーとロンも、数冊の本を持ってこちらへ戻ってきた。
ロンは、エリアスたちの机に広がる羊皮紙を見て、顔をしかめた。
「うわ。そっちは何を書いてるんだ?」
「事故例」
ザビニが答える。
ロンは一歩引いた。
「休日に読むものじゃないだろ」
「同感だ」
ザビニが言う。
ハーマイオニーは、事故記録の頁を見て目を止めた。
「それ、どこにあったの?」
「薬液事故記録」
エリアスが本の背を見せる。
ハーマイオニーはすぐに題名を見て、唇を引き結んだ。
「私も後で見るわ」
ロンが眉を上げた。
「見るのかよ」
「必要なら見るわ」
「必要の基準がおかしい」
ハリーは、エリアスの羊皮紙をちらりと見た。
「昨日のネビルの事故?」
「ああ」
ハリーの顔が少し沈む。
ロンの口元も硬くなる。
エリアスは、短く言った。
「火から下ろす前に針が入った。事故の原因はそこだ」
ハリーが顔を上げる。
「でも、スネイプは――」
「隣にいたこととは別の問題だ」
ロンの目が少し大きくなった。
「だよな。やっぱりそうだよな」
声が大きくなりかけ、すぐにハーマイオニーが肘で小さく突いた。
ロンは口を閉じる。
ハリーは、少しだけ息を吐いた。
「ありがとう」
「事実を言っただけだ」
ザビニが横でぼそりと言った。
「そういうところ、本当にお前だよな」
エリアスは返さなかった。
ハーマイオニーは事故記録の頁へもう一度視線を落とし、それからハリーへ言った。
「写しておいた方がいいと思う。スネイプ先生が聞くかもしれないし」
ロンが顔をしかめる。
「聞かれたら嫌だな」
「聞かれなくても、知っておいた方がいいわ」
ハーマイオニーはそう言って、自分の羊皮紙を開いた。
その後はしばらく、誰も大きな声を出さなかった。
本をめくる音。
羽根ペンの音。
インク瓶の蓋を閉める音。
遠くでマダム・ピンスが誰かに鋭く注意する声。
談話室ならすぐに誰かが茶々を入れるところで、図書室では羽根ペンの先だけが動いていた。
四人の羊皮紙が少しずつ埋まっていった。
材料の役割。
火を落とす理由。
失敗時の泡と濁り。
皮膚症状。
昨日の事故との照合。
余白は残っている。
それでも、昨日の鍋を見るための線は増えた。
図書室を出る頃には、羊皮紙の余白がだいぶ減っていた。
ザビニが肩を回す。
「休日にここまで頭を使うとは思わなかった」
「木曜には体も使います」
ロウルが言った。
ケイの手が鞄の紐へ戻る。
「飛行訓練……」
「箒って、本当に言うこと聞くのかな」
ザビニが笑う。
「聞かなかったら落ちるだけだろ」
ケイは顔をしかめた。
「慰めになってないよ」
エリアスは、図書室の扉を振り返った。
棚の奥では、まだ誰かが頁をめくっている。
薬は、手順を外せば崩れた。
では、箒はどうか。
地面に置く。
命じる。
上がる。
手をかける。
体重を預ける。
その間のどこで、箒は術者を読むのか。
「問題は高さじゃない」
ザビニがこちらを見る。
「また怖い話か?」
「怖い話ではない。未確認なだけだ」
ケイが小さくため息をついた。
「レンがそう言うと、余計に本当っぽいんだよ」
その声は弱かったが、完全に怯えているわけではなかった。
ザビニが笑い、ロウルが「廊下で立ち止まると邪魔になります」と促す。
四人は図書室を後にした。
背後で、扉が重く閉まる。
紙と革の匂いは消えた。
だが、羊皮紙に写した灰緑の文字と、火を落とす理由だけは、しばらく目の奥に残っていた。