ふわっと確認してはいますが、気を付けます。
今回は長いです。
――お前をぶっ飛ばしに来ました。
その宣言と同時に、魔力が空を埋め尽くした。
どくん、と世界そのものが脈打つ。
山脈を覆う黒雲が押し退けられ、夜みたいな空へ無数のハート型光粒が滲んでいく。
熱いけれど、その熱は炎ではない。
もっと柔らかくて、もっと侵食的な熱。
胸の奥へ直接触れてくるような、異質な魔力。
「…………」
ソラリスが、静かにノクスを見る。
黄金の瞳、その奥で初めて僅かな警戒が揺れていた。
「感情干渉」
ぽつり、と。
「しかもこの規模で成立しているのか」
「はい」
ノクスは微笑む。
柔らかな笑みだった。
けれど、その周囲では空間が歪み、大地が軋み、山脈そのものが耐えきれず崩れ始めていた。
「あなた、ステラを泣かせましたよね」
声は静かだった。
むしろ優しいくらいだった。
だからこそ怖い。
「なので、かなり怒っています」
魔力が膨れ上がる。
ソラリスの黒い外套がばさりと揺れた。
「……怒り」
「はい」
「それがお前の出力源か」
「違います」
即答だった。
ノクスはゆっくり首を傾げる。
「怒りだけなら、ここまで強くなれません」
桃色の瞳が細められる。
「大好きな子が傷ついてるからです」
「…………」
「だから止まりません」
瞬間、ノクスの姿が掻き消えた。
「――」
ソラリスの視線が動き、次の瞬間にはもうノクスが眼前へいた。
「っ――!!」
桃色の拳が振り抜かれる。
空間が爆ぜた。
衝撃だけで山脈が横薙ぎに抉れ、数百メートル規模で岩盤が吹き飛ぶ。
だが、ソラリスは片腕で受け止めていた。
黒い障壁、黄金と黒が混ざり合った膜が、ノクスの拳を止めている。
「重いな」
「ありがとうございます」
次の瞬間、ノクスの蹴りが横から叩き込まれる。
――轟音。
ソラリスの身体が初めて吹き飛んだ。
山を貫通する。
数秒遅れて、巨大な爆発音が山脈全体へ響き渡った。
ステラが遠くで息を呑む。
「……え」
速すぎて見えなかった。
ソラリスを、真正面から吹き飛ばした。
あの怪物を、空の向こうへ。
崩壊した岩壁の中から、ソラリスがゆっくり立ち上がる。
ぱらぱらと岩が落ち、黄金の瞳が静かにノクスを見つめていた。
「……なるほど」
その瞬間だった。
ぼ、と黒い炎が燃え上がる。
空気が死ぬ。
熱ではなく、存在そのものが焼却されるみたいな、異質な炎。
夜より黒い火。
ソラリスの周囲で、世界法則そのものが崩れ始める。
プリンがぴこんと震えた。
「危険度急上昇」
「みたいですね」
ノクスは空中でふわりと立つ。
桃色の髪が、魔力で淡く揺れていた。
普段より少し長く見え、瞳も柔らかい。
なのに。溢れている圧力だけは明らかに異常だった。
「これを見ても、まだ近づくか」
黒炎が揺れ、周囲の空間がぼろぼろ崩壊していく。
普通の魔法少女なら、存在維持すらできない領域。
けれどノクスは、少し困ったように笑った。
「近づきますね」
桃色の魔力が広がる。
黒炎と真正面からぶつかり合い、空中で火花みたいに感情の粒子が散った。
ノクスはゆっくり拳を握る。
「あなた、放っておくとまた誰かを泣かせるでしょう?」
どくん、ハートの魔力が脈打ち、山脈全域へ桃色の光が広がった。
「なので」
ノクスが、笑う。
優しく、可愛らしく、それなのに恐ろしいほど真っ直ぐな笑顔で。
「ここで倒されてください、ソラリス」
『ここで倒されてください!ソラリス!』
ノクスが微笑む。
その瞬間。
ソラリスの黒炎が、膨張した。
――ゴォォォォッ!!
空が燃える。
いや、空そのものが“消えて”いた。
黒炎へ触れた雲が、音もなく消滅する。
熱ではなく、焼却でもない。
存在そのものを、世界から削除する炎。
ステラの顔が青ざめた。
「……っ」
遠く離れているのに分かる。
あれは触れたら終わりだ。
防御も再生も意味がなく、存在ごと持っていかれる。
「綺麗ですね」
ノクスは、ぽつりと言った。
「…………」
「星が燃え尽きる時って、こんな感じなんでしょうか」
桃色の瞳が黒炎を映す。
恐怖はなく、ただ静かに見つめている。
ソラリスの黄金の瞳が細められた。
黒炎が揺らぐ。
「お前はなぜ、壊れない」
「壊れますよ?」
ノクスはあっさり言った。
「普通に傷つきますし、怖いですし、泣きます」
桃色の魔力が、ふわりと周囲へ広がる。
「でも」
空気が脈打つ。
「一人じゃないので」
瞬間、ノクスが消え黒炎が弾ける。
直後、ソラリスの真横で桃色の光が炸裂した。
「――っ!!」
黒炎ごと空間を殴り飛ばし、衝撃波で山脈が縦に割れた。
ソラリスが黒炎を纏った腕で受け止める。
だが。
「……!?」
止まりきらない。
黒炎が削れ、桃色の魔力が侵食するように食い込みソラリスの腕を押し込んでいく。
「触れましたね」
ノクスが、柔らかく笑った。
「何を――」
「あなた、嬉しいでしょう」
その瞬間、ソラリスの瞳が初めて揺れた。
桃色の魔力が、黒炎へ染み込んでいる。
「……くだらない」
轟、と黒炎が爆発した。
至近距離で、山脈ごと飲み込む漆黒の炎。
ノクスの姿が消え、ステラが息を呑んだ。
「ノクス――!」
だが次の瞬間、黒炎の中心で桃色の光が脈打つ。
どくん。
どくん。
心臓みたいに。
そして、黒炎を内側から押し返すように巨大な桃色のハートが空へ開いた。
『――なに』
「そんな顔しないでください」
ハートの中心に、ノクスは立っていた。
スカートがふわりと揺れ、桃色の長髪が夜風へ溶ける。
「ちゃんと効いてますから」
にこ、と笑う。
その背後で、無数の桃色のハートが脈動していた。
ソラリスの黒炎が、それに触れるたび揺らぐ。
「……感情を、燃料にしているのか」
「違います」
ノクスは首を振る。
「感情そのものです」
瞬間、桃色の光が世界へ溢れた。
ステラの胸が熱くなる。
涙が出そうになる。
苦しいのに、安心する。
抱きしめられているみたいな魔力。
プリンがステラのもとに来て、ぴこんと揺れた。
「観測。ノクスの魔力侵食範囲、拡大中」
「止めなくていいんですか?」
「現在、停止困難です。逃げてきました」
さらっと恐ろしいことを言う。
黒炎と桃色が激突するたび、世界法則が悲鳴を上げていた。
空が夜へ落ちて、次の瞬間には日が昇る。
重力が反転し、砕けた岩石が空へ浮かぶ。
感情が漏れる。
恐怖も、怒りも、愛情も。
全部ぐちゃぐちゃになって空間へ溢れていた。
ソラリスは、その中心でノクスを見る。
「……なるほど」
黒炎が、さらに膨れ上がる。
今度は黄金が混ざらない。
純粋な黒。
恒星が死ぬ瞬間みたいな、終焉の炎。
「ならば見せよう」
空が軋む。
「これが、終わる太陽だ」
その瞬間、黒炎が天を貫いた。
黒炎が天を貫く。
瞬間、世界から“音”が消えた。
「――――」
ステラが息を呑む。
空が黒いが、夜じゃない。
もっと深い、光そのものが死んだみたいな黒。
天へ伸びた炎柱を中心に、空間が崩落していた。
ひび割れている。
空そのものが、黒炎に触れた場所から世界がぽろぽろ剥がれ落ちていた。
「ノクス!警告です。周辺法則崩壊率上昇」
「そうですか」
ノクスは静かに空を見上げた。
桃色の髪が揺れ、黒炎の風圧だけで山脈が削れていく中、その声だけは不思議なくらい穏やかだった。
「消えるぞ」
ソラリスが言う。
黒炎が、その背後で巨大な太陽みたいに脈動していた。
「お前も、世界も、その感情も」
どくん、と黒い太陽が脈打つ。
瞬間、ノクスの周囲数キロが“消失”した。
山が消え、岩が消え、空気が消える。
存在していたものが、黒炎へ触れた瞬間、痕跡ごと消滅していく。
なのに。
「嫌です」
桃色の光が、咲いた。
消失領域の中心にノクスが立っている。
桃色の魔力が膜みたいに広がり、黒炎を押し返していた。
だが。
「――っ」
初めてノクスの頬が切れ、黒炎が魔力防御を焼いた。
赤い血が一筋流れる。
ステラの顔が青ざめた。
「ノクス……!」
ソラリスの瞳が細められる。
「耐えるか」
「はい」
ノクスは血を拭い、笑った。
「でも、痛いですねこれ」
その言葉と同時。
どくん、と桃色の魔力がさらに膨れ上がった。
「……増加した?」
「だって」
ノクスは困ったように眉を下げる。
「ステラが心配してるので」
瞬間、桃色の衝撃波が爆発した。
黒炎を押し返しながら、空間そのものを塗り替えていく。
感情侵食。
ノクスの感情に世界が引っ張られている。
今この空間では、“愛されたい”という感情が法則化し始めていた。
黒炎が揺らぎ、ソラリスの瞳が僅かに歪む。
「……なんだ」
胸の奥が、ざわつく。
理解不能な熱が不快だ。
なのに、ほんの少しだけ温かい。
「貴様……」
「寂しかったんですね」
ノクスが言った。
あまりにも自然に。
ソラリスの黒炎が、ぶれる。
「違う」
「ずっと一人だった」
「違う!!」
轟音、黒炎が荒れ狂う。
今までで初めて、ソラリスの感情が表へ漏れた。
山脈が吹き飛び、空が砕ける。
黒い炎が世界を埋め尽くす。
それでもノクスは、優しい顔をしていた。
「大丈夫ですよ」
「黙れ」
「一人じゃなくなれます」
「黙れ!!」
ソラリスが消え、次の瞬間。
ノクスの腹部へ、黒炎を纏った拳が突き刺さった。
「――っ、ぁ」
衝撃、空間が爆縮する。
ノクスの身体が吹き飛び、山脈を十数枚貫通した。
遅れて、世界が揺れる。
ステラが立ち上がった。
「ノクス!!」
黒煙、崩壊。
山の向こう側が完全に消えている。
ソラリスは静かに拳を見る。
黒炎が、まだ燃えていた。
「……終わったか」
ぽつり、と。
だが。
「まだです」
桃色の光が、黒煙の中で脈打った。
どくん。
どくん。
心臓みたいに。
次の瞬間、山脈を埋め尽くすほど巨大なハートが、空に出現した。
「――――」
ソラリスの瞳が見開かれる。
ハートが脈打つたび、周囲の感情が強制的に共鳴する。
悲しみ、怒り、孤独、愛情、全部。
逃げ場なく流し込まれる。
そしてその中心で、ノクスがゆっくり立ち上がる。
制服は破れ、身体のあちこちが焼けていた。
でも、桃色の瞳だけはまだ輝いていた。
「……だめですよ、ソラリス」
ふわり、と桃色の魔力が舞う。
柔らかい声、長い髪、華奢な輪郭。
なのに、圧力だけは最初より遥かに危険になっている。
「そんな寂しそうな拳で殴ったら」
ノクスが笑う。
優しく、泣きそうなくらい優しく。
「もっと好きになっちゃうじゃないですか」
その言葉に、ソラリスの動きが止まった。
「……好き?」
理解できない単語みたいに、ゆっくり繰り返される。
黒炎が揺らいでいる。
ノクスはふらつきながら立っている。
制服は焼け、肌には黒炎の痕が残っていた。
本来なら致命傷だ。
でも桃色の魔力が脈打つたび、その傷すら感情で無理やり繋ぎ止めている。
ステラが息を呑む。
「ノクス……」
危険だった。
今のノクスは、明らかに普通じゃない。
魔力が溢れすぎている。
感情と境界が混ざっている。
でも、ノクス自身はとても静かだった。
「だって」
桃色の瞳が、ソラリスを見る。
「そんな顔されたら、放っておけないでしょう?」
「…………」
「ずっと一人で」
「誰にも触れられなくて」
「壊れるまで燃え続けて」
ノクスの声は、怒るでもなく泣くでもなく。
ただ、本当に可哀想なものを見るみたいだった。
「そんなの、寂しいじゃないですか」
ソラリスの黒炎が、ぶれる。
「……違う」
「違いません」
「私は、アークだ」
「知ってます」
即答だった。
その瞬間、黒炎が爆発する。
ソラリスの感情が乱れている。
怒り、苛立ち、理解不能への拒絶。
なのに、ノクスの桃色の魔力はその全部へ触れてしまう。
触れて、理解してしまう。
だから止まらない。
「あなた、ずっと苦しかったんですね」
「黙れ」
「誰にも届かなかった」
「黙れ!!」
空間が砕け、黒炎が世界を削る。
だがその中心で、ノクスだけはソラリスから目を逸らさなかった。
怖がっていない。
敵として見ていない。
まるで泣いている子供を見るみたいに。
ステラの背筋が震えた。
「……っ」
分かってしまった。
ノクスは今、正気じゃない。
ハートの魔力。
誰かを理解してしまった瞬間、救いたいと思ってしまう力。
だからノクスは、敵にすらこんな顔を向けてしまう。
孤独を見た瞬間。
壊れそうなものを見た瞬間。
放っておけなくなる。
それは優しさで。
同時に、呪いみたいだった。
プリンが小さく呟く。
「……観測」
「ノクス、感情同期率上昇」
赤い瞳が、ソラリスを見る。
「対象への共感侵食、進行中」
「侵食……」
ステラが息を呑む。
ノクスの魔力は、相手の感情へ触れる。
触れてしまう。
だから、今のノクスはソラリスの孤独を真正面から受け取っている。
そして受け取ってしまった以上は、もう見捨てられない。
ソラリスの瞳が揺れる。
「理解、できない」
「でしょうね」
ノクスは少し笑った。
「でも、私は」
桃色の光が溢れる。
どくん、と心臓みたいに世界が脈打つ。
「あなたを放っておけない」
「……っ」
その瞬間、ソラリスの黒炎が大きく乱れた。
黒炎が、揺れている。
まるで呼吸を乱したみたいに。
ソラリス自身も、その異常を理解できていなかった。
「……なぜだ」
胸の奥が、熱い。
黒炎ではない。
もっと柔らかくて、不快で、理解不能な熱。
ノクスの魔力が触れてくる。
感情へ、存在の奥底へ。
「なぜ、私を理解しようとする」
「したいからです」
ノクスは即答した。
ソラリスの瞳が揺れる。
「……理解は不要だ」
「必要ですよ」
「私は終焉だ」
「それでもです」
ノクスはゆっくり前へ出る。
黒炎が肌を焼く。
それでも止まらない。
「あなた、ずっと誰にも見つけてもらえなかったみたいなので」
その言葉で、ソラリスの脳裏に焼けるような光景が蘇った。
――炎。
赤い炎。
黄金ではない。
もっと荒々しく、真っ直ぐな火。
「…………」
ソラリスの動きが止まる。
ノクスが目を細めた。
「……思い出しました?」
「違う」
だが否定が遅い。
黒炎が乱れている。
そして、記憶が、浮かび上がる。
*
『あなた、本当に一人なのね!』
赤髪の少女が、笑っていた。
全身を焼きながら。
血を流しながら。
それでも太陽みたいに笑っていた。
『…………』
ソラリスは理解できなかった。
なぜ立ち上がる。
なぜ笑う。
なぜ壊れながら前へ来る。
少女――イグニスは、巨大な炎剣を肩へ担ぎながら言った。
『そんな顔してる!』
『顔?』
『寂しそう!』
意味不明だった。
だからソラリスは黒炎を放った。
世界を消し飛ばす炎。
だが、イグニスは焼かれながら笑った。
『あー、やっぱそういう反応するかぁ』
『…………』
『図星突かれると怒るタイプ?』
理解不能。
なのになぜか、その声だけが焼け残った。
『あなたはさ』
イグニスが炎を纏う。
空が赤く染まる。
『誰かを愛したことはある?』
その瞬間、ソラリスの黒炎が止まった。
*
「――――」
現在。
ソラリスの瞳が、大きく揺れていた。
ノクスが静かに目を見開く。
「……あ」
理解した。
この反応。
この感情。
「イグニスさんも」
桃色の瞳が細められる。
「あなたを助けようとしてたんですね」
「違う」
即答。
だが、声が揺れている。
「あれは、違う」
「でも覚えてる」
「違う!!」
轟音。
黒炎が爆発し、山脈が吹き飛ぶ。
空が裂ける。
それでもノクスは、確信してしまった。
ソラリスは、イグニスを忘れていない。
殺した相手なのに。
倒したはずなのに。
その言葉だけが、ずっと心に残っている。
プリンがぽつりと呟く。
「……観測完了」
「プリン?」
「ソラリス内部に、イグニス由来感情痕を確認」
赤い瞳が明滅する。
「未消化感情、長期間残留」
ステラが息を呑む。
「そんな、こと……」
ソラリスほどの存在が。
たった一人の言葉を、ずっと抱え続けていた。
ノクスは、ゆっくり笑った。
「やっぱり」
桃色の光が揺れる。
「あなた、最初から」
優しい声だった。
「誰かに見つけてほしかったんじゃないですか?」
その言葉で、ソラリスの黒炎が止まった。
完全な静止。
空を埋め尽くしていた終焉の炎が、一瞬だけ呼吸を忘れたみたいに揺らぎを失う。
ステラが目を見開く。
「…………」
ソラリスは動かない。
黄金の瞳だけが、ノクスを見ていた。
長い沈黙。
やがて。
「……私は」
低い声。
けれど今までと違う。
どこか遠くを見るような響きだった。
「理解したかっただけだ」
ノクスが静かに瞬く。
「人間を」
黒炎が、小さく揺れる。
「泣く理由」
「怒る理由」
「互いを求める理由」
「なぜ壊れるほど脆いのに、繋がろうとするのか」
ソラリスの周囲で、黒炎が静かに漂う。
さっきまでみたいな暴力的な炎じゃない。
もっと静かな、夜の焚き火みたいな揺れ方だった。
「アークは理解しない」
その声には、僅かな嫌悪が混じっていた。
「喰らうだけだ」
「侵すだけだ」
「壊すだけだ」
「奴らは、終わりに意味を求めない」
ノクスは黙って聞いている。
「だが私は」
ソラリスの黄金の瞳が、空を見る。
「知りたかった」
その瞬間、ノクスの脳裏へ光景が流れ込んだ。
――黒い太陽。
生まれたばかりのソラリス。
周囲には無数のアーク。
醜悪で、巨大で、感情も理性もない怪物たち。
だが。
黒い太陽だけが、違った。
「……なぜ」
小さな疑問。
アークに立ち向かう人間たちを見ながら。
なぜ笑う。
なぜ泣く。
なぜ抱き合う。
理解できなかった。
だから、近づいた。
人間へ。
観察するために。
理解するために。
けれど。
結果は。
「恐怖した」
ソラリスの声が響く。
「誰もが私を恐れた」
当然だった。
存在しているだけで世界を壊す黒い太陽。
触れたものを終わらせる炎。
人間から見れば災厄そのものだ。
「だから私は」
黒炎が揺れる。
「人間を模倣した」
ステラが息を呑む。
「言葉を学び」
「姿を学び」
「感情を観察した」
「だが、理解できなかった」
ソラリスの黄金の瞳が、静かに細められる。
「なぜ人間は、傷つきながら他者を求める」
「なぜ失うと分かっていて、愛する」
「なぜ壊れるほど弱いのに、互いを守ろうとする」
ノクスは静かに聞いていた。
その疑問が、あまりにも切実だったから。
「理解したかった」
ぽつり、と。
「だから、近づいた」
その声は、まるで迷子みたいだった。
プリンが小さく呟く。
「……ソラリス」
「高次存在としては極めて異常個体」
「他アークとの思想適合率が、著しく低いです」
「分類としてはむしろ」
少しだけ間が空く。
「“人間側へ寄りすぎた失敗作”です」
黒炎が揺れた。
だがソラリスは否定しなかった。
ステラが、呆然と呟く。
「じゃあ……」
喉が震える。
「ずっと、分かってほしかったの……?」
「…………」
沈黙。
それが答えだった。
ノクスは、ゆっくり目を閉じる。
ハートの魔力が脈打つ。
どくん。
どくん。
まるで胸が痛むみたいに。
そして、ノクスは静かに笑った。
「そっか」
優しい声だった。
「だから、イグニスさんの言葉を忘れられなかったんですね」
ソラリスの瞳が揺れる。
「……あれは」
「初めてだったんでしょう?」
ノクスが一歩前へ出る。
「あなたを怖がるんじゃなくて」
桃色の瞳が真っ直ぐソラリスを見る。
「“寂しそう”って言ってくれた人」
「……っ」
ソラリスの黒炎が、大きく揺らぐ。
世界を焼いていた終焉の炎。
その中心が、不安定に明滅していた。
ノクスは静かに見つめている。
まるで逃がさないみたいに。
「イグニスさん、気づいてたんですよ」
「黙れ」
「あなたが、ただ壊したかったわけじゃないって」
「黙れ!!」
黒炎が爆発する。
だが、ノクスは退かない。
桃色の魔力が黒炎へ触れる。
優しく、でも強引に、感情の奥へ潜り込むみたいに。
「あなた、ずっと知りたかったんでしょう」
ノクスの声は静かだった。
「人間がどうして笑うのか」
「どうして泣くのか」
「どうして誰かのために傷つけるのか」
「だから近づいた」
「……違う」
「でも」
ノクスが目を細める。
「近づきすぎちゃった」
「――――」
その瞬間、ソラリスの瞳が、止まった。
ノクスは理解してしまう。
この黒い太陽は、人間を観察していたんじゃない。
理解しようとしていた。
そして、理解しようとした結果。
孤独になった。
アークたちは理解しない。
人間は恐れる。
どちら側にも行けない。
だから、ずっと一人だった。
「……あぁ」
ノクスの胸が痛む。
ハートの魔力が、熱を持つ。
共感。
理解。
感情同期。
ノクスは今、ソラリスの孤独へ触れてしまっている。
だから、どうしようもなく放っておけない。
「あなた」
ノクスが、小さく笑う。
「不器用すぎますよ」
「…………」
「人間のこと知りたかったなら」
一歩、前へ。
黒炎が制服を焼く。
でも止まらない。
「そんな、一人で世界の外から見てないで」
桃色の魔力が広がる。
夜空みたいな黒へ。
ハートの光が触れていく。
「中に入ればよかったのに」
ソラリスの呼吸が、止まった。
「……入れる、わけがない」
初めてだった。
ソラリスが、弱音みたいな声を出したのは。
「私は、違う」
「触れれば壊れる」
「近づけば恐怖される」
「理解されない」
黒炎が揺れる。
まるで、泣きそうに。
「だから私は」
「外側にいるしかなかった」
その言葉に、ノクスは少しだけ目を見開いて。
それから、すごく優しく笑った。
「じゃあ」
桃色の光が、揺れる。
「私が、あなたのところまで来ます」
「――――」
ソラリスの瞳が、大きく見開かれる。
ステラが息を呑む。
「ノクス……!」
でもノクスは止まらない。
「あなたが世界の外にいるなら」
ハートの魔力が溢れる。
どくん。
どくん。
心臓みたいに。
「私がそこまで行きます」
「なぜだ」
理解できない。
本当に理解できない。
「なぜ、そこまで」
敵だ。
災厄だ。
世界を滅ぼす黒い太陽だ。
なのに、なぜ。
ノクスは少しだけ困ったように笑った。
「だって」
桃色の瞳が細められる。
「寂しそうなので」
その瞬間、ソラリスの黒炎が、完全に乱れた。
黒炎が、崩れていく。
今までみたいな“制御不能”じゃない。
もっと根本的な、長い間押し潰していたものが耐えきれなくなったみたいな揺らぎだった。
「……寂しい」
ぽつり、と。
ソラリスが呟く。
その声に、ステラが目を見開いた。
黒い太陽。
世界を滅ぼしかねない怪物。
その口から零れた言葉が、あまりにも人間みたいだったから。
「私は」
黒炎が揺れる。
「間違えた」
ノクスが静かにソラリスを見る。
「理解したかった」
「近づきたかった」
「だが、方法が分からなかった」
空が軋む。
ソラリスの周囲で、黄金と黒の炎が混ざり合う。
まるで感情そのものが暴走しているみたいだった。
「イグニスは」
その名前が出た瞬間。
ステラの身体が強張る。
「……近づいてきた」
ソラリスの瞳が、遠くを見る。
まるで過去を見ているみたいに。
「恐れなかった」
「怒りもしなかった」
「お前は、泣きそうな顔をしていると言った」
ノクスの胸が、少し痛む。
イグニスはきっと本当に、ソラリスを見ようとしていた。
敵としてじゃなく。
一つの存在として。
「理解できなかった」
ソラリスの声が震える。
「なぜ、あの女は私へ手を伸ばした」
「なぜ、壊れると分かっていて近づいた』」
黒炎が荒れる。
山脈が悲鳴を上げる。
「だから私は」
そこで、ソラリスの声が止まった。
黄金の瞳が微かに揺れる。
「……触れた」
ノクスは、息を呑む。
「確かめたかった」
「この感情の正体を」
「この熱の意味を」
黒炎が、静かに漏れ出す。
「だが」
その声が。
初めて、壊れた。
「私は、壊すことしかできなかった」
イグニスの最期。
焼け落ちる光景。
世界最強の魔法少女が、黒い炎の中で消えていった瞬間。
「あの時」
ソラリスが、ゆっくり自分の手を見る。
その黒い炎を。
「私は、止められなかった」
ノクスの胸が締めつけられる。
ソラリスは。
殺そうとしたんじゃない。
違う。
触れたかった。
知りたかった。
理解したかった。
でも、この怪物は近づくものを壊してしまう。
「イグニスは、最後まで笑っていた」
その声は、かすれていた。
「泣くな、と言った」
「お前は、まだ間違えられると言った」
黒炎が、ぐらりと揺れる。
「理解できなかった」
「なぜだ」
「なぜ、あの女は」
黄金の瞳が、震える。
「死ぬ瞬間まで、私を赦した」
その瞬間。
ノクスは理解してしまう。
ソラリスはずっと、あの瞬間に囚われている。
イグニスを殺した瞬間に。
後悔の中で。
ずっと、燃え続けている。
「私は」
ソラリスの声が、空へ溶ける。
「あの女に、触れなければよかった」
黒炎が崩れる。
「知ろうとしなければよかった」
「近づかなければよかった」
「そうすれば」
黄金の瞳から。
黒い光が零れ落ちた。
「壊さずに済んだ」
ステラが、息を止める。
ノクスも、何も言えない。
だってそれはあまりにも、後悔そのものだったから。
「……最後」
ソラリスが、ゆっくり呟く。
黒炎の熱が弱い。
まるで、記憶の中へ沈んでいくみたいだった。
「あの女は、誰かの名前を呼んでいた』」
ステラの肩が、びくりと震える。
「……ステラ」
その名前を聞いた瞬間。
ステラの呼吸が止まる。
ソラリスは、遠い昔を見るみたいに続けた。
「戦う前、あの女はずっと笑っていた」
「まるで、帰れないことを知っているみたいに」
ノクスの胸が痛む。
イグニスは、きっと最初から理解していた。
自分が死ぬ可能性を。
「通信を繋いでいた」
ステラの瞳が揺れる。
「泣いている声が、聞こえた」
世界が静かになる。
「あの女は優しい声で言っていた」
ソラリスの声音が、少しだけ柔らかくなる。
まるで、その記憶だけは焼け残っているみたいに。
『大好き!』
『愛してる!』
ステラの目から、涙が零れた。
「……ぁ」
覚えている。
あの日、最後の通信。
無理やり明るく笑う声。
震えていたくせに、最後まで自分を安心させようとしていた。
「通信が切れたあと」
ソラリスが、自分の手を見る。
「あの女は、私を見た」
黒炎が揺れる。
「最初から、分かっていたみたいだった」
「私が本当は何をしたかったのか」
ノクスが静かに目を細める。
イグニスは、戦いながらソラリスの奥を見ていた。
壊す怪物じゃなく、理解できず、触れ方を知らないだけの存在を。
「だから、あの女は」
ソラリスの声が、微かに震える。
「笑った」
黒い炎の中、焼けながら。
それでも。
イグニスは、ソラリスへ手を伸ばした。
『やっぱり、寂しかったんだね』
ステラが、嗚咽を漏らす。
ノクスも、胸が締めつけられる。
イグニスらしい。
最後の最後まで。
敵じゃなく。
一人の孤独を見てしまった。
「やめろと、思った」
ソラリスの黒炎が荒れる。
「来るなと」
「触れれば壊れる」
「分かっていた」
「なのに」
黄金の瞳が揺れる。
「あの女は、私に触れた」
その瞬間。
黒炎が、暴走した。
山脈が震える。
空間が悲鳴を上げる。
「止められなかった」
ソラリスの声が壊れる。
「私はあの熱を、壊した」
「触れた瞬間、全部、燃やした」
ステラが、涙を流したまま俯く。
イグニスは最後に、ソラリスへ手を伸ばして。
そのまま、死んだ。
「……理解した時には」
黒炎が、弱々しく揺れる。
「もう、遅かった」
ソラリスは本当に後悔していた。
理解したかった相手を。
初めて近づいてくれた存在を。
自分の手で壊したことを。
ずっと。
ずっと。
燃えながら後悔していた。
静寂が落ちる。
山脈を揺らしていた黒炎も、今は弱々しく揺れているだけだった。
ステラは俯いたまま、肩を震わせていた。
「……っ、ぁ……」
涙が止まらない。
憎かった。
イグニスを奪ったこの怪物が。
殺したかった。
何度も夢に見た。
でも今、目の前にいるソラリスは世界を滅ぼす災厄なんかじゃなく。
ただ、壊してしまったことを後悔し続けている存在だった。
「なん、で……」
ステラの声が掠れる。
「なんで、そんな……」
そんな顔をするの。
そんな風に苦しそうに。
そんな風に。
泣きそうに。
「…………」
ソラリスは答えない。
ただ静かに、黒炎を揺らしている。
ノクスは、その二人を見つめていた。
胸が痛かった。
苦しかった。
きっと、誰も悪意だけでここまで来たわけじゃない。
イグニスは救おうとした。
ソラリスは知ろうとした。
でも、噛み合わなかった。
触れた瞬間、壊れてしまった。
それだけだった。
「……ソラリスさん」
ノクスが、小さく呼ぶ。
黄金の瞳が向く。
ノクスは少し迷って。
それでも、ちゃんと言った。
「イグニスさん」
桃色の瞳が揺れる。
「たぶん、あなたのこと嫌ってなかったですよ」
ソラリスの黒炎が、止まった。
「……なぜ」
「だって」
ノクスは、少しだけ笑う。
「最後に、触ったんでしょう?」
「――――」
「怖かったら、触りません」
その言葉が。
静かに、ソラリスへ突き刺さる。
「……私は」
黒炎が揺れる。
「あの女を殺した」
「はい」
ノクスは否定しない。
「それは、本当です」
ステラが小さく顔を上げる。
ノクスは真っ直ぐソラリスを見る。
「だから、許されないこともある」
「…………」
「ステラが苦しかったのも」
「イグニスさんが死んだのも」
「全部、消えません」
優しいだけじゃない。
ちゃんと、痛みも見る。
それが、魔法少女ノクスだ。
「でも」
桃色の魔力が、ふわりと揺れる。
「あなたが後悔してるのも、本当なんですよね」
ソラリスの瞳が揺れる。
「……後悔」
その言葉を。
まるで初めて理解するみたいに。
「これが」
黒炎が、弱々しく揺れる。
「これが、後悔なのか」
ノクスは静かに頷く。
「たぶん」
「苦しい」
ソラリスが呟く。
「消えないのだ」
「何度も眠ろうとして、あの熱が残る」
「あの女の手が、消えない」
ノクスの胸が締めつけられる。
イグニスは、死ぬ瞬間までソラリスの中へ残ってしまった。
「……なぜだ」
ソラリスが、小さく問う。
「なぜ、私は、壊した相手を忘れられない」
ノクスは少しだけ困ったように笑った。
「それ」
桃色の魔力が、優しく揺れる。
「たぶん、好きだったんですよ」
ステラが息を呑む。
ソラリスの黒炎が、止まる。
「……好き」
ソラリスが、理解不能な言葉みたいにその音を繰り返す。
「人間って」
ノクスが静かに言う。
「大事な相手ほど、忘れられないので」
黒炎が、揺れた。
今までで一番。
弱く、壊れそうに。
「……お前たちは」
ソラリスが、ぽつりと呟く。
黒炎が静かに揺れていた。
「似ている」
黄金の瞳が、ステラを見る。
「あの女に」
ステラの肩が揺れる。
イグニス、その名前だけで胸が痛む。
「炎と、誰かのために燃える光、壊れながら前へ進む姿」
「……よく似ていた」
ソラリスの声には、怒りも敵意もなかった。
ただ、静かな熱だけがある。
「だから、確かめたかった」
「……確かめる?」
ステラが掠れた声で聞く。
ソラリスは小さく頷く。
「また、同じ結末になるのか」
空気が凍る。
ノクスが静かに目を細めた。
「私は、理解したかった」
黒炎が揺れる。
「なぜ人間は壊れると分かっていて、誰かへ触れようとするのか」
「なぜ失うと分かっていて、愛そうとするのか」
その問いは、たぶんずっとソラリスの中にあった。
「あの女は、最後に私へ触れた」
黒炎が、少しだけ不安定になる。
「ならば」
「同じ光を持つお前も」
「最後には、私へ触れるのかと思った」
ステラの瞳が揺れる。
「だが、お前は違った」
ソラリスは静かに言う。
「お前は私を憎んだ」
「……当たり前、でしょ」
震える声だった。
「イグニスを殺したの、あんたなんだから……!」
「ああ」
ソラリスは否定しない。
「だから私は、お前を壊そうとした」
ステラが息を呑む。
「憎まれたまま、終わりってもいいと思った」
ノクスの目が見開かれる。
ソラリスは、ステラに殺されたかった。
イグニスを壊した怪物として、理解されないまま、憎まれたまま。
それなら、イグニスの最後を汚さずに済むから。
「だが」
黄金の瞳が、ゆっくりノクスへ向く。
「お前が来た」
桃色の魔力がふわりと揺れる。
「お前は、おかしい」
「ひどくないですか?」
ノクスがちょっと傷ついた顔をする。
「恐怖しない」
「憎しみ切らない」
「なのに怒る」
「意味不明だ」
「そんな真顔で言われましても……」
ノクスは困ったように頬を掻く。
プリンが肩の上で頷いた。
「ノクスは意味不明です」
「プリン?」
「お前は、私を怪物として見ない」
ソラリスの声が、少しだけ揺れる。
「許そうともしない」
ノクスは静かにソラリスを見る。
「だって」
桃色の瞳が、真っ直ぐ向けられる。
「あなたは、悪いことしました」
「…………」
「でも、苦しんでるじゃないですか」
その瞬間、黒炎が大きく揺れた。
まるで心臓を掴まれたみたいに。
「だったら」
ノクスは少しだけ笑う。
「全部なかったことにはできないですけど」
ハートの魔力が、柔らかく脈打つ。
「苦しいなら、苦しいって認めてもいいと思いますよ」
ソラリスが、動かない。
理解できないものを見る目だった。
「……なぜ」
「ん?」
「なぜ、お前は」
黒炎が揺れる。
「そんな顔で、私を見られる」
ノクスは少しだけ考えて、当たり前みたいに言った。
「だって」
桃色の魔力が、夜空へ溶けていく。
「あなた、ずっと一人だったんでしょう?」
「――――」
ソラリスの黒炎が、ぴたりと静止する。
黄金の瞳が、微かに揺れた。
まるで、そんなことを言われるとは思っていなかったみたいに。
「ノクス……」
ステラが小さく名前を呼ぶ。
けれどノクスは、ソラリスから目を逸らさない。
「違うんですか?」
「…………」
返事はない。
でも、否定もしない。
ノクスは静かに続ける。
「理解したかったんですよね」
桃色の魔力が、優しく揺れる。
「人間のこと」
「……理解は、不可能だった」
低い声。
「人間は脆弱だ。矛盾している。感情で壊れる」
「合理性がない」
「はい」
ノクスは普通に頷く。
「めちゃくちゃ面倒です」
ふわり、と。
ハートの魔力が広がる。
「だから放っておけないんですよ」
ソラリスが、僅かに目を細める。
「……理解不能だ」
「よく言われます」
プリンが肩で頷いた。
「事実です」
「プリン??」
ソラリスは、ノクスを見る。
この少女は、おかしい。
恐怖より先に手を伸ばく。
怒りながら、相手の痛みを見る。
壊れたものを見て、切り捨てられない。
それは、かつてのイグニスに似ていた。
けれど、決定的に違う。
イグニスは、自分を燃やして誰かを守る光だった。
だがノクスは、誰かを抱えたまま壊れず進もうとする。
「……お前は」
ソラリスの声が低くなる。
「なぜ、折れない」
黒炎が揺れる。
「お前も傷ついている。恐怖している。なのに、なぜ、前へ来る」
ノクスは少しだけ目を瞬かせた。
「え?」
そんなこと?みたいな顔だった。
「だって」
ノクスは後ろを見る。
涙を浮かべたステラ。
遠くから向かってきている、青い雨の魔力。
たぶんルミナだ。
肩の上では、プリンがぷるぷるしている。
ノクスは小さく笑った。
「一人じゃないので」
その瞬間。
ソラリスの黒炎が、大きく揺らいだ。
「――――」
理解できなかった。
一人ではない、その感覚が。
「……繋がっているのか」
「はい」
ノクスは頷く。
「だから怖くても行けます」
桃色の魔力が、鼓動みたいに脈打つ。
「守りたい人がいますから」
ソラリスは、動けなかった。
ずっと知りたかった。
人間を動かすものを。
壊れそうなのに立ち上がる理由を。
理解したかった。
でも、理解した瞬間。
胸の奥が痛かった。
「……そうか」
黒炎が、静かに揺れる。
「私は」
黄金の瞳が、ノクスを映す。
「それが、欲しかったのか」
孤独だった。
ずっと、他のアークとは相容れなかった。
破壊を当然と思えなかった。
人間を観察した。
理解しようとした。
でも近づけば壊れる。
だから、触れられなかった。
イグニスだけが、最後に触れた。
そして死んだ。
だからソラリスは、もう二度と求めないようにしていた。
なのに、ノクスが来た。
恐れず、怒って。
誰かを抱えながら。
それでも、近づいてきた。
「……危険だ」
ソラリスが呟く。
「よく言われますね」
「違う」
黒炎が、ゆっくり燃え上がる。
「お前は、私へ触れようとしている」
空気が変わる。
黒炎が、空を覆い始めた。
今までとは違い、熱量そのものが変質していく。
ソラリスの瞳が、静かに細められる。
「ならば」
黒い太陽が、脈動した。
「今度こそ、確かめよう」
黒炎が世界を埋め尽くす。
「お前は壊れないのかを」
黒炎が、空を喰った。
空気そのものが燃えていた。
ステラが息を呑む。
「……っ」
さっきまでと、違う。
ソラリスが本気だ。
黒い炎が空間を侵食し、世界法則そのものを焼き始めている。
岩が溶け、空が歪む。
光すら黒く染まっていく。
ノクスの桃色の魔力が、ぎしりと軋んだ。
プリンが即座に警告を出す。
「高危険度反応。黒炎領域、急拡大」
「はいはい、見れば分かります……!」
ノクスの声が少し上擦る。
でも、逃げない。
桃色の瞳が、真っ直ぐソラリスを見る。
黒炎の中心。
そこにいるのは、世界を滅ぼす怪物。
けれど同時に、ずっと誰かに触れたかった存在だった。
「……来い」
ソラリスが言う。
その声だけで、空間が震える。
「お前の光を見せろ」
黒炎が噴き上がった。
次の瞬間、ソラリスの姿が消える。
「――っ!」
視認より先に、本能が叫ぶ。
ノクスは反射で横へ飛んだ。
背後の山が“消えた”。
斬撃ですらない。
黒炎が触れた瞬間、存在ごと焼き潰された。
「ぅ、わぁっ!?」
衝撃波で吹き飛ばされる。
空中で無理やり姿勢制御。
「遅い」
耳元。
「――――!?」
振り向いた瞬間。
黄金の瞳が、目の前にあった。
黒炎が、振り下ろされる。
ノクスは咄嗟に桃色の魔力を展開した。
ハート型の障壁が空中へ無数に咲く。
次の瞬間、全部、焼き砕かれた。
「かっ――!!」
身体が吹き飛び、岩盤へ激突。
山肌が崩壊する。
ステラが悲鳴を上げた。
「ノクス!!」
煙が舞い、黒炎が揺れる。
ソラリスは静かに、その中心を見ていた。
「……脆い」
ぽつり、と。
「やはり、人間は」
だが。
「……それ」
煙の奥。
桃色の光が、ゆらりと揺れる。
「当たり前ですよ」
「――――」
黒煙が吹き飛ぶ。
そこにいたノクスは、少しだけ雰囲気が変わっていた。
桃色の魔力が、以前よりさらに濃い。
長い髪がふわりと揺れ、瞳は熱を帯びている。
呼吸は荒い。
でも、笑っていた。
「痛いじゃないですか、もう……!」
その声は、少しだけ柔らかい。
プリンがぴこんと揺れる。
「ノクス、どんどん女性らしくなってます。魔力も増えてます。浮気したかいがありましたね」
「今それ言います!?」
「重要イベントです」
ソラリスの瞳が細められる。
「……変質したか」
「そっちのせいですよ」
ノクスは頬を膨らませる。
「乙女に乱暴するからです」
完全に無意識だった。
だが、その瞬間桃色の魔力が、大きく脈打つ。
どくん、とまるで心臓みたいに。
ソラリスの黒炎が、一瞬揺れた。
「……まただ」
黒炎が、微かに乱れる。
「その光は」
イグニスとは違う。
なのに、胸の奥へ触れてくる。
熱い、苦しい、理解できない。
「……なぜ、お前は」
ソラリスが低く呟く。
「そんな風に、笑える」
ノクスはきょとんとして。
それから、少しだけ照れくさそうに笑った。
「だって」
桃色の魔力が、ふわりと広がる。
「好きな人たちが見てますから」
その瞬間、ステラの顔が爆発みたいに赤くなった。
「――――っっ!!??」
プリンが即座に補足する。
「複数形です。ステラ、ルミナ、私も含みます」
「今そこ説明しなくてよくない!?」
黒炎が、止まった。
ソラリスは、本当に理解不能なものを見る顔をしていた。
そして、ほんの少しだけ羨ましそうだった。
「…………羨望」
ソラリスが、小さく呟く。
まるで、初めて知った感情を確かめるみたいに。
「これが」
黒炎が揺れ、ノクスは目を瞬かせた。
「え」
「お前は」
黄金の瞳が、真っ直ぐノクスを見る。
「繋がっている。支えられている。一人ではない」
黒炎が、静かに軋む。
「……だから、笑えるのか」
ノクスは少し考えて、素直に頷いた。
「はい」
即答だった。
「めちゃくちゃ支えられてます」
ステラが遠くで顔を覆う。
プリンが補足する。
「ノクスは単独だと生活能力が著しく低下します」
「そこまでは言ってません!」
「事実です」
ソラリスは、静かにそのやり取りを見る。
眩しかった。
黒炎の奥が、軋む。
かつて自分が欲しかったものが、そこにあった。
「……ならば」
黒炎が、膨れ上がる。
「それを壊せば」
空が割れる。
「お前も、理解できるのか」
殺気。
今までで最大。
ステラの顔色が変わった。
「ノクス!!」
ソラリスの黒炎が収束する。
空が黒く染まる。
巨大な太陽みたいに。
「孤独を」
その瞬間、ノクスの表情が消えた。
「――あ」
桃色の魔力が、静かに揺れる。
さっきまでの柔らかさが消える。
温度が変わった。
ソラリスが、僅かに目を細める。
「……?」
ノクスは、ゆっくり顔を上げる。
桃色の瞳。
でもその奥に、はっきり怒りが宿っていた。
声は静かだった。
静かすぎて、逆に怖いくらいに。
「それは、だめです」
「――――」
「絶対に」
ハートの魔力が、脈打つ。
どくん。
どくん。
鼓動みたいに。
「大事な人を壊すのは」
桃色の光が、世界へ広がる。
柔らかい。
なのに、ソラリスの黒炎を押し返し始める。
「絶対に、許しません」
その瞬間、空気が変わった。
ステラが息を呑む。
今までのノクスじゃない。
怒っている。
誰かを守るために。
ソラリスは、その光を見る。
眩しかった。
イグニスとも違う。
でも、似ている。
誰かのために怒れる光。
誰かを失うことを拒絶する光。
「……また」
黒炎が揺れる。
「また、お前たちは」
黄金の瞳が、僅かに震える。
「私へ、手を伸ばすのか」
ノクスは、少しだけ困ったように笑った。
「だって」
桃色の魔力が、ふわりと揺れる。
「あなた、放っておくとまた一人になりそうですし」
ソラリスの黒炎が、大きく揺らいだ。
「――――ッ」
その瞬間。
黒炎が暴走する。
ソラリスの感情に反応して、黒い太陽が膨張していた。
「来るな」
低い声、苦しそうな声だった。
「来るな」
黒炎が荒れる。
「私は、また壊す」
ノクスは、前へ出る。
「壊しません」
「壊れる!」
初めて、ソラリスが叫んだ。
「私は、それしかできない!!」
黒炎が泣くみたいに揺れる。
イグニスを焼いた時と同じだ。
触れたかった。
でも壊した。
だからもう、近づいてほしくない。
なのに、ノクスは止まらない。
「じゃあ」
桃色の光が、優しく揺れる。
「今度は壊れないようにします」
「――――」
ソラリスの思考が、止まる。
理解不能だった。
どうして。
どうして人間は、そこまでして誰かへ触れようとするのか。
黒炎が、揺れている。
まるで、泣いているみたいだった。
「……理解、不能だ」
ソラリスの声は、もう最初みたいに冷たくなかった。
ノクスはゆっくり歩く。
一歩ずつ、黒炎の中へ。
普通なら、一瞬で焼け死ぬ。
存在ごと消し飛ぶ。
でも、桃色の魔力がノクスを包んでいた。
柔らかい光。
誰かを想うほど強くなる魔力。
ハートの魔力。
「来るな」
ソラリスが言う。
黒炎が荒れる。
「お前も壊れる」
「壊れません」
「壊したくない」
その言葉に、ステラが目を見開く。
ソラリスは、自分で言って気づいたみたいに沈黙した。
黒炎が、不安定に揺れる。
「……私は」
黄金の瞳が、僅かに震える。
「また、同じことをする」
もう二度と、誰にも近づいてほしくなかった。
「ソラリス」
ノクスが、名前を呼ぶ。
その呼び方は、不思議と優しかった。
「あなた、ずっと怖かったんですね」
「――――」
黒炎が止まる。
ソラリスは、言葉を返せない。
「でも」
ノクスは少しだけ笑う。
「怖いなら、誰かと一緒に怖がればいいじゃないですか」
「……誰かと」
「はい」
ノクスは頷く。
「一人で抱えるから、苦しくなるんですよ」
ステラが、息を呑む。
それはたぶん、ノクス自身にも向けてる言葉だった。
ずっと、ノクスも一人で抱え込もうとしていたから。
だから今、ソラリスの孤独が分かってしまう。
「……できる、わけがない」
ソラリスの声が掠れる。
「私は、人間ではない。お前たちとは違う」
「違いますね」
ノクスはあっさり認めた。
ソラリスが少し固まる。
「でも」
桃色の魔力が、優しく揺れる。
「違うから駄目ってことにはならないでしょう?」
「――――」
「俺、プリンとも友達ですし」
「訂正要求。プリンはペットです」
「そこ!?」
ステラが思わず突っ込んだ。
空気が一瞬だけ緩む。
その光景を見て、ソラリスは動けなくなる。
眩しかった。
こんな風に、誰かと笑い合う世界を。
自分は、知らない。
「……羨ましい」
ぽつり、と本音が零れた。
黒炎が静かに揺れる。
「私も」
黄金の瞳が、僅かに細められる。
「本当は」
その時だった。
――ズァァァァァァァァァァァッ!!
青い雨が、空から降り注ぐ。
黒炎と桃色の魔力の間へ、冷たい霧が流れ込んだ。
「……そこで止まりなさい、ノクス」
静かな声。
でも少し怒っている声に、ノクスが振り向く。
「あ」
青い魔力。
霧を纏い、雨を従えてそこに立っていたのはルミナだった。
濡れた青髪が揺れる。
星型の髪留めが、静かに光る。
そしてルミナは、ノクスとソラリスを見比べて。
ゆっくり目を細めた。
「……何をしているんですか、あなたたち」
「ルミナ!」
ノクスの顔が少し明るくなる。
だがルミナは笑わなかった。
雨が静かに降っている。
青い霧が黒炎を押し留め、熱暴走しかけていた空間を冷却していた。
ルミナの視線は、まずステラへ向く。
「無事ですか」
「……う、うん」
ステラはまだ顔が赤かった。
ルミナの視線が、すっと細くなる。
「……何かありました?」
「な、何もないよ!?」
「顔が爆発していますが」
「してない!!」
ノクスが横で首を傾げる。
「え、熱とかじゃないんですか?」
「あなたは黙っていてください」
「なんで!?」
即答だった。
プリンがぴこんと揺れる。
「ルミナ、現在ステラは恋愛感情由来の情緒暴走状態です」
「プリンッッ!!」
ルミナの沈黙が深くなる。
雨の温度が下がった。
ノクスがちょっと後ずさる。
「……えっと」
「後で詳しく聞きます」
「はい……」
完全に圧負けしていた。
だが、ルミナはすぐソラリスを見る。
黄金の瞳と青い瞳がぶつかった。
空気が張り詰める。
「……新たな光か」
「ええ」
ルミナは静かに答える。
「あなたがソラリスですね」
黒炎が揺れる。
だが今のソラリスは、先程までみたいな圧倒的敵意を出していなかった。
むしろ、困惑していた。
ルミナはそれを見逃さない。
「……なるほど」
小さく呟く。
「あなた」
雨が静かに降る。
「随分、絆されましたね」
「る、ルミナさん!?」
ステラが焦る。
ソラリスの黒炎が、ぴたりと止まった。
「……絆される」
「違いますか?」
ルミナは冷静だった。
「ノクスと会話してから、あなたの魔力は乱れ続けている」
「…………」
「殺意も不安定です」
雨が黒炎へ触れる。
じゅう、と音がした。
「本当に殺すつもりなら、もう終わっていたでしょう」
ソラリスは否定しない。
ノクスが「そうなんです?」みたいな顔をした。
「ノクス」
「はい?」
「あなたは少し黙っていてください」
「なんでですか!?」
ルミナはため息を吐く。
「あなた、自分が何をしているか分かっていませんね」
「え?」
「この怪物の心を抉っています」
ソラリスの黒炎が、大きく揺れた。
ノクスは本気で困惑した顔をする。
「えぇ……?」
「……抉る」
ソラリスが小さく繰り返す。
ルミナは静かに頷いた。
「あなたは、孤独でいようとしていた」
「……」
「でもノクスは、そこへ踏み込んだ」
青い瞳が、まっすぐソラリスを見る。
「“一人じゃなくてもいい”と」
黒炎が軋む。
ソラリスは理解してしまった。
自分が揺らいでいることを。
理解されたいと、思ってしまったことを。
「……危険だ」
掠れた声だった。
「この光は」
黄金の瞳が、ノクスを見る。
「私を、変えてしまう」
ノクスは目を瞬かせる。
「変わったら駄目なんですか?」
「――――」
「いや、だって」
ノクスは普通に言う。
「変わらないと苦しいままじゃないですか」
ソラリスが言葉を失う。
ルミナは頭を押さえた。
「……本当にこの子は」
ステラが小さく頷く。
「うん……そういうとこある……」
ノクスだけが分かっていない。
「え、なんですかその空気」
その時だった。
黒炎が、静かに揺れる。
今までと違う。
破壊じゃない。
迷いだ。
「……もし」
ソラリスが、ぽつりと呟く。
「もし私は」
黄金の瞳が、三人を見る。
「お前たちへ近づきたいと願ったなら」
空気が止まる。
ノクスは、ぱっと笑った。
「いいじゃないですか」
「即答しないでください!!」
ルミナのツッコミが山脈へ響いた。
「なんでですか!?」
ノクスが本気で不満そうな顔をする。
ルミナは額を押さえた。
「なんで、ではありません」
雨が静かに降る。
「相手は世界を壊すレベルのアークです」
「分類上は、そうなる」
「あなたは黙っていてください」
「……すまない」
「謝るんだ……」
ステラが思わず呟いた。
ソラリスは本当に謝っていた。
しかも少ししょんぼりしている。
ルミナの頭痛が悪化する。
「ノクス」
「はい」
「あなた、自覚ありますか?」
「何のです?」
「その怪物、今かなり情緒がぐらついています」
ノクスはソラリスを見る。
ソラリスは視線を逸らした。
黒炎がちょっと縮む。
「……本当だ」
「本当だ、ではありません」
ルミナは深く息を吐いた。
「あなたは距離感がおかしいんです」
「えぇ……」
「相手が怪物でも踏み込みますし」
「だって寂しそうでしたし……」
その瞬間、ソラリスの黒炎がまた揺れた。
ルミナが頭を抱える。
「ほら見なさい」
「え、今なんかしました!?」
「しました」
即答だった。
プリンが頷く。
「ノクスは高頻度で無自覚クリティカルを発生させます」
「そんなスキルみたいに言われましても」
ステラが小さく笑ってしまう。
空気が、少しだけ柔らかかった。
黒炎と雨と桃色の光。
本来なら絶対に並ばないはずの力が、同じ空間に存在している。
ソラリスは、それを見る。
眩しかった。
「……理解できない」
ぽつり、と。
「なぜ、お前たちはそんな風に笑える」
ルミナが静かに答える。
「怖いからです」
「――――」
「失いたくないから、笑うんですよ」
雨が優しく降る。
「泣くだけでは、前に進めませんから」
ソラリスは、黙る。
その言葉も、イグニスに似ていた。
あの炎も、泣きながら笑う光だった。
「……私は」
黒炎が揺れる。
「イグニスを殺し、お前たちも殺そうとした』
「はい」
「多くを壊した」
「でしょうね」
「……それでも」
黄金の瞳が、揺れる。
「お前たちは、私へ触れようとするのか」
ノクスは少し考えて。
それから、当たり前みたいに笑った。
「あなた、止まりたそうだったので」
「――――ッ」
どうしてこの少女は、自分の奥へこんなにも簡単に入ってくるのか。
ソラリスは、ずっと終わりたかった。
イグニスを壊した時点で。
だからステラと戦った。
憎まれたかった。
殺してほしかった。
怪物として終わりたかった。
でも、ノクスが来た。
“止まってほしそうだった”なんて、そんなことを言いながら。
「……私は」
黒炎が、不安定に揺れる。
「終わりたかった」
声が掠れる。
「イグニスを壊した時点で、生きていてはいけなかった」
ノクスは、静かにソラリスを見る。
それから、少しだけ困った顔で笑った。
「でも」
桃色の魔力が、優しく揺れる。
「イグニスさん、多分それ望まないですよ」
世界が、静まった。
黒炎が止まる。
「……なぜ、分かる」
「だって」
ノクスはゆっくり言う。
「その人、最後にあなたへ触れようとしたんでしょう?」
「――――」
「なら」
桃色の瞳が、真っ直ぐソラリスを見る。
「あなたに、生きてほしかったんじゃないですか」
その瞬間。
ソラリスの黒炎が、音を立てて崩れた。
黒炎が、崩れていく。
まるで長い間、無理やり形を保っていたものが、限界を迎えたみたいに。
「……生きて、ほしかった」
ソラリスが、小さく繰り返す。
その言葉を、理解したくなくて。
ずっと目を逸らしていた。
イグニスは最後、確かにこちらへ手を伸ばした。
燃えながら、壊れながら。
それも恐怖ではなく、拒絶でもなく。
ただ悲しそうに。
「……あなたは、一人ですね」
あの炎は、そう言った。
「あの時、理解したかった」
イグニスを、人間を。
どうしてそんな風に、誰かのために燃えられるのか。
知りたかったから、触れた。
けれど、壊した。
「……怖かった」
ぽつり、と。
「近づけば、壊れる」
「理解したいと願うほど、壊してしまう」
黄金の瞳が揺れる。
「だから、終わりたかった」
ステラは、黙ってそれを聞いていた。
憎かった。
殺したかった。
でも今、目の前にいるソラリスはあまりにも苦しそうだった。
ノクスは、静かに前へ出る。
黒炎の残滓が、桃色の光へ溶けていく。
「じゃあ」
優しい声だった。
「今度は、壊さないように覚えていけばいいんです」
「……できるのか」
「できます」
即答だった。
「なぜ、断言できる」
「俺も、いっぱい失敗してますから」
ノクスは苦笑する。
「距離感おかしいってよく言われますし」
「本当ですよ」
ルミナが即答した。
「あなた、初対面で心へ踏み込みますからね」
「えぇ……」
「しかも無自覚です」
プリンが補足する。
「ノクスは天然人たらし属性を保有しています」
「変な分析しないでください!?」
ステラが吹き出す。
少しだけ。
本当に少しだけ。
空気が、笑った。
ソラリスはそれを見る。
胸が痛かった。
でも、嫌じゃなかった。
「……私は」
黄金の瞳が、揺れる。
「ここに、いていいのか」
その問いは。
世界を滅ぼす怪物のものとは思えないほど、弱かった。
ノクスは答えようとして。
でも先に、ステラが口を開いた。
「……まだ」
橙色の瞳が、ソラリスを見る。
「許したわけじゃ、ない」
「――――」
「イグニスを殺したこと、絶対忘れない」
ソラリスが静かに目を伏せる。
「でも」
ステラの声が震える。
「イグニスが最後、あなたに触れようとしたなら」
ぎゅ、と拳を握る。
「……ちゃんと、理由があったんだと思う」
涙が滲む。
「だから」
苦しそうに。
でも、前を向いて。
「勝手に死んで終わろうとするのは、ずるい」
ソラリスの瞳が、大きく揺れた。
「……ずるい」
「そうだよ」
ステラは泣きそうな顔で笑う。
「ちゃんと苦しめ」
「ステラさん!?」
ノクスが困惑する。
「いやでも!」
ステラは涙を拭いながら叫ぶ。
「イグニス一人分くらいちゃんと後悔しろ!!」
「――――」
「その上で!」
橙色の瞳が、真っ直ぐソラリスを見る。
「それでも生きろ!!」
山脈に、沈黙が落ちた。
黒炎が揺れる。
雨が降る。
桃色の魔力が、静かに脈打つ。
ソラリスは。
初めて。
本当に初めて。
涙というものに似た感覚を知った。
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