ようこそ根源があふれた魔法の学校へ   作:shinkyu10

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杖選び

 

 

 

 

グリンゴッツを出た時より、荷袋は少し重くなっていた。

 

金の重さではある。

けれど、それだけではなかった。

 

銀行。金庫。ゴブリン。契約。通貨。レン家の古い記録。

 

前世でよく知るような秘密結社ではない。

もはやひとつの世界だ。

そう理解したばかりなのに、ダイアゴン横丁はまだ平然と奥へ続いている。

 

薬瓶。羽根ペン。大釜。奇妙な鳴き声。見知らぬ本の背表紙。

歩くたびに、前提が少しずつ削られていく。

 

フリットウィックは、その削られ方を急かさなかった。

必要な店を順番に巡り、必要な説明だけを添える。

 

ローブの仮注文を済ませ、細かな道具をいくつか買い終えたところで、小柄な教授は一軒の店の前で足を止めた。

 

細長い店だった。

入口は狭く、窓も小さい。

看板には、一部が剥がれ落ちたヴィンテージ風の金色の文字が刻まれている。

 

オリバンダーの店

紀元前三八二年創業

高級杖メーカー

 

紀元前。

その数字だけで、喉の奥に何かが引っかかった。

 

紀元前から続く店。

杖を売る店。

そんなものが、商店街の一角に平然と存在している。

 

「ここで杖を選びます」

 

フリットウィックが言った。

 

「選ぶ、ですか?」

 

「ええ。ただし、少し正確ではありませんね」

 

フリットウィックの目が、楽しそうに細くなった。

 

「杖もまた、持ち主を選ぶのです」

 

杖が、持ち主を選ぶ。

道具に対する言い方ではなかった。

少なくとも、前世で慣れ親しんだ魔術礼装や補助具への言い方ではない。

礼装は、設計され、調整され、運用される。

 

相性はある。

癖もある。

けれど、選ぶ、とは言わない。

使うとすれば、それは作り手の趣味か、所有者の錯覚だ。

 

扉を開けると、乾いた木の匂いがした。

古い紙の匂いもある。埃の匂いもある。

 

狭い店の中には、天井まで届く棚が並び、細長い箱がぎっしりと積まれていた。

 

箱。

箱。

箱。

 

小さな店のはずなのに、奥行きがうまく掴めない。

棚の隙間にも、床の影にも、まだ別の箱があるように見える。

 

ここは単なる商店ではない。

木と芯材と、人の手と、長い年月が積み上がった場所だ。

 

カウンターの向こうから、痩せた老人が現れた。

白っぽい目。細い手。

物音もなく立っている。

いつからそこにいたのか、分からなかった。

 

「やあ、フィリウス」

 

老人が言った。

声は小さいが、店の奥までよく通った。

 

「今年も、素晴らしい新入生を連れてきてくれたね」

 

「ええ、ギャリック。こちらはエリアス・レン君です」

 

老人の視線が、エリアスへ移った。

顔。髪。手。鞄。

そして、左目の周り。

視線は一瞬、傷のあたりで止まった。

 

けれど、そこに同情はなかった。

好奇心も、むき出しではない。

古い火傷痕を見て、すぐに言葉へ変えるような無遠慮さもなかった。

ただ、見た。

そして、何も言わなかった。

 

それは少しだけありがたかった。

 

「……さて」

 

老人は、ゆっくりと言った。

 

「ようこそ、ミスター・レン。待ちかねましたよ。あなたがここへ来る日をね」

 

初対面の客を迎える軽さはなかった。

からかう響きでもない。

 

老人の白い目は、もう一度エリアスの顔から手元へ移った。

 

「あなたのお父上は、オークの木。芯はドラゴンの心臓の琴線。八インチ半。頑固ですが、正直な杖でした」

 

胸の奥で、何かがわずかに動いた。

 

父。

オーウェン・レン。

記憶にはいない人。写真の中にしかいない人。

 

「あなたのお母上は、柳の木にユニコーンのたてがみ。十インチ。よくしなる、優しい杖でした」

 

母。

エレノア・ヘイル・レン。

その名も、写真の裏に書かれた文字でしか知らない。

二人の杖が、この店では昨日売られた品物のように語られている。

 

いや、品物ではない。

 

老人の口ぶりには、買われた品を思い出す響きではなく、ここを訪れた人間を思い出す響きがあった。

 

「覚えているんですか?」

 

「もちろんです」

オリバンダーは、当然のことのように言った。

「私がこの店でお売りした杖は、一本残らず覚えております」

 

誇りではない。

事実として言っている。

その声に、誇示する熱はなかった。

だからこそ、嘘には聞こえなかった。

 

「あなたが来ることは、いつかあると思っておりました」

 

オリバンダーは、棚の奥へ目をやった。

 

「オーウェン・レンと、エレノア・ヘイル。二人がそれぞれの杖を持ってこの店を出ていった日のことを、私は今でも覚えております。そして、二人の子が十一歳になる年も」

 

そこで、ほんの短い間が空いた。

 

「事故のことも、耳にしております」

 

傷には触れない。

事件の細部も聞かない。

 

ただ、それだけだった。

 

予言めいた言い方ではある。

けれど、未来を見たからではない。

この老人は、店を訪れた人間と、その人間が選ばれた杖を覚えている。

その積み重ねとして、今ここに立つエリアスを見ている。

そういうことなのだろう。

 

「ふむ。杖腕はどちらかね?」

 

「杖腕?」

 

フリットウィックが横から、柔らかく補った。

 

「実際に杖を持つ方の腕のことですよ。ほとんどの方は利き腕で持ちます」

 

なるほど。

道具の扱いとしては自然だ。

だが、わざわざ専用の呼び名がある。

それだけ、この世界では杖を持つことが身体の一部に近いのだろう。

 

「右です」

「よろしい。では、腕を」

 

カウンターの下から、銀色のメジャーが出てきた。

ローブ店のメジャーを思い出し、少しだけ警戒する。

メジャーは勝手に動いた。

だが、マダム・マルキンの店のものより、ずっと静かだった。

 

肩から指先。手首から肘。首回り。胸。膝。額から顎。

鼻の幅までは測ろうとしない。

その点だけは信用できそうだった。

 

オリバンダーは、その間ずっと棚を見ていた。

 

測っているのはメジャーで、選んでいるのは老人だ。

 

いや、老人だけではない。

棚の奥で、いくつかの箱が、ごくわずかに鳴った。

 

木が鳴る音。

乾いた、細い音。

 

「まずは、こちらを」

 

細長い箱が開けられた。

 

「柳の木。ユニコーンのたてがみ。十インチ。よくしなり、治癒に向く杖です」

 

差し出された杖は、細く、軽かった。

ただの木の棒に見える。

けれど、ただの木ではない。

触れる前から、空気がほんの少しだけ整っている。

 

指先に乗せると、薄い流れが入ってきた。

 

木材。芯材。人の手。

何らかの調律。

これは触媒だ。

術式を安定させ、出力方向を固定するための外部補助器。

 

そう考えた瞬間、杖は手の中でぴくりと震えた。

 

次の瞬間、棚の上の箱がひとつ落ちた。

 

ぱん、と軽い音がして、蓋が床に転がる。

 

オリバンダーは、眉ひとつ動かさなかった。

 

「違いますな」

 

杖を取り上げられる。

 

早い。

失敗したというより、拒まれたようだった。

 

「今、何が起きたんですか?」

 

「杖が答えたのです」

 

「答えた?」

 

「あなたとは合わない、と」

 

合わない。

道具が使用者を拒む。

 

礼装にも相性はある。

だが、それは出力効率や魔力の通りやすさの問題だ。

合わないなら、調整する。術式を変える。持ち方を変える。媒介を挟む。

それで済むはずだった。

 

「では、次を」

 

箱が開く。

 

「樺の木。ドラゴンの心臓の琴線。九インチ。気が強く、力の出が早い杖です」

 

今度の杖は、触れた瞬間に熱を持った。

 

強い。

出力そのものは先ほどより上だ。

だが、粗い。

血管に熱湯を流し込まれるような違和感があった。

 

指先が勝手に強く握りそうになる。

抑える前に、カウンターの上の羽根ペンが黒く焦げた。

 

「これも違いますな」

 

オリバンダーは、むしろ楽しそうだった。

 

「ミスター・レン。あなたは、杖を計算機のように扱おうとしている」

 

その言葉に、視線が上がった。

 

「計算機?」

 

「そうです。入力すれば、決まった出力が返る。あなたはそういうものとして杖を見ている」

 

言い当てられた不快感が、喉の奥に残った。

 

「違うんですか?」

 

「大きく違います」

 

オリバンダーは、棚の方へ歩いた。

 

「杖は、ただの道具ではありません。木があり、芯があり、作り手があり、そして選ばれる者がいる。杖は魔法使いの手に収まりますが、従うだけの棒ではありません」

 

棚の奥で、また箱が鳴った。

 

「杖には、意思が宿っております。だからこそ、対話するものなのです」

 

対話。

その言葉は、妙に耳に残った。

 

計算ではない。支配でもない。

対話。

そんな曖昧なものを、術の中心に置くというのか。

 

「では、杖が気に入らなければ、魔法は使えないと?」

 

「かなり不便でしょうな」

 

オリバンダーは淡々と言った。

 

「もっとも、杖が気に入るかどうかという言い方も、少し違います。あなたが杖に何を求め、杖があなたに何を見つけるかです」

 

分からない。

分からないが、無視していい言葉ではなかった。

 

次々と杖が試された。

 

「柊の木。ユニコーンのたてがみ。十一インチ。守りに強い」

 

守る、という言葉に反して、杖先から出た白い火花は棚の上で弾け、箱を三つ震わせた。

 

「違いますな」

 

次は、ブナの木だった。

 

「ブナの木。ドラゴンの心臓の琴線。九インチ半。少々堅い」

 

握った瞬間、手の中の杖は重くなった。

重さそのものが増したわけではない。

こちらを値踏みし、まだ足りないと言っているような重さだった。

 

「これも違いますな」

 

トネリコの木は、もっと静かだった。

 

「トネリコの木。ユニコーンのたてがみ。十インチ。持ち主に忠実」

 

その杖は、指に触れた瞬間から冷たかった。

拒絶ではない。

ただ、こちらを持ち主とは認めない沈黙だった。

 

「違いますな」

 

ハシバミの木の杖では、少し違う反応があった。

 

「ハシバミの木。不死鳥の尾羽。九インチ。感情に敏感」

 

その説明が終わる前に、杖先から水滴のような光が落ちた。

床に触れる前に消えたが、左目の傷の奥で、かすかに熱が揺れた。

オリバンダーの白い目が細くなる。

 

「惜しい。ですが、これでもありません」

 

芯材も違えば、木の気質も違う。

ユニコーンのたてがみ。

ドラゴンの心臓の琴線。

不死鳥の尾羽。

 

どの杖も、ただ出力を変えるだけの部品ではなかった。

 

反応はそれぞれ違った。

棚の箱が震える。椅子の脚が鳴る。小さな火花が飛ぶ。床板が一枚だけ浮き上がり、すぐ戻る。

そのたびに、オリバンダーは首を振る。

 

フリットウィックは黙って見ていた。

目は穏やかだが、ただの付き添いではない。

こちらの魔力の流れと、杖の反応を同時に見ている。

そういう目だった。

 

「面白い」

 

オリバンダーが言った。

 

杖を振るたびに店のどこかが吹き飛ぶのではないかと身構えている側としては、まったく面白くない。

 

「あなたの魔力の流れは、まっすぐではありません。普通の子どもより整っているところがある。ですが、ところどころで不自然に迂回している」

 

左目の周りが、じわりと熱を持った。

傷の内側を、何かがなぞったような感覚。

 

「事故の影響でしょうか」

 

フリットウィックの声が少し低くなった。

 

「かもしれません」

 

オリバンダーは、それ以上踏み込まなかった。

傷の意味も、事故の詳細も、聞かなかった。

ただ、棚の奥へ手を伸ばした。

 

今度の箱は、他のものより少し古かった。

灰色がかった細長い箱。

蓋には、薄く埃が乗っている。

 

「月桂樹の木。十一インチ。不死鳥の尾羽」

 

オリバンダーは言った。

 

「怠惰を嫌い、栄光を求める者に応じることがある。ですが、扱いを誤れば、持ち主の手を離れることもあるでしょう」

 

月桂樹。

その木の名には、前世の記憶が反応した。

 

勝利。栄光。詩人。予言。

そして、怠惰を許さない木。

 

不死鳥の尾羽。

炎と再生の象徴。死んでも戻る鳥。

木と芯材の組み合わせだけなら、出来すぎている。

あまりにも意味が強い。

意味が強すぎるものは、扱いにくい。

そういうものだ。

 

杖が差し出された。

 

触れる前から、左目の傷が熱を持った。

痛みではない。

だが、無視できない熱だった。

 

火傷痕の奥で、あの日の赤と黒がわずかに揺れる。

同時に、十年かけて整えてきた魔力の流れが、背骨の奥でかすかに震えた。

 

逃げろ、ではない。

拒む、でもない。

見られている。

そんな感覚だった。

 

指先が、杖に触れた。

瞬間、店内の埃が静かに浮いた。

 

光が走る。

大きな光ではない。

派手な火花でもない。

薄い金色の線が、指先から杖の先へ抜け、空気の中で細くほどけた。

 

木の匂いがした。

乾いた月桂樹の匂い。

 

それから、遠い火の匂い。

焦げ臭さではない。

灰の奥に残る、まだ消えていない火の匂い。

 

左目の傷が、強く熱を持った。息が止まる。

だが、杖は離れなかった。

むしろ、手の中に収まってくる。

 

こちらの乱れた流れを、拒まない。整えもしない。

ただ、聞いている。

その感覚が、ひどく気味悪かった。

同時に、これまで試したどの杖よりも静かだった。

 

オリバンダーの白い目が、細くなる。

 

「おお」

 

小さな声だった。

 

フリットウィックも、ほんの一瞬だけ息を止めたようだった。

すぐにいつもの表情へ戻ったが、指先がローブの袖を軽く押さえている。

 

何かを見たのだ。

少なくとも、何も起きなかったわけではない。

 

杖の先から、もう一度、淡い光が流れた。

 

棚の箱は揺れない。羽根ペンも焦げない。床板も浮かない。

ただ、店の空気だけが少し澄んだ。

 

「どうやら」

 

オリバンダーは、ゆっくりと言った。

 

「この杖は、あなたと話す気になったようです」

 

話す気。

また、その言い方だ。

 

「僕が選んだわけではないんですね」

 

「いいえ」

 

老人は、当然のように答えた。

 

「杖が選ぶのです。もっとも、あなたがここまで来なければ、杖もあなたを選べませんでしたが」

 

詭弁のようで、詭弁ではない。

原因と結果が、手の中で捻じれている。

 

「月桂樹は、怠惰な持ち主を嫌います」

 

オリバンダーは杖を見ながら言った。

 

「この木の杖は、時に気まぐれだと言われます。ですが、私は少し違うと思っております。月桂樹は、怠ける者を待たないのです」

 

手の中の杖が、かすかに温かい。

 

「名誉を求める者、勝利を求める者、栄光から逃げない者の手では、非常に強い魔法を示すことがあります。時には、致命的なほどに」

 

致命的。

その一語で、手の中の温度が少し変わったような気がした。

 

「ですが、不名誉な行いには向かないとも言われています。持ち主がその道を踏み外せば、杖の方が応じないこともあるでしょう」

 

「杖が、拒むんですか?」

 

「ええ。杖は、ただ従うだけの棒ではありませんから」

 

オリバンダーの白い目が、杖からエリアスの手元へ移った。

 

「月桂樹の杖は、一度よい持ち主を得れば、長く添います。けれど、怠惰な持ち主ならば、驚くほど容易に離れてしまうことがある。そして、盗もうとする者には、少々手荒い挨拶をすることもあります」

 

「手荒い挨拶?」

 

「雷です」

 

短い答えだった。

冗談には聞こえなかった。

 

手の中の杖は、静かにしている。

けれど、その静けさが少しだけ信用ならなくなった。

 

「不死鳥の尾羽は、さらに気難しい芯です」

 

オリバンダーは続けた。

 

「もっとも希少で、もっとも広い魔法を示すことがある。ですが、その力をすぐに明かすとは限りません。時間がかかることもあります」

 

不死鳥。死んでも戻る鳥。炎と再生の象徴。

だが、目の前の老人が語るそれは、ただ美しい神秘ではなかった。

 

「この芯は、自分で動こうとすることがあります。持ち主の望みを待たず、杖の側が先に何かを示すことがある。多くの魔法使いは、それを好みません」

 

当然だ。

勝手に動く触媒など、事故の温床でしかない。

 

「それに、不死鳥の尾羽は、持ち主を選り好みします。手懐けるのも、馴染ませるのも難しい。忠誠を得るには、時間がかかるでしょう」

 

「簡単な杖を勧める気はないんですか?」

 

「あなたに簡単な杖が合うとは思えません」

 

オリバンダーは、さらりと言った。

その言葉には、褒める響きも、慰める響きもなかった。

ただの判断だった。

だから、余計に否定しにくい。

 

フリットウィックが、ようやく口を開いた。

 

「レン君。握った感じは?」

 

握った感じ。

そんな雑な問いで済ませていいのか。

そう思ったが、ほかに言い方がないことも分かっていた。

 

「……落ち着かないです」

 

正直に答えるしかなかった。

 

「でも、離したいわけではないです」

 

フリットウィックの目が、柔らかく細くなった。

 

「それは、よろしい」

 

また、それだ。

何がよろしいのか、分からない。

だが、今度は少しだけ分かる気もした。

 

落ち着かない。

けれど、離したくない。

それは、ただの道具への感想ではない。

 

杖は手の中で、静かに沈黙している。

だが、完全な沈黙ではなかった。

耳を澄ませば、何かが返ってきそうな沈黙。

問いを投げれば、答えではなく、別の問いを返してきそうな沈黙。

 

計算機ではない。

 

これは、たしかに対話に近い。

腹立たしいことに、オリバンダーの言葉は正しかった。

 

「お代は七ガリオンになります」

 

現実的な金額が告げられた瞬間、少しだけ空気が戻った。

 

袋から硬貨を出す。

ガリオン。

まだ馴染まない金貨。

 

それを数えてカウンターに置く。

 

オリバンダーは、杖を箱へ戻さなかった。

 

「箱は必要ですか?」

 

「持ち歩くなら」

 

「持ち歩くでしょうね」

 

老人は細長い箱と布を用意した。

月桂樹の杖は、布に包まれてもなお、どこかでこちらを見ているようだった。

 

店を出る時、オリバンダーの声が背中に届いた。

 

「ミスター・レン」

 

振り返る。

 

老人は、カウンターの奥に立っていた。

白い目が、傷ではなく、手元の杖を見ている。

 

「杖を理解しようとするのは結構です。ですが、理解したからといって、支配できるとは限りません」

 

その言葉は、店の埃よりも静かに落ちた。

 

フリットウィックは何も言わなかった。

 

すぐには返せなかった。

 

「覚えておきます」

 

それだけ答えた。

 

オリバンダーは、わずかに微笑んだ。

 

「ええ。覚えておくとよいでしょう」

 

外へ出ると、ダイアゴン横丁の喧騒が戻ってきた。

 

袋の中には金がある。

腕にはローブの採寸票がある。

そして、手には杖がある。

 

月桂樹。不死鳥の尾羽。十一インチ。

 

左目の傷は、まだ少し熱を持っていた。

 

痛みではない。警告でもない。歓迎でもない。

ただ、何かが始まったという感覚だけが残っていた。

 

フリットウィックが隣で言った。

 

「次は本屋へ行きましょうか」

 

「はい」

 

そう答えながら、手の中の杖を一度だけ握り直した。

 

杖は、何も言わなかった。

 

けれど、その沈黙は、ただの木の沈黙ではなかった。

 

 

 

 

 

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