昼
空は、どこまでも青かった。
雲ひとつなく、ただ巨大な太陽だけが、世界の中心みたいに空へ浮かんでいる。
「…………」
ステラは一人、中部山脈の頂へ立っていた。
風が吹く。
荒れた岩肌を撫で、橙色の髪を揺らしていく。
遠くには、かつてメンシスとの戦闘で抉れた山々。
巨大な戦闘痕は今も残っていて、ここが“人の世界の外側”だと静かに語っていた。
誰もいない。
音もない。
あるのは、空と太陽だけ。
「……いい天気」
ぽつり、とステラは呟いた。
まるで皮肉みたいだった。
こんな日に、自分は死ぬかもしれない。
でも、不思議と怖くはなかった。
いや、怖くないわけじゃない。
ちゃんと怖い。
ソラリスはイグニスを殺した。
最強だった炎の魔法少女を、真正面から壊した怪物だ。
自分が勝てる保証なんて、どこにもない。
「…………」
ステラは、ゆっくり空を見上げた。
目が焼けそうなくらいに眩しい。
その光の中で、思い出す。
イグニスの背中、大きな手、笑い声。
頭を撫でてくれた温度。
“ステラは普通の子でいて”って、困ったみたいに笑っていた顔。
そして、ノクスの顔も浮かんだ。
真っ直ぐな声、放っておけないって言葉、隣で笑ってくれた時間。
楽しそうに未来を見てくれた、愛しい人
「…………っ」
胸が少し痛む。
思い出すだけで、気持ちが揺れる。
一緒にいたい、生きて帰りたい、もっと笑っていたい。
そんな願いが、どんどん大きくなる。
でも。
「……だめ」
ステラは、小さく首を振った。
その感情に引っ張られてはいけない。
死を恐れては勝てない。
守りたいものへ縋れば、刃は鈍る。
願いは届かない。
私は、太陽になれない。
「……これでいいの」
自分へ言い聞かせるように呟く。
ノクスが傷つくところを見たくない。
泣く顔も、血を流すところも、見たくない。
だから、一人で来た。
これが正しい。
これしかない。
「……もう、決めたんだから」
静かな声だった。
逃げない、揺らがない。
イグニスみたいに、誰かを守って最後まで笑う。
それが、自分の選んだ答えだ。
ステラはゆっくり目を閉じる。
次の瞬間。
橙色の魔力が爆発的に噴き上がった。
空気が震え、山肌が軋む。
まるで、地上へ新しい太陽が生まれたみたいに。
ステラの髪が、灼けるような光の中で揺れる。
橙色の瞳は、真っ直ぐ空を見据えていた。
「来なよ、ソラリス」
その声は静かだった。
でも、世界へ届くほど強かった。
「――私は、ここにいる!」
瞬間だった。
「――――っ」
空気が、変わる。
ぞわり、と。
全身の皮膚を何かが撫でた。
温度ではなく、圧力でもなく、もっと本能に近い何か。
“いる”。
その感覚だけが、脳へ直接叩き込まれる。
ステラは反射的に顔を上げた。
「……っ」
さっきまで、どこまでも青かった空。
そこに、“何か”がいた。
見えていないし、輪郭もないのに分かる。
空の向こう側に、巨大な存在がいる。
世界を見下ろしている。
その瞬間。
――――バキ、バキバキッ。
空間へ亀裂みたいなものが走った。
「な――」
次の瞬間、透明な膜のようなものが空全体を覆い尽くす。
結界、いや、もっと異質なものだ。
空そのものへ蓋をするみたいに、巨大な壁が世界を閉じていく。
青空が消え、太陽が隠れる。
昼だった世界が、一瞬で薄暗く染まった。
風が止み、音が消える。
世界から切り離されたみたいだった。
「…………」
ステラは息を呑む。
本能が警鐘を鳴らしていた。
危険すぎる、圧倒的な存在が目の前にいる。
イグニスを殺した怪物が、目の前にいる。
その時、声が響いた。
『――太陽は、二つもいらないとは思わないか?』
「――――」
低く、静かな声。
おそらく、女性の声。
感情が薄いのに、不思議なくらい耳へ残る。
空から聞こえている。
いや、世界そのものが喋っているみたいだった。
ステラはゆっくり前を見る。
いつの間にか、そこに“誰か”が立っていた。
黒く長い外套。
人型だけれど、人間じゃないと一目で分かる。
周囲の空間が歪み、存在しているだけで景色が軋む。
顔は見えず、輪郭すら曖昧だ。
なのに、その中心だけは異様なほど眩しかった。
まるで、黒い太陽。
『一つあれば十分だ』
ソラリスが、静かに言った。
その瞬間、ステラの背筋を凍るような殺意が走った。
「――ソラリス」
ステラの声は、驚くほど静かだった。
叫びたくなるほど憎かった。
四年間、ずっと追い続けた。
なのに実際に目の前へ現れると、怒りより先に理解してしまう。
――勝てるのか、これに。
空気が、存在の密度が違う。
ソラリスがそこへ立っているだけで、世界の重力そのものが変わったみたいだった。
呼吸が浅くなり、視界が揺れる。
魔力が、本能的に拒絶している。
『……なるほど』
ソラリスが、静かにステラを見る。
その視線だけで、肌が焼けるようだった。
『イグニスの残滓か』
その瞬間、ステラの瞳から感情が消えた。
「その名前を」
橙色の魔力が、膨れ上がる。
大地が軋む。
「――お前が口にするなッ!!」
ステラの姿が掻き消えた。
一瞬でソラリスの懐へ踏み込み、メイスを叩き込む。
空気が爆ぜ、山肌が吹き飛ぶ。
直撃するはずだった。
「――――え」
ソラリスは、片手でステラの拳を受け止めていた。
まるで、子供を止めるみたいに。
橙色の魔力が荒れ狂う。
だが、その中心でソラリスだけが静止していた。
『軽い』
ぼそり、と。
『怒りに寄りすぎている』
次の瞬間、ステラの視界が反転した。
「っぁ――!!?」
轟音、身体が地面へ叩きつけられる。
山が揺れ、岩盤が砕け巨大なクレーターが穿たれる。
「――っ、ぁ……!」
肺から空気が抜け、痛み。
速過ぎて何をされたのか、理解が追いつかない。
ソラリスは空中へ浮かんだまま、静かにステラを見下ろしていた。
『イグニスの方が強かった』
「――――」
その言葉で、ステラの中の何かが切れた。
「……っ、ぁあああああああッ!!」
爆発的な魔力、橙色の炎が山脈を呑み込む。
熱波で岩が融け、ステラは血を流しながら立ち上がった。
瞳だけが、燃えている。
「黙れ……!」
声が震える。
「黙れ、黙れ、黙れぇッ!!」
再び加速、空が裂ける。
灼熱が連続して炸裂する。
山脈が崩れ始める。
だが、届かない。
避けられ、流され、止められる。
ソラリスは、まるでステラの動きを全部知っているみたいに躱していた。
『君は太陽になれていない』
「――っ!!」
『ただ燃えているだけだ』
その瞬間、ソラリスの指先がステラの胸へ触れた。
本能が逃げろと叫ぶ。
黒い光が、弾けた。
「――ぁ」
音が消え、一拍遅れてステラの身体が砲弾みたいに吹き飛んだ。
ステラの身体が山肌を貫通し、そのまま岩壁へ叩きつけられる。
大地が揺れ、砕けた岩石が雨みたいに降り注ぐ。
「――っ、かは……!」
血が口から零れる。
肺が焼けるように痛く、視界が明滅する。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
ただ、“触れられた”だけだった。
それだけで、防御ごと吹き飛ばされた。
「ぁ……っ」
身体が重く、腕が震える。
魔力が乱れている。
それでも、ステラは無理やり立ち上がった。
倒れるわけにはいかなかった。
視界の向こうで、ソラリスは相変わらず空中へ浮かんでいる。
黒い外套が風もないのに揺れていた。
まるで、最初から何もしていないみたいに。
『理解したか』
静かな声。
『君とイグニスの差を』
「……っ」
ステラの瞳が揺れる。
その言葉は、刃より深く刺さった。
そんなこと分かっている。
最初から、イグニスは特別だった。
強くて、優しくて、太陽みたいで。
自分はずっと、その背中を追いかけていただけだ。
それでも。
「……だから、なんだよ」
ステラは、血を拭った。
橙色の魔力が再び燃え上がる。
「届かないから諦めろって?」
『違う』
ソラリスは静かに言う。
『君は既に壊れている』
「――――」
『復讐と愛情、その両方へ引かれている』
『だから、燃えきれない』
その瞬間、ステラの呼吸が止まった。
ソラリスは続ける。
『イグニスは違った』
『あれは、最後まで“太陽”だった』
『誰か一人へ執着しない』
『誰かのためだけに止まらない』
『全てを平等に照らし、平等に燃やす』
『だから強かった』
「……っ」
胸が痛む。
違う、と叫びたかった。
でも叫べない。
図星だったから。
ノクスを思い浮かべるだけで、心が揺れる。
生きてほしいと思ってしまう。
一緒にいたいと願ってしまう。
その時点で、自分はもうイグニスみたいにはなれない。
『君は、ただの少女だ』
ソラリスの声は、どこまでも静かだった。
『愛されたいと願い』
『一人を守りたいと願った』
『その瞬間、太陽ではなくなった』
「……黙れ」
小さな声。
『だから君は、ここで終わる』
「黙れッ!!」
橙色の光が弾け、ステラは地面を蹴った。
空間が砕け、一直線。
今度は迷わない。
恐れない。
胸の奥で揺れる感情ごと、全部燃やす。
「私は――!!」
叫びながら、武器を振りかぶる。
「太陽になるんだぁぁぁぁッ!!」
その瞬間、ソラリスの瞳が初めて僅かに細められた。
橙色の閃光が、空を裂く。
ステラの一撃が、灼熱を纏ってソラリスへ迫る。
山脈そのものを焼き尽くすような熱量。
空気が悲鳴を上げる。
だが。
『……似ている』
ソラリスは、静かに呟いた。
その声には初めて、ほんの僅かな感情が混ざっていた。
『怒りに身を焦がしながら前へ出る姿は』
『確かに、あれと似ている』
その瞬間、ソラリスの指先がステラの拳へ触れた。
空間が軋む。
しかし今度は、弾き飛ばされない。
ステラは歯を食いしばり、そのまま押し込んだ。
「っ、ぁああああ!!」
橙色の炎が荒れ狂い、ソラリスの外套が初めて揺れた。
だが。
『だが、やはり違う』
静かな声。
『イグニスはもっと純粋だった』
「――っ」
『恐怖を抱えながら、それでも笑っていた』
『壊れながら、最後まで誰かを安心させようとしていた』
『己が燃え尽きる瞬間ですら、周囲を照らしていた』
ソラリスは、どこか遠くを見るみたいに言葉を続ける。
『美しかった』
その一言で、ステラの瞳へ怒りが走る。
「……お前が」
声が震える。
「お前が、それを言うなぁぁぁッ!!」
爆発的な蹴り、空中で回転しながら叩き込む。
だがソラリスは片腕で受け止め、そのまま静かに続けた。
『あれは、本当に強かった』
『戦闘技術も、魔力量も、判断力も』
『何より、“折れなさ”が異常だった』
ソラリスの黒い瞳が、細くなる。
『普通の魔法少女は、あの領域まで到達しない』
『誰かに縋れば、弱くなる』
『死を恐れれば、刃は鈍る』
『愛した瞬間、人は壊れる』
『だがイグニスは違った』
静かな声なのに、その響きだけ妙に熱を帯びていた。
『あれは、最後まで“太陽”だった』
『誰か一人へ縋らなかった』
『孤独のまま燃え続けた』
『だから、あれほど強かった』
「違う……!」
ステラが叫ぶ。
「イグニスは孤独なんかじゃ――!!」
『孤独だった』
即答だった。
『君へ近づかないようにしていた時点で、あれは既に理解していた』
『愛すれば弱くなると』
『守りたいものが増えれば、燃えきれなくなると』
『だから、自ら離れた』
「――――」
ステラの動きが、一瞬止まる。
その隙をソラリスは見逃さなかった。
黒い閃光。
「ぁ――ッ!!」
腹部へ衝撃。
ステラの身体が吹き飛び、地面を転がる。
岩盤が砕け、血が散る。
それでもソラリスは追撃しない。
ただ、静かに見下ろしていた。
『最後の瞬間ですら』
ぽつり、と。
『イグニスは笑っていた』
ステラの瞳が揺れる。
あの日、焼ける空、崩れる世界で、血塗れなのに最後まで優しく笑っていた太陽。
『……見事だった』
ソラリスは静かに言った。
『だから私は、あれを殺したことを誇りに思っている』
その瞬間、世界が止まった。
「――――は?」
ステラの声から、感情が消える。
ソラリスは続ける。
『あれほど美しい太陽は、二度と見られない』
『だからこそ、私が終わらせる価値があった』
『私は、イグニスを誰より高く評価している』
まるで、本気で敬意を抱いているみたいに。
だからこそ。
「……あ、ぁ」
ステラはゆっくり立ち上がる。
口元から血が流れていたが、そんなことどうでもよかった。
視界の中心には、ただ一人。
黒い太陽だけがいる。
「……誇り?」
かすれた声。
「価値……?」
ソラリスは静かにステラを見ている。
否定はせず、訂正もしない。
ただ事実を語るみたいに、そこに立っている。
それが、余計に許せなかった。
「お前……っ」
橙色の魔力が噴き出す。
大地がひび割れ、周囲の岩盤が融解していく。
空気が燃える。
「お前が……イグニスを……!」
叫びと同時に、ステラの姿が消えた。
一瞬でソラリスの懐へ潜り込み、一撃を叩き込む。
山脈が揺れる。
ソラリスの身体が初めて大きく後退した。
しかし。
『怒りは出力を上げる』
ソラリスは静かに呟く。
『だが、視野を狭める』
「黙れぇぇぇぇ!!」
橙色の閃光が連続で炸裂する。
もう技術も駆け引きもなく、ただ感情のまま殴り続けていた。
ソラリスはそれを受けながら、どこか観察するように目を細める。
『……やはり違う』
「っ!!」
『君は、“誰かを失った怒り”で燃えている』
『イグニスは違った』
『あれは、“誰かを守りたい”だけで燃えていた』
その瞬間、ステラの拳が止まる。
『だから、あれは美しかった』
「……っ、るさい」
『君は復讐へ囚われている』
『だがイグニスは最後まで、自分ではなく他者を見ていた』
『だから太陽だった』
「うるさいッ!!」
至近距離で放たれた灼熱が山肌ごと吹き飛ばし、岩石が蒸発する。
しかし煙の中から現れたソラリスは、ほとんど無傷だった。
黒い外套がわずかに焦げているだけ。
ステラの呼吸が乱れ、汗が落ち、腕が震えていた。
それでも睨み続ける。
「……知ったようなこと、言うな」
低い声。
「イグニスのこと、全部分かったみたいに……言うなよ……!」
ソラリスは少し沈黙した。
そして。
『分からない』
その答えは、意外なほど静かだった。
『あれが何を思っていたのか』
『なぜ最後まで笑えたのか』
『なぜ、自分が壊れることを恐れなかったのか』
『私は理解できなかった』
黒い瞳が、空を見る。
結界の向こうの、隠された太陽の方向へ。
『だから、知りたかった』
「――――」
『だから私は、何度も問いかけた』
『なぜ立つ』
『なぜ燃える』
『なぜ壊れながら戦える』
『だが、あれは最後まで笑っていた』
ソラリスの声には、ほんの僅かに熱が混じっていた。
『“だって私は太陽だから”と』
ステラの瞳が、大きく揺れる。
何度も聞いたことがある。
イグニスが、笑いながら言っていた言葉。
泣きそうなくらい懐かしい声。
『……理解不能だった』
ソラリスは静かに続ける。
『だから、終わらせた』
『理解できないまま、燃え尽きる前に』
「…………っ」
ステラの奥歯が軋む。
怒りや憎しみ、でもそれだけじゃない。
目の前の怪物は、本当にイグニスを見ていた。
誰より近くで、誰より深く。
そして、多分、ほんの少しだけ憧れていた。
その事実が、どうしようもなく気持ち悪かった。
「……ふざけるな」
ステラの声が震える。
「勝手に見て……勝手に分かった気になって……!」
涙が滲む。
「勝手に殺して……!」
橙色の光が、再び膨れ上がる。
今度はさっきより静かだった。
怒りだけじゃない。
悲しみと、喪失と、どうしようもない愛情が混ざっている。
ソラリスはそれを見て、初めてわずかに目を細めた。
『……似てきた』
「は……?」
『今の君は、少しだけイグニスに近い』
その瞬間、ステラの中でまた別の感情が燃え上がった。
「……っざけ、るな」
ステラの声は、震えていた。
怒りとも、悲しみとも違う。
胸の奥をぐちゃぐちゃに掻き回されるような、不快感。
「近い……?」
橙色の瞳が、ソラリスを睨みつける。
「お前に……何が分かるんだよ……!」
魔力が吹き荒れる。
大地が裂け、空気が震える。
ソラリスは静かにその中心を見つめていた。
『分からない』
また同じ答え。
『だから、見ている』
『君も、イグニスも』
『太陽と呼ばれる存在を』
その声音には、怒りも嘲笑もなかった。
純粋な観察。
だからこそ異質だった。
「っ……」
ステラは歯を食いしばる。
こいつは人間じゃない。
感情の形が違う。
イグニスを殺したくせに、その生き様を誰より綺麗なものみたいに語る。
まるで、憧れていたみたいに。
「……気持ち悪い」
ぽつり、と。
ソラリスの瞳が僅かに動き、ステラは続ける。
「お前ほんとは、イグニスのこと好きだったんじゃないの」
風が止まる。
空気が凍ったみたいだった。
ソラリスは、初めてすぐに答えなかった。
ほんの数秒、それだけの沈黙なのに妙に長く感じた。
やがて。
『……好意ではない』
『だが、特別だった』
『あれほど燃えながら壊れない存在を、私は他に知らない』
『あれほど孤独で、それでも他者を照らし続ける存在を、私は知らない』
『だから、興味があった』
ソラリスは空を見上げる。
結界に覆われた黒い空に、本来そこにあるはずの太陽は見えない。
『……美しいと思った』
「…………」
ステラの指先が、小さく震える。
『だからこそ、終わらせたかった』
『あれほど燃え続けるものは、いずれ壊れる』
『ならば、最も美しい瞬間で止めるべきだと判断した』
「……っ、ぁ」
理解できないし、したくない。
でも、ソラリスは嘘をついていない。
本気でそう思っている。
イグニスを“壊したかった”んじゃない。
“完成したまま永遠に閉じ込めたかった”のだ。
ステラは吐き気を覚えた。
「……最低」
涙混じりの声。
「そんなの……そんなの、イグニスが望むわけないだろ……!」
イグニスは生きたかった。
笑いたかった。
誰かと未来を見たかった。
ステラと、きっともっと。
それなのにこいつは。
『理解している』
ソラリスは静かに答える。
『だからこそ、美しかった』
瞬間、ステラの中で何かが反転した。
怒りでもなく、憎しみでもなく、もっと静かで、深い感情。
「……あぁ」
ステラは、小さく息を吐いた。
涙が止まり、代わりに胸の奥が静かに熱くなっていく。
イグニスは、こんなのと戦っていたのか。
こんな、理解できない怪物と。
でも最後まで笑っていた。
最後まで太陽だった。
その意味を、今ようやく少しだけ理解する。
誰かを守りたかった。
誰かへ、光を残したかった。
だから最後まで笑えた。
「……そっか」
ステラは、ゆっくり顔を上げた。
その瞳から、さっきまでの激情が少し消えていた。
代わりに宿っていたのは、静かな熱だった。
「私、ずっと勘違いしてたんだ」
ソラリスが、初めて僅かに目を細める。
ステラは、自分の胸へ手を当てた。
そこにはまだ、ノクスへの想いがある。
一緒にいたい。
生きていてほしい。
抱きしめたい。
失いたくない。
そんな感情が、確かにある。
でも、それは弱さじゃない。
イグニスが最後まで守りたかったものと、同じだ。
「……私は」
橙色の魔力が、静かに燃え上がる。
今度は暖かく、真っ直ぐだった。
「一人じゃ、太陽になれない」
その瞬間、ソラリスの瞳が初めてわずかに揺れた。
『……何?』
初めてソラリスの声に、僅かな揺らぎが混ざった。
ステラは静かに立っている。
全身傷だらけで、血を流して、それでも不思議なくらい穏やかな顔をしていた。
「ずっと勘違いしてた」
橙色の魔力が、ふわりと揺れる。
さっきまでみたいな暴風じゃなく、焚き火みたいな、静かな熱。
「私は、イグニスみたいにならなきゃって思ってた」
「一人で燃えて、一人で立って、一人で全部背負えるくらい強くならなきゃって」
ステラは、自嘲するみたいに笑う。
「でも無理だったんだよね」
ノクスの顔が浮かぶ。
笑った顔。
困った顔。
無意識に優しい言葉を投げてくる顔。
“ステラと一緒に居たい”
その声が、まだ胸に残っている。
「大切な人が、できちゃったから」
その瞬間、ソラリスの周囲の空気が、わずかに軋んだ。
『……それが、君を弱くする』
「違う」
即答だった。
ステラは、真っ直ぐソラリスを見る。
「それが、私をここに立たせてる」
橙色の魔力が膨れ上がる。
だが今度は破壊的じゃない。
周囲を焼き潰す炎ではなく、夜を照らすための光だった。
「怖いよ」
ステラは正直に言った。
「ノクスが傷つくの、ほんとに怖い」
「いなくなるとか、考えたくない」
「だから逃げたくなったし、一人で終わらせたかった」
静かな告白。
胸へ手を当てる。
「でもそれって、誰かを大切に思ってるってことでしょ」
ステラは笑った。
その笑顔は、どこかイグニスに似ていた。
「私は、それを捨てたくない」
『…………』
ソラリスが黙る。
理解できないものを見る目だった。
いや、理解しようとしている目。
「イグニスも、きっとそうだった」
ステラは続ける。
「一人だったわけじゃない」
「誰かが好きで、誰かを守りたくて、だから最後まで燃えられた」
「だから太陽だったんだ」
ソラリスの黒い瞳が、わずかに揺れる。
『……繋がりは、いずれ破滅を呼ぶ』
低い声。
『失う恐怖は判断を鈍らせる』
『執着は戦士を壊す』
「うん」
ステラは頷いた。
「壊れると思う」
『ならば――』
「でも」
ステラは遮り、橙色の光が静かに空を照らす。
「壊れるのが怖いから、誰も好きにならないなんて」
「そんなの、寂しすぎるよ」
その言葉。
それはきっと、ソラリスには存在しない感情だった。
『…………』
空気が震える。
結界の向こうで、隠された太陽がわずかに光った気がした。
ステラは、ゆっくり構える。
炎が腕へ集まる。
でももう、その瞳に迷いはなかった。
「私はイグニスにはなれない」
「ノクスを置いて、一人で燃え尽きたりできない」
小さく笑う。
「多分、あの子泣くし」
その光景を想像してしまって、少しだけ胸が痛くなった。
でも同時に、帰りたいと思った。
ノクスのところへ、生きて帰りたい。
その願いが、胸の奥で熱になる。
「だから私は」
ステラは、一歩前へ出る。
橙色の光が爆発的に膨れ上がった。
今までで一番眩しく、温かい。
「“私のまま”、太陽になる」
瞬間、空が割れた。
ソラリスは、静かにステラを見下ろしていた。
黒い空、閉ざされた結界。
太陽を覆い隠した闇の中で、それでもあの黄金だけが眩しかった。
「……なるほど」
ソラリスが、小さく呟く。
「理解した」
その声に、ステラは眉をひそめた。
「何を」
問い返すが、ソラリスはすぐには答えない。
代わりに、ゆっくり空から降りてくる。
重力すら従わせるような動き。
足先が地面へ触れた瞬間。
――ドン、と。
空気そのものが沈んだ。
山肌が軋む。
岩が砕ける。
ステラの身体へ、圧力が叩きつけられる。
「っ……!」
膝が沈みそうになるが、耐える。
ソラリスはその姿を見て、静かに目を細めた。
「イグニスも、そうだった」
「…………」
「私の前で、最後まで膝をつかなかった」
その声に、敵意はなかった。
むしろ、どこか懐かしむような響きさえある。
「理解不能だった」
ソラリスは続ける。
「なぜそこまで燃え続けられるのか」
「なぜ壊れるほど戦えるのか」
「なぜ、自分より他者を優先できるのか」
黄金の瞳が、静かに細められる。
「だが、美しかった」
「イグニスは、美しかった」
ソラリスは、本気でそう言っていた。
皮肉でも侮辱でもなく、純粋な賞賛。
「燃えながら笑っていた」
「死にかけながら、誰かを守ろうとしていた」
「敗北を理解してなお、最後まで前へ出てきた」
ソラリスが、一歩近づく。
「太陽だった」
低く、静かな声。
「――だから殺した」
「……ふざけないで」
「お前も似ている」
「…………」
「だから、ここへ一人で来た」
図星だった。
ノクスを置いてきた。
巻き込みたくなかった。
傷つけたくなかった。
守りたかった。
その感情が、自分をここへ立たせている。
「その感情は、太陽へ近い」
ソラリスが言う。
「己を燃料にして、誰かを照らそうとする愚行」
「だが、美しい」
「……黙れ」
ステラの声が低くなる。
「お前が……お前が、イグニスを語るな……!」
炎が爆ぜ、橙色の魔力が天へ噴き上がる。
山脈を揺らす熱量にソラリスの髪が、熱風で揺れる。
それでも、黄金の瞳は静かだった。
「怒り」
「愛情」
「恐怖」
「喪失」
ソラリスが呟く。
「素晴らしい」
「その全てが、お前を強くしている」
ステラの瞳が見開かれる。
次の瞬間、ソラリスが初めて笑った。
それは、人間の笑みではなかった。
太陽が割れるような笑みだった。
「見せてみろ」
空間が軋む。
「イグニスが命を懸けて守った光を」
黄金の魔力が、世界を埋め尽くした。
空が鳴き、黒い結界の内側で世界そのものが圧し潰されていくみたいだった。
ステラは反射的に後ろへ飛ぶ。
直後、さっきまで立っていた地面が“消えた”。
「――っ!?」
轟音すら遅れて来る。
山肌が丸ごと抉れ、熱で融解し、赤黒く焼け落ちていく。
ただの魔力放射じゃない。
存在そのものを押し潰すような暴力。
ソラリスは、その中心で静かに立っていた。
『どうした』
黄金の瞳が、ステラを見つめる。
『怒っていたはずだ』
『イグニスの名を叫び、私を殺したいほど憎んでいた』
『ならば見せろ』
黒い光が膨張する。
『その想いが、どこまで届くのかを』
「…………っ」
ステラは歯を食いしばる。
怖い。
理解してしまった。
イグニスが死んだ理由を。
この怪物は、あまりにも強すぎる。
生半可な覚悟では届かない。
死を恐れた瞬間、飲み込まれる。
「……でも」
橙色の炎が、再び灯る。
揺れていた。
さっきより、不安定だった。
それでも消えない。
ノクスの顔が浮かぶ。
笑った顔。
困った顔。
“ステラと一緒に居たい”
その声が、胸の奥で熱になっていた。
「私は……」
イグニスみたいにはなれない。
一人で燃え尽きる覚悟なんて、もう持てない。
帰りたいと思ってしまった。
生きたいと思ってしまった。
誰かと未来を見たいと思ってしまった。
それでも。
「……それでも!」
炎が爆ぜ、橙色の光が夜みたいな空を押し返した。
ソラリスの瞳が、僅かに細められる。
『ほう』
次の瞬間。
ソラリスが消えた。
「――――」
本能が叫ぶ。
振り向いた瞬間、黄金の拳が目の前にあった。
防御は間に合わない。
ステラの身体が山肌を突き破って吹き飛ぶ。
「が……ぁっ!!」
岩盤へ叩きつけられ、肺から空気が全部抜ける。
骨が軋み、視界が赤く滲む。
ソラリスは追撃を止めない。
空から降る黄金の閃光、一撃ごとに山が砕ける。
ステラは歯を食いしばり、炎を纏って迎撃する。
ぶつかり、弾け、空が割れる。
押される。
『未熟だ』
ソラリスの声。
『怒りも、愛も、中途半端だ』
『イグニスは、もっと強かった』
「……っ!」
その名前だけで、胸が焼ける。
でも、同時にノクスの顔が浮かぶ。
胸が揺れる。
怖い、死にたくない、帰りたい。
その迷いが、一瞬だけ動きを鈍らせた。
ソラリスは、それを見逃さなかった。
『終わりだ』
黄金が、空で収束する。
太陽みたいな巨大な魔力塊。
ステラの瞳が見開かれる。
避けられない。
理解した瞬間だった。
不意に、遠くで何かが爆ぜた。
「――――?」
ソラリスが、初めて視線を動かす。
黒い空の向こう。
結界の外側から、凄まじい桃色の魔力反応が迫ってきていた。
一直線で、迷いなく、暴力みたいな速度で。
ステラの呼吸が止まる。
「……え」
知っている。
この魔力を、この無茶苦茶な熱量を。
この、真っ直ぐすぎる光を。
次の瞬間、黒い結界へ桃色の流星が激突した。
世界が揺れ、結界全体へ亀裂が走る。
ソラリスの黄金の瞳が、ゆっくり細められた。
そして、結界の向こうから怒鳴り声が響く。
「ステラァァァァァァッ!!!!」
その声を聞いた瞬間。
ステラの胸の奥で、何かが熱く弾けた。
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