「ポッターが箒をプレゼントされたらしい」
昼食のスリザリン卓で、誰かがそう言った。
皿の上では、茹でた豆と焼いた肉が湯気を立てている。
大広間は昼の光で明るかった。
天井に映る空は薄い雲を流し、四つの長卓にはいつものざわめきが満ちている。
誰かが笑い、誰かがパンをちぎり、誰かが昨日の宿題の量に文句を言う。
その中で、その声だけが少し硬かった。
「箒?」
ケイが顔を上げる。
手に持っていたフォークが、皿の端で止まった。
ザビニは、グラスを持ったまま眉を上げた。
「昨日のあれか」
「あれ?」
「朝食の時、グリフィンドールの卓に届いただろ。細長い包み」
エリアスの手が止まった。
昨日の朝食時。
六羽のメンフクロウが、大広間の天井近くから降りてきた。
一羽や二羽ではなく、六羽。
それぞれが細長い包みを支え、翼をばたつかせながらグリフィンドールの卓へ向かっていた。
包みは、テーブルに置くには長すぎた。
ロン・ウィーズリーが椅子を少しずらし、近くの生徒が皿を引っ込めていた。
その時点で、長さと形から箒の可能性はあった。
だが、誰宛てかも、中身が何かも、こちらから確認する理由はなかった。
「しかも、ニンバス2000だってさ」
フォークが止まった。
皿の上の豆を避けていた手が、そのまま宙で固まる。
豆はまだ一粒、フォークの先に刺さっていた。
口へ運ぶ途中だったことを、数秒遅れて思い出す。
ザビニがそれを見た。
「反応したな」
「しましたね」
エリアスはフォークを皿へ戻した。
「ニンバス2000と言ったか」
「言ったな」
「誰が確認した」
「グリフィンドールの連中が騒いでる。あの顔で嘘なら大したもんだ」
ザビニはグリフィンドール卓の方へ視線を向けた。
向こうでは、赤毛の双子らしい上級生が笑いながら何かを話している。
ハリーの周囲には、いつもより人が多かった。
ただ、卓の上にも、足元にも、細長い包みは見えない。
見えない。
エリアスはわずかに眉を動かした。
ロウルが、こちらの手元を見た。
「食事が止まっています」
「後で食べる」
「今食べるべきです」
「ニンバス2000だ」
「食事と両立できます」
ザビニが笑った。
「ロウル、今のレンには無理だと思うぞ」
ケイはグリフィンドール卓を見てから、小さな声で言った。
「それって、そんなにすごい箒なの?」
「すごい、という言い方は雑だ」
エリアスは一度だけ黙った。
「現行最高級の競技用箒だ」
「始まった」
ザビニが楽しそうに肩を揺らした。
エリアスは構わず続けた。
「ニンバス競技用箒会社の現行最高級機だ。少なくとも広告ではそう扱われていた。競技用。高速機動前提。授業用備品とは設計思想が違う」
ケイが瞬きをする。
「広告って、読んだの?」
「読まない理由がない」
「普通は、買わないなら読まないんじゃないかな」
「比較には必要だ」
ザビニはパンをちぎりながら、口元を隠した。
「比較対象、学校のぼろ箒だけだろ」
「だから必要だ」
「理屈は合ってるのに、必死さが隠れてないんだよな」
エリアスは返事をしなかった。
グリフィンドール卓へもう一度視線が向く。
見えない。
卓の上にも、足元にも、細長い包みはない。
ハリーの周囲には人が集まっているが、誰も箒らしきものへ手を伸ばしていない。
持ってきていない。
エリアスは椅子からわずかに腰を浮かせた。
「レン」
ロウルの声が低くなった。
「立たないでください」
「立っていない」
「立とうとしていました」
「距離を測っただけだ」
「それを立とうとしていたと言います」
ケイが困ったように笑う。
「見に行くのは、やめた方がいいと思う」
「見に行くとは言っていない」
「今のは、ちょっと言ってるのと近かったよ」
ザビニは水を飲み、グラスの向こうで目を細めた。
「ここまで分かりやすいレン、初めて見たな」
「何がだ」
「欲しがってる」
「欲しいとは言っていない」
「言ってないな」
ザビニは頷く。
「目が完全に箒を追ってるだけだ」
エリアスはグリフィンドール卓から視線を戻した。
「実機確認が必要なだけだ」
「それを欲しいって言うんだよ」
ケイの声は柔らかかった。
強く突くつもりではないのだろう。
だが、言葉だけは逃がしてくれなかった。
ロウルはナイフを置いた。
「そもそも、確認できる立場にありません」
「借用申請の余地は」
「ありません」
「なぜ断定できる」
「授業外で箒を借りる申請は、先日すでに断られています」
ザビニが吹き出しかけた。
「そこで自分の履歴が返ってくるの、面白すぎるだろ」
グリフィンドール卓の方で、またざわめきが起きた。
エリアスの視線がそちらへ向く。
「ほら、また見た」
ザビニが言う。
「二度目だな」
「一度目だ」
「いや、三度目だよ」
ケイが小さく言い、それから視線を皿へ落とした。
「……たぶん」
「ケイに数えられてるぞ」
「数える対象ではない」
「見た回数は数えられるだろ」
ロウルは淡々と言う。
「少なくとも、今ので三度目です」
エリアスは水差しを持ち上げた。
グラスへ注ぐ。
少しだけこぼれた。
グラスの縁を伝った水滴が、皿の横へ落ちる。
ザビニが目を細める。
「珍しいな」
「何が」
「水をこぼした」
エリアスは布で拭いた。
「手元が滑っただけだ」
「ニンバスのせいでな」
「違う」
「違いません」
ロウルの返事は早かった。
マルフォイの声が、少し離れた場所から聞こえた。
「そもそも、なぜポッターだけが箒を持てるんだ」
その声に、周囲のスリザリン生がいくらか静かになる。
マルフォイは葡萄の皿へ手を伸ばしながら、しかし食べずに指先で転がしていた。
クラッブとゴイルは隣で肉を食べている。
話の中身を追っている様子は薄い。
ただ、マルフォイが顎を上げると、二人も同じ方を見た。
「一年生は個人の箒を持ち込めないはずだろう?」
「例外ですね」
ロウルが静かに言った。
マルフォイの視線がこちらへ向く。
「例外で済ませるのかい?」
「規則上は、教授が許可を出した場合の特例でしょう。詳細な条文は確認していませんが」
「マクゴナガルが、ポッターに、ニンバスを?」
マルフォイの口元が硬くなる。
「特例どころじゃない。高級箒だぞ」
ザビニが薄く笑った。
「それはまあ、そうだな」
「フェアじゃない」
誰かが言う。
マルフォイはそれに乗るように顎を上げた。
「無断飛行をして、箒をもらう。グリフィンドールらしい特別扱いだ」
スリザリン卓の空気が少し尖る。
フォークの音が減った。
何人かがグリフィンドール卓を見て、すぐに視線を戻す。
マルフォイの指先では、葡萄が皿の上を小さく転がっていた。
エリアスは、肉を切りながら言った。
「一年生に持たせるには過剰だが、シーカーに持たせるなら合理的だ」
近くの会話が止まった。
ザビニがゆっくりこちらを見る。
「お前、本当にそこなんだな」
「そこ以外に何を見る」
マルフォイの眉が動いた。
「問題はそこじゃない。ポッターが特別扱いされたことだ」
「それは別の問題だ」
「別?」
「今は箒の話をしている」
ザビニが口元を押さえた。
ケイは視線を皿へ落とし、肩を小さく揺らしている。
ロウルだけは、真面目な顔のままだった。
マルフォイの声が少し低くなる。
「君はポッターに甘いね」
「甘いかどうかは関係ない」
「じゃあ何だ」
「用途だ」
エリアスはグラスを置いた。
「シーカーは高速で移動する小型目標を追う。発見、追跡、接近、制動、捕獲。授業用箒より、加速、旋回、制動、応答性の高い機体を与える方が競技上は合理的だ」
「機体?」
ザビニが繰り返す。
「箒だろ」
「飛行具だ」
「余計おかしい」
ロウルが咳払いをした。
「情報量が多すぎます」
「まだ少ない」
「それが問題です」
ケイが遠慮がちに言った。
「ニンバスって、そんなに速いの?」
「公称値では、時速二百キロ級。現行品では最速帯だ」
ケイのフォークが止まる。
「……箒で?」
「箒で」
「それ、落ちたら」
「死ぬ可能性が高い」
ケイの顔が引きつった。
「聞かなきゃよかった」
ザビニが笑う。
「お前、説明する時に相手の顔を見ろよ」
「事実だ」
「事実でも昼食中に言うな」
少し離れた席で、マルフォイが葡萄を皿の上で転がした。
口元は笑っていたが、指先の動きだけが妙に速い。
「広告を暗唱して、何が楽しいんだ」
「暗唱ではない」
「今のが暗唱じゃないなら、何なんだい」
「記録の一部だ」
ザビニが目を細める。
「それを暗唱って言うんじゃないのか」
エリアスは続けた。
「ニンバス2000はマホガニー材の柄を使っていると表示されていた。穂先はヤナギの小枝。整流、制動、旋回性を意識した競技用設計。広告の書き方は誇張を含むだろうが、授業用箒とは前提が違う」
ザビニはしばらく黙ったあと、ゆっくりと言った。
「待て。今、何語を話したんだ?」
「ニンバスの広告だ」
「読んだのか」
「読まない理由がない」
「普通はないんだよ、その理由が」
ロウルは額に手をやりそうになって、途中でやめた。
「レン、今は形式より、落ち着いてください」
「落ち着いている」
「水をこぼしました」
「拭いた」
「そういう問題ではありません」
ケイが小さく言った。
「レン、ちょっと楽しそうだよ」
「楽しいとは言っていない」
「言ってないけど」
ケイは視線をグリフィンドール卓へ向け、それからエリアスの手元へ戻した。
「さっきから、食事が全然進んでない」
エリアスは皿を見た。
肉は半分残っている。
豆も残っている。
パンは手つかずだった。
「昼食はまだ終わっていない」
「そうじゃなくて」
ザビニが笑う。
「ケイ、諦めろ。こいつ今、頭の中で箒を分解してる」
「分解はしない」
「しないのか?」
「できるならしたいが、現物がない」
「最悪だな」
ロウルの声が少し沈んだ。
「絶対にポッターの箒を分解しようとしないでください」
「しない」
「本当に?」
ケイの声には、少しだけ本気の不安が混じっていた。
「所有者の許可がない」
ザビニが机に突っ伏しかけた。
「許可があればやる気だ」
「比較には実物が要る」
「ほら」
ケイは少し笑った。
「それ、やっぱり欲しいってことだと思う」
「違う」
「違いません」
ロウルが即座に言った。
「資料が欲しいだけだ」
「資料と実物を混同しています」
「箒は資料になり得る」
「なり得ますが、今の君は資料と言いながら実機を見たいだけです」
ザビニはパンを皿に置き、肩を揺らした。
「ロウルがここまで言うなら、もう諦めた方がいいぞ」
エリアスは答えず、グリフィンドール卓を見た。
四度目。
いや、三度目だ。
おそらく。